あらすじ
もう帰れないよ、きっと。
重ねあった盃。並んで歩いた道。そして、二人で身を投げた海……。時間さえ超える恋を描く傑作掌篇集。女流文学賞、伊藤整賞ダブル受賞
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汲々とすればするほど、二人いっしょではなくなる。
ともかく充填し用いあってできてくるのは、ウチダさんでもないわたしでもない、そのあわいに生まれてでてくるところの形象である。
(さやさや/溺レる/亀が鳴く/可哀想/七面鳥が/百年/神虫/無明)
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年増のわたしと更に年上の男性との関係。すっかり大人のふたりなのにどこか子供っぽいやりとりで、読み終わるとなんだか心があったかい。蝦蛄を食べたくなった
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退廃的な生活。ダメな女。道を間違った男。変な人たち。こどものようなおとな。意味のない日々。
自分はなにをがんばっているんだろう?自分もこうなりたい、ほんとうは。ひとには言えないけど。
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女流文学賞、伊藤整賞W受賞。短編集。どれも男と女の話。『さやさや』『溺レる』がお気に入り。この人はもの喰ってる描写がいいなぁ。実に旨そうで実に巧妙に取り入れてある。
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表題の話より、冒頭の「さやさや」が好き。
互いに人間的に好意を抱いている男女が、酔ったまま終電もなくタクシーも走っていない田舎の道を歩く夜。
美味しいお酒を気持ちよく飲んでいるような、心地いいふわふわした意識のなかで読めた。
川上さんが描く男性はどうしてこうも魅力的に見えるのでしょう。
現実世界にいたら確実に好きになってしまうようなおとこのひとばかりです。
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川上弘美の怖さを見た。
言葉の重ね方、
会話の重ね方、
酒と食事の重ね方が、
川上弘美の魅力と思っていたのは、
まだまだ少ない経験で得た、
彼女のいち断面であったか。
男と女の情念の、
強く、淡く、もろく、
果てしない粘りつき方が、
とても恐ろしい。
川上弘美が粘りつくと言うと、
ひどく粘りついて見える。
そこにある情念が、
とてもとても粘っこい。
あわあわとしているのに、
さらさらとしているのに、
やたらと絡みついて、怖い。
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「立ち向かう」から逃げてみたのはいいけれど、でも「逃げる」って、どこへ?
なんとなく満たされない心の隙間や、漠然とした不安を情欲で埋める男女たち。この気持ちは愛なのか気の迷いなのか。幸の味も不幸の味もわからなくなって、途方に暮れているような掌篇集だった。
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恋愛の、特に男女の関係のその部分だけを濃く濃く表現した短編集って感じでした。なんで彼と一緒にいるのか、なんで別れるのか、なんで彼が好きなのか、ということよりも『その人が好き』という感情だけが濃い。
お気に入りは『七面鳥が』でしょうか。彼を蹂躙したいって、普通、使いません…。
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あなたは、いきなり『死んでからもうずいぶんになる』という書き出しの小説に接したとしたら、その先にどんな世界を感じるでしょうか?
どんな小説に於いても冒頭の一文というものはとても大切です。その作品世界に入っていくことができるかどうかを試す試金石とも言えるのがこの冒頭の一文です。私は今までに500冊以上の小説ばかりを読んできましたが、そんな中でも未だに一番強く印象に残っているのが、綿矢りささん「蹴りたい背中」の冒頭の一文です。『さびしさは鳴る』と始まるその一文。そんな一文をもって私の心はすっかり綿矢さんの作品世界に囚われてしまいました。芥川賞を受賞された作家さんの表現の魅力というものをこんなところからも感じます。
そして、同じく芥川賞を受賞された作家さんでもある川上弘美さんもさまざまな文章表現で魅せてくださる作家さんの一人です。そんな川上さんの作品は、冒頭の一文以前に、書名で何かしら引っ掛かりを感じさせるものも多いと思います。私が読んだ作品では「これでよろしくて?」といきなり書名に”?”がつくという、なんとも妙な引っ掛かりを感じさせる作品もありました。そして、本日ご紹介するこの作品もいきなり引っ掛かりを感じさせる書名がつけられています。「溺レる」というその書名。三文字の中に漢字とカタカナとひらがなを使ってしまうというなんとも贅沢なその書名。そんな作品は、書名に感じる不思議感をダイレクトにまとってもいます。
『少し前から、逃げている』、『大きな、七面鳥が、胸の上に乗っかってきた…』、そして『死んでからもうずいぶんになる』と不穏な空気を感じさせるその各短編の冒頭。そんな八つの短編から構成されたこの作品は、短編それぞれに関係性はありませんが、一つの独特な世界観を見事に作り上げているという点で短編集として絶妙なまとまり感を見せてくれます。ただ、あまりにかっ飛んだ物語のオンパレードに、私の読解力が追いついていかないと感じる部分もあり、楽しめる作品とそうでない作品に分かれた印象はあります。そんな中からいつもの さてさて流 でその一編の冒頭をご紹介しましょう。
『死んでからもうずいぶんになる』と思うのは『サカキさんと情死するつもりだった』という主人公の『私』。しかし、『情死』するはずが『サカキさんは死なずに残』り、『私だけ、死んだ』という結果論。『死んでからは、迷ったり、念がこうじて幽霊のかたちであらわれたり』していた『私』ですが、今では『サカキさんのことを、強く思うばかり』となっています。そして、そんなサカキも『せんだって八十七歳で往生し』ました。そんな『サカキさんを知ったのは私が四十歳になってしばらくのころだった』と振り返る『私』は、『逢瀬をかさねた』日々を思い出します。『そのうちにお互いの体が粘るようにな』り、やがて『体だけでなく心根も粘ってきた』と感じた『私』は、『情死しなければいけない』と思い詰めます。そして、『一緒に死のうとサカキさんに言われた』『私』。『サカキさんは会社に退職届けを出し』、『蒸発人となった』サカキは、『私の手を引いて小さな不動産屋に入』りました。そして、『商業学校の前の、日当たりのいい六畳の部屋を借りた』二人。『私が使っていた布団を持ってこようかと言ったら』、『いいよ。新しく買おう』と言うサカキに、『でも、もったいない』と返す『私』。そんな『私』に『すぐにどうせ死ぬからか?』と笑うサカキは、『このまま、ずっとこうしていたいや』と『畳に寝そべって天井を見上げ』ます。『死ぬのは、いやだった』という『私』。『しかし、死なないで生きていくことにも、さほど執着はなかった』という『私』は、『死んでもいいわよ一緒に、と答え』ました。『もう疲れた』としばしば言うサカキは、『もう疲れた。早く死のう』とも言いますが、『疲れた、と言いながら、結局サカキさんは生き残ってしまった』という結果論。そして、『八十七歳の生涯を立派にまっとうした』というサカキに対して『私だけが死んでしまった』という結果論。そんなファンタジー視点で描かれる不思議感極まる〈百年〉というこの短編。冒頭の『私だけ、死んだ』という衝撃的な一文で読者を一瞬にして不思議な世界へ誘ってくれる不思議世界の魅力を堪能できる好編でした。
八つの短編は雰囲気感を共通としていますが、それぞれの個性は非常に強いものがあります。そんな特徴を言葉の表現と、印象的なシーンからそれぞれ二つずつ見ていきたいと思います。まずは言葉の表現の一つ目です。それは、この作品の「溺レる」という書名からも予想される”カタカナ”の多用です。日本語は言うまでもなく漢字、ひらがな、そして”カタカナ”によって表記される言語です。これら三つの中でも”カタカナ”というものは、意図して用いられる場合が多く、どこか軽やかでリズム感を感じるような軽快さも特徴だと思いますが、この作品では、八つの短編に登場する男性の名前が『メザキ』、『コマキ』、そして『トウタ』というように全員、カタカナで表記されています。私たちは普段の日常生活において氏名は漢字で表記するのが一般的です。”カタカナ”で表記されるのは、その人物の漢字が不詳の場合など意味ある場合のみです。それがこの作品のように全編にわたって”カタカナ”で表記されるとどこか不穏な空気が漂います。また、その名前に不思議と注意がいったりもする一方で決して感情移入の対象となっていかないのも不思議です。また、人の名前だけでなく、漢字で表記されることを期待する熟語が”カタカナ”で表記されてもいます。例えば『リフジンなものから逃げてるということでしょうか』という一文は、普通に『理不尽なものから逃げてるということでしょうか』と表記する以上に、何か皮肉のようなものも感じます。また、『シニタイとかなんとか言いながら』という一文は、『死にたいとかなんとか言いながら』と表記するよりも”カタカナ”の特性が勝ってなんだか深刻さが感じられません。そして、書名にも繋がる『アイヨクにオボレる』という一文も『愛欲に溺れる』と表記するのとは全く別物の感情の表現のようにも感じてしまいます。どちらかと言うと後者のドロドロとした印象が薄まって軽やかさを感じさせるのも不思議です。といったように”カタカナ”使いの絶妙さがこの作品の表現の一番の特徴だと思います。
言葉の表現の二つ目は古語や俗語がいきなりぽんと使われるところです。『「ハシバさん、どっかにしけこもう」いらいらしながら、わたしは言った』と、使われる『しけこむ』という言葉。”遊郭や料理屋などの遊び場にひっそりと入り込むこと”を指す言葉のようですが、続く本文で『しけこむって、トキコさん、古い言葉使うね』と突っ込みが入るように今の世には普通には違和感を感じる言葉だと思います。また、『せんないようなにくたらしいような心もちになって』というひらがながやたらと続くこの文章の『せんない』です。こちらは”何かをしても報いられない”というような意味合いのようですが、読みづらいひらがなの連続と相まってなんとも引っ掛かりを感じる表現です。
次は印象的なシーンを見てみたいと思います。まず一つ目です。それは、『メザキさん、おしっこしたいの』と唐突に登場する主人公・サクラの一言から始まる場面です。『道ばたの草むらに踏みいった』、『スカートを腰までめくりあげ、したばきを下ろした』、そして『目を閉じて、放尿した』と続く一連の場面。私たちの日常における、起きて、食事をして、何か活動をして、性の営みがあって、そして眠るという一連の行動のそれぞれの場面は、数多の小説でさまざまな書きようがなされています。特に多いのは食の場面と性行為の場面だと思います。しかし、私たちの日常で誰もが欠くことがないはずなのに小説に登場することがほぼないのが”用を足す”場面です。そもそもそんな行為を記述してもそこからドラマが生まれることはない、だから記さないのだと一見思われがちです。しかし、そんな場面を意図的に入れている作品も存在します。私が今までに読んできた作品の中では、小川糸さん「さようなら、私」において主人公がモンゴルの大平原で繰り返し”用を足す”場面が描写されます。そこには、傷ついた主人公の心が解きほぐされていく様が同じ”用を足す”という行為の反復の中での微妙な感情の変化によって表されてもいました。また、川上弘美さん「せんせいの鞄」では『わたしは手洗いに行き、勢いよく用を足した』と繰り返し”用を足す”場面が記される中で小川さんの作品と同じような主人公の感情の変化をそこに感じました。一方で、この作品で”用を足す”場面は一度きりです。その効果としては、”用を足す”というある意味での孤独な行為を『さみしいね、おしっこしてても、さみしいよ』という主人公の心持ちを読者にも感覚的に伝える目的で描かれているように感じました。いずれにしても”用を足す”場面の登場はインパクトが非常に大きいものであり、そんな場面を登場させる川上さんの強い意図を感じます。
最後に、印象的なシーンの二つ目です。それが、『ユキヲは黙ったまま私を畳におろし、ていねいに服を脱がせ、乳房の間に鼻をうずめ、ゆっくりと行為におよんだ』と描かれていく性行為の描写です。この作品のレビューで”川上弘美版官能小説”という風に書かれていらっしゃる方もいる通り、八つの短編に性行為を描写するシーンは複数登場します。特に上記の表現の登場する〈亀が鳴く〉や、『執拗に、乳房にくちびるを当てるので、どうしても声が出る』と続く〈可哀想〉、そして『俺が、ほしいか』『いい声だな、おまえの声は』と展開する〈無明〉などそれぞれの短編の雰囲気に絶妙にマッチした性行為の場面がそれぞれの短編に登場します。しかし、それらは決して読者にいやらしい感じを与えないのが不思議です。そういったシーンを文章を通して読者が見るというよりは、どこまでいっても文学作品を読んでいるような印象、もしくは高い位置から俯瞰しているかのような印象も受けます。一方でだからこそ、これぞ”ジ・エロティシズム”と感じる方ももしかしたらいらっしゃるかもしれません。この辺りは、人それぞれだと思いますので、私の見方はこれまでとしたいと思います。
そんな表現の魅力に満ち溢れたこの作品は、全てが男と女の物語という一貫性をもった短編集でもあります。『あんたら、どういうの』と、関係を聞かれて『駆け落ちしてるんですよ』と真面目に男が答える表題作の〈溺レる〉。『ナカザワさんは肌をあわせるときにはたいがいわたしを痛くするのだ』というナカザワとの性行為のあり方を注視する〈可哀相〉。そして、『死んでからもうずいぶんになる』という冒頭の一文から読者を戸惑いの中に突き放す〈百年〉など、男と女の物語といっても、普通ではない状況下の関係性を描いていくこの作品。あまりにつかみ所のない内容が次から次へと読者を襲うその物語世界は読者の想像力を試しているかのようにさえ感じさせるものばかりです。そんなこともあって、好き嫌いがはっきり分かれそうな作品だとも思います。しかし、これこそが万人におもねらない川上弘美さんの作品の何よりもの魅力であり、その作品世界に読者も一緒に「溺レる」ことこそ、この作品を読む醍醐味なのかもしれません。
言葉の表現の魅力と、印象的なシーンの魅力、そしてつかみ所のない場面設定の中にいきなり放り込まれ、作品に「溺レる」ことが一番の魅力のこの作品。その独特な作品世界に一度はどっぷりとハマってみたい、そう感じさせてくれた不思議感漂う作品でした。
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現実とは、少し軸のずれたところにいるような男女。どの作品も片方は生活者として社会参加もしている、しかし、どちらかは日常生活の中で時間や、住んでいる地面から少し浮かんだような奇妙な空間で暮らしている。
二人はこういうカゲロウのような淡い、見方によってははかない弱い生き物になってしまっている、そんな日向か蔭よく分からない、流されて生きる人を書くのは、川上さんならでの世界だ。
短編集だが、テーマは、道行というか、世間からはみ出した二人連れの話で、行き着くところは、お定まりの別れだったり、話の最初から心中行だったりする。
別れは、まぁ文字通り、世間並みに生きていける方が去っていく。
情死は遂げたが、目的どおりうまく死ねたり、片方が生き残ったりする。そして死んだ魂が、百年、五百年と漂っていたりする。
こういう風に人の生活は何かとりとめがなさそうで、その根源は、単純に見えたり、哀しかったり恐ろしいものかもしれないと感じる。
川上さんの言葉似対する独特の優れた感覚、感性が雰囲気のある、短編集になっている。
「溺レる」という題名。次第に溺れていく男と女がアテもなくさまよい、部屋に帰ればはアイヨクに溺れる。
そういう行為が全編に書わたって書かれているが、アイヨクに溺れたり、交歓だったり、交合したり、情を交わしたり、挑みかかられたりして極まったり、極まれなかったり極まったフリをしたりする。男が可哀想で施してやったりする。
下品なポルノに堕ちない文学作品はこういう書き方もあるのかと読みきるのが惜しまれた。
作品の背景によって書き分けてられている情景も、言葉も素晴らしい。
さやさや
溺レル
亀が鳴く
可哀想
七面鳥か
百年
神虫
無明
男がこどものころ寝ていたら「七面鳥」が胸に乗ったという、夢の話か、それにしても足をたたんだ七面鳥の感覚が今でも甦る。
面白い話。
「さやさや」もいい。飲んで揺れる男の腰を見ながらついて歩く。気持が悪くなって道端で吐き、草むらに入って放尿する「さやさや」と音がした。
「溺レル」では、逃げている二人の会話がどこかずれているのに、二人で逃げている。
「リフジンなものからはね、逃げなければいけませんよ」といわれ
ひとつ逃げてみますか、というので逃げ始め、だんだんその意味も分からなくなってくる。
女は何もしないでゴロゴロしている。物事も全うできなくなった、以前は出来ていたのに、だから男との生活も全うできなかったのだ、「別れる」「出て行く」といって男が去った。
「百年」は心中で海に飛び込み死んでしまったが、男は助かり何もなかったように以家族との生活に戻った。男は87歳で死に子も死に孫も死んだのがわかる。
「無明」
不思議な世界、事故で二人とも死んだが、今度は不死の体になった。男は50年前にタクシーの免許を取り運転手をしている。五百年経ったけれどまた五百年くらいすぐ過ぎるさ、と男が言う。
あらすじは余り意味がない。短い物語なのに面白くて、特に結びがいい。
川上さんの作品は読むたびに後に残る。全部読もうかなと思うがそういう作家が多くてなかなか追いつかない。まだ先があるというのも嬉しいけれど。
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再読でも好きでした。何かから逃げ続けている男女の、ふわふわとしていながらも、寂しい官能を感じる短編集でした。いくらアイヨクに溺れても、相手との間の空気を改めて知るような、満たされないふたり。人ではないものになって、百年とか五百年を過ごしても、寂しさは続くのかもしれません。食べる場面も、悲しくて寂しくてとても好きです。亀って鳴くのかな。解説も好きでした。「つまらない女」にひっかかったら最後、もう帰れないのである。
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川上弘美さんてこんな詩的でエロい小説を書くのだなあと意外に思った。独特のちょっと古風な文体、言葉の使い方、それから頻繁に出てくる和食の描写。日本酒が飲みたくなる。全体的に上品な和の薫りがする。そして狂気が漂ってる。
「百年」が一番好き。心中した男女の、生き残った側ではなく、死んだ幽霊の側から見た世界。という設定が面白い。個人的に『坊っちゃん』が好きなので、ところどころに出てくる「清」のエピソードにぐっときた。
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ちょっと翳りのある、どこかいびつさのある男女関係を描いた短編集。どの話もどろりとした関係性のはずなのに、湿っぽさは感じられない。どの“わたし”もどこか醒めた目で自分と男のやりとりを見ているように思えた。
「この人の書く文章が好きなので、読んでみて欲しい」と友人から贈られた一冊。確かに自分では選ばないタイプの本なので、新鮮だった。
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行間に立ち込める空気をどこかで感じた事があると思ったら、太宰の斜陽だった。
収録作品の多くが「虚ろな男女のどこか前向きではない逃避行」といった風情。カラダの結びつきも描かれるわけだが、淡々としたエロさが文章として美しい。
そしていつもの川上節というのか、暖簾に腕を押すような男女のかけあいもしみじみとした味わい深さがあって心地いい。
砂時計の砂がさらさらと落ちて時の経過を告げる、そんな読後感。印象に残ったのは「さやさや」「溺レる」「可哀相」「七面鳥が」「神虫」の4篇。
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暗くてさびしい。でも後味悪くないのが不思議。
どうしようもない人たちが登場する。男も女も。
此処はいったい何処なのだろう?
同じような場所に、同じような男女が生息しているような。
百年とか、五百年後とか、お伽話みたいでおもしろい。
「亀が鳴く」が印象的だった。
Posted by ブクログ
別の本に『百年』が紹介されていて、気になったので読んでみました。
川上さんの作品は初めてです。
内容に疑問や余白が多く、短編なのに詩みたいだなと思いました。
サカキさんはどうして死にたくなってしまったのだろう。
助かって?しまったあとは、どんな気持ちで87歳まで生きたのだろう。
この物語は、主要な登場人物二人が、既に他界しており、「私」が俯瞰してみている文章になっていて、とても不思議な気持ちになりました。
この作品を通して、何を伝えたかったのか。余白が多い分、考える甲斐があります。
肉体はなくなっても、人の想いは一生残り続けるのかなと思いました。
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2025年6冊目『溺レる』(川上弘美 著、2002年9月、文藝春秋)
愛欲に溺れる男女の道行きを描く8つの物語が収められた短編集。
性表現は多いが、その背後に執着心のようなものは感じられない。また、短編は全て一人称小説なのだが、いずれの語り手も物事を俯瞰的に観測している。
本作の文体は軽やかで瑞々しく、登場人物たちのまぐわいは時として生々しいが、この著者と物語の距離感が、作品に乾いた寂寥感と儚さを生み出している様に思う。
〈ここはいったいどこなのだろうと不思議に思いながら、モウリさんに身を寄せていた〉
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訳ありの男女の交際について描かれている短編集
普段だったらあまり手にしないジャンルで苦手なシーン(性的なもの)もありましたが、川上さんの文章だからかスラスラと読め吸い込まれました
全体的に寂しさ、静けさの残る作品に感じました
他作も読んでみようと思います
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自分と他人を隔たる境界線が、川上弘美にとって肌なのでは。
その肌の内側に空洞があって、それを他人で埋める女性は、社会に目もくれず自律していない。
一方で、その空洞を生物学的に満たす体を持ちながら埋めやすらしない男性は、女性を理解どころか関心すらもっていない。
体も心も満たされず、でも現状を手放せずにぬめぬめ生きる男女たち。
多かれ少なかれ、異性と適切な距離感をもてずにずぶずぶと生きる瞬間は誰にでもある気がする。
Posted by ブクログ
少し不思議で倒錯したような世界で描かれる男女間の情愛の短編8本を収録。どれもストレートでエモーショナルな感情のぶつけ合いではなく、もちろんドロドロもしていない、どちらかというとカラッとあっさりした風合いなのだけれど、とらえどころのない男と、それに拘泥しないようでいてつながっている女の湿り気というか、人生のひだのようなものがそこはかとなく感じられる作品だった。
Posted by ブクログ
静かな展開で進む短編集。
愛欲に溺れていく男女のお話です。
でも綺麗な流れなので何か心に響きます。
「アイシテルンデス」、肝心なときに言えないのはなぜだろう……。
二人で何本も徳利を空にして、ゆらゆらと並んで歩く暗い夜の情景―「さやさや」。
ちょっとだめな男とアイヨクにオボレ、どこまでも逃げる旅―「溺レる」。
もっと深い仲になりたいのに、ぬらくらとすり抜ける男―「七面鳥が」。
重ねあった盃。並んで歩いた道。そして、二人で身を投げた海……。恋愛の過ぎて行く一瞬を惜しみ、時間さえをも超えていく恋を描く傑作掌篇集。
他に「亀が鳴く」「可哀相」「百年」「神虫」「無明」など、全八篇。
2000年、本書で女流文学賞、伊藤整文学賞をW受賞。解説「つまらない女が飼う」 種村季弘
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【2022年58冊目】
タイトルの「溺レる」も含め、男女の恋愛について書いた短編集。解説を読んで気づいたが、登場人物は全員何かから逃げている。逃げているというか離れようとしているというか。
しんしんとした描写が続く。終始雨が降っているような雰囲気の話だった。
Posted by ブクログ
寄り添ってはいるけれど、どこか寂しく、心もとなく、さ迷っているような恋愛の情景を描いた短編小説集。どの作品も違う人たちのことが書かれているのにただよってくる雰囲気に共通点が感じられて、ほんとはみんな同じ人たちなんじゃないか…と思えてくる。彼らの会話や通り過ぎた景色の音や色や感触が心に残って離れない。不思議な読後感に浸れます。
Posted by ブクログ
入り込むと現世から逃れられないような引力がある。誰もが逃げていて、何から逃げているのか、頂点に君臨している者達から逃げているのか。何世紀経っても不老不死で生き続けている夫婦もいるのだから果てがない。どれが自分にとって理想的な逃避行か、探すのも面白いかもしれない。愛欲の故の溺レるというは正にそうで、どの短編でも少なくとも愛情や欲に溺レていた。
Posted by ブクログ
う~ん、退廃と現実逃避の世界だなぁ~。
でも面白い...。この世界観はなかなか味わえないので、定期的に触れてみたくなるだろうな...。好き嫌いが分かれる作品だと思う。私はOKにしたい。
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いろんな男女が出てきた。
細かい描写はないものの、やたら交わるのだけど、そんな部分より互いの気持ちや会話の部分の湿度や粘度が高くて驚く。
さらっとしてる文章に見えるし、男から殺されそうになったり二人して不死身だったりと、なかなか共感できるシチュエーションでもないし、執着だの欲望だのが前面に出るよりは、ぼんやりした淡泊な主人公の一人称が多いのだけど、何故だか知ってる感情のような気がする。
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「溺レる」。
何故「れ」ではなく「レ」なのか。
なるほど「アイヨク」だから。
ダメ女達のなんとも言えない「愛」の短編集。「愛」と書くのもはばかられるような、そんな状態だけど。
冒頭の「さやさや」という短編は、おしっこの音だったとは。
Posted by ブクログ
なんとなく、雰囲気に浸れる女性作家さんの文章が読みたい、と手に取った本。以前読んだ『センセイの鞄』が良かったなぁと思った気がして。(確かこの本なのだがうろ覚え)
雰囲気はあるけれど、全体的に傾いた雰囲気で通勤電車で読み始めてくらくらした。
最初の「さやさや」とか、終わりのほうえーって感じだったし…。生々しい話が多い。
その後、ああそういう話ばかりなのね、と理解。現実から逃避する、男性に従順についていくふわふわ…というかじりじりとした女性ばかりが主人公で読みなれると楽だった。流れに抗わずに流されるというのはいいなあという心地さえしてきた。慣れるまでがちょっと気持ち悪かったけど。なんというか、酔ってる時に読むのが最適かも。朝のしゃっきり現実脳には向かない本かな。笑
食べ物にまつわる描写、毎回美味しそう。私はお酒を飲まないのだけど、おつまみとお酒美味しいのだろうなあと憧れるレベル。
「百年」という話の設定面白かったかな。死んで百年経つのかい、とびっくり。さっぱりした書き方で、確かに清のよう。
好きかどうかと言われると好きでないけれど、こういった文章をぐいぐい書けるのはすごいなと思ったので、星3つです。
Posted by ブクログ
星3つ半くらい。
ゆるゆると、川上ワールドに浸って居られるのが良い。
短編集を読むのは初めてだった気がする。
やっぱり、長編の方が良いな、と思いつつ、「神虫」あたりは、何がとは言葉に出来ないけれど、なんだか良かった、
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