川上弘美のレビュー一覧
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ネタバレ揺れるような不思議な小説。小舟で揺られているような。
自分にとっては、仕事でしばらく忙しく、別のところに連れていかれるような感覚があり、心地よかった。心地よい・・ちょっと違うかな。。心の中に深く潜る・・というか。。自分はこのような状況に陥ったことはないし、異性だし、確かに理解しているとは感じられない。でも、どこかの自らの心象風景に近づくことがある。
最初の文に>>
歩いていると、ついてくるものがあった。
まだ、遠いので、女なのか、男なのか分からない。どちらでもいい。かまわず歩き続けた。
・・・
布団はすぐに敷きます。風呂は地下です。そっけなく説明する息子が出て行ってから薄いカーテンを引くと、すぐ際に海が見えた。波音がする。月は出ていない。波を見ようと目をこらしたが、灯の数が足りなかった。部屋はずいぶん前から準備されていたようにむっと暖かだった。窓も開け、冷えた空気を入れた
>>
最初は主人公がどこにいるのか、男性なのか女性なのかもわからなかった。
文章に好き、嫌いがあるが、すぐに好きになった。途中、ひらがなが多かったり、普通は使わない「たゆたう」などの言葉が出てきて、読みにくいと感じることもあった。でも、独特のリズムがあり、行ったり来たりする、人の気持ちの揺らぎを、自分事として感じることができたように思う。
ついてくるものは、最初、はっきりしない。途中からリアリティをもって感じられるようになってくる。主人公のメンタルも崩れる一歩手前までくる。それが離れていくことになるが、メンタルの危機は離れ、明るい前向きな気持ちに変わっていく。
まるで人生そのものではないか。単に恋愛だけでなく、いろいろなことを考えてしまった。
また、読み返したい。 -
Posted by ブクログ
川上弘美さんの英語翻訳版が発売。NYに実際にお越しいただき、直接お会いする機会まで。本当にありがたい。
人間と異界の存在が交わる不思議な世界観を、まるで日常の中に溶け込ませるような格好で隣接させ、融合していく。客観的な視点から、主観的な視点に移しながら、日常をぐにゃりと曲げていく感じ。秀逸な、それぞれのストーリーを体験させていくことで、浮かび上がらせる人間の生き方。女性の存在を強く前に押し出すような作品を感じますという風にお伝えしたところ、私自身から自然と出てくるものであって、それだけを意識しているものではないんですよ、と爽やかな笑顔で語って頂いた。本当に、魅力的な内面の部分が溢れ出るような、そういう方だ。ダイバーシティが進むニューヨークで、神も妖怪も、異質なものもひっくるめて当たり前に生活しているような大都市で、いつの間にか人間界に入ってきた蛸、台所の下にいる荒神様、普通に年金の話をしたりしている先祖と恋をしたら、、、リアリティとかそういうものではない、自然な世界が実はあるんだろうと。じわじわと引き込まれていく、この境界線の向こう側。この感覚がきっとアメリカでも、刺さるに違いない。 -
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ネタバレ読む手を止められない。
でも、噛み締めて読みたい…!
年間100冊以上読む私が「一気読みするのは勿体ない…!」と躊躇するのは初めての体験でした。
と、同時にこれはどんな答えを見出せばいいのか…今でも少し戸惑います。
すっごくカロリーが高い作品であることは間違いないです。
本来「愛しい」という気持ち、「愛」というものは、もしかしたら心苦しいものなのかもしれない。
幸せを運ばないのかもしれない。
けれども、人は「愛」を心に抱くことを辞められず、傷つき、悲しみながら生きていく。
「愛の形」は時代によって変わるけれども、「愛しい」「愛する」という気持ちの本質は変わらず、悲しいものなのかもしれないと思うようになりました。 -
Posted by ブクログ
一遍一遍読むたびに、はぁとひと息ついて、余韻に浸りたくなる。なんだかわからないけど、噛み締めたくなる。
この短編集を手に取る前に、『ざらざら』『ぼくの死体をよろしくたのむ』を読んでいたので、リンクするお話を見つけるたびに感動していた。もちろん、この短編集から読んでも十二分に楽しめると思う。
『ざらざら』よりかはソフトな恋模様だった。
それぞれ異なる恋愛をしていて、チープな言い方になってしまうが、面白い。
表題作『パスタマシーンの幽霊』が特に大好きで、料理の不得意な主人公がケチャップごはんをつくるシーンが一番のお気に入りだ。短編集を読み終わってからも、この部分は何回も読み返しているし、実際に真似して作ってみたりもした。本文のかわいい言い回しを思い出しながら、それにしたがって。それで、結構おいしかったので、適当にごはんを食べたいときはこれを作るようになりました。本当に好きな短編、というか、レシピの書き方。がさつで適当なご飯なのに、主人公の説明口調が丁寧でかわいらしいんです。
「炊きたてのごはん(炊飯器があるので、ごはんだけはふつうに炊ける。なんてありがたいことなんだろう)を茶碗によそって、バターをひとかけ、ごはんのてっぺんに落とす。……………(続く)」
どうでしょう、ここまででも既にかわいいですよね。
「おしょうゆ」「お箸」と丁寧に言ってるのが良い。
「そまったへん」と適当なのも良い。
これだけで、なんとなくの主人公の性格とかバックグラウンドが見えてくるような気がする…大袈裟だけど。
ひらがなの使いどころと、擬音の使い方、説明の仕方が絶妙で、胸を掴まれた。暗記したいレベルで好き。
これってもしかして、詩なの?
このレシピ、みんなに読んでほしい…!!!!!
まだこのケチャップごはんをつくったことがない方には、一度ぜひつくってみてほしい。おいしいから。 -
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ネタバレ⚫︎受け取ったメッセージ
「影」としての心との出会い
⚫︎あらすじ(本概要より転載)
ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった。
蛇は柔らかく、踏んでも踏んでもきりがない感じだった。「踏まれたので仕方ありません」人間のかたちが現れ、人間の声がして、蛇は女になった。
部屋に戻ると、50歳くらいの見知らぬ女が座っている。「おかえり」と当たり前の声でいい、料理を作って待っていた。「あなた何ですか」という問いには、「あなたのお母さんよ」と言う……。
母性の眠りに魅かれつつも抵抗する、若い女性の自立と孤独を描いた、第115回芥川賞受賞作「蛇を踏む」。
⚫︎感想
ユングの「影」を想起した。積極的に生きてこなかった自分=影が蛇として表現されていると考えてみた。影としての心との出会い。蛇を踏んでしまった。その蛇が家に居着いて人間になったり蛇に戻ったりする。巻きつかれたり、職場までやってきたり、蛇の世界に誘われるが、拒んだり、心地よかったり、ザワザワしたり。影としての心が動き出して、蛇となっている…と捉えると、ヒワ子が違和感なく蛇を受け入れることも理解できる。無意識の自分なのだから。受け入れたり、争ったりするのは、自我と影だからであると考えられるのではないか。また、蛇が「あなたのお母さんよ」とヒワ子に言っていることも、ユングのグレートマザーを想起させる。
河合隼雄氏は昔話や神話の中に無意識の世界の広がりを研究された方だが、川上弘美さんの「蛇を踏む」は、「影」としての心との出会いを昔話風に物語ってくれているのではないかと思った。 -
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ネタバレ「今年いっぱいはまだ三十七」の主人公の「わたし」と、「歳は三十と少し離れている(すなわち60代後半ということ)」「センセイ」の恋物語。センセイはわたしの高校時代の国語の教師であり、卒業から20年近く経ってから、偶然、再会したのだ。
恋愛のテンポは驚くほどゆったりしている。「センセイと再会してから、二年。センセイ言うところの"正式なおつきあい"を始めてからは、三年。それだけの時間を共に過ごした」とある。この物語は、主に、わたしがセンセイと再会してから、「正式なおつきあい」を始めるまでの二年間の出来事が綴られている。特に劇的な出来事があって、2人がつき合うようになるわけではない。物語の初めから、わたしはセンセイに、センセイはわたしに好意を抱いているのは明らかだ。そして、何度も居酒屋でお酒を一緒に呑み、市(いち)やキノコ狩やパチンコや旅行に一緒に行ったりし、センセイが「石野先生」と仲良くすることに嫉妬し自分は「小島孝」と良い雰囲気になったりしても、決定的なことは何も起こらない。かなりじれったい展開が、「再会してから、二年」続くわけである。
わたしの方は、「わたしが近づこうと思っても、センセイは近づかせてくれない、空気の壁があるみたいだ。いっけん柔らかでつかみどころがないのに、圧縮されると何ものをもはねかえしてしまう、空気の壁」を感じている。そしてセンセイの方は、「ワタクシはいったいあと、どのくらい生きられるでしょうか」と考えたり、「長年、ご婦人と実際にはいたしませんでしたので」「ワタクシは、ちょっと不安」を感じていたりして、一歩を踏み出せない。そして、わたしも、先生がそのような不安を抱えて一歩を踏み出せないことを分かっている。誠にじれったい展開だ。
しかし、月が満ちるように、二人は結ばれる。再会してから二年が経過した後で、そして、お互いに好意を持っていることを分かっていながら、ついにセンセイは「ワタクシと、恋愛を前提としたおつきあいをして、いただけますでしょうか」と告白する。わたしは、ずっと「すっかりセンセイと恋愛をしている気持ちに」既になっているのに、と思いながら、「センセイにかじりつ」く。
この後の二人の様子の描写が好きだ。
「闇がわたしたちをとりまき、わたしたちはぼわぼわと話しつづける。からすも鳩も、巣へ帰っていったらしい。センセイの乾いてあたたかな腕に包まれて、わたしは、笑いたいような泣きたいような気持ちだった。けれど笑いもせず泣きもしなかった。わたしはただひっそりと、センセイの腕の中におさまっていた。
センセイの鼓動が、上着越しにかすかに伝わってくる。闇の中で、わたしたちは、静かに座りつづけていた。」
このような瞬間のために人生があるのだと思わせてくれるような美しい場面だ。
そして、この小説には、静かに、しかし胸を揺さぶるような場面がもう一つある。小説の最後の場面だ。「正式なおつきあい」を始めてから三年で、センセイは亡くなる。そして、センセイの息子さんから形見として、センセイの鞄をわたしはもらう。「センセイが書き残しておいてくれた」のだ。この鞄は、センセイがわたしと再会してから、センセイと共に、色々な場面に登場し、色々な場所に一緒に出掛けたものである。わたしはセンセイと過ごした日々を時々思い返す。
「そんな夜には、センセイの鞄を開けて、中を覗いてみる。鞄の中には、からっぽの、何もない空間が、広がっている。ただ儚々とした空間ばかりが、広がっているのである」と小説は結ばれている。「儚々」という言葉は、初めて見かけた。「ぼうぼう」と読むらしい。「儚」は、「はかない」という言葉なので、意味は分かる。
センセイのことを思い出してみるが、それは、「からっぽ」で「はかない」ということ。「わたし」の淋しさは、如何ばかりかと思う。
美しい物語と美しい描写・言葉遣いがされている、しかし、儚い小説だ。 -
Posted by ブクログ
読んで間違いなかった。
『ぼくの死体をよろしくたのむ』で川上弘美の世界に惹き込まれ、この作品で読むのが3冊目ですが、読んで良かったと心から思います。
フシギと現実の間をふよふよと浮いて、うまいこと行ったり来たりしている川上弘美の文章は、読みやすくて心にすっと馴染む。川上弘美のフシギには、違和感がなくて、疑問も持つことなく、まるで自分もその世界にいるみたいに読めてしまうから好き。
どのお話も好きだけど、くまのお話、梨の話、おばあちゃんの営むバーのお話が好きでした。くまに関しては、もうくまに恋してしまいそうだった。梨の話は、なんとなく主人公の感覚に共感できるところがあって、「ズレ」という表現になるほどなあと思った。おばあちゃんのお話は、彼女の言葉や、いくつになっても人を慕い続けることの素敵さに溢れていて心に沁みた。
なんとなく、全体的に「別れ」のあるお話が多かった。
川上弘美の作品は、何も意味なんて無くて、意味を求めることもきっと違っている。ただふわふわ、ゆらゆらとしているから私にとって心地よい。登場人物がどこか淡々としてるところとか、特に好き。まだあと2冊、川上弘美の積読があるのでとても楽しみです。