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「あたしは、突然この世にあらわれた。そこは病院だった」。限りなく人間に近いが、性的に未分化で染色体が不安定な某。名前も記憶もお金もないため、医師の協力のもと、絵に親しむ女子高生、性欲旺盛な男子高生、生真面目な教職員と変化し、演じ分けていく。自信を得た某は病院を脱走、そして仲間に出会う――。愛と未来をめぐる破格の長編小説。
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Posted by ブクログ
面白かった 好き マリのぽっかりした空虚さと、ナオの二人がすき ひかりとみのりの結末が好き 他の人の話も好き
不思議なお話だった( °o°)☆ 面白くて一気に読んじゃった☆(*ˊ˘ˋ*)。♪:*° 表紙デザインで選んだけど、まさにこの表紙って感じ。読んだら納得。 読む人によって読後感変わる作品かもしれない。 私は「ほぉぉお。」って少し考えさせられる読後感ですごく良かったなと思った☆ みんなはこれ読んだら...続きを読むどう感じるのか気になる!
主人公の形態がコロコロ変わるものの内容が入ってきやすく、ハラハラさせられながらもあたたかい物語で、とても好きだった。
「誰でもない者」という独特な設定なのに、なぜかすっと受け入れられた。一つ感じたのは、じゃあ私は空っぽではなくちゃんと私であれているのかなということ。もっと私自身と寄り添ってみよう。
ああ、川上弘美だ。 「神様」とか「蛇を踏む」とか、久しぶりに思い出した感じがあった。 たぶん、私たちはふだん「わたし」というものをそれほど意識して生きてはいない。 少なくとも私はそんなに「わたし」について考えることはしない(思春期の頃はもっと「わたし」について考えていたように思う)。 なぜなら「わ...続きを読むたし」について考えることはとっても面倒くさいことだからだ(この言い方が適当でなければ、非常に時間がかかるとかって言い換えてもいい)。 10代のころは時間だけはあったから「わたし」について考えても差し障りがなかったけれど、社会人になってしまったいま「わたし」について考えていたら、日々の生活に支障をきたすこと請け合いだ。だから私はふだん「わたし」ついて考えることはしない。 ではなぜ「わたし」について考えることはそんなに時間を必要とするのか? その答えは簡単だと思う。それは「わたし」というのがとても曖昧なものだからだろう。それは本書『某』で繰り返し書かれていることだ(そう私は解釈する)。 主人公(人じゃないらしいけれど)の〈わたし〉が「わたし」にたどり着くまでにいったい何年の歳月と、何人の「自分」と、何種類の〈変化〉を体験することが必要であったことか。 「わたし」とはそれくらい曖昧で、とてつもない広がりをもったものなのだということが、『某』を読んでいるとひしひしと伝わってくる。 私の中で川上弘美さんは曖昧なものをなんとか言語化していくという作家さんだ。そしてその曖昧なものの、一つの主要なテーマとして「わたし」があるように感じている。 初期の作品では〈無人称〉が一つのスタイルであったように思う。この『某』では人称がころころと変わっていく。そうした移ろいゆくもの、はっきりしないもののなかで、藁ほどでもよいので確かなものをつかみ取ろうとする作業。 そんな私の川上弘美さんのイメージを、より強く意識させるような作品、それがこの『某』だった。それが今回の感想。
あなたは、『名前も、性別も、年も、わからない』という人に出会ったらどうするでしょうか? さまざまな事情で記憶を失うことはあると思います。映画やテレビドラマ、そして小説にはそのような設定の作品も存在します。ショッキングな状況をまず打ち出して、視聴者、読者を釘付けにする、これは演出として十分あり得るこ...続きを読むとだと思います。そして、話が進むに従ってその人物の人となり、背景事情が明らかになっていく、このような筋書きの作品は普通に存在します。 とは言え、そんな作品の最後には、すべての謎が解き明かされて、視聴者、読者のモヤモヤはスッキリと解決される結末が待っている。めでたしめでたし、こう展開してくれることを私たちは期待しています。しかし、この世には数多の作品があります。そんな定石通りの展開を辿らないものもあるかもしれません。いつまで経っても正体が判然としない、そんな展開もあり得るかもしれません。 さてここに、『お名前は、と聞かれたけれど、答えることができなかった』と語る存在が登場する物語があります。『今までの記憶が、全然ない』と語るその存在。『男女どちらだか判別できない』とも言われるその存在。そしてそれは、そんな存在=『わたし』が、さまざまな『アイデンティティーを確立』していく様を見るキョーレツな物語です。 『お名前は、と聞かれたけれど、答えることができなかった。年齢は。性別は。どれも、わからない』と思うのは主人公の『わたし』。『それでは、地下一階の2番診察室前でお待ちください』と言われた『わたし』は、指示された場所へと向かいます。『ささ、入って入って』と『扉の中へと踏み入』ると、『白衣を着た男性が』『名前も、性別も、年も、わからないんですね』と『楽しげ』に訊いてきます。『痛みや熱は、ありますか?』、『いいえ』、『でも、雲の上を歩いているみたいで』と会話する中に、『わたし』は、『白衣の胸にとめられた名札に、「KURA」とある』のに気づきます。『あなたは、クラさん、とおっしゃるのですか』と訊く『わたし』に『はい、蔵です。蔵利彦といいます。医師です』と返す男性。『では、わたしは病気なんですね?』、『それはまだわかりません』、『なぜ病院に来たのかも、よくわからなくて』、『今までの記憶が、全然ない、と。いちばん古い記憶は、どんな記憶ですか』とやり取りする中に、『地下一階、2番扉の前で待て、と言われた』のが『いちばん古い記憶』ですと説明する『わたし』。そんな『わたし』は、『しばらく入院して、検査をしましょう』と言う蔵利彦の指示に従って、『1011号室。それが、わたしの病室となった』と、入院生活に入ります。『一週間の間に、さまざまな検査』が行われる中、『逆向性健忘の一種とも考えられはするのですがねえ』、『ある時以前の記憶を、すべてなくしてしまう症状のことです』と話す蔵利彦ですが、『とはいえ、判断はなかなか難しい…』、『あなたはまるで、受付に来た時にはじめて、この世に存在しはじめたようにみえるのです』とも語ります。『それまでのあなたというものは、どこにも存在していなかったのではないかという意味です』、『あなたがこの世に生まれ出たのは、受付に来る直前だったのではないか』と続ける蔵利彦は、『あなたは、自分がどんな顔をしているのか、知っていますか?』、『今ご自分の顔を、よく見てみてください』と言うと『机の上に伏せてあった手鏡を、わたしに渡し』ます。『目が二つ。鼻は、高くも低くもない。くちびるには、ほとんど色がない…』と自らを思う『わたし』に、『男女どちらかわからないような顔ですね』、『男女どちらだか判別できないんです。未分化なんですね。染色体も不安定ですし』と話す蔵利彦は、『そういう者が時々いると、聞いたことがあります。医学界の都市伝説みたいなものだと、今までは思っていたのですが』と語ります。『いやいや、あなたは人間、あるいは人間に限りなく近い生物、ですよ。実際にそういう存在に出会ってしまう確率はほぼないはずなのに、出会ってしまった。ぼくは、とても嬉しいですよ』と言う蔵利彦は、『さて、それでは、これから治療に入りましょう』と続けます。『治療して、あなたのアイデンティティーを確立しようではありませんか』と言う蔵利彦に『アイデンティティー』と呟く『わたし』。そんな『わたし』に、『自分が自分であるよりどころ、というほどの意味です』と説明する蔵利彦は『では、さっそく治療方針を説明しましょう』と『わたし』に向き合います。そんな蔵利彦が説明する『ひどく奇妙な』『治療方針』の先に、奇妙奇天烈、摩訶不思議な物語が描かれていきます。 “ある日突然この世に現れた某(ぼう)。人間そっくりの形をしており、男女どちらにでも擬態できる。お金もなく身分証明もないため、生きていくすべがなく途方にくれるが、病院に入院し治療の一環として人間になりすまし生活することを決める…ヘンテコな生き物「某」を通して見えてくるのは、滑稽な人間たちの哀しみと愛おしさ”と内容紹介にうたわれるこの作品。グレー基調の表紙にヌボーとした生き物のような何かしらが描かれた不思議な表紙が「某」というこれまた不思議な書名を不気味に演出してもいます。 さて、この作品の作者である川上弘美さんは、1996年に芥川賞を受賞された「蛇を踏む」の〈あとがき〉で、こんなことを記されています。 “自分の書く小説を、わたしはひそかに「うそばなし」と呼んでいます”。 “うそばなし”とは言い得て妙ですが、確かに川上さんの作品はリアル世界の描写というよりもファンタジーに振った不思議な世界を舞台にしたものが多いように思います。そして、読者もそれを川上さんに期待するところがあると思うのですが、そんな川上さんがこの作品で描き出すのは、”うそばなし”の真骨頂とも呼べるような物語です。この作品の冒頭はこんな風にはじまります。 『お名前は、と聞かれたけれど、答えることができなかった。 年齢は。性別は。 どれも、わからない』。 リアル世界を舞台にされる他の作家さんであれば、何かしらの事件、事故により記憶喪失になった主人公の物語がこの先に展開していく…これは十分あり得ます。しかし、”うそばなし”を舞台にされる川上さんが描いていくのは、そんな主人公を診察する医師のこんな言葉に続くものです。 『あなたは人間、あるいは人間に限りなく近い生物、ですよ』。 そうです。作品冒頭の吐露で、大丈夫だろうか?と少なからずの読者が心配する心持ちになる主人公がいきなり、『人間に限りなく近い生物』という存在とされてしまうところから物語は始まるのです。この作品は上記で触れた冒頭の”プロローグ”とも言える文章に続く8つの章から構成されていますが、それらの章に記されていくのは『わたし』がさまざまな『アイデンティティーを確立』した先に生きていく様が描かれていく物語です。と言っても未読な方には何を言っているか意味がわからないと思いますので、最初の章〈ハルカ〉を見てみましょう。 〈ハルカ〉: 『丹羽ハルカ。その名前に決めたのは、わたし自身だ。 何回か、紙に書いてみる。丹羽ハルカ。丹羽ハルカ。 十六歳。女性。高校二年生。埼玉県出身。趣味は占い』と、『丹羽ハルカの特徴をそれ以上挙げようとするわたしを』、『ま、そのくらいでいいでしょう』、『あんまりこまかく作りこむと、きゅうくつになりますからね』と制止する蔵利彦。そして、幾つかのやり取りの後、『あなたは、転校生です。高校二年の一学期の途中から転校してきた女性。どうぞ、あなたの役を楽しんでください』と語ります。そして、病院を後にした『丹羽ハルカ』は、学校へと向かいます。そして、『担任と共に教室に向か』い、クラスメイトに紹介されます。『一時間目が終わって休み時間になると、女の子が一人、寄ってき』ます。『丹羽さん、どっから引っ越してきたの』、『ね、ハルカって呼んでいい?』そんな風に始まった一日ですが、声をかけてくれたのは『ユナ』という生徒のみ。それ以外の生徒との交流は一度もなくその日は終わってしまいます…。 物語は、そんな先に高校二年生女子としての日常を生きる『丹羽ハルカ』の姿が描かれていきます。一方でこれは『治療』でもあるので、『丹羽ハルカ』は病院にも通い続けます。 『そうですか。でも、それでいいんじゃないかな。丹羽ハルカは、積極的に友人をつくりに出てゆく感じの人物ではないみたいですしね』と『ハルカ』の説明を訊く蔵利彦。 はい、『お名前は、と聞かれたけれど、答えることができなかった』という『わたし』を『丹羽ハルカ』という架空の人物に設定して生活を送らせるというのが医師・蔵利彦の『治療』でもあるのです。これでイメージがお分かりいただけたでしょうか?そして、そんな蔵利彦は『わたし』に『日記』を記すよう指示を出します。物語では字体を変えて『わたし』が記す”小説内日記”が描写されてもいきます。 ・『丹羽ハルカ、ユナと長良さんと駅で待ち合わせ』 ・『わたしは聖徳太子ではないのである』 『日記』を記すことにどういう意味があるのかよくわかりませんが、蔵利彦がこの『日記』のこの箇所で、『丹羽ハルカのことを、「丹羽ハルカ」ではなくて、「わたし」と表現している箇所が出てきた』ということを重要視します。 『わたしは着々と丹羽ハルカと同期しつつある』 物語は、『丹羽ハルカ』となった『わたし』の日常が描かれていきますが、『そろそろ失踪しましょう』と語る蔵利彦の指示により、『次の段階』に『治療』が進んでいきます。それこそが、8つの章からなるこの作品の真骨頂です。それぞれの章題には人の名前が記されています。最初の章〈ハルカ〉で、『丹羽ハルカ』の『アイデンティティーを確立』した『わたし』は、それ以降、それぞれの章の章題に記された人物の『アイデンティティーを確立』しながら生活を続けていくのです。 では、残りの7つの章の章題と『わたし』が『アイデンティティーを確立』していく人物についてごく簡単にご紹介しておきましょう。 ・〈春眠〉: 野田春眠、高二 ・〈文夫〉: 山中文夫、22歳 ・〈マリ〉: 神谷マリ、23歳 ・〈ラモーナ〉: ラモーナ、25歳 ・〈片山冬樹〉: 片山冬樹、40代 ・〈ひかり〉: ひかり、10歳 ・〈みのり ー ひかり〉 年齢も性別も異なるであろうさまざまな人物の名前が登場することがお分かりいただけたかと思います。これ以上の詳細に触れるのは避けますが、これらはいずれも作品冒頭で『わたし』として登場した存在が、これらの名前の存在として生きていく日々が描かれていくのです。ここで一点補足したいのは、〈ハルカ〉の章に描かれたような蔵利彦の『治療』の繰り返しとして物語が進んでいくわけではないことです。そうです。よくあるパターン化された連作短編のような物語はここには展開しません。後半に行くに従って読者を振り落とそうとするかの如く、キョーレツな物語がそこには展開していくのです。そこに、こんな言葉が登場します。 『あなたは、誰でもない者に、会ったことがあるんですね』。 『誰でもない者』とはよく言ったものです。しかし、この作品の冒頭に登場する『わたし』は間違いなく『誰でもない者』と言えます。さまざまな『アイデンティティーを確立』していく『わたし』。そんな『わたし』は、さまざまな『アイデンティティー』との出会いの中で、さまざまな人たちと出会い、さまざまな経験をしていきます。それは、『性欲のようなものを感じたのかもしれない』という感情であり、『恋愛とは、なんぞや』という感情であり、そして『死を恐れる』感情でもあります。そんな中で『わたし』の考え方、生き方にも確かな変化が生まれてもいきます。「某」という『誰でもない者』のさまざまな生き方が描かれるこの作品には不思議な存在の生き方を映し出す物語の中に、人が生きる意味を垣間見る物語が描かれていたのだと思いました。 『名前は、そうだ、ないのだ。文字どおり、誰でもない者、さしずめ、「某」だ。妙に明晰に、思う』。 『誰でもない者』が奇妙奇天烈、摩訶不思議な日々を生きていく様が描かれるこの作品。そこには、川上ワールド全開に展開する、まさしく”うそばなし”の究極を見る物語が描かれていました。次から次へと変化する『アイデンティティー』の面白さに酔うこの作品。後半に行けば行くほど突き抜けていく物語に頭の回転が追いつかなくもなるこの作品。 『誰でもない者、さしずめ、「某」だ』という存在を思えば思うほど、私たち人ってなんなのだろうか?とも考えてしまうキョーレツ極まりない作品でした。
不思議な本だった。本屋で一目惚れして購入。あらすじ見ただけだとどういうジャンルな話かわからなかったが、SFに近いジャンルだった。心内文が地の文として多く、話し手が変わってもカッコでわけていないため少々読みにくかったが、こういう表現も、「誰でもない者」が語り手であるが故なのかなと思いました。
今までの記憶が全然なく、名前も性別も年齢も分からないまま、突然この世に現れた某は、担当医の蔵利彦氏の元でアイデンティティーの確立のため治療を始める。 女子高生、男子高生、高校の事務員…次々と別の誰かに変化して演じ分けていき、ついには病院を脱走してしまい、外の世界で自分と同じような存在の仲間に出会うこ...続きを読むとになります。 何とも小難しい設定なのに、登場人物たち(人間ではないのだけれど)それぞれが飄々としていて面白い。 日本のみならず世界を飛び回り、病院でお世話になった蔵医師や水沢看護師はどんどん年老いてゆくのに、某のような「誰でもない者」たちは100年ほど生きていたり、時間軸が人間とはずいぶんずれている。 都合よく何者にも変化を続けて生きてきた某だけれど、このSFのような長編小説を通して作者が私たち訴えかけていることに終盤になってやっと気づくことができて、しんみりとした気持ちになるとともに、生や死や人を愛することについて考えさせられてしまいました。 とても貴重な読書体験でした。 川上さんの想像力って、ほんとうに素晴らしいです。
不思議な小説だった。SFのような哲学のような。結局よくわからないまま終わった事柄もいくつかある。余韻を味わう感じの物語。 "誰でもない者"という、見た目は人間そっくりの生命体が老若男女・国籍問わず姿かたちを変化させながら日々を過ごしていく。前の姿での記憶ははっきりととは限らない...続きを読むが受け継がれる。そうして何人かの人間への擬態を経て、しだいに愛着や家族、共感といった感覚を身につけていく様子は、一人の人間が赤ちゃんから大人へと成長していくのと似ている。 個人的には前半までが物語のピーク半分過ぎたあたりからは失速した感じ。にしても展開が読めないし、"誰でもない者"ってなんだ?人間とは?生きるとは?死ぬとは?みたいな哲学的なことを考えさせてくれるお話。面白かった。
安楽死が選べるようになると、人は最初は安楽死を選ぶが、そのうち少なくなること。いつでも死ねるなら今ではなくてもいいということ。 死を得られないと分かると、死を求めるようになること。 死を得られるものになったことを、かすかな喜びとともに受け入れること。 よるべのない人物と文章、物語がとても川上弘美ら...続きを読むしかった。人物は情報を吸収して形を成してゆくので、最初にあらわれたときはAIのように受動的であることも川上弘美の作品らしくて愛おしくなった。
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