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Posted by ブクログ
ジャンルで言えば異世界ファンタジーなのだが471pある本書で「夜」の世界に行くのは300pあたりである、和製ファンタジーって異世界に行くまでめちゃくちゃ長いがちよね。グリクレルにまた会いたくて七夜物語のちょっとした後日談かな?ぐらいの気持ちで読み始めたのだが哀しくも清々しい読後感に包まれる良い小説だった。川上弘美先生のキャラクター達は本当にお別れになるのが寂しくなる。
あとがきで笑った、ピーツピジジジジ、鈴木博士の研究をみて以来野山でカラ系の声を少しばかり聞き分けられるようになったのだが、私が近づいた途端警戒鳴きをさせることが多々有りちょっと傷つく
Posted by ブクログ
『「うん、そうだよね。でも、わかりやすくちゃ、だめなの?」ぼくは大ねずみに聞いてみた。最初は、大ねずみのことがこわかったけれど、今はもう、どっちでもよかった。いろんなことがあって、つかれてるからかもしれない。「だめとかいいとか決めるってことが、そもそもわかりやすいことじゃないのかい?」かあさんが、大ねずみのその言葉を聞いて、わらった』―『二人の夜』
ああ、なるほど。これは続編だったのか、と届いた本の表紙を見て理解する。本棚には横長の新聞の切り抜きの束がある。もちろん、単行本もあるが初の新聞連載ということで一日一日読み継ぐ愉しさを味わった名残だ。本当は、連載された後に単行本となったものを読む方が好きなのだけれど(何故って、自分の息継ぎで読めないのは大変じゃない?)。
川上弘美の小説に何を求めるかと問われると、答えに少し困るのだけれど、「七夜物語」のようないわゆる「ジュブナイル小説」を読んで味わいたいと思うようなものは全く想定していない。もちろん、川上弘美の小説はそんな風に分類してしまえる程単純ではないのだけれど、例えば夏休みの課題図書だった「大きい1年生と小さな2年生」のような少し道徳臭い話を読むのが苦手なのだと思う。別に「硬質」なものを求めている訳ではないし、この「明日、晴れますように」も読んでみれば文章は確かに川上弘美なのだけれど、少しもやもやする。そう書いてみて解ったのだけれど、川上弘美の小説とか、岸本佐知子の翻訳とかを好んで読むのは、押し付けられた道徳に対する忌避の思いを作品から感じられるからなのかも知れない。
もちろん「七夜物語」は、小学生時代の課題図書や道徳で読んだ副読本とは違うけれど(道徳というと、どうしても「♪ 口笛吹いて空き地へ行った〜」という歌が頭の中を流れて行ってしまう)、そんなむずむずとしたものが出てきそうだと感じさせるような設定があり、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」みたいな話の展開もあるので、読んでいて冷や冷やした記憶がある。そして、いつも以上に平仮名書きの多い本書も、続編であるので当然のことではあるけれど、あの歌を再生するスイッチが入りそうな物語だ。
けれど、川上弘美の小説の主人公たちはいつも(作者に似て)一筋縄では行かない人ばかり。自分自身が天邪鬼な性格な為か、個人的にはそんな登場人物たちはとても魅力的だと思うのだけれど、そんな彼らに妙な感情移入も拒絶感も引き起こされることもなく、ニュートラル(って日本語にすると中立的とか中間的なんだろうけれど、もう少し柔らかい意味合いで使いたい。例えば、あいまい)な立ち位置で読むことが出来るのがよい(あくまで個人的な感想です)。ちょっと変わった主人公たちは粛々と物語を進めていく(余談だけれど、この粛々な感じが誤解されて「あわあわとした」等と評される原因なのかも知れない。川上弘美の小説は、決して淡くはないと思う)。でも本当は決して粛々と事に及んでいるのでも、淡々と事が流れているのでもなく、そこには表に出てこない(あるいは、出せない)葛藤がある。その少し捻じれた感覚こそが川上弘美が「つい」(本書には単行本には珍しく著者によるあとがきがありますが、そこにそのように吐露されています)書いてしまう小説の本質であり、それは恐らく主人公たちが漠然と感じている「居場所の無さ」感に起因するもの。そこまで邪推してみると、これはカリフォルニア帰りの川上弘美自身が感じている世界観(少なくともヒロミ・イズ・モンキーと呼ばれた世界に居た時に感じていたであろう世界観)に辿り着くものなんじゃないたろうか。この作家の書くものがどこかいつも空想科学小説めいているのも、それが理由だったりして。
本書は半ばを過ぎてもさっぱり続編的な展開は広がらなくて、例の大きなねずみが中々出てこないなあ、このままだと続編という意味は人の繋がりのことだけになるのかなあ、なんて思っていたら急展開が待っていた。そして最後はテレビドラマのシリーズものの最終シリーズのエンディングのように、あれよあれよという間に色々なものが全て結びついて終わる(ので少し読んでいて恥ずかしいような気持ちがわく。という感想も変な感想だけれど、今、中学生日記を見たら感じるであろう、じっとしていられない感じと言えばもう少しわかり易いか)。えっ、そうなるの、という展開はあるけれど、世代を越えて描いた意味合いは判り易い。ただその結びつきはちょっときれい過ぎるなあ。それと、最後の最後にそんな登場人物を出したりして、続編の続編を書く可能性を残したのかな、と思わず勘ぐってしまった。
Posted by ブクログ
成長譚には違いない。前作の冒険を経て何かを獲得していくスタイルとは少し違って、本作では、自分や周りをみつめ、内面に深く潜ってゆくような印象だ。
そもそも子どもと大人の差とはなんだろうか。18歳になれば成人という話ではなく、成長の証としての大人とは何を指すのか。経験値はその指針の一つかと思う。しかし、経験を通じて何も考えることをしなければ、経験値は上がらない。人としての成熟度は、物事と真摯に向き合うことによって深まるのではないか。だとすれば、りらと絵の夜もやはり冒険だったのだろう。
成熟もさることながらゾンビになって永遠にさまよわないよう気をつけねばと思う反面、既にゾンビだったりしませんよね?といささか焦る。
Posted by ブクログ
たけやぶやけたたけや
ぶやけたたけやぶやけ
た・・・
たけやぶやけたを三回
唱えればいろんなこと
が大丈夫になる。
かんたんなおまじない
だけどけっこう効くよ
とりらちゃんは言う。
りらちゃんの姓は仄田。
そう、あの仄田くんの
娘がりらちゃん。
そして、さよちゃんの
息子は絵(かい)くん。
ふたりは両親とおなじ
小学校でクラスメイト
になり、
かれらもまた夜の世界
へと導かれていきます。
あのくちぶえ部の麦子
さんも、
もちろんグリクレルも
登場しますよ♪
そっか、そうだよなあ。
仄田くんとさよちゃん
も大人になるんだなあ。
うん、時の流れは止め
られないもんね。
そして齢を重ねるって
やっぱり素敵なことね。
仄田くんはなんと大学
の先生に、
さよちゃんは作家さん
になりました!
でも大人になると難儀
なこともいろいろあり
ますね。
はてさて信じるものは
なんとやら、
たけやぶやけたを三回
唱えておきましょうか
(笑
Posted by ブクログ
りらと絵がいとしくてたまらない。
りらはちょっと変わった女の子。蛇や昆虫が大好きで夢中になるとまわりがみえなくなる。
絵は普通の感覚の男の子。でも誰よりも(りらのパパの次くらいに)りらのことを理解している、しようとしている。
ふたりとも聡明。どこにでもいそうでいない子どもたち。
途中、メイという大学生も加わっての会話が楽しい。
”おかゆ”(犬)がいじめられるシーンは私も胸が苦しくなったよ。なんならりらがクラスの女子3人にいじめられるよりも。
最後の頁まで読んでびっくり。りらおばあちゃんと絵おじいちゃんになっているでないか!
りらはロボット工学の研究家になり、絵は写真集を出していた。
ふたりは結婚したんだね。ふたりにとっての大事な秘密はあの夜の学校に忍び込んでやまもとやまもと(名字と名前が一緒)やちいさい人と不思議な出会いをしたことなんだろうね。りらのお父さんの仄田鷹彦と絵の母親の鳴海さよも一緒にいたのに、翌日には記憶がなくなっていたという謎の夜。
著者の本はほとんど読んでいるのにこの前日譚にもあたる「七代物語」は読んでいなくてなんかファンタジーっぽくて食指がうごかず。でも、時間にある時読んでみよう。
たくあん入りのポテトサラダって美味しいのかな。
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