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くまにさそわれて散歩に出る。「あのこと」以来、初めて――。
1993年に書かれたデビュー作「神様」が、2011年の福島原発事故を受け、新たに生まれ変わった――。「群像」発表時より注目を集める話題の書!
2011年。わたしはあらためて、「神様2011」を書きました。原子力利用にともなう危険を警告する、という大上段にかまえた姿勢で書いたのでは、まったくありません。それよりもむしろ、日常は続いてゆく、けれどその日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性をもつものだ、という大きな驚きの気持ちをこめて書きました。――<「あとがき」より>
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Posted by ブクログ
残念なことに私の人生、
川上弘美さんの「神様」を
知らずにやってきました。
しかしこれ読んで、
ちょっと凄味を感じています。
自身のデビュー作である「神様」を、
2011年の3月の末に、あらためて書いたという「神様2011」
そこには、「あのこと」として、あの時に起こったこと。
原発事故以前の幸せな「神様」を原発事故以降の「神様2011」として新たに書いたのですね。
その行動力に驚きました。「神様2011」は、2011年の6月にはすでに、「群像」に発表されている。。
詩人の斉藤倫さんがブックガイドに紹介したものを読んだのが、この作品を手にしたきっかけですが、
紹介文にはこうあります。
_ずれてしまった、いわば、平行世界の、残酷な「神様」がありました。それを読んでしまえば、私たちはあの幸福には、再び戻れない。もう純粋に楽しむことはできない…
ずれてしまった現実に、小説をずらし返すことで、異議を唱えていく。ものがたりで、のような激しく、厳しいことができるのだと…
私は物凄い不安に襲われました。
コロナ以前とコロナ後の今、またはこれからの世界は
こんな風にまたずれてしまったんじゃないかと。。
Posted by ブクログ
2011年3月11日に東日本大震災が起こり、川上弘美は3月中にこの小説を書き、自ら出版社に持ち込んだ。掲載されたのは「群像」2011年6月号だから、5月初旬発売で原稿の締切はおよそ4月20日あたり。刊行された小説として福島の原発事故をとりあげた最も早いもののひとつだった。本書にはこの時に発表された「神様 2011」の前に「神様」というタイトルの短編がおさめられている。並置されていると言うのが正しい。ぼくは2012年になったくらいか、当時勤めていた会社の同僚女性に本書を、短いし読みやすいだろうなと考えて、貸した。神戸の出身で阪神淡路大震災を経験していて、東日本大震災のすぐあとに東京へ引っ越してきたひとだった。
「神様」は川上のデビュー作だ。『神様』(中公文庫)のあとがきから引用する。
〜” 表題作『神様』は、生まれて初めて活字になった小説である。
「パスカル短篇文学新人賞」という、パソコン通信上で応募・選考を行う文学賞を受賞し、「GQ」という雑誌に掲載された。
子供が小さくて日々あたふたしていた頃、ふと「書きたい、何か書きたい」と思い、二時間ほどで一気に書き上げた話だった。
書いている最中も、子供らはみちみちと取りついてきて往生したし、言葉だって文章だってなかなかうまく出てこなかった。でも、書きながら「書くことって楽しいことであるよなあ」としみじみ思ったものだ。「めんどくさいけど、楽しいものだよなあ、ほんとにまあ」と思ったのだ。
あのときの「ほんとにまあ」という感じを甦らせたくて、以来ずっと小説を書いているように思う。
もしあのとき『神様』を書かなければ、今ごろは違う場所で違う生活をしいていたかもしれない。不思議なことである。
やはりこれもなにかの「縁(えにし)」なのだろう。と、『神様』に登場する「くま」を真似て、わたしもつぶやいてみようか。
(後略)”
「神様」の書き出しは、
くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである。
「神様 2011」の書き出しもまったく同じだ。川上はデビュー作を改変して発表した。お茶の水女子大学理学部生物学科を出てから田園調布雙葉高校の理科の先生もしていたひとは、東日本大震災の直後から「原子力」に関する勉強をはじめる。本書のあとがきから。
〜” 1993年に、わたしはこの本におさめられた最初の短編「神様」を書きました。
熊の神様、というものの出てくる話です。
日本には古来たくさんの神様がいました。山の神様、海や川の神様、風や雨の神様などの、大きな自然をつかさどる神様たち。田んぼの神様、住む土地の神様、かまどや厠や井戸の神様などの、人の暮らしのまわりにいる神様たち。祟りをなす神様もいますし、動物の神様もいます。鬼もいれば、ナマハゲもダイダラボッチもキジムナーもいる。
万物に神が宿るという信仰を、必ずしもわたしは心の底から信じているわけではないのですが、節電のため暖房を消して過した日々の明け方、窓越しにさす太陽の光があんまり暖かくて、思わず「ああ、これはほんとうに、おてんとうさまだ」と、感じ入ったりするほどには、日本古来の感覚はもっているわけです。
震災以来のさまざまな事々を見聞きするにつけ思ったのは、「わたしは何も知らず、また、知ろうともしないで来てしまったのだな」ということでした。(中略)
2011年の3月末に、わたしはあらためて、「神様 2011」を書きました。原子力利用にともなう危険を警告する、という大上段に構えた姿勢で書いたのでは、まったくありません。それよりむしろ、日常は続いてゆく、けれどその日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性を持つものだ、という大きな驚きの気持ちをこめて書きました。静かな怒りが、あの原発事故以来、去りません。むろんこの怒りは、最終的には自分自身に向かってくる怒りです。今の日本をつくってきたのは、ほかならぬ自分でもあるのですから。”
本書を貸した当時の会社の同僚だった女性は、すこしして、もう一度この本を貸して欲しいと言った。小ぶりで可愛らしい本なのだ。川上はデビュー作を書き換えて、もう一度原点から歩こうと考えたんじゃないかとぼくは思う。原子力開発にまつわる諸問題、あらゆる面からまだいっこも解決していないことを覚えていますか?
Posted by ブクログ
著者のデビュー作。
くまと私が散歩するファンタジー。
熊の神様が印象的。
微笑ましくて、クスッと笑えるストーリー。
気軽に何度でも読み返したくなる本。
非日常体験よりも、
日常でちょっと楽しかったことを重ねていく方が
安心して幸せな気持ちでいられる。
今回、新たに作品が加えられているのだが、
(タイトル神様のあとに2011が追記されているように)
原発事故後を時間軸に置かれている。
同じ登場人物、同じ場所、同じシチュエーション。
けれども日常そのものが変わってしまった。
著者のあとがきが印象的。
「日常は続いてゆく、
けれどその日常は何かのことで大きく変化してしまう
可能性をもつものだ。」
Posted by ブクログ
2014年の締め括りに改めて読む。
かの震災から早3年、喉元過ぎれば熱さ忘れると言うがだがそれは被災地復興の労働力を奪うことも知らずにオリンピックだなんだと浮かれている部外者に限ったことであり原発事故が起こった福島の人たちにとっては未だ烈火の塊が喉に詰まったままなのである。
20世紀の終わりにのほほんと現れてわたしとピクニックをしお土産に干物を残し抱擁をして去って行ったくまが何故また21世紀に現れなければならなかったか?
目先の利益だけを追い求めるご都合主義の政治家や経済人など放っておいて先ずは私たち一人ひとりがこの国の未来を考えなければならないんじゃないか。
そんなことも怠り次にまたくまが現れなければならなくなった時、間違いなくこの国は滅びる
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小説・文芸
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