川上弘美のレビュー一覧
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季語に纏わる話と、その季語を使用した一首を二ページでひとまとめにし、さらに春夏秋冬と新年に分別して見やすい。
それにしてもなんとも自分が普段から使用している言葉に対しても、その自然風景や背景などが隠されていることに無頓着になっている今日この頃を思い知らされるとともに、著者はその繊細な、また、なかなか見落としがちな物事も見事に捉えて、しっかりと向き合い、言葉にしていることが、この一冊だけでよくわかる。
またてんとう虫(春でなく夏)、西瓜(夏でなく、秋)など、現代との季節感の齟齬を感じざるを得ない言葉や、「日永」「薄暑」などなど普段使わないも、その響きと字面から魅了されるものもある。
日本人 -
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少しだけ「普通」とは離れた感がある女性たちのお話。短編集なのだが、ひとつひとつの話にきっちり入り込めるし、時間も場所も忘れられる。どれもこれも、その辺のよくある話なのに(多分)川上さんの世界が存分に醸し出されていて、読み終わるのが寂しくなるくらいだった。失恋したりくっついたり立ち上がったり諦めたり。どの話の女性とも話をしてみたくなる。シワシワの黒豆が食べたくなる。ひとつだけ驚いたことが、私の旧姓は珍しい苗字なのだけど、その苗字が出てきて、その女性の話にやたら共感していたこと。私の大好きな川上さんの小説に自分の旧姓を見つけられるなんて、自分の中で勝手に宝物にした。
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ああ、川上弘美だ。
「神様」とか「蛇を踏む」とか、久しぶりに思い出した感じがあった。
たぶん、私たちはふだん「わたし」というものをそれほど意識して生きてはいない。
少なくとも私はそんなに「わたし」について考えることはしない(思春期の頃はもっと「わたし」について考えていたように思う)。
なぜなら「わたし」について考えることはとっても面倒くさいことだからだ(この言い方が適当でなければ、非常に時間がかかるとかって言い換えてもいい)。
10代のころは時間だけはあったから「わたし」について考えても差し障りがなかったけれど、社会人になってしまったいま「わたし」について考えていたら、日々の生活に支障をきた -
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ネタバレ一編、10ページ程の短編集。
地球に住まう誰かのお話です。
「夏の奈良、という言葉にちょっと嬉しくなって
あたしも旅支度を始めた。」
「エアコンの強くきいた店内に入ると、汗が急に引
いた。汗は引いたが、反対に外の暑さがどっとま
とめてやってくる感じだ。」
※『ラジオの夏(p9〜p17)』
あれ。私も恋人も一緒に夏の奈良に行って「鹿くせぇ」と言ったことある気がするぞ。
「黒田課長の性器を思い出そうとしたが、どうして
もうまくゆかなかった。忘れたのではなく、望遠
鏡を逆さから覗くような感じで、黒田課長のこと
がものすごく遠く非現実的にしか思えないの
だ。」 -
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ネタバレ川上弘美さんの文章を前にすると、私は為す術がなくなります。
人物の感情を推し量るとか、場面を分析してみるとか、いわゆる「読解」をしてみても良いのに、存外その「読解」が嫌いではない質なのに、ダメなのです。
空気に呑まれるというのが、適切な表現かもしれない。
本を閉じて、自分の世界に戻っていくのが、いつももったいなく感じるので、私は現実に満足していないんだなと思い知らされたりもします。
川上さんの紡ぐ言葉は、除夜の鐘のようにボワワワーンと体の芯に響きます。
評価とか感想とか書けないので、今回の読書で一番響いた一節を紹介します。
「若いって、いいな。ヤマグチさんの話を聞いていると、いつも私は思 -
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川上弘美って、
どうしてこうも怖いのだろう。
以前からそうなのだが、
年々その怖さが増していき、
先に読んでいた『森へ行きましょう』に真骨頂を見ていたが、
この作品で既にその片鱗が明確に現れていたか。
ふわっと夢のようでありながら、
生々しさと毒があって、
そのくせ冷たいくらいに俯瞰している視線がある。
それはグロテスクではない静かなものだからこそ、
とても怖く感じる。
確かにどこにでもありそうな町の人間模様に、
少しでも足を踏み入れれば、
そこにはひとりひとりの人生があり、
それは何にも変えられない超個人的なものだ。
その人生達が触れ合って、絡み合い、
通り過ぎて、離れていって、
そう -
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ネタバレ川上弘美ではもちろん「センセイの鞄」が一番好きだけど、これはそれと同レベルくらい切なかった。ありそうでなかった恋愛の設定だ。
お互いを強く求め続けた二人の気持ちは、普通の恋愛とは言えない。今、性同一性障害とか認知され始めているけど、こういう人たちももしかしたら世の中には…?ちょっと考えにくいし、存在するとしても多分、社会の中で「自分たちを認めてください」と声をあげることはまずしないだろうと思われる。ひっそりと生きるというか…。
そういうこともアタマをかすめつつ、でもあくまでも「物語」として、感情移入しながら読める。
「ママ」のキャラクターも素晴らしい。
多くの人が、彼女のように生きたいと思うの -
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春(22)・夏(24)・秋(25)・冬(19)・新年(6)と、川上さんが好きな季語とそれを含む一句を選び、その季語や句にまつわるエッセイが綴られている。
虫大好き、生物大好きな川上さんの、生きとし生けるもの全てに注ぐ視線が温かく、そしてちょっと不思議な体験談もあったり。
昭和の頃の話も同年代として懐かしく読みました。
載っている季語は、誰でもそこで一句読めそうな身近なものが多いですが、その中で異彩を放っていたのが『絵踏(えぶみ)』でした。
現代の歳時記にはもう載っていないことも多い、ということですが、2018年7月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産へ登録されたこともあ