【感想・ネタバレ】わたしの好きな季語のレビュー

あらすじ

96の季語から広がる、懐かしくて不思議で、ときに切ない俳句的日常。

俳人でもある著者による初めての「季語」にまつわるエッセー集。散歩道で出会った椿事、庭木に集う鳥や虫の生態、旬の食材でやる晩酌の楽しみ、ほろ苦い人づきあいの思い出、ちょっとホラーな幻想的体験など、色彩豊かな川上弘美ワールドを満喫しながら、季語の奥深さを体感できる96篇。名句の紹介も。

「蛙の目借時」「小鳥網」「牛祭」「木の葉髪」「東コート」。それまで見たことも聞いたこともなかった奇妙な言葉が歳時記には載っていて、まるで宝箱を掘り出したトレジャーハンターの気分になったものでした。(中略)それまで、ガラスケースの中のアンティークのように眺めてきたいくつもの季語を、自分の俳句にはじめて使ってみた時の気持ちは、今でもよく覚えています。百年も二百年も前につくられた繊細な細工の首飾りを、そっと自分の首にかけてみたような、どきどきする心地でした(本文より)。


●春 日永/海苔/北窓開く/絵踏/田螺/雪間/春の風邪/ものの芽/わかめ/針供養/すかんぽ/目刺/朝寝/木蓮/飯蛸/馬刀/躑躅/落とし角/春菊/入学/花/春愁
●夏 薄暑/鯉幟/そらまめ/豆飯/競馬/アカシアの花/新茶/てんとう虫/更衣/鯖/黴/こうもり/ががんぼ/蚯蚓/業平忌/木耳/李/半夏生/団扇/雷鳥/夏館/漆掻/雷/青鬼灯
●秋 天の川/西瓜/枝豆/水引の花/生姜/残暑/つくつくぼうし/燈籠/墓参/瓢/月/良夜/朝顔の種/新米/案山子/鈴虫/夜長妻/濁酒/柿/秋の空/蟷螂/小鳥/きのこ狩/文化の日/花野
●冬 時雨/神の留守/落葉/大根/切干/たくわん/銀杏落葉/冬鷗/河豚/枯枝/ストーブ/炬燵/冬羽織/おでん/鳰/蠟梅/つらら/探梅/春隣
●新年 飾/去年今年/歌留多/福寿草/初鴉/七草

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Posted by ブクログ

 季語に纏わる話と、その季語を使用した一首を二ページでひとまとめにし、さらに春夏秋冬と新年に分別して見やすい。
 それにしてもなんとも自分が普段から使用している言葉に対しても、その自然風景や背景などが隠されていることに無頓着になっている今日この頃を思い知らされるとともに、著者はその繊細な、また、なかなか見落としがちな物事も見事に捉えて、しっかりと向き合い、言葉にしていることが、この一冊だけでよくわかる。
 またてんとう虫(春でなく夏)、西瓜(夏でなく、秋)など、現代との季節感の齟齬を感じざるを得ない言葉や、「日永」「薄暑」などなど普段使わないも、その響きと字面から魅了されるものもある。
日本人がいかに自然と向き合い、共に生きてきたかもこれらの季語からよくよく身に染みる。

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2022年11月13日

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春(22)・夏(24)・秋(25)・冬(19)・新年(6)と、川上さんが好きな季語とそれを含む一句を選び、その季語や句にまつわるエッセイが綴られている。
虫大好き、生物大好きな川上さんの、生きとし生けるもの全てに注ぐ視線が温かく、そしてちょっと不思議な体験談もあったり。
昭和の頃の話も同年代として懐かしく読みました。

載っている季語は、誰でもそこで一句読めそうな身近なものが多いですが、その中で異彩を放っていたのが『絵踏(えぶみ)』でした。
現代の歳時記にはもう載っていないことも多い、ということですが、2018年7月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産へ登録されたこともあり、こんな季語もあったんだ、と合わせて知るとまた面白いかもしれません。  

NHK「すてきにハンドメイド」のテキストに2012年4月号から2020年3月号まで載っていたものをまとめたものらしいです。

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2021年06月24日

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『白シャツになりすもも食ふすもも食ふ 木星』―『夏/李(すもも)』

「すてきにハンドメイド」(NHKテキスト)に連載されていたということで、少しミッション系スクール的雰囲気のする文体なのだろうか(雙葉だし)。他のエッセイの文章とは違いやや改まった口調の文章が並ぶ。もちろん四季折々の感慨を季語に寄せて書かれたものを読めば川上弘美であることには違いなくて、これまで出版されたエッセイ集同様に記憶の中の心象と呼応する感情の起伏を巧みに引き寄せて語ってはいる。けれど、やはり少しだけすました顔つきの文章と感じる。

川上弘美には「東京日記」という何処までが事実でどこからが脚色なのか判然としない日記風の連載もあるので自身のことについて語っていても注意が必要だけれど、極端に言えばこの作家のエッセイには自虐的な話が多いように思う。如何に自分が自堕落であるか、ゲームや漫画などの誘惑に負けてしまい易いか、人見知りできちんと他人と会話ができないか、そんな社会不適合者ぶり(を装った姿?)が軽妙に語られていることが多いのだ。そんなおっとりとした雰囲気に誘われて思わずその世界に入り込んでしてしまう。この季語を巡るエッセイでも、少し余所行き風の文章で語られているとはいえその軽妙さもしっかりとあり、手芸にいそしむようなマメな人たちに寛容の気持ちを抱かせるだろう。

しかしずっと読み継いで来ただけに、おっとりとした雰囲気を醸し出しながら芯のところで他人の言うことを鵜呑みにしない人だから、と用心する。白シャツに赤い果汁が付くのも厭わないという「やさぐれた」心根を時に晒して見せつける、啖呵を切った風なところがやはり川上弘美を川上弘美たらしめているところだし、と。例えばこんな句のように。『はっきりしない人ね茄子投げるわよ』―『機嫌のいい犬』

そう言えばかつて日本経済新聞に連載された随筆を書籍化した「此処彼処」にも、すももの句に通じる強情さとそれを日経を読むようなオジサマたちに向かってさらりと晒してしまえるようなフェミニストぶりが潜んでいるように思う文章があったっけ(因みに、こちらの随筆集ではマダガスカルの逸話に川上弘美のおっとりしていない部分がよく表れていて秀逸の面白さと思います)。

『考えあぐねた末、パンツをはかずに学校に行くことにした。コンビニエンスストアなどない頃だ。貧乏だから、デパートに行ってパンツを買うという発想もない。木の丸椅子に座って授業を受けていると、お尻が冷えた。すごく心細い。一方で、今わたしパンツはいてないんだよという、妙な自慢の心もぽっちりある』―『此処彼処/吉祥寺』

「ないんだ」ではなくて「ないんだよ」と書き表わすところが絶妙なニュアンスと思う。本書の中で、この対オジサマへの企みに呼応する対オバサマへの悪戯は、

『はるうれひ乳房はすこしお湯に浮く 弘美』―『春/春愁』

という句だろう。毎回ではなく極まれに開陳するそんな茶目っ気のようなものに、ご用心、ご用心。

ところで、このエッセイ集は一つの季語に見開き二頁というフォーマットで統一されているのだけれど、春夏秋冬各々の章の中の見開きの文章の頁の間に四枚の摺り模様風の薄紙が挿し込まれている(春:わかめ?、夏:蝙蝠、秋:柿、冬:銀杏)のは装丁上の意図なのかしら? 各章の扉の頁に挿し込まれている方が落ち着くように思ってしまうのだけれど、それは野暮なの?

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2021年06月01日

Posted by ブクログ

俳句って高尚、なんだか難しそう、でも季語には惹かれる。そこで手に取ったこの本。

川上弘美さんの好きな季語にまつわるエッセイは生活感溢れていて楽しい。
「ひろみさんもそうなの?わたしもおなじ~」まるでお友達気分です。
知らなかった美しい言葉も教えてもらった。
川上弘美さんに導かれて季語が身近に感じられた。
季語を意識することで、移ろう季節に心を留め日々の暮らしが豊かになりそうだ。

季語辞典、欲しいなぁ。

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2021年05月18日

Posted by ブクログ

本屋で、俳句のコーナーを歩いていると、優しい色使いのこの本を見つけた。偶然の出会いだったが、ページをパラパラめくると、興味のあまりなかった、季語というジャンルに惹きつけられて、購入。


なんだか、柔らかな太陽の光を浴びながら、コーヒーや紅茶を片手に読みたい本。

季語なんて、学生時代は暗記するものとしか思えなかった自分にとって、季語にまつわるエピソードは、全て新鮮。

言葉ひとつにも、思い出が結びついているように、季語にもそれがある。


『それぞれの持ち味を、差別せずにただありのままに良しとする。それが季語の精神』(P174)


曇り空のどんよりとした雰囲気や、無造作に生えた雑草。それら全てを、「良いもの」という視点から眺めてみる。まずは身の回りから。

そうすることで、なんのことのない日常も、喜びに満ちたものになるのかもしれない。

いつまでも読んでいたいエッセイでした。

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2021年03月15日

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俳句における季語。
多分、本当は季語だけではないのだろうけれど、言葉ひとつに込められた多くの情景が、あんなに短い俳句という形式を成立させている。
その情景は、厳密に言えば、一人一人違うものだろう。
でも、重なる部分もあって。
自分にとっては当たり前すぎて語られなかった情景が、それぞれの言葉の中にはあるはずだ。
それをよくよく吟味して、俳句は作られる。
ああ、俳句って面白いな、と思った。
そしてここには、それぞれの季語に対する、川上弘美の情景が語られている。

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2025年10月16日

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わたしの好きな季語を私も選んで何か書いてみたくなる
ひとつの季語に思うことは人それぞれなんだろうなぁ 
著者の俳句を読んでみたい

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2025年07月12日

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海苔とか、わかめとか、飯蛸、馬刀、そらまめ、豆飯、鯖、濁酒、きのこ狩り、切干、河豚、おでん、七草……なんだか食べものについて話しているページが来るたびに妙にうきうきしてしまってなんだか悔しい(笑)

薄暑を「きらきらしい季節」と表すあたりに小説家としてのすごみを感じつつも、食べものの話がしきりに挟まれていて(「濁酒」を読んで、こんなていねいな食生活がしたい!と強くおもった)、「ああ、この人も同じ人間なのね」となじみを感じた。「歌留多」の節は首がとれんほどに頷いた!

こうも感性を枯らさずに人間は生きられるのか、と思うと、少しばかりこの先にも希望がもてる。自分は意外にも、夏が好きらしい。夏生まれだから当然なのか?あーお腹が空いた。

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2025年07月04日

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季語だけじゃなくて、川上弘美自身の生活にちょっと触れられた気がした。川上弘美みたいに生きたいと思った。

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2025年06月27日

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想像したとおり、言葉やちょっとした小話が面白くてあっという間に読んでしまった。
季節を感じてことばにする、文字に含まれた意味を解く…歳時記や、季語についてもっと詳しく知りたくなった!

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2025年06月25日

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豊かな語彙力を増やす、季節にちなんだ日本らしい言葉を知るのにちょうど良い作品でした。

言葉を味わいたくなりますね

2024.9.14
141

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2024年09月14日

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思い違いをしていたり知らなかったり,季語の意外性や言葉の響きの奥ゆかしげな佇まいに感心しきり.興味深く非常に勉強になる本.

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2024年09月10日

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これは春の季語だったのか〜など季節感がごっそり抜けた自分にがっかりしつつ、新鮮な感覚で読める。
時折挟まれた薄紙に描かれた、鈴木千佳子のトボケたイラストも可愛らしい。

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2024年09月03日

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帯より。
「季語がよびさます忘れえぬ瞬間。
  散歩道にほころぶ梅を愛で、
  茄子とみょうがで濁酒。
  ぬくぬくと朝寝をむさぼり、
  ががんぼを一人いとおしむ。
行きつけだった居酒屋から、東京の四季おりおり、 
少し人見知りな 作家の日常まで。
川上弘美がもっと近くなる 俳句エッセー96篇。」

季語の学びの本ですね。でも、ただ意味の説明ではなく、俳句エッセーになっていて、面白いです。
(川上弘美さんは、随分前に読んだ「センセイの鞄」がとても好きです。その時に、しみじみとこの本好きだなぁ〜と感じました。)

こちらの「わたしの好きな季語」は、決して数は多くはありませんが、季節ごと、そして新年の季語がありますので、ゆっくり愉しみながら味わいたいです。

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2024年05月26日

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その季語に関係のあるエピソードとその季語を使った一句がそれぞれ載っている本。著者が選ぶ言葉は、ありふれた知っているものから全く聞いたことのないものまで、様々。わからないものGoogle先生に聞きながら読んだ。俳句そのものも読んでいて好きなものもあったけど、川上弘美さんのエピソードの方がなんだか印象に残る、そういう本だった。

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2023年10月22日

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面白かった
季節
それを表す言葉の
美しさや佇まい
大切にして
生きていきたいなぁと
思いはするけど
楽な方へ流れてしまう
川上弘美さん3冊目
ようやくしっくり来た感じ
しだみ独立書店フェス
本ひとしずくにて購入

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2022年07月10日

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この夏我が家に突如訪れた俳句ブーム。歳時記は、勢いで買ったり、実は夫が持っていたのをチラ見したりはしたものの、かじりついて読み潰すような情熱は持てずにいる(句作をしようとしてないから当然かもしれない)。
この本はなにか雑誌の連載の書籍化のようで、見開き一ページで川上弘美が季語をひとつとりあげてミニエッセイと例句の紹介してくれており、お手軽に季語と俳句作品に触れられて良かった。誰かのフィルターを通して語られた方が近寄りやすい。

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2021年08月20日

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ネタバレ

まず、ブックデザインが好き。
カバーデザイン、カバーをとった本のデザイン、
折々に挟まれた、トレーシングペーパーのデザインが
そこはかとなく「和」のテイストを感じられ。

季語も知らないものが多く、
それに伴う作者の語り、エピソードも好き。

眺めても、読んでも味わいのある本。
手元に置いて、四季折々、開いていきたい。

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2021年08月09日

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川上弘美さんは理系の人だと思っていたが、理系の人は俳句や詩を構築するのがうまいのではないだろうか?と勝手に思っている。
俳句には季語というものがあり、それを織り込んで俳句を作らなければならないので難しそうに感じているが、それが定型の美しさを生むのだろうか。
この本は、季語を元にしたエッセイ。句作をしなくても楽しむことができる本。その季語を使った有名な俳句も知ることができる。
ご本人の俳句も控えめながら掲載されているが、句作16年目という句集「機嫌のいい犬」を読んでみたくなった。
どんな言葉が飛び出してくるだろう。

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2021年06月20日

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ことばの力を感じる本。暮らしから生まれた季語が愛おしくなるような…。見開きで読み切れる短い文章だけど、気づきがあっておもしろい。

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2021年03月10日

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無条件にこういうのが好きなので、いつでもパラパラしていたい。
ステキにハンドメイドの連載だからか、少し「ご婦人」感があるのは気にしすぎ?
とまれ安定の著者、気の抜けた、でも美しい季語にまつわるエッセイ。

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2021年03月09日

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美しい季語、美しい俳句。
日本語の一つひとつを噛み締めて、移りゆく全ての季節を味わいたくなりますね。

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2021年02月17日

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静かにゆったりと読みました
知らない季語や俳句に触れることが出来て良かったです
こんなエッセイもありですね

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2021年01月24日

Posted by ブクログ

俳句で使われる季語ですが、歳時記を見ると天文、人事、動物、植物など、実に多種多様なものがあります。
四季の特徴を表す季語ですが、その一つ一つの背景などを紐解くと、興味深いものがあります。
日本人の細やかない感覚であったり、文化、風習などが一つの季語に込められていて味わい深く、また、著者のエッセイも軽妙で、俳句を嗜まない方も読んで楽しいのではないかと思いました。

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2025年06月23日

Posted by ブクログ

作者の好きな?興味を引いた?季語を集めたもので、それぞれに作者の思い出というか生活に紐づいた事柄が書かれている。
よくある季語集ではあるけれど、美しいとか素晴らしいとかの賛辞だけでなく、生活の中にある季節、体感した言葉というものが、文章を読むとより感じられる。
美しいものを愛でる事は素晴らしいけれど、生活の中にあるふと目をやったもの、手を止めたもの、消化しとけば楽なものが句になっていて、句を読むための下地というか準備運動のようにも思えた。

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2025年06月05日

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歳時記の中から川上さんが選んだ季語と、その季語についてのエッセイを編む。雑誌「すてきにハンドメイド」に連載していたもの。その季語を使った俳句も一句づつ(本人作というわけではない)載せている。
元生物の先生らしいエピソードが新鮮だった。

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2023年08月15日

Posted by ブクログ

作家であり、俳人である川上さんの「季語」の紹介を含めたエッセイ。
まことさんご紹介ありがとうございました。
春夏秋冬に分けて、川上さんがお好きな季語が多彩に紹介されています。それぞれに対する想い出と共に綴られています。
驚いた事は、川上さんが元々理系の方であった事。私は虫が苦手なので、生き物についてもいきいきと語られていて羨ましい限りです。
季語の多彩さを再確認すると共に、自分が日常生活において四季を大切にしていない事に絶望感さえ持ちました。もしかして、俳句には向いていないかもしれない。
業平忌が取り上げられていましたが、私も文学忌が季語になると知った時、これを読み込めたらカッコ良いんじゃないか?と、文学忌には、できるだけ、その方の小説を読む様に心がけているのですが、皆さん大御所ですので作品も大御所的。なかなか、読みきれなかったりしております。
今年は、もう少し読めたら良いなと思っています。

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2023年02月18日

Posted by ブクログ

表紙とタイトルに惹かれて。
少しイメージと違う言葉選びでしたが、新鮮な発見がありました。
読み物として楽しみつつ、季語の勉強になり、さまざまな俳句に触れることができる。
バランスの良い本でした。
季語、おもしろいですね。

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2022年07月03日

Posted by ブクログ

歳が近いから、思い出話しが、解る~!
引用されてる句も、すーと口ずさめる句ばかり、楽しい時間を持てる本です。

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2021年10月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

川上さんのあたたかいお人柄が感じられる本。幼少期の思い出から最近の小話まで、身近な話と季語の融合がよかった。

北窓開くーー冬の間締め切っていた北に向かう窓を、春が来たのでひいらく、という意味をもちます。ずっと耐えた冬がゆるみ、ようやく明るくあたたかい空気が北側の部屋にも入るようになった喜びを表しているのです。

春愁(はるうれい)ーー小説内では、ひとはしばしば恋に落ち恋に敗れ友と別れ大切なものをなくし、人生を憂え、深い哀愁を覚えるものなのです。

鯖ーー鯖の目が、大きくてつぶらだったこと。油がよく乗っていて、包丁が油まみれになったこと。内臓も豊かだったこと。などなど、お店で買ったのでは実感できないことを、たっぷりと味わいました。

蚯蚓ーー大蚯蚓空に桃色たなびけり(磯貝碧蹄館)
空に桃色がたなびく。きっと、夕方なのでしょう。夕焼けにもいろいろありますが、桃色にたなびいているのは、いかにも初夏の感じです。そこに、大みみずガイル。一抹の寂しさも感じてしまうのは、私の個人的な、みみずへの思いのためなのかもしれませんね。

木耳(きくらげ)ーームースーロー(卵、木耳、春雨、豚肉、長ネギを炒め合わせる中華のお惣菜)が食べたくなった。(食べたことない)

半夏生(はんげしょう、はんげしょうず)ーー
愉快系季語ー浮いてこい(お風呂の中などで遊ぶおもちゃ。中に空気が入っていて水に浮いてくることから、この名がある)・木の葉髪(晩秋から初冬の時期は、髪の毛が抜けやすいので、まるで木の葉が散るよう)・蛙の目借時(かわずのめかりどき:春に蛙がなく時期は、なんとなく眠い。蛙に目を借りられているようではないか)

素敵系季語ー春うれい、夜半の秋(よわのあき:秋の夜の中でも、いっそうふけわたった雰囲気である)・淑気(しゅくき:お正月の、和やかでめでたい感じ)

半夏生は、七十二候で言うと「夏至の末候」に当たる期間のことです。ちょうど梅雨が開け、田植えも周期になる時期ですが、同時に、その頃に生えるドクダミ科の植物のことも、「半夏生」と言うのです。時期と、植物と、両方の意味を持つ季語なのです。植物の半夏生は、水辺に生える、60センチほどの高さになる多年草。明るい色のは、白い穂のような花、名前の通り、素敵な植物です。ーー昨日まで、「全くどんどん増えて、邪魔だなあ」ちお思っていましたが、今日は折り取ってガラスの容器に刺し、一つ、愛でてやることとしましょうかね。

新米ーー歳を食ったなあと思う機会、川上さんが思うのは、「お米をやたら食べたくなったことと、お醤油味を求めるなったことです」。以前は、ご飯よりも、麺類が好き。ところが、あるときはっと気づくと、買い置きしておいたパスタが、ちっとも減っていないではありませんか。鳥や豚をフライパンで焼くときには、いつの間にか最後に必ずお醤油を十と鍋肌に滴らせるようになっているし、肉じゃがは以前のような白っぽい色ではなく茶色に染まっています。 ああ、ようやくアジアの、日本の人間になることが、できたんだ、と思いました。

案山子(かかし)ーー案山子は、神様の依代だという説を、随分前に聞いたことがあります。新生児は、神様が運んできてくださった命だとすれば、友達の細君のお里の、真夜中の田んぼに立っているカカシの一つに、今しもその命を運んできてくださった神様が休んでいらっしゃるのかもしれないな、なども思ったりして。

時雨(しぐれ)ーー「時雨」という言葉が、冬の間の寒い時期の、降って速水、病んではふる、物寂しい飴を刺すことを、はっきりと知ったのでした。しぐれ、という音の響きも美しいのですが、時雨、という感じも美しい。時折ふり、時折やむこの雨を、ずばり「時雨」と当てたのは、一体いつの時代の誰だったのでしょうか。
 やがて、「時雨」が季語であることを知り、派生季語にも出会いました。「夕時雨」は、冬のすぐにくれる夕刻の時雨。灯った明かり越しに時雨をみている光景が目に浮かびます。「小夜時雨」は、夜の時雨。夜時雨、ではなく、小夜時雨であるところが、いいのです。ちなみに、「小夜」の「小」は言葉の調子を整えるための窃盗ご。「村時雨」は、少し強めの時雨が通り過ぎる様を表します。元々は「郡時雨」だったそうですが、現在は「村」の字を当てています。以前は、村に時雨が降っている光景なのかなと勘違いしていたのも、懐かしい記憶です。「片時雨」はあるところは降っているけれど、あるところは晴れている様。狐の嫁入り、という言葉もありますが、これは一年中使う表現。冬のこの時期だけは、片時雨、と呼びたい。狐だって、冬に寒い日に嫁入りするのは、躊躇うかも、と思うからです。

神の留守、大根

たくわん(祖母がなくなり、おばあちゃんのたくわんが食べられなくなった、と嘆いていたところ、お母さんが漬物をつけるのがうまかったことに対抗心を燃やして「漬物入門」に乗っていたレシピでつけたもの、ということを伝えたエピソードが好き)

死にし骨は海に捨つべし沢庵噛む(金子兜太)ー兜太のこの句、先の太平洋戦争のことを読んだものでしょうか。母と祖母の間にもあった、小さな「戦い」。葬儀の日、常々姑を煙たがっていた母は、さぞサバサバしているかと思っていたのですが、意外なくらいしょんぼりしていました。おばあちゃん、亡くなっちゃったね。ささやいた母の声は、少し震えて、しめっていました。

枯枝ーー枯木。枯蔓。枯芝。枯尾花。「枯〇〇」という季語が、俳句にはたくさんあります。冬になると、たくさんの植物は、歯を落とし、しぼみ、しんと静まりかえります。その姿を、「枯〇〇」と表現したわけですが、ここで注目すべきは、「枯」とついているからといって、マイナスイメージの季語である、というわけではないということです。青々としたときには、その勢いを。そして、茶色く枯れたときには、その寂寞とした静けさを。それぞれの持ち味を、差別せずに、ただありのままによしとする。それが、季語の精神なのだと、俳句の専売に教わりました。確かに、青々と茂っていたあたたかい季語のものに比べ、冬の景色の中にある植物は、茶色じみているし、水気をなくして小さくなってしまったように思えます。けれど、その姿をも愛でよう、というのが、俳句の心意気なのです。どんどん歳を食ってきて、精神の老化が身に降りかかってきている今改めて考えると、「その精神、素晴らしいですぜ」と、手を叩きたくなります。どうも最近、「人はいつまでも若くなければ」という風潮が強いような気がするのです。せっかく時を重ねて、それなりの侘び寂びを醸し出していい年齢になってきたのに、いつまでもツルツルはりはりとしていなければ女にあらず、という圧力を感じるような。

こたつーー「廃れつつあるもの」としてわかり人はかなり、姿を消しつつあることを寂しく思っているようなのです。「エアコンがあるから、いいんじゃないの?」と聞いたのですが、若い人は首を横に振り、「温まるためだけじゃなくて、こたつにはこたつの空間があるんです。あの一種、やる気を全て削ぐ空間。グダグダになっちゃうこたつの空間が、ものすごく恋しいです」とのこと。

炬燵出ずもてなす心ありながら(高浜虚子)わかる…。一度入ったら、2度と出られないこたつ。たとえお客がきjたとしても。炬燵は魔と快楽の暖房具。忙しない現代にこそ、残しておきたい道具ですよねと、若いひとと頷きあったことでありました。

春隣(はるとなり)ーー春を待ちかねる冬位頃よりも、もう少し春に近くなった頃の季感といえばいいでしょうか。すぐそこまで春は来ていて、その気配があちらこちらに感じられるのです。半分凍っていた小川の流れが、サラサラと軽い音に変わったり、木の根が膨らんできたり。冷たい一方だった風が、ほんの少しだけ何かの匂いを含むようになったり。窓越しに刺す日の光が、前よりも力強くなったり。でも、まだ春じゃない。この感じが好きです。やがてくる柔な金物を待つ、安心感。けれど、どこか頼りない心細さも少しあって。小さい頃から私は、楽しい時そのものよりも、その時を待っている間の方に、心弾みを感じることが多かったのです。

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2021年09月10日

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