養老孟司のフェミニズムへの疑問めちゃくちゃ分かる。
養老孟司さんてなんとなく薄い闇を抱えてるのが分かるんだよね。そうじゃなきゃ本とかあそこまで書かなそう。
日本中都市化したつまらなさって分かる。東京って息が詰まるもん。東南アジアの田舎感いいよね。
スポーツ選手って勉強させたら理系だと思うよ。私も子供の頃から運動神経が異常に良くて、暇だったから勉強したら文系科目全然出来なくて、理数系しか出来なかった。
「もう一つの現実はリアリティです。これは日本語で「真善美」と訳すべきだと私は思っています。真に近いものこそ現実だと思ってる人の典型は数学者です。ただし、現実感が普通の人とはまったく違う活動に付着している。我々の場合は知覚的入力に近いところに現実が感覚として付着している。数学者の場合はもっと奥に入った脳の中の出来事を現実だと考えている。 その典型は哲学の中にたちまち出てくる。お気づきのように非常に有名なのはデカルトです。彼はすべては疑えると言った。なぜかと言えば、同じ感覚を与えてやれば時計を持ってるかのような感覚を起こす。ですが時計が本当にここにあるのかどうかわからない。しかし、デカルトは、そういうことを考えている自分の考えだけは疑えないと言った。デカルトはご存じのように数学者です。数学者は脳の中で起こることを実在であると考える人たちです。 一番古い代表はプラトンです。プラトンにとっては実在するものは「イデア」です。イデアというのは典型的に抽象的ですが、完全な世界です。だからプラトンにとって実在するものは人間で言えば人のイデアです。じゃ個々の人々というのは何か、具体的な人は感覚に与えられるが、それはイデアの不完全な現れです。」
—『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~ (扶桑社BOOKS文庫)』養老 孟司著
「 宗教というのはそれを教えるものである、そういう役割を果たしてきたものじゃないかという気がします。それが現在弱くなってきたのは、人工化が非常に強くなったからです。死んだらヒトはこうなる。じつはそんなことはわからないわけです。わからないものを、なんとか頭の中に収める。そういう役割を本来宗教は持っていたように思います。 つまり、昔の人が暮らしていたときに自然が演じていた役割のようなものを、宗教がその後社会の中で持ってきた。ですからお釈迦様の話のように、生老病死という言葉が、四苦八苦の四苦ですけども、昔から日本の言葉の中に残っています。それも人間の自然性を指してるのだろうと私は解釈しています。だから宗教のはじまりは自然宗教なんですね。」
—『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~ (扶桑社BOOKS文庫)』養老 孟司著
「じゃあ中国はどうか。思想も諸子百家というようなさまざまな考え方の後、二〇〇〇年後はどうなったか。儒教だけが生き残ってまいります。諸子百家の中で儒家だけが生き残ってきたということは、東京のこういう建物の中に生き残る昆虫はゴキブリだけだというのとほとんど同じことだというふうに私は考えてます。 つまりそれだけ環境が単純化したんだということです。儒教の中に、つまり論語の中に自然に対する言及はありません。論語は何というか、論語は日本で言われるときは「厩の火事」になります。「厩の火事」という落語がありまして、それは孔子様の弟子が先生のところにすっ飛んでくるわけです。「先生、厩が火事です」。そうすると孔子が何と言うかというと「人間に怪我はないか」と聞くわけです。孔子は偉いという話になるんですが日本では落語になるわけです。これは中国では美談だけど日本では落語になるというところにご注意ください。つまり馬という自然は、中国人にとっては人間のためのもの以外の何ものでもない。」
—『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~ (扶桑社BOOKS文庫)』養老 孟司著
「我々の文化はなぜか知りませんが、そういうものを非常にきれいに切る習慣があります。これを日本語でよく「けじめ」とか何とか言っていますが、まあきちっと切る。生きている人と死んでいる人は違うものだよということをまったくの常識として皆さん方はどこかでお持ちだと思います。 でもよく考えてみますと、そういうふうな切り方はうまくいかない。うまくいかない証拠にですね、脳死問題が浮上してまいります。実際に脳死の人を死んだ人と見なすか見なさないか、という議論を読んでいますと、面白いことを皆さん言っています。脳死の方を見て、とても死体とは思えなかったという方もある。皆さん方が死体とはこういうものだと、非常にはっきりとした観念をお持ちだということがよくわかる。しかし本当にそうかと考えますと、簡単ではないことがすぐわかります。」
—『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~ (扶桑社BOOKS文庫)』養老 孟司著
「そう思ったときに初めてピンとくるのは、昔から言われています「文武両道」です。文武両道は何かと言いますと、首から上が文、武はこれは首から下です。首から上と首から下、両者を完成しないと侍としてペケだということ。じゃあ一体何を完成するのか、そこで表現という言葉が改めて出てくるわけです。日本の伝統文化を考えますと、ものの見事にこれに言及していることがあります。すなわち「道」です。」
—『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~ (扶桑社BOOKS文庫)』養老 孟司著
「 私は近代化という言葉を使うよりは、むしろ戦後の日本は特に「都市化」と言ったほうがいいんじゃないかと思っています。このほうがはるかに具体的に話がわかるような気がします。 そう考えたときに今申し上げたような東南アジアのいろんな国に起こっている現象が直ちに理解できると思います。私はベトナムへ行くためにバンコクを通りましたが、バンコクもまったく都市に変わりつつあります。二月にはクアラルンプール、それからジャカルタにまいりましたけど、こちらも大変な大きな都市です。そういった都市化が戦後の日本で急速に起こったことを、おそらく多くの方も思い出されるんじゃないかと思います。その一番わかりやすい例は、日本じゅうの町に銀座ができたことだと私はよく考えます。」
—『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~ (扶桑社BOOKS文庫)』養老 孟司著
「そういうことが起これば、それは不祥事と見なされます。先日、私は九州にまいりまして、こういうホールでお話をしていましたら、足元をゴキブリがはっていました。これは典型的な不祥事です。つまりゴキブリはこういう空間には出てきてはいけないのであって、なぜいけないかというとそれは自然のものだからです。 つまり設計者、内装者はそこにゴキブリが出てくるということを全然計算に入れていません。したがってそれはあってはならないものです。ですから、そういうものが出てきますと大の男が目をつり上げて追いかけていって踏みつぶしていますが、それはこういった自然の排除という原則がいかに強く都市空間では貫徹されているかということを示すように私には見えるわけです。 こうやってつくり出された人工空間は世界中どこでもまったく同じ性質を持っています。そういったものを城壁で囲うというのは案外利口な知恵でして、この中だけだよ、という約束事が成り立ちます。ですから、ちょっとでもここから外へ出れば、再び自然の浸透が始まる。そしてそこから離れるほど自然が強くなってくる。 つまりこの中はすべてが人の意識でコントロールしうるという世界ですが、この外に行きますと次第に意識でコントロールできない部分がふえてまいりまして、最終的には完全に我々がコントロールできない世界、すなわち自然がそこに出現してまいります。」
—『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~ (扶桑社BOOKS文庫)』養老 孟司著
「男と女も完全には切れていません。男と女が最初に決まるのは染色体。女は X X、男は X Yという性染色体を持っています。これはどうして決まるのかというと、両親のそれぞれから一個ずつもらうので、 Y染色体を持った精子が受精すると男になり、 X染色体を持った精子が受精すると女になるわけです。 X染色体と Y染色体は重さが違うので精子を分けることができる。そうすると、男女の産み分けも可能になります。 しかし、そこでかっちり男と女の区別が決まっているのかというと、そうではない。たとえば、妊娠してから七週までの間の胎児は、我々が顕微鏡で見ても男と女の区別はできません。染色体を見ればわかりますが、それ以外はまったく違いがない。七週を過ぎると、卵巣か精巣になる部分の区別ができるようになります。」
—『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~ (扶桑社BOOKS文庫)』養老 孟司著
「 それを、私たちは大多数は区別できるからということで決めてしまっている。なぜ決めるかというと、私たちが社会をつくるからです。社会的に決定された性を英語ではジェンダーといい、自然に決定された性をセックスといいます。しかし、セックスはじつは切れないから、ジェンダーのほうで切ってしまって、お前は女になれということになるわけです。 私がフェミニズムについて疑問を持つとすれば、フェミニズムの原理は根本的に現代社会、すなわち都市に依存した考え方の上に立脚しているからです。自然のほうから見ると、そもそもフェミニズムの意味は成り立たない。つまり、自分が男か女かわからないという人がまず出てきてしまうからです。そうすると、それはジェンダー、社会的な性の問題ということになります。」
—『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~ (扶桑社BOOKS文庫)』養老 孟司著
「バリ島に行って帰ってこない若い女の子がいますが、あれは田舎に帰っているのではないかという気がします。今では日本中都市になってしまっていて、帰る田舎がないから、あのようなところへ行くのでしょう。私もブータンやベトナムに行きますが、非常にホッとします。昔の日本の田舎そのものだからです。田舎が世界に移り、日本全体が都市になってしまいました。」
—『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~ (扶桑社BOOKS文庫)』養老 孟司著
「かつて、そういうことを研究した人がいるかどうか調べてみると、やっぱりちゃんといるんですね。チャールズ・ダーウィン。あの進化論で有名なダーウィンです。彼はミミズの研究でも有名でして、ミミズで何をしたかというと、西洋のミミズというのは、日本のミミズと違って、自分で穴掘ってその穴の中に入っている。その口を葉っぱで塞ぐんですが、ダーウィンが調べたのは、穴を塞いでる、その葉っぱだったんですね。 ミミズが葉っぱで穴をどうやって塞ぐかというと、葉っぱには先の尖った端と鈍い端があるわけですが、たいがいのミミズが、その尖った端を引っ張りこんで蓋をするわけです。ダーウィンはいろいろなミミズの穴を調べて、そのことを発見した。 暇な人もいるもんだと思うけれど、そこでやめないのがダーウィンのえらいところでして、次にどうしたかというと、今度は自分でミミズを飼ったんです。箱の中にミミズと土を入れて、葉っぱの代わりに紙を切って入れてみた。 そうやって、尖った端と鈍い端をつくって、どっちの側から引っ張るのかを観察したら、やっぱり尖ったほうから引っ張りこんでるんですね。なんでミミズが、葉っぱの一方が尖ってて、もう一方が丸いということをわかっているのか。これは、いまだにわからないんです。だから、動物が世界をどう見ているのか、じつはよくわかっていない部分のほうが多い。」
—『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~ (扶桑社BOOKS文庫)』養老 孟司著
「そこで、私は考えるんです、長嶋さんに物理の勉強させたらどうかなあと。でも、あの方には学生時代からいろいろと逸話がありまして、どうも物理をやらせても駄目じゃねえかって気だけはなんとなくしたりする(笑)。ところが、やってることは、完全な物理学なんですね。あの人ぐらいホームラン打てる人はなかなかいない。 だとすれば、彼は古典力学であるニュートン力学をほかの人よりマスターしているはずなんですが、それがいわゆる物理になると、わからなくなるわけです。そして、問題はそれがどういうことかということです。」
—『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~ (扶桑社BOOKS文庫)』養老 孟司著
「お墓に持っていけるものというのは自分に身に付いたものです。家も持っていけません。土地も持っていけません。お金も持っていけないですが、自分の身に付いた技術は墓に持っていける。だからそれが自分の財産だと。」
—『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~ (扶桑社BOOKS文庫)』養老 孟司著
「ちょうどそのころ私は奄美大島へ行っていまして、インターンのころで、フィラリアの検診に行っていたんですが、奄美が日本に返ってきて間もないころで、奄美に対して日本政府が特別にお金を出しました。そのお金を奄美の人は何に使ったか。 当時の奄美には各部落をつなぐ道路がほとんどありません。南半分へは古仁屋という町から毎日午後二時になると一斉にポンポンポンと船が出ます。それは何かというと、各部落行きの船。一日に一便なんですね。そういう状態でした。その各部落、何百人という人口ですが、そこに政府のお金で全部鉄筋コンクリートの小学校をつくった。それが頭にあったものですから、鎌倉市というものがまったく逆さに見えました。ちょうど逆のことをやっているなと。」
—『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~ (扶桑社BOOKS文庫)』養老 孟司著
「まず第一に、人間の身体です。これは人間がつくってない。勝手にできてきた。だから、こういうものはないことにする。隠しちゃう。だから僕が脳の標本を持って歩くと、みんなおかしな顔をするんですが、よく言うんです。東京というのは一三〇〇万の人間が住んでいるが、小指一本落ちてないじゃないかと。それは当たり前か当たり前じゃないかということなんです。私はどちらかというと、当たり前じゃないという感覚なんですが。多くの方がそれで当たり前だと思っている。 何が言いたいかというと、都市化がどんどん進みますと、たぶん困るのは子どもじゃないかという気がする。なぜか。子どもは自然なんですね。都市は人工です。意識がつくったもの。だから、この中に子どもは入れてくれません。ある年齢にならなければ世の中に入れてくれないんです。なぜなら、子どもはまだ自然だからです。訓練し終わって、一応のことがわかるようになって、人間の約束ごとがちゃんと使えるようにならなければ、世間に入れてもらえません。だから、子どもの扱いを見ていると、逆に都市化の状況がわかるような気がする。」
—『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~ (扶桑社BOOKS文庫)』養老 孟司著
「ここ一〇年ほど、さまざまな会合で話をさせていただく機会が増えた。ここに採録してあるのは、そうした講演の記録である。あらためて読み直して、こんなことを話したかしらと、本人が忘れていることもあるから、記憶はアテにならない。 話を文章にするのは、だれかやってくださった人がいる。ここに採録されたものも、すべてそうである。まずその方々に感謝の意を表したい。これはなかなか大変な作業である。それは出来上がってきた原稿を見るとわかる。話が通じていない場合には、原稿がメチャメチャである。もちろんそういうものは、ここには入っていない。 他人の話を文章にする。こうした作業には、言語に関するその人の能力がいちばん明瞭に出る。私はそう思っている。聞く耳がなければならないし、それを文章にする能力がなければならない。だから上手下手が著しい。いまでは講演の記録をとって、会誌などに発表するのはふつうだが、たいてい最後に私自身が目を通す。そのときに恐ろしく手間がかかるときと、まったく手を入れないで済むときがある。その手間がそのまま原稿の良し悪しを示している。本人の話の良し悪しは言わないことにする。 大学での講義は若いときからやっているが、一般の人を対象に話をするのも、本人にしてみれば、ほとんど同じことである。ただし講義の場合には、知識を伝えようとすることが多い。これは話しているほうもつまらないが、ふつうは聞いていてつまらない。知識は詳細で、詳細を訊きたがるのは、本当の関係者だけだからである。」
—『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~ (扶桑社BOOKS文庫)』養老 孟司著