タイトルに太刀洗万智シリーズと入っているように、本作の主人公は『さよなら妖精』『王とサーカス』に登場した太刀洗万智。シリーズとしては「ベルーフ」シリーズと名付けられているようで、今のところは本作を含めて3冊が刊行されている。
シリーズとしては、前作にあたる『王とサーカス』が長編であったのに対し、本作は著者の得意とする短編集という形になっている。さらに『さよなら妖精』のように全体として1つの流れがあるタイプの短編集ではなく、時系列もバラバラな作品が収められているということで、形としては『満願』に近い作品と言えるだろう。シリーズの過去2冊は社会的な問題と日常の謎を掛け合わせた中で物語が展開していくスタイルであったが、本作は記者という立場にある太刀洗万智が、報道することの意味を読者に問うスタイルに変わっている。内容としては、かなり重いものが多いが、ちょっとした出来事から物事の裏側にある真実を探り出していく著者の腕前はいつも通りの切れ味だ。
時系列もテーマもバラバラな短編集ということで、各作品の簡単な紹介をしておこう。
真実の一〇メートル手前:この中では、唯一新聞記者時代の太刀洗万智が登場する作品。新興ベンチャー企業の経営破綻を受けて行方不明になった社長とその妹を探す万智を描く。いつもの通り、ちょっとした会話からヒントを得て、なんとか行方不明になった妹を探そうとする万智だったが、彼女の努力も虚しく、事態は最悪の結末を迎えるのだった。
正義漢:夕方のラッシュを迎えた吉祥寺駅で、ホームから人が転落し、人身事故が発生してしまう。「私(語り手)」はその事故を取材する1人の女性を見て、激しい不快感に襲われる。彼女は事故という悲惨な場面に立ち会いながらも、なぜか口元には笑みを浮かべ、携帯電話で写真を撮っていたのだった。思わず近づこうとした私に振り返った彼女は、自分は記者の大刀洗万智と名乗るのだった。
彼女のことを「センドー」と呼ぶ古い友人が登場することから、『さよなら妖精』との続きが意識される作品。なんとなく文体からはその友人は『さよなら妖精』の主人公である守屋のように思われるのだが、明確な描写は残念ながら無い。
恋累心中:三重県で発生した高校生カップルによる心中事件は、地名が恋累という地名だったこともあり、マスコミの注目を浴びることになる。語り手の記者・都留(つる)は、週刊深層の出入りの記者である大刀洗と一緒に現場での取材を行うことになる。通常は難しい教師への取材を簡単に設定してしまったことから、都留は大刀洗がただ者ではないと考えるようになるのだが、大刀洗は実は別の事件を追ってこの現場にいたのだった。
ミステリーとしては、短編集の中で最も切れ味が良いと思われるのが本作。心中事件のはずなのに、一方の遺体が発見されなかったという事実から、伏線と絡めて鮮やかに真相が明らかにされる。
名を刻む死:中学3年生の少年は、学校に行く途中に近所に住む62歳男性・田上が中で死んでいるのを発見する。発見された田上は死後3日ほど経過しており、衰弱死が死因と見られていた。死体を発見した少年は、ここ数日で田上を気にしていたということと、異臭を感じたからだというのを発見した理由として答えた。また、発見された田上は、近所の人間からはちょっとしたことで難癖をつける人間として認識されていた。
その喧騒が去った頃、警察やマスコミとの話もひと段落したと考えていた少年の前に大刀洗が現れ、取材を申し込む。彼女が気にしていたのは、田上の日記に残されていた「願わくは、名を刻む死を遂げたい」という一文だった。
ほとんど救いのない本作に収められた短編集の中で、数少ない前向きな読後感を感じさせる作品。大刀洗が真実を追い求める理由の一端を垣間見ることができる。
ナイフを失われた思い出の中に:妹がかつて日本にいたヨヴァノビッチは、来日の合間の時間で、妹の友人であった大刀洗と会うために地方都市を訪れていた。出会った大刀洗は自分の仕事が記者であることを告げると、ヨヴァノビッチは取材に同行すると申し出る。今回の取材は、16歳の少年が3歳の姪を死傷した事件であり、すでに警察の発表では事件は解決したと思われていた。
この単純な事件を取材することを不思議に思ったヨヴァノビッチは、自らの経験から、記者に対する不信感を語る。その話に対して大刀洗は明確な答えは返さず、取材を続けることで、自らの信念をヨヴァノビッチに伝えようとするのだった。
記述では明確には語られないが、『さよなら妖精』で登場したマーヤの兄であると思われるヨヴァノビッチが登場する本編は、前作からのファンにとっては嬉しい一編となる。大刀洗が記者という仕事を選んだ理由の1つが、マーヤとの出会いであったことが改めて確認できる作品だ。
綱渡りの成功例:長野県を襲った瑞穂の豪雨により、大沢地区では民家3件を巻き込む大規模な土砂崩れが発生する。無傷の家に残った戸波夫妻は三日間なんとか耐え抜き、消防団員が救助に成功する。夫妻は、ほとんど食べるものも飲み物もない状態で、家の中にあったコーンフレークを口にして飢えをしのいだとのことだった。
消防団員の語り手は、そのニュースの取材のために村を訪れた大刀洗と出会い、一緒に夫妻の取材に向かうことになる。そして夫妻と向かい合った大刀洗は「コーンフレークには何をかけたのか?」と問いかけるのだった。
日常の謎解きを得意とする著者の真骨頂のような作品。陰惨なストーリーが多い本作の中では、殺人が絡んでこないこともあり、比較的心穏やかに読むことができるだろう。
全体を通して読むと、『王とサーカス』でも取り上げられていた、記者は何のために世界を取材し報道するのかといったことが、より深く掘り下げられている作品になっている。前作から時間が経ったであろう彼女は、単にセンセーショナルな内容を伝えることだけに執念をかける記者とは異なり、常に自分が報道することの意味を問いかけながら仕事をしているようだ。彼女の覚悟が垣間見える作品であるだけに、今後も何かしらの思い、テーマを取り上げて、このシリーズは続いていくのかもしれない。