寺地はるなのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
寺地はるなさん作品2冊目。本作もみずみずしくも深くじんわり心に残る文章が多く、メモが止まらなかった。
なかでも道のまっすぐで誰にとっても分かりやすい言葉に、ハッとする場面がたくさんあった。
ガラス工房を営む兄妹。兄の道はコミュニケーションが苦手で、協調することができない。妹の羽衣子は、何事もそつなくこなせるが個性を見つけられずにいる。正反対のふたりの物語。
「なんでも許されると思ってんのか、それは世間への甘えとちゃうんか、みんなお前よりがんばってんねんぞ」
苦手なことがたくさんある道に対する、この言葉がずっと引っかかっていた。
どうしてこの人は、道がどれほど頑張っているのか分かるんだろう。怒りでも悲しみでもなく、素朴な疑問が浮かんだ。
この人はいつもぴったりと道の側にいるわけでも、道が普段何に悩み、どう対処しているかをすべて知っているわけでもないのに、なぜ「みんなお前よりがんばっている」と言い切れるのだろう。
同じように私が不思議に感じる言葉がもう一つある。「なんで私だけがこんな目に遭うの…」というもの。
ひどい不幸に見舞われた人がよくこぼす言葉だが、どうして他人が自分と同じような不幸を経験していないと分かるのだろうといつも疑問に思う。
あなただけじゃない。見えない、知らないだけで、みんなそれぞれ、まぁまぁ不幸なこともあれば、まぁまぁ幸せなこともある。
悩みなんてないように見える人でも、その内側では自分を限界まで追い詰めてしまっている人もいるし、自信がなくて他人の良いところばかり羨ましがっている人もいる。
良くも悪くも、自分だけが特別ということはない。さまざまな本を読んで、より一層そう思うようになった。
なんの話?という感想になってしまったが(笑)寺地さんの作品は、肩の力がいい具合に抜けてリフレッシュできる。来年は他の作品もゆっくり集めていきたい。 -
Posted by ブクログ
実際に三葉みたいな子がいたら『なんか面倒くさいなぁ』と思ってしまうかもしれない。友達にはなれないかもしれない。でも作品の中の三葉に共感出来たり出来なかったりしながらも気になってサクサク読めてしまい一気読み。
物語が面白いだけではなく、気づかされることがたくさんあって最終的には三葉がとても愛おしく感じられた。彼女は自分自身ができること、出来ないことをよく知っていてそれを受け入れている。ある意味とても強い女性だと思った。
私自身の経験から思うに、常識や暗黙の了解というのは自分の周りの環境によって都合よく変化する。それを私たちは気づいていないことが多く、自分は常識やマナーを守って行動しているような気がしているが実はただ多数派からあぶれないようにしているだけなのかもしれない。
私たちはよく迷う。何が正しくて何が悪いのか?とかこれで合ってる?とか。三葉のようになりたいというわけではないが、人と接する時に全ての人が三葉みたいな人かも?って思いながら接したら迷わないのかもなぁ。
推し作家さんになりそう。 -
Posted by ブクログ
寺地はるなさんの『やわらかい砂のうえ』を読み終えた。
ページを閉じた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなるような、そんな読後感に包まれた。
「やわらかい砂のうえ」が意味するもの
タイトルの「やわらかい砂のうえ」。
これは主人公・万智子の言葉で、「心もとない」ことの例えだ。
足元が定まらない、一歩踏み出すたびに沈み込んでしまいそうな不安定さ。私たちが生きる日常は、まさにそんな「やわらかい砂のうえ」なのかもしれない。
確固たる正解などどこにもなく、常に揺らぎながら歩いていく。そんな不確かさの中で、どうやって自分らしく生きていけばいいのか。この作品は、そんな根源的な問いに真摯に向き合っている。
『自分に自信を持つ』という、シンプルで難しいテーマ
この物語の核心にあるのは、『自分に自信を持つ』ということだ。
でも、ここで語られる『自信』は、他人より優れているとか、何かを成し遂げたという実績に裏打ちされたものではない。もっと本質的な、「わたしがわたしのまま世界と対峙する力をもつ」ということなのだ。
言い換えれば、それは「自分の好きな自分」でいることの大切さ。誰かの期待に応えるためでもなく、社会の「正しさ」に合わせるためでもなく、ただ自分が心地よいと感じられる自分でいること。それこそが真の『自信』なのだと、この作品は静かに、しかし力強く語りかけてくる。
凝り固まった「正しさ」から解放されるまで
主人公の万智子は、正しいこと・正しくないことで白黒はっきりつけたがる真面目な性格だ。
世界を二分法で捉え、自分も他人も「正しさ」という物差しで測ってしまう。きっと多くの人が、程度の差こそあれ、万智子のような思考パターンに心当たりがあるのではないだろうか。
そんな凝り固まった万智子の思考を、徐々に、そして確実に変えていったのは、年代がバラバラな「友だち」たちだった。
了さん、美華さん、冬さん。彼女らとの出会いと交流を通じて、万智子の世界は少しずつ色彩を取り戻していく。
年代を超えた「友だち」の存在
年代が違っていても「友だち」になれる。当たり前のようでいて、実際には難しいことかもしれない。世代が違えば価値観も違う。生きてきた時代背景も、抱えている悩みも異なる。
でも、だからこそ豊かなのだ。
私自身も年代が違う「友だち」がいる。だからこそ、この物語に描かれる関係性にとても共感した。年齢という数字を超えて、ひとりの人間として向き合い、認め合う。そんな関係性の尊さを、この作品は丁寧に描き出している。
「友だち」は「他人」だからこそ
そして重要なのは、「友だち」は「他人」だということだ。
自分の思う『正しい生き方』を盾にして、他人を裁く権利は誰にもない。たとえ自分から見れば『正しくない人』でも、「友だち」でいたいと思えること。その人の選択を尊重し、その人なりの人生を認めること。
これは簡単なようで、実はとても難しい。特に親しい関係であればあるほど、「こうあるべき」という思いが強くなってしまう。でも、本当の意味で相手を大切にするということは、相手の自由を認めることなのだ。
『自分を大切にする』の本当の意味
『自分を大切にする』とは何か。この作品は、それを「失礼なことを言われたらちゃんと怒る」ことだと教えてくれる。
自分の尊厳を守ること。不当な扱いを受けたときに、「これは嫌だ」と声を上げること。優しさや思いやりと、自分を軽んじることは違う。自分を大切にできない人は、結局、他人も大切にできない。
『自信』は自分で決めて持つもの
『自信』は他人に授けてもらうものではなく、自分で『自信を持つ』と決めて、持つものだ。
これは、この作品から受け取った最も重要なメッセージのひとつだ。
私たちはつい、他人の評価を気にしてしまう。褒められれば自信を持ち、批判されれば自信を失う。でも、それでは自分の人生の舵を他人に委ねているのと同じだ。
たとえ他人に嗤われたとしても、他人の思惑まではコントロールできない。だからこそ、自分で自分を認めること。自分で自分に「あなたはこれでいい」と言ってあげること。それが『自信を持つ』ということなのだ。
「好きな自分」でいることの力
『自分の好きな自分』でいることの大切さ。
作中に登場する印象的なフレーズがある。「好きな服を着て、好きな靴を履いて、好きな場所を目指す」。
なんてシンプルで、なんて力強い言葉だろう。
特別な才能も、誰かの承認も必要ない。ただ、自分が好きだと思えるものを選び、自分が心地よいと感じる姿でいる。それだけで、私たちは世界と向き合う力を得られるのだ。
『ほんとうの自分』という幻想
『ほんとうの自分』なんてものはどこにもいない。
この一文には、はっとさせられた。私たちはしばしば、「本当の自分を見つけたい」「自分らしさとは何か」と悩む。でも、もしかしたらそれ自体が間違った問いなのかもしれない。
固定された「本当の自分」などいない。その時々で、状況に応じて、私たちは変化し、選択し、新しい自分になっていく。それでいいのだ。
誰もが持つ『美しさ』
『美しくない人』などこの世に存在しない。
皆それぞれその人にしかない『美しさ』を持っている。そのことに気づいていない人が多いだけだ。
この作品が語る『美しさ』とは、容姿のことではない。それは、「自分が自分のままで世界と向き合う力を得ること」なのだ。
自分らしくいられること、自分を認められること、自分の足で立っていること。その在り方そのものが『美しさ』なのだと、この物語は教えてくれる。
やわらかい砂のうえを、歩いていく
「自分が自分」のままで、「自分が好きな自分」として、「世界と対峙する力」を得る。
そして、やわらかい砂のうえを、他人と手を繋いだり、離したりしながら歩いていく。
時には誰かと一緒に。時にはひとりで。それでいい。足元は不安定で、次の一歩がどうなるかわからない。でも、それが人生なのだ。
ポラリスのような指標を持つこと
作中では、「人生でいちばん幸せだった瞬間」をポラリス(北極星)のように指標にする、という考え方が示される。
道に迷ったとき、自分を見失いそうになったとき、その瞬間を思い出す。あのとき感じた幸せ、あのとき自分が確かに「ここにいる」と感じられた感覚。それを指標として、また歩き出す。
私たちにも、そんなポラリスがあるだろうか。探してみる価値は、きっとある。
この作品が教えてくれること
『やわらかい砂のうえ』は、自分を大切にすること、自分に自信を持つこと、そして、ポラリス的な『指標』を見つけてそれを目指して歩いていくことが人生だということを教えてくれる。
派手な展開があるわけでもない。劇的な事件が起こるわけでもない。でも、登場人物たちの日常の中に、生きることの本質が静かに、丁寧に描かれている。
読み終えたとき、きっとあなたも思うはずだ。
「私も、自分の好きな自分で、歩いていこう」と。
やわらかい砂のうえは不安定だ。
でも、そこを歩いていくのが人生なのだ。
自分らしく、自分の足で。時には誰かと手を繋ぎながら。
私にとってのポラリスは、なんだろう。
まだ見つかっていない。 -
Posted by ブクログ
寺地はるなさんの『こまどりたちが歌うなら』を読み終えた。
正直に言う。
この本を読むのは、とても辛かった。
大好きな作家さんの作品なのに、はじめて「早く読み終えてしまいたい」とさえ思ってしまった。それほどまでに、この物語は容赦なく私の傷口を抉ってきた。
表紙に騙されてはいけない
可愛らしい表紙。
どこか温かみのあるタイトル。
手に取ったときは、きっと心温まる物語なのだろうと思っていた。
だが、ページをめくった瞬間から、その予想は裏切られた。
この作品は、容赦なくリアルな社会の現実を突きつけてくる。優しさで包まれた物語ではなく、私たちが目を背けたい「職場の闇」を、まっすぐに照らし出す作品だった。
『吉成製菓』という名の、どこにでもある職場
主人公の小松茉子(こまつ まこ)は、親戚の吉成 伸吾(よしなり しんご)が社長を務める『吉成製菓』に勤め始める。
和菓子を作り、販売する、小さな会社だ。
そこで茉子が目にしたものは──
タイムカードを押してからのサービス残業。
部下に怒鳴り散らす理不尽なパワハラ上司。
有休が取りづらい雰囲気。
パートを不当に扱う空気。
『見て見ぬふり』が漫然と蔓延り、『暗黙の了解』がまかり通る職場。
読みながら、私は何度も息が詰まった。
ここに描かれているのは、私のかつての会社だった。かつての私だった。かつての上司だった。そして──いまの私でもあった。
自分の過去と向き合わされる苦しさ
物語を読み進めるたび、記憶が蘇ってくる。
おかしいことを「おかしい」と言った日のこと。周囲の冷たい視線。上司からの圧力。誰も味方してくれない孤独感。そして、最終的に退職に追い込まれた、あの苦い経験。
茉子は言う。「前例がない場所では、自分が前例になるしかない」と。
なんて真っ直ぐな言葉だろう。なんて力強い姿勢だろう。
茉子は、おかしいと思ったことをおかしいとハッキリ言える人間だ。いきなりの理想郷は無理でも、目の前のことにひとつずつ向き合おうとする。そのひたむきさが、物語の中で輝いている。
だが、そのひたむきな姿勢は時に反感を買い、周囲に疎まれる。
私も同じ経験をした。おかしいことをおかしいと言うことの何がいけないのか。この小さな世界を変えてやりたい──そう思って声を上げた。
だが、私の場合は物語のように、茉子のように、上手くはいかなかった。
読みながら、その記憶が生々しく蘇ってきた。私にとって、この作品は容赦なく傷口を抉ってくるものだった。
それでも、読んでよかった
苦しかった。辛かった。何度も本を閉じたくなった。
それでも、茉子の姿を見続けてよかったと思う。
茉子の真っ直ぐさ。ひたむきさ。言いたいことを言う勇気。そして、それが少しずつ周囲を変えていく様子。
私の生きる小さな世界も、こんな世界だったら良かった。そう心から思った。
もしかしたら、私が諦めてしまった場所でも、茉子のように粘り強く向き合い続けていたら、何かが変わっていたかもしれない。そんな後悔と希望が、胸の中で入り混じる。
読むべきなのは、こんな人
この本を勧めたいのは──
職場の理不尽に疲れている人。声を上げたいけれど、声を上げられない人。
かつて声を上げて、傷ついた経験がある人。
そして、「変えられるはずがない」と諦めかけている人。
この物語は、優しい慰めを与えてはくれない。傷口に触れてくる。痛みを思い出させる。
だけど、それでも──いや、だからこそ──読む価値がある。
茉子の姿は、私たちに問いかける。
「あなたは、どうしたいのか」
「あなたは、何を変えたいのか」
「あなたは、諦めてしまっていいのか」
最後に
可愛らしい表紙とタイトルに騙されてはいけない。
この作品は、優しい物語ではない。だが、必要な物語だ。読むのが辛くても、目を背けてはいけない現実がそこにある。
寺地はるなさんは、この作品で「職場」という小さな世界の闇と光を、丁寧に、そして容赦なく描き出した。
もし、あなたが今、職場で何かに苦しんでいるなら。もし、声を上げることを躊躇しているなら。
この本を手に取ってほしい。
茉子の姿が、きっと何かを教えてくれるはずだから。 -
Posted by ブクログ
はじめに
寺地はるなさんの小説『月のぶどう』を読み終えた。
ページを閉じた瞬間、胸の奥に小さな灯りがともるような温かさが広がった。
これは、夢を追いかけることの美しさだけでなく、夢を持てなかった人、夢に破れた人、そして「何者かになりたい」と願いながら何者にもなれなかったすべての人へ向けられた、優しくも力強いエールの物語だ。
物語の舞台と登場人物
物語の中心にいるのは、双子の姉弟──姉の光実と弟の歩。
二人が生まれ育ったのは、家族経営の『天瀬ワイナリー』。
代表を務める母、経理を担当する父。ワイナリーは二人にとって生活の場であると同時に、それぞれの人生を形づくる大切な舞台でもあった。
物語は、母の葬儀という静かで重い場面から幕を開ける。
突然の別れ。残された家族。これから始まる新しい生活の気配──読者は冒頭から、登場人物たちの人生の転換点に立ち会うことになる。
「できる姉」と「できない弟」という呪縛
幼い頃から「母のようになりたい」と憧れ、迷いなく家業を継ぐ道を選んだ光実。
彼女には明確な目標があり、進むべき道が見えていた。
一方の歩は、自分が何をしたいのか、どこへ向かうべきなのか分からないまま大人になっていく。
「よくできる姉」と「できの悪い弟」。
そんな言葉とともに育ってきた歩にとって、母の死は人生の大きな転機となる。
この単純な二分法は、彼だけの苦しみではない。
兄弟間の比較、親の期待、そして自分自身への失望──多くの人が経験する痛みがそこにはある。
歩が抱える葛藤は決して特別ではない。だからこそ、読者は彼に自分自身を重ね、その成長を見守りたくなるのだ。
ワイナリーでの日々──仕事を通じた成長
母の死をきっかけに、歩も光実とともに『天瀬ワイナリー』で働くことになる。
望んだわけではない仕事。「やりたいこと」ではなかった選択。
けれど、そこで出会う人々やワイン造りという仕事を通して、歩は少しずつ、しかし確かに変わっていく。
働くことの意味とは何か。
人との関わり方とは何か。
この世の仕事はすべて必要で尊いものだということ。
たとえ望んだ仕事でなくても、夢見た仕事でなくても、目の前のことに真摯に向き合うことはできる──歩が学んでいくこれらの真実は、現代を生きる私たちにも深く響く。
「天職」を待ち続けることの危うさ
「いつか天職が見つかるはず」
「何かになりたい」
──そう思いながら、結局何者にもなれなかった。
そんな経験をした人は、きっと少なくない。
やりたかったことではなかったからといって、適当にやればいいわけではない。
欠点から目を逸らさず、否定していじけるのでもなく、きちんと向き合うことの大切さ。
つらさの度合いを他人と比較することの無意味さ。
作品が静かに、しかし力強く語りかけてくるメッセージは、読者の心に確かな手応えを残す。
「自分のいるべきところは、別にあるはずだ」
そう思っていた歩は、ワイナリーでの日々の中で気づいていく。
自分の作ったものが誰かを笑顔にし、おいしいと言ってもらえることに、価値を感じられるのだと。
天職は“探す”ものではなく、目の前の仕事の中から“育っていく”ものなのかもしれない。
涙を誘うラストシーン──人と人とのつながり
ラストシーンは、歩の友人・広田と光実の結婚式だ。
私はこの場面で、思わず涙した。
ドレスを用意し、化粧を施し、ウェディングケーキを作った友人たち。
祝福の声に包まれる光実の姿を見た瞬間、人と人が結び合う温度のようなものが胸に刺さり、涙がこぼれた。
人は、こんなにも多くの人たちに支えられて生きている──
その当たり前だけれど忘れがちな真実が、静かに描かれている。
入院中で出席できなかった祖父は、ボイスレコーダーで二人にエールを送る。
「結婚したら良いことばかりではない。嫌なことから逃げ続けることはできない。
受け止めることを怖がって目を逸らしたらいけない。
しっかり目を開けて、全体をいろんな角度からよく見ること」
結婚に向けられた言葉であると同時に、人生そのものに通じる普遍的な知恵だ。
二人はこの言葉をどう受け取ったのか──読者である私たちは、どう受け取るべきなのか。
終わりに──さわやかな希望の物語
『月のぶどう』は、さわやかな読後感を与えてくれる作品だった。
それは単なる「ハッピーエンド」だからではない。
登場人物たちが逃げずに、向き合い、少しずつ成長していく姿が丁寧に描かれているからこそ、希望が灯るのだ。
華々しい成功物語でも、劇的な逆転劇でもない。
日々の小さな積み重ねの中に、確かな価値を見出していく人々の物語。
「何者にもなれなかった」と感じているすべての人へ。
この作品は、優しく、しかし確かに語りかけてくる。
あなたは今、いるべき場所にいる。
目の前のことに真摯に向き合うことで、あなた自身の価値は育っていくのだ、と。
いつか漫画家になりたいと思いながら、何者にもなれなかった私にとっても、この物語は胸に迫るものがあった。
読み終えて、机の上に開いたままのノートをそっと手に取った。
「何者かにならなければ」と焦るのではなく、今日できる小さなことに静かに手を伸ばしてみようと思えた。 -
Posted by ブクログ
読み終えた今、胸の中に温かいものがじんわりと広がっている。
この物語の舞台は「ほたるいしマジカルランド」という遊園地。
そこで働く人々の日常が、丁寧に、そして愛情深く描かれている。
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◼︎人の心を見通す作家の眼差し
読みながら何度も思った。
寺地はるなさんは、何故こんなにも他人の感情が分かるのだろう、と。
登場人物たちの喜びも、悲しみも、迷いも、葛藤も。
その全てが、まるで自分の心の内を覗かれているかのようにリアルで、切実で、そして優しい。
寺地はるなさんの作品はいつも私に大切なことを教えてくれる。
今回もまた、たくさんの宝物のような言葉に出会うことができた。
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◼︎こんな職場で働きたい
物語の中で特に印象的だったのは、遊園地の社長の言葉だ。
人の数だけ環境も考え方も生き方も事情も違っていて、それを「だから面白い」「いいところを持ち寄って苦手なところはカバーし合って」と言ってくれる。
こんな社長の元で働きたい、と心から思った。
違いを排除するのではなく、違いを面白がる。
弱さを責めるのではなく、支え合う。
そんな当たり前のようで、実はとても難しいことを、この社長は自然体で実践している。
理想論ではなく、日々の現場で、地に足をつけて。
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◼︎生きることの本質を問いかける言葉たち
この作品には、生きていく上で大切な言葉が、それこそ宝石のように散りばめられている。
「生きることって結局どういうこと?」という問いが軸になっている。
「何の努力もせずになにかにただぼんやりと憧れているだけの者は、どこにも行けない」
この厳しくも真実の言葉が、まっすぐ心に刺さった。
かつて自分がなりたいと思っていた職業に就くために何の努力もしてこなかったことが、今もずっと棘のように引っかかっている。
「今日もこうして生きていることに深く感謝をして、明日もつつましく勤勉に生きていかねばならない」
日々を大切に生きることの尊さに触れ、今日も明日も誠実に生きていこう。
そう思うと、すっと背筋が伸びた。
「他人に認めてもらえるのを待つのではなく自分で自分を肯定すること」
「他人からの評価や肯定をあてにすれば、どこかで行き詰まる」
自分を自分で認めてあげることの大切さを、改めて気づかせてくれた。
これらの言葉は、説教臭くなく、押し付けがましくなく、ただ静かに、しかし確かに心に届く。
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◼︎目の前のことをやる、ということ
特に心に残ったのは「どんなに『クソ』な人生でも、今日や明日を投げ出す理由にはならない。目の前のことをやるしかない、そうすることでしか自信はつかない」という言葉だった。
人生に行き詰まったとき、私たちはつい大きな答えや劇的な変化を求めてしまう。
でも実際には、目の前のことを一つずつやっていくことでしか、道は開けていかない。
「目の前のことをやる、そうすれば自然と身につくことがある。身についたことに見合うだけの道が開けていく」
その事実が静かに胸に落ちてくる。
そして、「生きていること。生を全うすること。それこそがすべての人のもっとも重要な仕事である」という言葉。
生きること自体が仕事なのだ、と。
何か特別なことを成し遂げなくても、ただ生きていることに価値がある。
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◼︎幸せは自分で作るもの
「自分を幸せにできるのは自分だけだ」という言葉も印象的だった。
誰かに幸せにしてもらおうと待っていても、幸せは訪れない。
幸せは、自分で選び取り、作り上げていくものなのだ。
そして「責任を果たせるかどうかということより、誰と生きていきたいかが大切だ」という言葉。
人生の選択において本当に大切なのは何か。
それは能力や責任ではなく、誰と共に時間を過ごしたいかという、極めてシンプルな問いなのかもしれない。
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◼︎人間関係の機微
「病気は人から余裕を奪う」という、経験した人にしか分からない真実。
「羨望は憎悪と表裏一体になっていて、うっかりそれをひっくり返してしまう瞬間がある」
人間の感情の複雑さへの理解。
「頑張ってるから愚痴も言いたくなる」
当たり前だけど見過ごされがちな事実。
これらの言葉は、人間という存在の弱さや複雑さを、否定するのではなく、そのまま受け止めてくれる。
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◼︎変化すること、選び直すこと
「『あたりまえ』は変わっていく」
「『あたりまえ』を変えようと行動してくれた人がいたであろう」
今の当たり前が、誰かの努力や勇気の結果であることを思い出させてくれる。
「向いていないと思うなら、環境なり手段なりを変えてみたらいい」
一つの場所や方法に固執する必要はないのだと、優しく背中を押してくれる。
「たいていの人生はドラマチックではないが、小さく変化する瞬間はきっといくつもある」
派手な人生でなくても、小さな変化の積み重ねが、人生を作っていく。
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◼︎共に生きるということ
「他人は人生のドラマの登場人物みたいなもので、だから当然、入れ替わりがある」
少し寂しいけれど、確かな真実。
でも同時に「共に生きていくものに重要な意味なんかなくていい、価値なんかなくていい」という言葉が、その寂しさをそっと包み込んでくれる。
一緒にいることに、大げさな理由はいらない。
ただ、一緒にいたいから、一緒にいる。
それだけでいいのだ。
そして「『友だち』という言葉を他人を縛るために使ったらいけない」という戒め。
友情という美しい言葉が、時に人を苦しめる鎖になってしまうことへの警告。
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◼︎生きることについて考えた
『ほたるいしマジカルランド』は、たくさんの大切な言葉が詰まっている本だった。
遊園地という、非日常を提供する場所で働く人々の、とても日常的な物語。
そこに描かれているのは、私たち一人ひとりの「生きること」そのものだった。
派手な展開があるわけでもなく、劇的な事件が起こるわけでもない。
でも、だからこそ、この物語は深く心に響く。
日々を生きていくこと。
人と関わること。
自分を受け入れること。
当たり前だけど難しいことの大切さを、静かに、でも確かに教えてくれる。
読み終えた後、少しだけ前を向いて歩けそうな気がした。
完璧な答えが見つかったわけではない。
でも、目の前のことを一つずつやっていけばいいのだと、そう思えた。
寺地はるなさんの作品に、また出会えてよかった。 -
Posted by ブクログ
ほたるいしマジカルランドという遊園地でのお話。
前回夜が暗いとはかぎらないでも思ったのですが、登場人物がたくさん出てきます。前ほどではないし、そこで働く人達のお話。
名前を覚えるのが苦手なわたしの脳が頑張りました笑
ほたるいしマジカルランドにいけば働いてるんだってリアルに感じられるような背景、人物像がしっかりあって、皆好きで働いてる訳ではない、でもちゃんと責任持って仕事をして生きてる。
ちょっと苦手だなって思う人物もちゃんと背景を知るとそういう部分もあったから、今があるのね。と思ったり。
人を知るためにはどちらからともなく、1歩踏み出してみないと良いも悪いも分かりませんよね。
寺地はるなさんの作品は最初に雨夜の星たちという作品を初めて読んだのですが、そこで、ほたるいしマジカルランドの名前が出てくるんです。
元々気になって早く欲しいと思ってた作品だったのですが、とても素敵でした。
解説の畑野さんのお話が分かりすぎて刺さりすぎて…
これまた難しいですけど幸せって大小人様々ですよね。 -
Posted by ブクログ
「わたしはなんにでもなれる」は前進させるコトバであり、心を引っ張る呪いのコトバでもあった。
寺地はるなさんの紡ぐ物語がわたしはやっぱり好きだなぁと、読み終えてすぐにそう思う。
自分も含めて上手くスマートに生きたいと思いながら、もがいている不器用な登場人物達が、劇的に何かが変わることがなく少しずつ勇気を出して前に進んでいる姿を感じることが出来るから。
この作品は、「発達障害と才能がセットに考えられているのがおかしい」ことにも触れられている。
何かが出来ないから、何かの才能はあるハズだ。物語風にしたらこれは定石であるが、現実的には違う。いや、そうであってはならない。
自分はこの世で自分だけ。
自信を持って胸を張って生きていく勇気をもらえた。