寺地はるなのレビュー一覧
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人間誰しも人には見せないいろんな感情があって、どれを拾い上げるかは自分次第だと思う。
自分の大切にしたいものや人のために持ち出したいもの、誰かのために隠したいもの
すべてが愛おしくて美しい心の動きになる。
他人の感情を100%理解できることはないし、する必要もないと思う
けど、その人がどうしてその感情になったのか
どのような心の動きをしているのか想像して寄り添うことはきっとできる
川の底にある石を覗きに行くことはとても怖くて思わず足を止めてしまうことだし
拾い上げられるか、はたまた流されるか
結果はどうなるかは全くわからない
けど、川に飛び込む勇気と愛情はこの世で1番きれいでかわいらしい、あたたかい感情なのだと思う。
その勇気と愛情を常に持って生きていくことはすごく大変で難しいことだけど、そういう人間になりたいと思うし、自分ならきっとなれると信じている。
優しさに溢れたこの本を、いつまでも心に宿しておきたい。
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物語の中に物語がある感じでした。
途中までは、ん??さっきの登場人物と同じ??
とちょっと混乱しましたが、次のお話に引き込まれて、、、
登場人物の名前をわざとちょっと変えて、物語の中の作家さんの頭をのぞかせてもらった感じ?!
短編集のつながり、、、と捉えればそうもとれるし。
ちょっと混乱もしなくもないですが、私的にはとても楽しめました。
人それぞれ受け止め方は違うなぁ〜。と改めてしみじみ感じさせられました。
側から見たら恵まれたごく一般の家庭で育ったのね。。。
そう、幸せそうな、一般の家庭って何??
ですよね。
そんな身近なことを物語を通して気づかされました。
何気ない、悪気のない一言も他人を傷つけることがあることも。傷つくこともまたあると。 -
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松岡 清澄(まつおか きよすみ)クン(高校一年生)の母 さつ子サンの口癖は「やめとき!」です。清澄クンが何かしようとすると必ず「やめとき!」と声がかかります。 そして、降水確率が50%だと「傘、持っていきなさいよ!」と言います。
何かと先回りして、清澄クンが失敗しないように声を掛けるのです。
人はみな、多かれ少なかれ経験した事(させられた事)によって、その先の行動が変わります。ろくでもない男と結婚したあげくに離婚したとか、性暴力にあったとか、理不尽な性差別を受け続けて育ったとか。。。
二度とツラい思いをしないように用心して自分の行動を制限します。そして人にも(強制めいた)助言をします。「やめとき!」と。
でも、ツラい思いをさせたのは、他者(いわば加害者)であって自分(いわば被害者)ではありません。自分はちっとも悪くありません。
けど、他者を糾弾するのではなく、自分の行動を制御することによって二度目の不幸を避けようとするのです。理不尽です!
この物語は、そういう理不尽に苦しみ闘っている人たち(家族)のお話だと言えるのかもしれません。もちろんお話の中で、気づきと解放が語られていくのですが。。。
さて、家族は、大阪府寝屋川市に住んでいます。なので登場人物たちは大阪弁で話しています。
わたしはふと思いました。これ、東京が舞台だったらお話のイメージはどうだったろう?と。
「あかん、やめとき!」は「だめよ、やめなさい!」になるのでしょうか?
ジェンダーについての考え方は同じでしょうか異なるでしょうか?
刺繍が好きな清澄クンに対する周り人の反応は同じでしょうか異なるでしょうか?
それぞれの登場人物の境遇や経験することは同じでしょうか異なるでしょうか?
さらに、お話の舞台が他の都市だったら?
みなさまは、どう思われるでしょう?
〔作品紹介・あらすじ〕(文庫版)(2023年5月)
【第 9 回河合隼雄物語賞受賞作品】
松岡清澄、高校一年生。一歳の頃に父と母が離婚し、祖母と、市役所勤めの母と、結婚を控えた姉の水青との四人暮らし。
学校で手芸好きをからかわれ、周囲から浮いている清澄は、かわいいものや華やかな場が苦手な姉のため、ウェディングドレスを手作りすると宣言するが――「みなも」
いつまでも父親になれない夫と離婚し、必死に生きてきたけれど、息子の清澄は扱いづらくなるばかり。そんな時、母が教えてくれた、子育てに大切な「失敗する権利」とは――「愛の泉」ほか全六章。
世の中の〈普通〉を踏み越えていく、清々しい家族小説。
【著者略歴】
寺地はるな(てらち・はるな)
1977 年佐賀県生まれ。大阪府在住。会社勤めと主婦業のかたわら小説を書き始め、2014 年『ビオレタ』でポプラ社新人賞を受賞しデビュー。20年咲くやこの花賞を、21年『水を縫う』で第9回河合隼雄物語賞を受賞。『大人は泣かないと思っていた』『ガラスの海を渡る舟』『タイムマシンに乗れないぼくたち』『カレーの時間』『川のほとりに立つ者は』『白ゆき紅ばら』など著書多数。
〔作品紹介・あらすじ〕(単行本)(2020年5月)
松岡清澄、高校一年生。一歳の頃に父と母が離婚し、祖母と、市役所勤めの母と、結婚を控えた姉の水青との四人暮らし。
学校で手芸好きをからかわれ、周囲から浮いている清澄は、かわいいものや華やかな場が苦手な姉のため、ウェディングドレスを手作りすると宣言するが――「みなも」
いつまでも父親になれない夫と離婚し、必死に生きてきたけれど、息子の清澄は扱いづらくなるばかり。そんな時、母が教えてくれた、子育てに大切な「失敗する権利」とは――「愛の泉」ほか全六章。
世の中の〈普通〉を踏み越えていく、清々しい家族小説。
【著者略歴】
寺地はるな(てらち・はるな)
1977年佐賀県生まれ。大阪府在住。会社勤めと主婦業のかたわら小説を書き始め、2014年『ビオレタ』でポプラ社新人賞を受賞しデビュー。『大人は泣かないと思っていた』『正しい愛と理想の息子』『夜が暗いとはかぎらない』『わたしの良い子』『希望のゆくえ』など著書多数。 -
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どこにでもある田舎町、白日町に母親の介護を理由に戻って来た江南とマキオ夫妻。その町は田舎町独特の青年団や婦人部などが存在し、クセのある人々が暮らし、それぞれに今日も老若男女がやかましく、生活していた。
めちゃくちゃ面白かった。クセの強い爺さん、婆さん、おっさん、おばさんばかりで、みんないいキャラしている。
時代遅れの「男だから、女だから」を連発し、女性を見下し、天罰が下る。気分爽快ながら、ちょっとダークな面もあり。
都会育ちの心優しいマキオが潤滑油としていい味を出している。
この町のゴタゴタをもっと読みたい気分になった。
大阪在住の寺地さん。心温まる話もいいけれど、こういったドタバタ劇の方が私は好み。
江南とマキオ夫婦もなかなかいいけど、私は「Bar Waltz 」の美鈴さん推し。
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白日町(しらびまち)を舞台に、個性豊かすぎる人たちの日常を描いた作品
そこには、田舎町の閉塞的な人間関係、女だから男だからというジェンダーの問題があちこちにあふれていて、いろんな人の視点から話が進んでいく。
ミステリな要素に軽快で皮肉なやりとりが交わされ、サクサク読める。
最後までしぶとく生き残ること。
そんなふうに、生きていきたいと思う
読み終えた後、タイトルの意味をしみじみと噛みしめた。
〝白日(しらび)〟町は、〝白日(はくじつ)〟とも読める。この町の歪な要素がいつか日の光にさらされる日が来るのだろうか。
今回の装画が今までと雰囲気が違うなと思っていたけど、読後はとても愛おしくなった。ものすごくぴったり。 -
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「小説は近代で死んだ」と思っている人にすすめたい。
文章のリズムに志賀直哉っぽさを感じるとこがある。無駄なく進みながら、人の内面を説明しすぎず、表情や台詞、振る舞いで見せていく。とくに時田翼の落ち着いた存在感が、逆に周囲の登場人物を鮮やかにしている感じがした。
家族や結婚という枠組みの中に、どこにもきれいに収まりきらない人たちが置かれているところには、夏目漱石の小説のようなものも感じた。男性たちは煮え切らなかったり、古い価値観に引っ張られたりする一方、女性たちは比較的はっきりと自分の意思を示す。その描き方が新鮮だった。玲子の態度にも、翼の振る舞いにも、読んでいてすっきりした。
ただ、読み終えてみると、かなり難しい小説だった。
ツルゲーネフの『初恋』、ゆず、レモン、マドレーヌ、アイス、チョコ。何気なく置かれているものが、離れた場面同士で響き合っているように見える。
特に気になったのが、本を盗んだ翼と、ゆずを盗んだレモンの対比だった。
翼は、読んでもいない『初恋』をなぜか持ち去る。父親の価値観や母親との記憶など、過去からなかなか逃れられない人物にも見える。一方、レモンも過去と無関係ではないけれど、誰かのためにゆずを取り、自分から動くことで新しい人間関係を生み出していく。
単純に「翼は過去、レモンは未来」とまでは言えない。ただ、過去に囚われて立ち止まりがちな翼と、過去を抱えたまま前へ動くレモン、という違いはあるように思った。そしてレモンとの出会いから、翼も少しずつ人に向かって動き始める。
そのとき何度も現れるのが甘いものだった。翼がお菓子を作って振る舞う場面や、アイスやチョコが出てくる場面では、何かが始まり、人間関係が少し動く。言葉で気持ちを説明するだけではなく、食べ物や小さな行動に、人物の内面や関係の変化を背負わせているように感じた。
ゆずやレモン、『初恋』、甘いものがそれぞれ何を意味しているのかは、まだよく分からない。ただ、こうした小道具が何気なく置かれているだけではなく、物語の中で何度も響き合っている感じがする。
「大人」「家族」「夫婦」「男らしさ」「女らしさ」といった言葉から想像するものと、実際の人間は一致しない。そのズレを、人物の配置や振る舞い、小道具の反復で描いたり玲子のようにダイナミックに描いたり本当にのびのび描く。
近代小説にあった家族、結婚、男女、人間関係の窮屈さや分からなさを、現代の人物と軽やかな文章で作り直したような小説だった。
読みやすいのに、実はかなり本格的で重厚。
近代小説を超えた小説だと思う。
一読では分からなかったことが多い。なんでレモンはカタカナなんだろう。外套はゴーゴリだろう。でもなぜか。ゆずは一体なんだったんだろう。
何度も再読するとおもう。 -
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繊細な男の子たちを見守る優しい世界。
第1話 僕と茅島と村中はなんとなくつるんでいる。時枝くんの妹が美少女だから見てきてと頼まれ、時枝くんは裏の家に住んでいるから見にいったら、たまたま見つかって家に連れ込まれた。妹の弓歌さんは顔立ちだけは美人だった。
冬真は他人の作ったものが食べられない。父の愛人が作った菓子を食べさせられてからだ。母の料理と、コンビニやスーパーの惣菜は大丈夫。
次の日時枝くんとお弁当を一緒に食べることになった。弓歌さんは難病らしい。時枝くんは世界中を旅して回ったシェフのレシピ本でお弁当を作っているらしい。いつか世界中を旅したいらしい。
第2話 国際交流プラザに勤めている。元木さんはいつも紗里のお弁当をみて、それだけなの?と聞く。紗里は自分の気に入った体型でいたい。国際交流フェスで世界の民族衣装を着るイベントがあり、時枝絋くんのドレス姿を撮った。彼は友達とSNSに写真を載せられたことに抗議しにきた。本当はSNSに載せていない。従姉妹の美月に盗まれたのだ。
第3話 冬真と時枝くんは今日パウンドケーキを作る。ともに焼き菓子を極めようではないかと言われたのだ。あかりちゃんはお母さんが亡くなってから、夕食も父のお弁当も作っている。時枝くんは病気のお母さんと離れて暮らしている。一緒にいる菜子さんは叔母さんらしい。
第4話 水田さんは500円を消すマジックをみせてくれた。紗里と水田さんは今度ほたるいしマジカルランドに行くことになった。
第5話 時枝くんは進路のことで親に呼ばれて、冬真は同行することになった。直前になって、家を見つけてから時枝くんは行きたくないと言ったが、結局父親にみつかってしまう。
第6話 紗里と冬真は買い物に出かける。冬真に誘われたのだ。紗里は冬真たちが付き合っているのを知っている。東京の大学に行って、同じ学生アパートに住むらしく、お弁当箱を購入したいらしい。 -
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寺地はるなの本を読むのは三冊目。
『川のほとりに立つ者は』もすごくよかったけれど、こちらも私にとって久しぶりのヒット本。あっという間に読めてしまった。
安西の父が最悪すぎて(ちょっと悪者すぎないか、という節もあるけれど)、そんな中で自分の居場所を切り開いていく碧の姿が清々しく、元気づけられる。
こんなふうに安西を愛して、自分自身を頼みに生きていく碧がすごいと思った。こんなふうに逞しくなりたい。
自分も安西みたいに周囲に甘やかされているなあ⋯と胸がチクリとしてしまったところもあった。日々頑張るしかないけれど。
食べる、という基本的なことがこれほど大切に愛おしく描かれている小説もなかなかないと思う。 -
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ネタバレ1988年から5年ごとに章になっている。
始まりは8歳だった羽猫山吹は、終章では38歳になっている。
よく「生きづらさ」というけれど、「生きやすい」人なんているんだろうか。
みんな心の中に犬を飼っている。
人によってその犬はアイドルだったり、現実とは違う架空の親だったり、別の世界の自分だったりするだろうけど、その犬の頭を撫でて、
少しだけ心が和らいで、今夜をやり過ごすことが出来るんじゃないだろうか。。。
弟の青磁は幼い頃に水難事故で亡くなった。
母は青磁の死を認めず、生きてるように振る舞う。青磁がいないから探しに行くと言って出ていったりする。
山吹は青磁のフリをして手紙を書く。「お母さんお元気ですか。こちらは楽しくやっています」叔父に預けられてることにしたのだ。
親でも配偶者でも子供でも、一緒に育ったきょうだいでも、相手が何を思い、何を抱えているかなんてわからない。わかりようがない。
わかった気になって、勝手に解釈して傷つき傷つける。自分の頭の中でしか、人は生きていない。
父は喫茶アーユスの鮎子という愛人がいる。
ある日山吹は、アーユスの隣のいとう塾の庭で遠山かな子に出会った。
高熱が出たほどの幼い恋だった。
遠い。山。彼方。子ども。そう呼ばないと、
遠山かな子と呼ぶことさえ出来ない恋だった。そしていとう塾に通うようになる。
大人になった山吹は、バイト仲間だった頼と
児童養護施設のクリスマスの絵本の読み聞かせに行く。こういう活動をしている人は子供好きなんだろうと思われがちだが、コタニは特別好きではないと言う。
子供が好きだから預かりたい、育てたいというのは傲慢だと言う。ひとりひとり違う人間でお人形ではない。子供が大好きなのでというボランティアは受け入れていないという。
頼は、絵本を読むのが好きなだけで相手は大人でもいいんですけど、と言ったそうだ。
子供たちの様子を見ていた山吹は、なんだ普通の子供だな、と思って、そう思った自分に驚く。
こういうところにいる子供は普通じゃないと
思っていたのだと。かわいそうな子供という枠にはめていたのだと。
それは頼も同じで、せっかく読みに来てやってるのに、と思ってしまっていた。
来てやってる、読んでやってる、かわいそうな子たちに、って。。。。
そういうことに気づくことがいいんだと私は思った。
施設にいた白水亜美は、高校生だった紅が白水隆に頼まれてプレゼントを届けた子だった。
母の雪乃は青磁の死を認識していた。
手紙は山吹が書いてると知っていた。
死んだ人間がまだ生きていると思い込むのは異常か。異常と正常の境目はなにか。大多数の人が当てはまるのが正常ならば、皆がこっち側にきたら正常か。
山吹が青磁のフリをして話しを合わせるのは正常か。正常な山吹が異常な母に施す親切か。同情か。山吹に感謝しないといけないのか。
その嘘つきなところを優しさと呼んで愛してくれる人のところに生まれて、私の知らないところで幸せになってくれたらよかったのに。
この、母の手紙は、胸にせまるものがあった。
ああ、母にとって青磁は架空の犬だ。切ない。
頼のお父さんの言葉は、良かった。
幸せは各自が追求していくもので配偶者にお任せするものではない。絶対に幸せにしますなんて自信満々に言う人は不安だと。
頼ったり頼られたりしながら、よりよい人生を獲得してほしいと。
祖母の死をきっかけに、家族が集まる。
山吹が紅に連絡したのは、葬式に来てほしいではなく、知らせたいから知らせる、ってことだった。自分の気持ちとして。あとは紅が決めればいい。これ、もし私でもそうしてほしいと思った。
わからなくても、愛せなくても、その存在を認めることはできる。
愛せなくてもいいってことは、救いでもある。
世の中の何の役にも立っていない、って人のほうが、むしろたくさんいる。
だからといって、いなくてもいいわけではない。
だいたい、役に立つってなんなのよね。
誰の?悪人の?国の?役ってなに?
自分ならこうする、そんな選択はしない、と
言い切るのは気分がいい。自分はその渦中にいないし、いくらでも冷静な判断ができる。
安全な場所から他人の選択に口出しするのは恥ずべきことだ。
そして、山吹と頼は本物の犬を飼う。
その犬が満足するレベルの世話ができるか、
その犬を幸せにできるか、2人で話し合う。
そうだね、この場合、犬は自力で幸せを獲得できない。人間が一緒に幸せになるんだ。
みんなが、それぞれの場所で、それぞれの心の内で、なんとか生きている。
私は、登場人物の全員が、ただ、ただ、
愛しいと思った。
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いやー!よかった!!
まずタイトルからしていいよね! 絶対読もう、ってタイトルで決めた本は久しぶりだったなぁ。そして大当たり。私の勘、よくやった!
中心人物は、中高年世代。世間一般のイメージする女性よりも、しぶとくてやかましい女性たちだ。田舎町の男たちからは「こわい女」という括りにされる、たくましくて底力のある女性たち。
全体としてのテーマは、ジェンダーだ。女性にあてがわれるイメージからの脱却であったり、色事であったり。弱いとされる女性の本当は強いところに焦点がある。と同時に、男性のジェンダーも扱っているのがよかった。男だから言い出せない、男だからわかってもらえないという厄介さも描いている。
個人的に面白く読めたのは、登場人物たちの日常に、ふとした時に現れるミステリーな話題だ。時々不穏な雰囲気が流れる。そんなちょっとホラーなスパイスが効いているところが、とても面白かった。
そして全体を読み終えてまた読み直したくなる。ミステリアスでスカッとする作品だった。ジェンダーでモヤっている人や、中高年世代におすすめしたい。