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カフェの店長として忙しく働く清瀬は、恋人の松木とすれ違いが続いている。関係がこじれた原因は彼の「隠し事」にあると思っていた。そんなある日、松木が怪我をして意識が戻らないと病院から連絡を受ける。入院中の松木の家を訪れ、彼が隠していたノートを見つけた清瀬は、すれ違いの「本当の理由」を知ることになり――。‶当たり前〟に埋もれた声を丁寧に紡ぎ、他者と交わる痛みとその先の希望を描いた物語。 解説:瀧井朝世
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Posted by ブクログ
表紙に惹かれて買いました!初めての寺地はるなさんの作品でどんなものかなと思って読み進めていくととっても好きな作品でした!読み終わったあと心が温かくなりました。ぜひ読んで欲しい作品です!
他人と接する時に、果たして自分はちゃんと理解や思いやりを持って出来ているのか、この本を読んで自分も『川のほとりに立つ者』なんだと実感させられた。 作中での篠ちゃんの言葉が印象的だった。 「ほんとうの自分とか、そんな確固たるもん、誰も持ってないもん。いい部分と悪い部分がその時のコンディションによっ...続きを読むて濃くなったり薄くなったりするだけで。」 結局、自分の中で変えられない部分は絶対にあるし、変える必要もない部分もきっとある。 だけど、少しでも想像力を持って相手と接することで変わる部分もきっとある。 少しずつトライして、明日がよい日であり続けるよう頑張ろうと思わせてくれる作品。
2025/12/14 寺地はるなさんの小説を今まで読んできて、勝手に思い描いていた優しい感じの物語…という概念をいい意味で覆してくれる一冊だと思います。 物語のスタートは仲の良かった松木と岩井という幼馴染が、殴り合いの喧嘩をして橋の上から転落して意識不明の重体で入院するところからスタートします。 松...続きを読む木の彼女の原田清瀬の視点と、その前を遡る形で松木の視点が相互に描かれて物語が進んでいきます。 当然、何で2人がそんなことになったのかということが読み進めていくうちにわかるのですが、原田清瀬は本当に松木のことを理解して接することができていたのだろうか、ということにだんだんと悩み、本当の彼の姿を理解するチャンスを不意にしていたのではないかと感じていく描写が多く現れます。 ちょっとミステリアスチックな、かつ、人間味ある話が新しい寺地さんワールドだなぁって思いながら読める面白い作品だと思いました。
人は表層的な面だけで理解するのは難しい。 ただ理解する、助けるが上から目線になってもいけない。 それぞれに事情があり知られたくない部分もある。 ただ人との関係を良くするにはまずは理解しようとする姿勢は大事だと思った。
人を理解するのは難しい。自分は相手ではないので表面的にしか物事を言うことはできないし、それが善意ではなく偽善になることもあるから。 だからこそ海の底に沈んだ石を想像することは忘れずに、その時の相手に渡す言葉を選べる人でいたい。 あなたの明日が、よい日でありますように。
読み終わった後、視野が広がるような作品だった。 文章がとても読みやすく、一気読みできた。 私達は自分の知っている範囲でしか世界を見ることができない。だからこそ、それを自覚して相手を理解しようと努力することが大切なのかなぁと思った。 人生のヒントになる様な言葉がたくさんあったので、メモしながら読ん...続きを読むでみた。 また時間をあけて読みたい。
ミステリとして捉えるなら、恋人が歩道橋から転落して意識不明になった謎を探るお話 でも、寺地はるなさんだけあって、人の関係性についての物語の側面が強い --------------- カフェの若き店長・原田清瀬は、ある日、恋人の松木が怪我をして意識が戻らないと病院から連絡を受ける。 松木の部屋を訪...続きを読むれた清瀬は、彼が隠していたノートを見つけたことで、恋人が自分に隠していた秘密を少しずつ知ることに――。 「当たり前」に埋もれた声を丁寧に紡ぎ、他者と交わる痛みとその先の希望を描いた物語。 --------------- カフェの店長を務める29歳の原田清瀬 突然かかってきた電話は病院からで、恋人の松木が怪我をして意識不明だという 清瀬と松木は数ヶ月前にケンカをして以来、疎遠になっていた 目撃者によると、歩道橋で松木が殴っていたというが…… 合鍵で松木の部屋を久しぶりに訪れた清瀬は、3冊のノートを手に取る それは松木とケンカになった原因で、松木からは「話せない」と言われていたが…… 途中で、所謂マイノリティや社会的弱者と言われる人たちの物語と察するけど、そのままありがちな内容ではなかった むしろ、今までそんな物語を摂取してきたので「あー、なるほど、これ系の話ねー」舐めてかかってたら、そんな身だからこそぶん殴られた気がする 普通の人の無自覚な普通の強要なぁ…… 最初は清瀬に反感と同時にある程度の理解を示して読んでいたら 全部読み終わって、自分も清瀬と同じだと自覚させられる ADHD、DV被害者、ディスレクシア、暴力者のレッテル貼りなどが描かれているけど、自分もそんな考えや行動をしていると反省した 清瀬の最初のイメージは同情する面もあるものの、然程良くない バイトの女性店員の品川は、ミスや優先順位の認識のズレが多く、その皺寄せは清瀬にくるため、「使えない」という判断している もし自分が同じ立場でも同じような感情を抱くかもしれない ただ、品川さんの行動から何となく思いつくものはある 物語だから(そもそも、寺地はるなさんだし)というのもあるけど、そんな人なんだろうなぁと最初から思っていたので 後半で判明しても「やはり」としか思わなかった でも、品川さんが申告しなかった理由に関しては、そんな場合もあるのかと思い至る 実際に、私は仕事してても「もしかして、この人はそんな人なのかな?」と思う人はいる だからといって特別な扱いはしない でも、もしその人が申告してたら、それなりの配慮はするかもしれない そう考えると、品川さんが申告しなかった理由も、私や清瀬みたいんな人がいるからなのだなと納得できる まおさんに関しても、最初は物語のテンプレ的な被害者女性と捉えていたけど、後半は抱く感情がまったく変わる でも、「一人で生きて行けているのはただ運がよかっただけ」という主張も響く 自分の「正しさ」と他の人の「正しさ」は違う 私自身は「しゃんとしてない」と思うけど、それでも自分は「ちゃんとしている」と想っている事は他人にも求めているかもしれない 「ちゃんとしている」のは長所であるけれども、他人への狭量という短所でもあるという言葉も響くなー まぁ、中には自分はちゃんとしてて度量が広い人もいるけどね 私はそうではないと自覚した ただ、品川さんも「店長みたいな人」とカテゴライズしている まぁ、虐げられてきた(?)立場だからこその攻撃性なのかもしれないけど、そこはお互い様ではなかろうか 「わかって欲しい」という望みから申告したけど、見当違いの対応らレッテル貼りという過去があったのだろうし 結果として「どうせわかってくれない」「自分も普通になりたい」という思いから申告したくなくなったのだろうか 申告した結果配慮されることなら、申告しなくとも同じように配慮されるべきだろうか? 人によるだろうけど、申告されなくとも自然と配慮できる人と、申告されたら配慮できる人と、申告されて配慮しているつもりでもできていない人と、申告されても配慮しない人、様々なグラデーションがあると思う 私は、多分配慮しているつもりでできていない人だろうな 寛容さが大事だけど、寛容でいられる人は余裕があるからかもしれない コロナ禍の閉塞した社会で、先行きが不安だったら他者への思いやりなんて持てないのも頷ける ただ、清瀬はコロナ禍でなくとも同じような行動をしたと思うけどね 「ほんとうの自分とか、そんな確固たるもん、誰も持ってないもん。いい部分と悪い部分がその時のコンディションによって濃くなったり薄くなったりするだけで」という清瀬の友達の篠ちゃんの言葉 どんな人でもいい部分と悪い部分を持っていて、余裕があるときはいい部分を発揮するけれど、余裕ない時は悪い部分が出てしまうというのはある 「そんな人とは思わなかった」という言葉が使われるときがあるけど その人のそんな面を知らなかっただけで、元々そんな要素を持つ人だっただけなんだよね 今までそんな面を見せないでいてくれていたと解釈する事もできれば、見たくなかったという思うのも受け取り手次第でしょうね いっちゃんの母親の気持ちと行動もわからなくもない 恐らく、悪気はない むしろ、我が子を「それでいい」と肯定しているような気持ちなのだろう いっちゃんの母親は優しい人だし、人を思いやれる人 実際、困っている人を家に住まわせてくれるくらいには でも、それがすべての人にとっていい人の特徴とは限らない 助けを受け取るか受け取らないかは相手次第なところがある でも、助けを求める人もどんな助けが欲しいかをちゃんと主張すべき点もあると思う まぁ、人間は弱っていると思考力を奪われるし、そんな主張もできなくなるのでしょうけど タイトルの意味は、作中に登場する架空の小説の一節 ”川のほとりに立つ者は、水底の石の数を知り得ない” 元々、雑誌に連載していたときは「明日がよい日でありますように」という違うタイトルで 単行本にする際、このタイトルだと明るい話だと思われそうな気がして、作者から「タイトルを変えていいですか」と編集者さんにメールしたらしい 確かに、この物語のタイトルとしては、今作の方がふさわしい気がする
刺さるなぁ、誰しもが持っている他人への想いや自分の罪を言語化されてしまった。本書の言葉を心に沁みさせたら、いつかは自分の想いとして残るだろうか。 「あなたの明日が良い日でありますように」
相手を見る。 するとまず見えるのは、表情や目、仕草、行動。 当たり前だけど、その心の内は見えない。 だから、その人を判断する材料はそれら見える外見のみになる。 それは別におかしいことではないし、たくさんの人と出会いコミュニケーションを図っていかなければいけない大人の現代社会において、ごく普通のことだ...続きを読むと思う。 しかし、その思い込みや偏見によって、認識を歪めてしまうことになることがある。 例えば、その人の行動は心の内を素直に反映したものではなく何らかの要因で屈折してしまったが故かもしれないし、その要因がその人の思う正義だったり、周囲の環境だったり、明らかにその人が原因じゃないことだって多々ある。 だけどこの物語は、「じゃあ普段からの生活で、その人の行動や見た目だけで判断するのではなく、心の内を見ていきましょうね」って話じゃない気がする。 どちらかというと、それに答えなんてなくて、ただそういう屈折があるって理解をしたうえで、あなたはどう行動しますかと問われている気がする。 以下、引用。 『「ほんとうは良い人」とか「ほんとうは悪い奴」みたいな言い方嫌いや。ほんとうの自分とか、そんな確固たるもん誰も持ってないもん。良い部分と悪い部分がその時のコンディションによって濃くなったり薄くなったりするだけで。』 本当にそうで、コンディション次第というのもあるし、好きな人には優しいし、嫌いな人には素っ気ないし、どうでもいい人はとことんどうでもいい。 このどれが本当の自分かなんて、ない。 難しい。難しいんだよ、人間関係。 これがこうだからこう、というのはない。 ちなみにそう考えると、自分はすべての自分像を知っているから自分のことを優しいと思えないのかと思うし、同時に僕のことを優しいと言う人は、僕がその人に優しくしているからで、つまり好きな人なんだろうなと。 言葉が鏡になっている。 でも、そうとも限らないか。とりあえず無害な人を優しいと表現する風潮。便利な言葉ね。 適切に表現するなら、お人好しか。 あと、もうひとつ。 ふと湧き出た疑問。 互いのマイナスを補完しあう関係と空虚を埋め合わせる関係の何が違うのだろうか。 お互いを認め合う関係と承認欲求を満たし合う関係の何が違うのだろうか。 それは自分の矢印がどちらを向いてるかでは、と思う。 あなたのために、あなたのことを考えて"見返りを求めずに"、思い、考えて、口にしたり行動したりすること。 そこに独りよがりはなく、必要以上のことはせずに、適切な距離感で接すること。 自己犠牲ではなく献身。 書いてながら思うけど、死ぬほど難しい。 間違えるので。特に距離感。 それでも人は修正する力を持っているはずで この物語を読みながら、そのことを信じたいと思った。
初めての寺地はるなさん。タイトルと表紙に魅了され手に取った作品。ぜひ友人にも勧めたいと思えた、感情に深みを見出せた一冊です。 どことなく普段感じる心の機微を、分かりやすく、でも押し付けるほどでもなく、ただ淡々と列挙されていく。 人に対して無自覚に評価したり品定めをしたり、自分にはできることあの人...続きを読むにはできないこと、そんな感情や日々の出来事を見事にはめ込んでいて、自分が登場人物となり、頭の中で物語が進んでいく感覚。 「道端に落ちた蝉の死骸を目にとめることなく歩けるほうが、あるいは別段心を動かされぬ人間の方が、人生はたぶんずっと容易い。」 自分の感じたままを取り込み、思ったままを口に出し、やりたいように行動できたら、ストレスなく生きられるのだろうなと、落ち込むたびに思うけれども、自分以外の存在に思いを馳せて、すぐには解決しない問題に対処しながら生きていく方が、きっとずっと自分の為になるし、きっとずっと人生を謳歌できるのだろう。
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