あらすじ
カフェの店長として忙しく働く清瀬は、恋人の松木とすれ違いが続いている。関係がこじれた原因は彼の「隠し事」にあると思っていた。そんなある日、松木が怪我をして意識が戻らないと病院から連絡を受ける。入院中の松木の家を訪れ、彼が隠していたノートを見つけた清瀬は、すれ違いの「本当の理由」を知ることになり――。‶当たり前〟に埋もれた声を丁寧に紡ぎ、他者と交わる痛みとその先の希望を描いた物語。
解説:瀧井朝世
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
表紙に惹かれて買いました!初めての寺地はるなさんの作品でどんなものかなと思って読み進めていくととっても好きな作品でした!読み終わったあと心が温かくなりました。ぜひ読んで欲しい作品です!
Posted by ブクログ
私はおせっかい焼きなので、この本を読めて良かったなと思う。
そして、私は人と話していて、この人はこういう人だなと勝手にレッテルを貼るところがある。品川さんの言葉で、ハッとさせられた。
また、松木の生い立ちについて、すごく共感した。人と比べて、自分は恵まれている。天音さんのように、誰が見ても辛いと思うような経験をしている人じゃないと、弱音を吐くことは甘えみたいな風潮はあるよなと思った。もちろん天音さんの経験が辛くないというわけではないが。
Posted by ブクログ
他人と接する時に、果たして自分はちゃんと理解や思いやりを持って出来ているのか、この本を読んで自分も『川のほとりに立つ者』なんだと実感させられた。
作中での篠ちゃんの言葉が印象的だった。
「ほんとうの自分とか、そんな確固たるもん、誰も持ってないもん。いい部分と悪い部分がその時のコンディションによって濃くなったり薄くなったりするだけで。」
結局、自分の中で変えられない部分は絶対にあるし、変える必要もない部分もきっとある。
だけど、少しでも想像力を持って相手と接することで変わる部分もきっとある。
少しずつトライして、明日がよい日であり続けるよう頑張ろうと思わせてくれる作品。
Posted by ブクログ
2025/12/14
寺地はるなさんの小説を今まで読んできて、勝手に思い描いていた優しい感じの物語…という概念をいい意味で覆してくれる一冊だと思います。
物語のスタートは仲の良かった松木と岩井という幼馴染が、殴り合いの喧嘩をして橋の上から転落して意識不明の重体で入院するところからスタートします。
松木の彼女の原田清瀬の視点と、その前を遡る形で松木の視点が相互に描かれて物語が進んでいきます。
当然、何で2人がそんなことになったのかということが読み進めていくうちにわかるのですが、原田清瀬は本当に松木のことを理解して接することができていたのだろうか、ということにだんだんと悩み、本当の彼の姿を理解するチャンスを不意にしていたのではないかと感じていく描写が多く現れます。
ちょっとミステリアスチックな、かつ、人間味ある話が新しい寺地さんワールドだなぁって思いながら読める面白い作品だと思いました。
Posted by ブクログ
人は表層的な面だけで理解するのは難しい。
ただ理解する、助けるが上から目線になってもいけない。
それぞれに事情があり知られたくない部分もある。
ただ人との関係を良くするにはまずは理解しようとする姿勢は大事だと思った。
Posted by ブクログ
人を理解するのは難しい。自分は相手ではないので表面的にしか物事を言うことはできないし、それが善意ではなく偽善になることもあるから。
だからこそ海の底に沈んだ石を想像することは忘れずに、その時の相手に渡す言葉を選べる人でいたい。
あなたの明日が、よい日でありますように。
Posted by ブクログ
男女のすれ違いの奥にある真実を丁寧に描く物語___
清瀬は松木のことを知ろうとしすぎてしまったが、松木は家族と不仲、いっちゃんは字の練習をしてることを誰にも知られたくなかったし、清瀬も相手に対してそういう背景があるかもしれないと、配慮する必要があった。
清瀬の考え方について、犯罪者のニュースを見てこんなことする人がいるなんて有り得ないだとか、こんな字の汚い人考えられないと言ってしまうのは、「自分はそうではないとして、切り離そうと考えている」という言葉にハッとした。
手を差し伸べて助けようとしても、真っ直ぐに喜んでくれる人だけがいるわけじゃない。天音の「助けられたら感謝しなきゃいけないんですか?」や、「優位に立とうとしている。」には考えさせられるものがあった。
Posted by ブクログ
読み終わった後、視野が広がるような作品だった。
文章がとても読みやすく、一気読みできた。
私達は自分の知っている範囲でしか世界を見ることができない。だからこそ、それを自覚して相手を理解しようと努力することが大切なのかなぁと思った。
人生のヒントになる様な言葉がたくさんあったので、メモしながら読んでみた。
また時間をあけて読みたい。
Posted by ブクログ
偏見は常に誰しものそばにあるし、何かが極端に不得手な人が手を抜いてそうであるとは限らない。そしてそれが分かったからといって必ず理解できるものとも限らない。理解できると思ってはいけないなと思う。だって自分にはそれができてしまうのだから。できる人にできない人の気持ちを理解することはできない。精々できる精一杯が、寄り添うことなんだと思う。無知は罪。でも相手が素直に教えてくれるとも限らない。だから想像する。想像力を持って、仮説を立てて、でも分かった気になってはいけない。
川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知りえない。
Posted by ブクログ
ミステリとして捉えるなら、恋人が歩道橋から転落して意識不明になった謎を探るお話
でも、寺地はるなさんだけあって、人の関係性についての物語の側面が強い
---------------
カフェの若き店長・原田清瀬は、ある日、恋人の松木が怪我をして意識が戻らないと病院から連絡を受ける。
松木の部屋を訪れた清瀬は、彼が隠していたノートを見つけたことで、恋人が自分に隠していた秘密を少しずつ知ることに――。
「当たり前」に埋もれた声を丁寧に紡ぎ、他者と交わる痛みとその先の希望を描いた物語。
---------------
カフェの店長を務める29歳の原田清瀬
突然かかってきた電話は病院からで、恋人の松木が怪我をして意識不明だという
清瀬と松木は数ヶ月前にケンカをして以来、疎遠になっていた
目撃者によると、歩道橋で松木が殴っていたというが……
合鍵で松木の部屋を久しぶりに訪れた清瀬は、3冊のノートを手に取る
それは松木とケンカになった原因で、松木からは「話せない」と言われていたが……
途中で、所謂マイノリティや社会的弱者と言われる人たちの物語と察するけど、そのままありがちな内容ではなかった
むしろ、今までそんな物語を摂取してきたので「あー、なるほど、これ系の話ねー」舐めてかかってたら、そんな身だからこそぶん殴られた気がする
普通の人の無自覚な普通の強要なぁ……
最初は清瀬に反感と同時にある程度の理解を示して読んでいたら
全部読み終わって、自分も清瀬と同じだと自覚させられる
ADHD、DV被害者、ディスレクシア、暴力者のレッテル貼りなどが描かれているけど、自分もそんな考えや行動をしていると反省した
清瀬の最初のイメージは同情する面もあるものの、然程良くない
バイトの女性店員の品川は、ミスや優先順位の認識のズレが多く、その皺寄せは清瀬にくるため、「使えない」という判断している
もし自分が同じ立場でも同じような感情を抱くかもしれない
ただ、品川さんの行動から何となく思いつくものはある
物語だから(そもそも、寺地はるなさんだし)というのもあるけど、そんな人なんだろうなぁと最初から思っていたので
後半で判明しても「やはり」としか思わなかった
でも、品川さんが申告しなかった理由に関しては、そんな場合もあるのかと思い至る
実際に、私は仕事してても「もしかして、この人はそんな人なのかな?」と思う人はいる
だからといって特別な扱いはしない
でも、もしその人が申告してたら、それなりの配慮はするかもしれない
そう考えると、品川さんが申告しなかった理由も、私や清瀬みたいんな人がいるからなのだなと納得できる
まおさんに関しても、最初は物語のテンプレ的な被害者女性と捉えていたけど、後半は抱く感情がまったく変わる
でも、「一人で生きて行けているのはただ運がよかっただけ」という主張も響く
自分の「正しさ」と他の人の「正しさ」は違う
私自身は「しゃんとしてない」と思うけど、それでも自分は「ちゃんとしている」と想っている事は他人にも求めているかもしれない
「ちゃんとしている」のは長所であるけれども、他人への狭量という短所でもあるという言葉も響くなー
まぁ、中には自分はちゃんとしてて度量が広い人もいるけどね
私はそうではないと自覚した
ただ、品川さんも「店長みたいな人」とカテゴライズしている
まぁ、虐げられてきた(?)立場だからこその攻撃性なのかもしれないけど、そこはお互い様ではなかろうか
「わかって欲しい」という望みから申告したけど、見当違いの対応らレッテル貼りという過去があったのだろうし
結果として「どうせわかってくれない」「自分も普通になりたい」という思いから申告したくなくなったのだろうか
申告した結果配慮されることなら、申告しなくとも同じように配慮されるべきだろうか?
人によるだろうけど、申告されなくとも自然と配慮できる人と、申告されたら配慮できる人と、申告されて配慮しているつもりでもできていない人と、申告されても配慮しない人、様々なグラデーションがあると思う
私は、多分配慮しているつもりでできていない人だろうな
寛容さが大事だけど、寛容でいられる人は余裕があるからかもしれない
コロナ禍の閉塞した社会で、先行きが不安だったら他者への思いやりなんて持てないのも頷ける
ただ、清瀬はコロナ禍でなくとも同じような行動をしたと思うけどね
「ほんとうの自分とか、そんな確固たるもん、誰も持ってないもん。いい部分と悪い部分がその時のコンディションによって濃くなったり薄くなったりするだけで」という清瀬の友達の篠ちゃんの言葉
どんな人でもいい部分と悪い部分を持っていて、余裕があるときはいい部分を発揮するけれど、余裕ない時は悪い部分が出てしまうというのはある
「そんな人とは思わなかった」という言葉が使われるときがあるけど
その人のそんな面を知らなかっただけで、元々そんな要素を持つ人だっただけなんだよね
今までそんな面を見せないでいてくれていたと解釈する事もできれば、見たくなかったという思うのも受け取り手次第でしょうね
いっちゃんの母親の気持ちと行動もわからなくもない
恐らく、悪気はない
むしろ、我が子を「それでいい」と肯定しているような気持ちなのだろう
いっちゃんの母親は優しい人だし、人を思いやれる人
実際、困っている人を家に住まわせてくれるくらいには
でも、それがすべての人にとっていい人の特徴とは限らない
助けを受け取るか受け取らないかは相手次第なところがある
でも、助けを求める人もどんな助けが欲しいかをちゃんと主張すべき点もあると思う
まぁ、人間は弱っていると思考力を奪われるし、そんな主張もできなくなるのでしょうけど
タイトルの意味は、作中に登場する架空の小説の一節
”川のほとりに立つ者は、水底の石の数を知り得ない”
元々、雑誌に連載していたときは「明日がよい日でありますように」という違うタイトルで
単行本にする際、このタイトルだと明るい話だと思われそうな気がして、作者から「タイトルを変えていいですか」と編集者さんにメールしたらしい
確かに、この物語のタイトルとしては、今作の方がふさわしい気がする
Posted by ブクログ
あらすじを読んで気になっていた作品だが、朝井リョウさんの『正欲』を読んだ時と近しい心境になった。
身近な人であっても、全てをさらけ出すことは難しい。そうわかっているつもりでも、自分が清瀬の立場なら、絶対同じような思い違いをしてしまう自信がある。
今でこそ様々な障害の存在が周知されてきたが、若者の部類に入るいっちゃんが適切なケアや指導を受けられずに大人になってしまったことがショックだった。母親が障害の可能性を考えておらず、本人の能力や努力不足と認識されてきたことがしんどい。
一番この作品を象徴していると思ったのは、篠ちゃんの「ほんとうの自分とか、そんな確固たるもん、誰も持ってないもん。」という言葉。
コンディション次第でいい部分と悪い部分の濃さが変わるという考え方は、持っていると少し肩の力が抜けるし、救われる。何より、行動で示せば、ほんの僅かでも相手に伝わることがある、といういっちゃんから天音への想いの帰結に繋がっていると感じた。
Posted by ブクログ
刺さるなぁ、誰しもが持っている他人への想いや自分の罪を言語化されてしまった。本書の言葉を心に沁みさせたら、いつかは自分の想いとして残るだろうか。
「あなたの明日が良い日でありますように」
Posted by ブクログ
相手を見る。
するとまず見えるのは、表情や目、仕草、行動。
当たり前だけど、その心の内は見えない。
だから、その人を判断する材料はそれら見える外見のみになる。
それは別におかしいことではないし、たくさんの人と出会いコミュニケーションを図っていかなければいけない大人の現代社会において、ごく普通のことだと思う。
しかし、その思い込みや偏見によって、認識を歪めてしまうことになることがある。
例えば、その人の行動は心の内を素直に反映したものではなく何らかの要因で屈折してしまったが故かもしれないし、その要因がその人の思う正義だったり、周囲の環境だったり、明らかにその人が原因じゃないことだって多々ある。
だけどこの物語は、「じゃあ普段からの生活で、その人の行動や見た目だけで判断するのではなく、心の内を見ていきましょうね」って話じゃない気がする。
どちらかというと、それに答えなんてなくて、ただそういう屈折があるって理解をしたうえで、あなたはどう行動しますかと問われている気がする。
以下、引用。
『「ほんとうは良い人」とか「ほんとうは悪い奴」みたいな言い方嫌いや。ほんとうの自分とか、そんな確固たるもん誰も持ってないもん。良い部分と悪い部分がその時のコンディションによって濃くなったり薄くなったりするだけで。』
本当にそうで、コンディション次第というのもあるし、好きな人には優しいし、嫌いな人には素っ気ないし、どうでもいい人はとことんどうでもいい。
このどれが本当の自分かなんて、ない。
難しい。難しいんだよ、人間関係。
これがこうだからこう、というのはない。
ちなみにそう考えると、自分はすべての自分像を知っているから自分のことを優しいと思えないのかと思うし、同時に僕のことを優しいと言う人は、僕がその人に優しくしているからで、つまり好きな人なんだろうなと。
言葉が鏡になっている。
でも、そうとも限らないか。とりあえず無害な人を優しいと表現する風潮。便利な言葉ね。
適切に表現するなら、お人好しか。
あと、もうひとつ。
ふと湧き出た疑問。
互いのマイナスを補完しあう関係と空虚を埋め合わせる関係の何が違うのだろうか。
お互いを認め合う関係と承認欲求を満たし合う関係の何が違うのだろうか。
それは自分の矢印がどちらを向いてるかでは、と思う。
あなたのために、あなたのことを考えて"見返りを求めずに"、思い、考えて、口にしたり行動したりすること。
そこに独りよがりはなく、必要以上のことはせずに、適切な距離感で接すること。
自己犠牲ではなく献身。
書いてながら思うけど、死ぬほど難しい。
間違えるので。特に距離感。
それでも人は修正する力を持っているはずで
この物語を読みながら、そのことを信じたいと思った。
Posted by ブクログ
何かのおすすめで、感動ものとのことで読みました。悲しい物語ですが、作者の言いたいことがよくわかりました。みんな幸せになって欲しいです。
最後までまおさんのことは、読んでても
天音と読んでいました笑
Posted by ブクログ
初めての寺地はるなさん。タイトルと表紙に魅了され手に取った作品。ぜひ友人にも勧めたいと思えた、感情に深みを見出せた一冊です。
どことなく普段感じる心の機微を、分かりやすく、でも押し付けるほどでもなく、ただ淡々と列挙されていく。
人に対して無自覚に評価したり品定めをしたり、自分にはできることあの人にはできないこと、そんな感情や日々の出来事を見事にはめ込んでいて、自分が登場人物となり、頭の中で物語が進んでいく感覚。
「道端に落ちた蝉の死骸を目にとめることなく歩けるほうが、あるいは別段心を動かされぬ人間の方が、人生はたぶんずっと容易い。」
自分の感じたままを取り込み、思ったままを口に出し、やりたいように行動できたら、ストレスなく生きられるのだろうなと、落ち込むたびに思うけれども、自分以外の存在に思いを馳せて、すぐには解決しない問題に対処しながら生きていく方が、きっとずっと自分の為になるし、きっとずっと人生を謳歌できるのだろう。
Posted by ブクログ
「人のことを分かった気になってはいけない。決めつけてはいけない。」
「誰にでも事情はある。」
それは最近の流行りと言ってもいい切り口であるし、
別段特別な視点ではない。
ただ、忘れてはならないのは、
その「誰にでも」には「自分」も含まれているということだ。
「自分もそうなる可能性がある」
いや、誰かにとっては「すでにそうだった」可能性すらある。
それは例えば『プロミシングヤングウーマン』を見て
「こんな最低な男にはなりたくない」と平気で言えてしまう人のように
「自分だけは例外」と当たり前に思えてしまうことの恐ろしさよ。
そして、もう一つのテーマ、「人間の性格に善も悪もない」
人間の性格というものには、善と悪がグラデーションで存在しており、
そして、時と場合によりその濃淡が変化しているだけなのである。
こちらも、まあ「そんなことは分かっていますよ」的な話ではある。
ただ、やはりこの小説は、そこを描くにあたり
「まお(奇しくも俺と同じ名前)」という、大変魅力的な人物を登場させられている時点で、もう勝ちである。
彼女の内面はほとんど描写されない。
序盤は彼女の性根の悪さを全面に描いている。
「字が下手な樹に文通を申し出る」
「恋人が意識不明なのに笑っている」
「絶妙な嫌味を言う」
「守りたいと思われるような女を演じてきた」
など。
ただ、たった一文挟み込まれていた「泣きながら弁当を食べていた」という描写が強烈に印象に残る。
果たして彼女は本当にただの性悪女だったのか、と。
自身の生い立ちや性格、考え方について言及するときに彼女は決まって笑っていた。
それは決して「性格の悪さ」からくる笑いではなく、
「こんな生き方、考え方、人との接し方しかできない自分への呆れ・絶望・諦め」の表れだったのではないか。
そのことに主人公もラストで気づく。
たとえ「本人の口から出た言葉」であったとしても
それがその人の内面を本当に反映しているかは分からないのである。
それこそ、「川に沈む石」のように、
覗き込んだところで見えないものだらけだ。
人はいとも容易く「信じたいものを信じてしまう」
裏がありそうな女が性格の悪い発言をすれば「やっぱり」と納得してしまう。
その危険なことよ。
最後、
まおにとって、樹は利用するだけの男ではなかったことが示唆される。
だが、ここでもやはり本当のところは分からない。
人の心は誰にもわからない。
助けてあげたいと思っても拒絶されることもある。
でも、願うことだけなら許されるだろうか。
これ、タイトル変えないほうが良かったのでは。
もともとは「明日がよい日でありますように」ってタイトルでやってたのね。
Posted by ブクログ
カフェの若き店長・原田清瀬は、
ある日、恋人の松木が怪我をして意識が戻らないと病院から連絡を受ける。
松木の部屋を訪れた清瀬は、彼が隠していたノートを見つけたことで、
恋人が自分に隠していた秘密を少しずつ知ることに。
乱暴な言い方をすれば、誇大妄想に近い勘違いとすれ違いの話。
正直、登場する人物の大半に感情移入できない。
それはきっと自分の中で勝手に「正解」を決めてしまっているからだ。
その自分の中で勝手に決めた「正解」にどの人物も当てはまらない。
だから、感情移入することができないのであろう。
つまり、それだけ自分が誰かを知らずに傷つけているということだ。
ある一点の見方も角度を変えれば違ったものに見える。
まさにそのことを思い知らされる作品。
無知は一番の罪だとよく言う。
だがそれは、本当に無知だからという理由だけなのだろうか。
この作品に込められた深みが、とことん胸を突き刺してきた。
勧善懲悪を求めている人にはお勧めできない作品かもしれない。
Posted by ブクログ
帯を見て興味を引かれて手に取りましたが、想像とは違った物語が拡がっていました。
私たちは"無知"な事で他者を傷つけたり、あるいは歩み寄ってあげたいという"善意"で相手を理解したつもりになっている事があるのだと改めて感じました。
ひとつの視点から見たことだけを鵜呑みにせず、その時の状況等により人が見せる表情や感情は様々であるし、タイミングによっては自身の介入がより相手を苦しめてしまわぬよう心がけていきたいと思いました。
どうか皆さんにとって明日がよい日でありますように。
Posted by ブクログ
篠ちゃんの読書感想がわかりみしかなかった笑
また、「いい部分と悪い部分がその時のコンディションによって濃くなったり薄くなったりする」という表現が、言い得て妙だと思った。
発達障害とかの人に対する考え方は人それぞれだと思う。寄り添えられるのが理想なんだろうけど、周りの人の精神的な負担については誰が寄り添ってくれるんだろう…。
ただ、「普通」の基準も人それぞれだと認識しておくのは必要かも。忘れがちだけど。
それにしてもマオは無理。人として無理。
樹のディスレクシアの事を知らずに詰った小学校の同級生以上に下衆だと思った。
Posted by ブクログ
この物語には様々な問題を抱える人物がたくさん登場する。
中でも特に印象的だったのは品川さんだ。
始めは品川さんはなんらかの障害を持っているが、それがわからずに大人になった人なのかと思っていたが、実は自分の障害を隠して懸命に働いている人だった。
障害があるとわかると障害を持っている人という括りで見られて自分を見てくれない。
障害に対する配慮が逆に障害を持っている人を苦しめていることもあるのだ。
普通はこうだよね、など何気なく発する言葉、でも普通とは一体何なのか。
自分にとっては普通なことでも他の人にとってはそうではないかもしれない。
自分の価値観を押し付けてきたことはなかったか。
そんな風に色々と考えさせられる物語だった。
Posted by ブクログ
優しくなる一冊
清瀬の松木への不信感が
しかし松木は意識不明の重体に
その原因と真相、そして自分への戒めに
ADHD(注意欠如・多動症) ディスレクシア(読字障害)にも焦点あて、自分の誤った見方もあるのでは思わせる場面も
そして読んでいて、登場人物に裏切られた憤りも感じたが清瀬はそれをも受け留められるように!
「大吉が当たりますように」
Posted by ブクログ
日々生きている中で調子が良い悪いで判断しがちである。また、自分の出来る事は、世の中の人も当然に出来ると思ってる。標準基準を比べるのは自分のレベルだからだ。そんなイイ加減な基準は、自分勝手な基準だと思い知らされた。自分のレベルが何様!もっともっと素晴らしい人も沢山いるのに。人間二人いれば、上と下をつけてしまう、嫌な性格を持った差別的な生き物なんだろう。もっといろいろな角度からの視野を持つ人にならねばならない、と思った。 この本もふっと我にかえらさせる本である。ちょいと心が痛まされ物語でした。
Posted by ブクログ
途中まで、最近流行りの「不幸全部盛り」なのかと疑っていたが、あまり極端なドラマに走らず、恥ずかしさと卑屈さを抱えて最後まで丁寧に描かれていたように思う。「川のほとりに立つ者」に見えない、川底の石。
月並みだが、誰もが痛みを抱えて、そして痛みを抱えているからといってそれは見えたり見せたり隠されたりし、それを知っても知らなくても、果たしてすべてが同情できるものでもなく、正しくないことを言い、正しくなれない。そしてイキがって正しさとは何だ、という問いを立てたとしても、答えはないか、もしくはたくさんある。
Posted by ブクログ
素敵な表紙の印象とは、全く異なる内容のストーリーでした。
寺地さんの作品には珍しくややミステリー要素もあったり、色々な障害や家庭問題の事も描かれています。最後はこういった作品にありがちな終わり方では無かったのも意外でしたが、でも実際はみんながみんな綺麗事で終わらないのが現実だよねと実感させられました。そういう意味では、すごく現実味のあるストーリーでした。
また他人を本当に理解するのって難しいことなんだと、この作品を読んで改めて考えさせられました。
Posted by ブクログ
大切なのは、相手を理解しようとする気持ちと想像力だと改めて感じた作品でした。
しかしそれが、自分の経験や価値観、尺度だけで推し量ろうすると却って相手を尊重できていないという難しさがあるのですが。
川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ないー
人間関係で摩擦が生じたとき、もしかしたら今自分は川のほとりに立つ者なのではないかという心を持っていきたいです。
助けられなかったと思う人がいるとき、救いの手を差し出した気になってもいい結果を生まなかったときには、それでもせめて、あなたの明日が、良い日でありますように。と祈れる人になりたいです。
Posted by ブクログ
刺さるセリフがいくつもあります
偏見や先入観
知らず知らずのうちに自分ももっていました。
定期的に読み返し、自分を省みたいと思いました。
読んで良かったです。