あらすじ
カフェの店長として忙しく働く清瀬は、恋人の松木とすれ違いが続いている。関係がこじれた原因は彼の「隠し事」にあると思っていた。そんなある日、松木が怪我をして意識が戻らないと病院から連絡を受ける。入院中の松木の家を訪れ、彼が隠していたノートを見つけた清瀬は、すれ違いの「本当の理由」を知ることになり――。‶当たり前〟に埋もれた声を丁寧に紡ぎ、他者と交わる痛みとその先の希望を描いた物語。
解説:瀧井朝世
感情タグBEST3
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読み終わった後、視野が広がるような作品だった。
文章がとても読みやすく、一気読みできた。
私達は自分の知っている範囲でしか世界を見ることができない。だからこそ、それを自覚して相手を理解しようと努力することが大切なのかなぁと思った。
人生のヒントになる様な言葉がたくさんあったので、メモしながら読んでみた。
また時間をあけて読みたい。
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偏見は常に誰しものそばにあるし、何かが極端に不得手な人が手を抜いてそうであるとは限らない。そしてそれが分かったからといって必ず理解できるものとも限らない。理解できると思ってはいけないなと思う。だって自分にはそれができてしまうのだから。できる人にできない人の気持ちを理解することはできない。精々できる精一杯が、寄り添うことなんだと思う。無知は罪。でも相手が素直に教えてくれるとも限らない。だから想像する。想像力を持って、仮説を立てて、でも分かった気になってはいけない。
川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知りえない。
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ミステリとして捉えるなら、恋人が歩道橋から転落して意識不明になった謎を探るお話
でも、寺地はるなさんだけあって、人の関係性についての物語の側面が強い
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カフェの若き店長・原田清瀬は、ある日、恋人の松木が怪我をして意識が戻らないと病院から連絡を受ける。
松木の部屋を訪れた清瀬は、彼が隠していたノートを見つけたことで、恋人が自分に隠していた秘密を少しずつ知ることに――。
「当たり前」に埋もれた声を丁寧に紡ぎ、他者と交わる痛みとその先の希望を描いた物語。
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カフェの店長を務める29歳の原田清瀬
突然かかってきた電話は病院からで、恋人の松木が怪我をして意識不明だという
清瀬と松木は数ヶ月前にケンカをして以来、疎遠になっていた
目撃者によると、歩道橋で松木が殴っていたというが……
合鍵で松木の部屋を久しぶりに訪れた清瀬は、3冊のノートを手に取る
それは松木とケンカになった原因で、松木からは「話せない」と言われていたが……
途中で、所謂マイノリティや社会的弱者と言われる人たちの物語と察するけど、そのままありがちな内容ではなかった
むしろ、今までそんな物語を摂取してきたので「あー、なるほど、これ系の話ねー」舐めてかかってたら、そんな身だからこそぶん殴られた気がする
普通の人の無自覚な普通の強要なぁ……
最初は清瀬に反感と同時にある程度の理解を示して読んでいたら
全部読み終わって、自分も清瀬と同じだと自覚させられる
ADHD、DV被害者、ディスレクシア、暴力者のレッテル貼りなどが描かれているけど、自分もそんな考えや行動をしていると反省した
清瀬の最初のイメージは同情する面もあるものの、然程良くない
バイトの女性店員の品川は、ミスや優先順位の認識のズレが多く、その皺寄せは清瀬にくるため、「使えない」という判断している
もし自分が同じ立場でも同じような感情を抱くかもしれない
ただ、品川さんの行動から何となく思いつくものはある
物語だから(そもそも、寺地はるなさんだし)というのもあるけど、そんな人なんだろうなぁと最初から思っていたので
後半で判明しても「やはり」としか思わなかった
でも、品川さんが申告しなかった理由に関しては、そんな場合もあるのかと思い至る
実際に、私は仕事してても「もしかして、この人はそんな人なのかな?」と思う人はいる
だからといって特別な扱いはしない
でも、もしその人が申告してたら、それなりの配慮はするかもしれない
そう考えると、品川さんが申告しなかった理由も、私や清瀬みたいんな人がいるからなのだなと納得できる
まおさんに関しても、最初は物語のテンプレ的な被害者女性と捉えていたけど、後半は抱く感情がまったく変わる
でも、「一人で生きて行けているのはただ運がよかっただけ」という主張も響く
自分の「正しさ」と他の人の「正しさ」は違う
私自身は「しゃんとしてない」と思うけど、それでも自分は「ちゃんとしている」と想っている事は他人にも求めているかもしれない
「ちゃんとしている」のは長所であるけれども、他人への狭量という短所でもあるという言葉も響くなー
まぁ、中には自分はちゃんとしてて度量が広い人もいるけどね
私はそうではないと自覚した
ただ、品川さんも「店長みたいな人」とカテゴライズしている
まぁ、虐げられてきた(?)立場だからこその攻撃性なのかもしれないけど、そこはお互い様ではなかろうか
「わかって欲しい」という望みから申告したけど、見当違いの対応らレッテル貼りという過去があったのだろうし
結果として「どうせわかってくれない」「自分も普通になりたい」という思いから申告したくなくなったのだろうか
申告した結果配慮されることなら、申告しなくとも同じように配慮されるべきだろうか?
人によるだろうけど、申告されなくとも自然と配慮できる人と、申告されたら配慮できる人と、申告されて配慮しているつもりでもできていない人と、申告されても配慮しない人、様々なグラデーションがあると思う
私は、多分配慮しているつもりでできていない人だろうな
寛容さが大事だけど、寛容でいられる人は余裕があるからかもしれない
コロナ禍の閉塞した社会で、先行きが不安だったら他者への思いやりなんて持てないのも頷ける
ただ、清瀬はコロナ禍でなくとも同じような行動をしたと思うけどね
「ほんとうの自分とか、そんな確固たるもん、誰も持ってないもん。いい部分と悪い部分がその時のコンディションによって濃くなったり薄くなったりするだけで」という清瀬の友達の篠ちゃんの言葉
どんな人でもいい部分と悪い部分を持っていて、余裕があるときはいい部分を発揮するけれど、余裕ない時は悪い部分が出てしまうというのはある
「そんな人とは思わなかった」という言葉が使われるときがあるけど
その人のそんな面を知らなかっただけで、元々そんな要素を持つ人だっただけなんだよね
今までそんな面を見せないでいてくれていたと解釈する事もできれば、見たくなかったという思うのも受け取り手次第でしょうね
いっちゃんの母親の気持ちと行動もわからなくもない
恐らく、悪気はない
むしろ、我が子を「それでいい」と肯定しているような気持ちなのだろう
いっちゃんの母親は優しい人だし、人を思いやれる人
実際、困っている人を家に住まわせてくれるくらいには
でも、それがすべての人にとっていい人の特徴とは限らない
助けを受け取るか受け取らないかは相手次第なところがある
でも、助けを求める人もどんな助けが欲しいかをちゃんと主張すべき点もあると思う
まぁ、人間は弱っていると思考力を奪われるし、そんな主張もできなくなるのでしょうけど
タイトルの意味は、作中に登場する架空の小説の一節
”川のほとりに立つ者は、水底の石の数を知り得ない”
元々、雑誌に連載していたときは「明日がよい日でありますように」という違うタイトルで
単行本にする際、このタイトルだと明るい話だと思われそうな気がして、作者から「タイトルを変えていいですか」と編集者さんにメールしたらしい
確かに、この物語のタイトルとしては、今作の方がふさわしい気がする
Posted by ブクログ
あらすじを読んで気になっていた作品だが、朝井リョウさんの『正欲』を読んだ時と近しい心境になった。
身近な人であっても、全てをさらけ出すことは難しい。そうわかっているつもりでも、自分が清瀬の立場なら、絶対同じような思い違いをしてしまう自信がある。
今でこそ様々な障害の存在が周知されてきたが、若者の部類に入るいっちゃんが適切なケアや指導を受けられずに大人になってしまったことがショックだった。母親が障害の可能性を考えておらず、本人の能力や努力不足と認識されてきたことがしんどい。
一番この作品を象徴していると思ったのは、篠ちゃんの「ほんとうの自分とか、そんな確固たるもん、誰も持ってないもん。」という言葉。
コンディション次第でいい部分と悪い部分の濃さが変わるという考え方は、持っていると少し肩の力が抜けるし、救われる。何より、行動で示せば、ほんの僅かでも相手に伝わることがある、といういっちゃんから天音への想いの帰結に繋がっていると感じた。
Posted by ブクログ
刺さるなぁ、誰しもが持っている他人への想いや自分の罪を言語化されてしまった。本書の言葉を心に沁みさせたら、いつかは自分の想いとして残るだろうか。
「あなたの明日が良い日でありますように」
Posted by ブクログ
帯を見て興味を引かれて手に取りましたが、想像とは違った物語が拡がっていました。
私たちは"無知"な事で他者を傷つけたり、あるいは歩み寄ってあげたいという"善意"で相手を理解したつもりになっている事があるのだと改めて感じました。
ひとつの視点から見たことだけを鵜呑みにせず、その時の状況等により人が見せる表情や感情は様々であるし、タイミングによっては自身の介入がより相手を苦しめてしまわぬよう心がけていきたいと思いました。
どうか皆さんにとって明日がよい日でありますように。
Posted by ブクログ
篠ちゃんの読書感想がわかりみしかなかった笑
また、「いい部分と悪い部分がその時のコンディションによって濃くなったり薄くなったりする」という表現が、言い得て妙だと思った。
発達障害とかの人に対する考え方は人それぞれだと思う。寄り添えられるのが理想なんだろうけど、周りの人の精神的な負担については誰が寄り添ってくれるんだろう…。
ただ、「普通」の基準も人それぞれだと認識しておくのは必要かも。忘れがちだけど。
それにしてもマオは無理。人として無理。
樹のディスレクシアの事を知らずに詰った小学校の同級生以上に下衆だと思った。
Posted by ブクログ
この物語には様々な問題を抱える人物がたくさん登場する。
中でも特に印象的だったのは品川さんだ。
始めは品川さんはなんらかの障害を持っているが、それがわからずに大人になった人なのかと思っていたが、実は自分の障害を隠して懸命に働いている人だった。
障害があるとわかると障害を持っている人という括りで見られて自分を見てくれない。
障害に対する配慮が逆に障害を持っている人を苦しめていることもあるのだ。
普通はこうだよね、など何気なく発する言葉、でも普通とは一体何なのか。
自分にとっては普通なことでも他の人にとってはそうではないかもしれない。
自分の価値観を押し付けてきたことはなかったか。
そんな風に色々と考えさせられる物語だった。
Posted by ブクログ
優しくなる一冊
清瀬の松木への不信感が
しかし松木は意識不明の重体に
その原因と真相、そして自分への戒めに
ADHD(注意欠如・多動症) ディスレクシア(読字障害)にも焦点あて、自分の誤った見方もあるのでは思わせる場面も
そして読んでいて、登場人物に裏切られた憤りも感じたが清瀬はそれをも受け留められるように!
「大吉が当たりますように」
Posted by ブクログ
日々生きている中で調子が良い悪いで判断しがちである。また、自分の出来る事は、世の中の人も当然に出来ると思ってる。標準基準を比べるのは自分のレベルだからだ。そんなイイ加減な基準は、自分勝手な基準だと思い知らされた。自分のレベルが何様!もっともっと素晴らしい人も沢山いるのに。人間二人いれば、上と下をつけてしまう、嫌な性格を持った差別的な生き物なんだろう。もっといろいろな角度からの視野を持つ人にならねばならない、と思った。 この本もふっと我にかえらさせる本である。ちょいと心が痛まされ物語でした。
Posted by ブクログ
途中まで、最近流行りの「不幸全部盛り」なのかと疑っていたが、あまり極端なドラマに走らず、恥ずかしさと卑屈さを抱えて最後まで丁寧に描かれていたように思う。「川のほとりに立つ者」に見えない、川底の石。
月並みだが、誰もが痛みを抱えて、そして痛みを抱えているからといってそれは見えたり見せたり隠されたりし、それを知っても知らなくても、果たしてすべてが同情できるものでもなく、正しくないことを言い、正しくなれない。そしてイキがって正しさとは何だ、という問いを立てたとしても、答えはないか、もしくはたくさんある。
Posted by ブクログ
大切なのは、相手を理解しようとする気持ちと想像力だと改めて感じた作品でした。
しかしそれが、自分の経験や価値観、尺度だけで推し量ろうすると却って相手を尊重できていないという難しさがあるのですが。
川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ないー
人間関係で摩擦が生じたとき、もしかしたら今自分は川のほとりに立つ者なのではないかという心を持っていきたいです。
助けられなかったと思う人がいるとき、救いの手を差し出した気になってもいい結果を生まなかったときには、それでもせめて、あなたの明日が、良い日でありますように。と祈れる人になりたいです。
Posted by ブクログ
刺さるセリフがいくつもあります
偏見や先入観
知らず知らずのうちに自分ももっていました。
定期的に読み返し、自分を省みたいと思いました。
読んで良かったです。