あらすじ
いつか田舎の村を出て上京し、自分の人生を切り拓くことを夢見る天。天の幼馴染で、彼女に特別な感情を抱く藤生。その藤生を見つめ続ける、東京出身で人気者のミナ。佐賀の村で同級生だった3人は、中学卒業前、大人になったそれぞれに充てた手紙を書いて封をした。時は流れ、福岡でひとりで暮らす30歳の天のもとに、東京で結婚したミナから、あの時の手紙を開けて読もうと連絡が来て――。他者と自分を比べて揺れる心と、誰しもの人生に宿るきらめきを描いた、新しい一歩のための物語。
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Posted by ブクログ
舞台は、佐賀県。私も佐賀県出身です。たしかに若い頃は自分があーだったら、こーだったらばかりでした。カラオケの最低限の合いの手も打てない、人並みに走れない、キリがありませんでした。しかし、今はこの年でも救急当直をこなせる体力、健康に感謝してます。寿命は縮んでるなら不健康かもしれませんが。
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「わたしが他の誰かになれないように、他の誰かもまたわたしにはなれない。残念だが、わたしはわたしを引き受けて生きていくしかなさそうだ」
友達をうらやんでばかりいた若い頃の、劣等感とか自意識過剰ぶりを思い出しほろ苦い。年齢を重ね、自分が見たい面だけでなく、多角的に相手を見ることができるようになるにつれてこの境地に至る。うらやましさを感じるのはきっと、様々な面があって輝く一面、様々な面によって生み出される一面。そこだけちょい、と、つまみとれるものではないのだ。
お互いがお互いに何かしら屈折した思いを抱いていた10代の頃を過ぎ、30代になった天、藤生、ミナ。自分と言うものを受け入れて、これから3人の関係はどうなってゆくのだろう。
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物語全体に、どんよりと暗く重たい空気感が漂う。それでも何か光はあるのか、次はどうなるのかと、どんどん読み進められた。登場人物それぞれの心情が丁寧に描かれていて、感情移入しやすかった。他人の評価や価値観と、自分の価値観は当たり前に違っていて、その違いを認識しながらも、不器用にしか生きられない主人公たちを見ていると、人生ってなかなか上手くいかないことも多いよなぁと感じた。もう少し自分に優しく、過去も許しながら、心の隙を作って穏やかに生きることができたら、また違った未来も描けるのかなぁと考えさせられた。
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読み始めた時は、なんだかよく分からない話だなと正直思った。それが読み進めるうちにどんどん引き込まれていった。
私も思春期の頃は都会に憧れて、早く地元を離れたいと思っていた。だから天の気持ちも分かるし、特有のイタさにも共感できる。
「他人の必死さを笑ったり、心配するふりして気持ちよくなったりする側より、笑われる側にいるほうがいい。」
この言葉に背中を押された。
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あの人になれたらとか、ここじゃなければもっといいはずとか。自分にも身に覚えのある気持ちがギュッと詰まっていて刺さるところもあった。藤生はちょっとヤバすぎでしょ。私だったら友達としてもう信じられないかな。
Posted by ブクログ
人間ってやっぱり不思議だなと思う。
それぞれ相手を羨ましく思う部分があるのに、自分の良さには気づけないものなんだな。
相手のことを言葉に出して褒めることもせずに、ひっそりと羨ましいと思っているから、本当の想いが伝わることもなく、すれ違ったりする。
物語の世界だと俯瞰して見ることができるから、なんて歯がゆいんだと思ってしまうけど、こういう「うらやましさ」を言葉にできず、でもなくすこともできずにモヤモヤとしてしまうことってたくさんあるなと思った。
表面的なことはやっぱり表面でしかなくて、人間の多面的な部分が丁寧に描かれていて面白かった。
Posted by ブクログ
学生時代に抱いたことのある"どうしてわたしはあの子じゃないの"のタイトルに惹かれ読み始めたけど、登場人物3人それぞれの葛藤と苦しみの中には、確かにそこに私もいて、この物語に出会って、少しあの頃の私が救われた気持ちになった。
Posted by ブクログ
『言葉はいっぺん相手にぶつけてしまったら、もう取り消すことなんかぜったいできないんだから。他人に向けた言葉が、自分自身にはねかえってきた。』p26
『わたしは彼女たちだったかもしれないし、彼女たちはわたしだったかもしれない。(中略)おしゃれをしていたら、家出をしたら、ひとりで歩いていたら、女の子は身体に触られたり、見たくもないものを見せられたり、殺されたりしてもしかたないんだろうか。』p35
『威張り散らしたり他人の大切なものをバカにしたりするのは、自分の好きなものを追い求めることよりもまっとうなおこないなんだろうか?』p64
『届かなかったもの。もう二度と触れられないもの。ぜったいに帰れない「どこか」。』p218
『神さまは見とらすよ。みんなのことをぜんぶ。でもただ見とらすだけ。そいけん、ずるくてもよかっちゃないとね、天ちゃん』p274
『必死になればなるほど空回りして、焦って、どうしてわたしはあの子じゃないの、なんて妬んでばかりで、そんな自分がいやだったけれども。』
『内側のことは他人の目には見えないし、わたしたちの目はいつだって、見たいものだけを見たいように見る。』p276
とても好きな作品でした。
田舎出身だからなのか、すごく刺さった。
自分も同じようなことを思っていたなあ。
理不尽に歯向かう勇気はなく、違和感を感じながら、心がちくちくしながらそのまま見ないふりをしてた。
でも、自分が自分であるために、家を出るっていうのは必要なことだったなと今思う。正直、馴染みのない土地で、誰も知らないなかで過ごすのはとても自由だった。
狭い世界だとどうしても、『どうしてわたしはあの子じゃないの』と思えてしまうけど、
世界はひろい。宇宙はもっと広い。
わたしはわたしでいいのだ。
Posted by ブクログ
仕事に行っても、友達と遊んでても、自宅にいても、いつも漠然とどこかに帰りたいと願っている。でも、ちゃんと同じ場所に帰ってる。
結局、どこにいたって何をしていたって、自分にしかなれない。悲しい気もするし、安心する気もする。
Posted by ブクログ
あなたは、こんな思いに囚われたことはないでしょうか?
『どうしてわたしはあの子じゃないんだろう、っていつも誰かをうらやましがってた』。
人は自分を誰かと比較しがちです。それは、繊細な感情に満たされた青春時代はより顕著だと思います。『女の人は常に容姿を評価される。十四年の人生で学んだことのひとつだ』というように、そのひとつが容姿だと思います。これは否定できない現実です。
しかし、そんな現実を変えることなどできはしません。人はそれぞれに与えられた前提の下に、それぞれの人生を生きていく他ありません。とは言え、他人を羨む感情の落とし所はそう簡単に見つかるものでもないでしょう。複雑な思いを抱きつつそのまま長い時が経過してしまう、そんなこともあるのかもしれません。
さてここに、『どうしてわたしはあの子じゃないんだろう』と思いを深めた青春時代の先を生きる一人の女性を描く物語があります。『今のわたしには誇れるものがなにひとつない』と三十歳の今を生きる女性の胸の内を見るこの作品。そんな女性が中学時代に抱いていた思いを知るこの作品。そしてそれは、自分と他人を比べるという誰もが抱く感情の正体を見る物語です。
『出てってよ』と『都合二ヶ月、一緒に暮らした』、『知り合った時点で宿なしだった』『男をにらみつけ』るのは主人公の三島天(みしま てん)。『はじめて会った時』、『目指している』のではなく『「小説家になる」と言った』男に『君はかわいいだけじゃなくて、他の女の子にはないなにかがある…』と『およそ文学的でないくどかれかたをした』天は『かくして深い関係にな』りました。しかし、『男はこれまでわたしの書いた小説を一度たりとも読みたがらなかったし、自分の書いたものを読ませてもくれ』ません。『好きな作家は誰?影響を受けた本は?というような話題にもいまいち食いつきが悪い』という男は『働いて』もいません。天が『スミレ製パンの工場に出勤する時も、帰ってきた後も、副業であるウェブライターとして記事を書いている時も、料理をしている時も、ずっとピコピコとスマホでゲームをやっていた』という男は、『この二ヶ月のあいだ、ただの、ただの、ただの一文字も小説を書く姿を見せてくれ』ません。『だからさっき、どうにも我慢できなくて「なんで書かないのよ」と訊』いた天に『文章っていうのは、とつぜん降りてくるものだろ、今はそれを待ってるところなの』と言う男。『出ていって、っていうか出ていけ!』と男の背中を蹴った天。『天ちゃん、悪かった…』と慌てる男を部屋から追い出し『警察呼ぶよ!』と怒鳴った天に、男は姿を消しました。
場面は変わり、『ベルトコンベアの上を流れてくる』『ケーキを台紙の上にのせる』担当をしている天は、『スミレ製パンに勤めて、もう十年以上になります』。『これはわたしのやりたかった仕事じゃない』と思うも、『そんなことは今関係ない』と、ラインに向き合う天。そんな時、『ピピーッとサイレンが鳴』り、休憩時間となりました。『休憩室で、家から持ってきたおにぎりを食べ終え、スマートフォンを取り出』した天は、今日、『選考結果が発表される』予定の『小説ミモザ新人賞』のサイトを開きます。しかし、まだ更新されていないという中、『今週中に書いて送る』仕事を思い出した天はメモ帳を開こうとして、誤って『ニュースアプリ』を開いてしまいます。『九州女子中学生連続誘拐殺人事件 犯人逮捕か』という文字を目にし、仕事の内容が『ぜんぶふっと』びます。『「ひとりで歩いてはいけない」、という通達が学校から出された。十六年前のことだ』と過去を思う天。『千葉で女子小学生を誘拐、監禁し、逮捕された』男が『取り調べの最中に明らかになった』という『十六年前の事件』。そして、午後の仕事も終わり『アパートまで徒歩十六分の道を歩』く天は、再びスマホを見るも、『「ミモザ新人賞」の選考結果』に『「三島天」の名前』はありませんでした。『今のわたしには誇れるものがなにひとつない。だって、わたしが書いた小説は誰からも求められていない』と思う天は『選考に残った人々の名前を思い出』します。『わたしと彼らでは、なにが違うんだろう。この人たちにあって、わたしにないもの。それはいったい、なんなんだろう』と思う天。高校の卒業式を終え、『その翌々日に家出をし』東京に出てきた天。そんな天のスマホが鳴ります。それは、『十四年以上顔を合わせていない』中学時代の友人のミナでした。『このあいだのブックレビュー、読んだよ』、『ああ、ありがとう』と会話をはじめた二人。『あのね、復活するんだって。浮立(ふりゅう)』、『肘差浮立(ひじさしふりゅう)』というミナに『え?』、『だって、衣装とか面とかぜんぶ燃えたんじゃなかった?』と驚く天。そんな天は『育った村で毎年行われていた』ものの『十六年前のある事件をきっかけに、廃絶された』故郷の『神事芸能』に思いを馳せます。『それをわたしに教えるために電話をくれたのかな?』と訊く天に、『あ、違うの違うの。荷物を整理してたらね、手紙が出てきて』と語り出したミナは、『卒業式のすこし前に書いたでしょ。三人で』、『わたしと天と、藤生の三人で』と続けます。『二十歳になった、ミナと藤生への…』、『ミナは藤生とわたしへ、藤生はわたしとミナへ、それぞれ書いて封をした』という手紙のことを思い出した天。そんな天に『これ送りたいから、住所教えて?』と言うミナに『え、読むの?』、『今になって読むほどのものではないっていうかさ…』と後ろ向きな天に『なんでそんなこと言うの?』と返すミナ。そんなミナが『この場で開封してしまうかもしれない』と焦る天は『わかった、じゃあさ、みんなで会って読まない?「せーの」で開けて読むの』と提案します。そんな天に『来月の浮立の時に、みんなで会おうよ。肘差で』と提案するミナ。天は『二度と帰ってくるな』と父親から言われている故郷に足を踏み入れることを思います。『時間稼ぎだと、自覚している。今すぐに読まれるよりはまだましだから。でも、きっとミナにあれを読ませるべきじゃない』と混乱する天。そんな天の過去と今を繋ぐ物語が描かれていきます。
“閉塞的な村から逃げだし、身寄りのない街で一人小説を書き続ける三島天は、ある日中学時代の友人のミナから連絡をもらう。中学の頃に書いた、大人になったお互いに向けての「手紙」を見つけたから、30才になった今開封しようというのだ ー。他人との間で揺れる心と、誰しもの人生に宿るきらめきを描く、感動の成長物語”と内容紹介にうたわれるこの作品。そんな作品の帯には”もう人と比較しなくていい。そのままの貴方が一番素敵”という言葉が記されています。作者の寺地さんは主人公の”成長物語”を多々テーマにされていらっしゃる方です。この作品では、そんな”成長物語”を他人との比較という視点で描いていくことがわかります。
では、そんなこの作品を見ていきたいと思いますが、特徴的な構成から見てみましょう。それこそが二つの時代を四人の登場人物視点で描いていくというものです。これは目次がわかりやすいと思いますので引用してみます。
・〈第一話 どうしてわたしはあの子じゃないの〉
→ 2019年、天視点
・〈第二話 神さまが見ている〉
→ 2003年、天視点
・〈第三話 神さまおねがい〉
→ 2003年、ミナ視点
・〈第四話 きらめく星をあげる〉
→ 2003年、藤生視点
・〈第五話 君はなんにも悪くない〉
→ 2019年、ミナ視点
・〈第六話 どこかに帰りたい〉
→ 2019年、五十嵐視点
・〈第七話 いくつもの星をありがとう〉
→ 2019年、藤生視点
・〈第八話 誰ひとりわたしになれない〉
→ 2019年、天視点
この作品は8つの短編が連作短編を構成していますが、舞台は天が2019年=30歳、2003年=14歳という二つの時代、そして天、ミナ、藤生、そして五十嵐という四人の登場人物視点で描かれていきます。最初と最後を含めうち3つの短編が天視点が登場することからも全編通しての主人公は天ということになるかと思います。この作品の書名に繋がる思いを抱くのも天です。しかし、物語は天と二つの時代に関わり合う他の3人の登場人物にも視点を移すからこそ見えてくるものがあります。このあたりの構成もとても見事だと思います。
そんな物語には全編を通して繰り返し綴られる一つのイベントがあります。それが、主人公の天が生まれ育った村で行われる『神事芸能』です。
● 『肘差天衝舞浮立(ひじさしてんつくまいふりゅう)』って何?
・浮立とは、佐賀県全域に分布する民俗芸能のようなもの
・県内に分布しているといっても、その内容はまったく同じではない。それぞれの地域で独自の発展を遂げ、受け継がれている
・毎年九月に、五穀豊穣・無病息災を願って、肘差神社に奉納される
・天衝舞浮立の主役は、「天衝」という冠をかぶった舞人
→ 天衝舞は基本的に子どもが踊る決まりになっとる
・「天衝」は縦横一メートル以上ある巨大なもので、舞人は前後左右に頭を激しく動かすハードな振りつけをこなす。三日月のかたちをしていて、中心に描かれた円は、太陽をあらわしている
・天衝舞浮立は、朝八時の肘差神社でのご祈禱からはじまる。ご祈禱は村の男だけでおこなう。道中では女に会ってはいけないという決まりになっている。だから村の女たちは外に出ないように気をつける
といったところでしょうか?主人公の天は『どうやって浮立の練習から逃げよう』という中に、否が応でも参加させられる姿が描かれていきます。この作品で描かれる『浮立』は佐賀県ではとても有名な『神事芸能』のようですが、有名無名関わらず子供の頃というのは、妙に周囲に反発心を抱きがちです。私も子供の頃に育ったコミュニティで行われる祭に参加したことがあります。正直なところそれは、この作品の天と同じ気持ちで嫌々感が圧倒的に勝っていました。大人になってどうしてそんなに嫌がっていたのかと思うこともあります。この作品では後半に大人になった天がそんな『神事芸能』を見る姿が描かれていますが、そこにどんな思いが去来するのか?この作品の中で強いインパクトをもって語られていくものであるからこそ、これから読まれる方にはこの点にも是非注意して読んでいただければと思います。
そんなこの作品には、天の他に上記した三人の人物が短編ごとに視点の主となりつつ登場します。
・三島天: 14歳→30歳、14歳の頃には小説を書き始めるも両親からは否定されている。高校卒業の翌々日に家出し、東京でケーキ工場で働きながら副業としてウェブライターをし、小説家を目指している。
・小湊雛子: 14歳→30歳、父親の兄が急死したことで膝差ち移住、地主の家系で祖父は村会議員、一方で父親は浮気をしている。『ほんとうにかわいくて、みんなに好かれていた。男子からの告白を受けたことも一度や二度どころではない』
・吉塚藤生: 14歳→30歳、母子家庭で母親は『喫茶かなりや』を経営。きれいな顔をしている。アイドルの誰それに似ている、なんて言う人もいる。学校内外の女子から「つきあってください」と言われる。
・五十嵐: 26歳→42歳、自給自足の生活がしたいと肘差に移住
五十嵐だけは元々大人であり、他の3人とは異なる位置付けですが、物語の展開上必要な役所です。一方で短編の数は8つです。天が3度視点の主を務め、雛子と藤生が2度ずつ、そのため五十嵐は42歳となった2019年の物語でしか視点は移動しません。しかし、幼馴染3人だけでなく五十嵐を含めることが物語にアクセントをつけていきます。
そんな物語は、『閉鎖的な村社会』に生まれ育った中に、小説家を夢見るも、特に父親からは生意気と見られる天の今と過去をまず描いていきます。『いつかわたしはきっと、その先の、そのまた先の、ここではない場所に行く』という思いを具体化し『高校卒業したら、ぜったいここから出ていく』という思いを強めていく天。それは、『「世間体」とか「常識」』に対する強い反発でもありました。そんな天の幼馴染として故郷の肘差でともに中学時代を過ごしたのがミナと藤生です。上記した通り、ヒナは『ほんとうにかわいく』、一方の藤生も『きれいな顔をしている』と容姿に恵まれ、それぞれ異性から注目される立場でした。そして、ミナは藤生のことが好きであり、藤生もミナのことが好きであることが匂わされるも関係性が発展することない中学時代が描かれています。一方で、彼らの中学時代に、ある事件が起こったことが大きく匂わされてもいます。物語では、そんな三人が『二十歳の自分へ』と記しあった手紙を一緒に読むために再会を果たすことになったことで動きはじめます。三人のそれぞれが他の二人に向けて記した手紙にはどんなことが記されているのか、十六年前のあの時代に、それぞれがお互い相手をどのように思い、どのように見ていたのか、物語はそんなXデーの瞬間を目指して揺れ動くそれぞれの心の内を描いていきます。
『どうしてわたしはあの子じゃないんだろう、っていつも誰かをうらやましがってた』。
あの時代を振り返る天は、過去の自分自身の思いをそんな風に表現します。人は誰でもこのように他人を羨む思いに囚われることがあると思います。子供の頃は特にそんな思いは強いのだと思います。主人公の天はそんな思いを確かに抱いていたことを振り返ります。一方で、そんな天はこんな思いにも囚われています。
『たまに考える。自分が「選ばなかった人生」というものについて。選べなかった人生、かもしれない。後悔しているわけではなく、ただどうであっただろう、と考える癖がついている』。
この言葉もとても重いものだと思います。人は人生を生きる中で日々その先を生きていくための選択を繰り返します。私たちはその先の選んだ人生を生きています。そんな中で、自分が『選ばなかった人生』があることが分かります。さらには、『選べなかった人生』というものまで考えると複雑な感情にも包まれます。もちろん、それらは可能性であり、そんな人生が本当にあったかどうかは分かりません。しかし、今の人生にふと疑問を抱く時、そんなもう一つの可能性を思い見ることは間違いなくあると思います。物語では、16年ぶりに過去に同じ時代を過ごした面々と再会する天が、そのことをきっかけに人生をさまざまに振り返り思いを深めていく姿が描かれていきます。
『わたしが他の誰かになれないように、他の誰かもまたわたしにはなれない』。
そんな風に思い至る主人公の天。「どうしてわたしはあの子じゃないの」と読者に問いかける書名を冠したこの作品。そこには、モヤモヤとした思いに囚われ続けてきた天の人生の一つの区切りを見る物語が描かれていました。
『どうしてわたしは、あなたじゃないの』。
そんな思いに囚われる中に中学時代の日々を生きていた主人公の天。そんな天が16年の時を経て自らの過去の思いに一つの区切りをつける物語が描かれていました。佐賀県に伝わる『天衝舞浮立』という『神事芸能』が印象深く描かれるこの作品。視点の絶妙な移動によって、登場人物それぞれの心の内が鮮やかに浮かび上がるこの作品。
他人を羨むという誰にでもある感情を鮮やかに描き出す寺地さんらしい作品でした。
Posted by ブクログ
自分として生きる苦しみや楽しみを教えてくれるような一冊でした。田舎特有の息のしづらさや、30代を迎えるまでに誰もが経験するであろう感情の揺れが丁寧に表現されていて、毒にも薬にもなるような不思議な本だと思いました。自分が自分であることに苦しみながら、どうにかこうにかみんな大人をやっているだけなのかもしれないと感じました。
Posted by ブクログ
これはタイトルが好きすぎて。
誰でもこの気持ちになったことがあるんじゃないかな。
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羨み、傷つき
心揺れる10代。
そして年月を経て踏み出す
大人たちの新たな一歩。
万人向けに量産された
「大丈夫」ではなく、
自分の人生にとって必要な
「大丈夫」を与えてくれる――
(伊藤朱里)
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中学の同級生、天、ミナ、藤生。
天は家庭に違和感を覚え、閉塞感のある田舎から脱出したい。
ミナは、藤生のことが好きだが、藤生の気持ちを知って言えない。
藤生は天が気になって仕方ない、一緒にいたいと思っていたのに。
それぞれの矢印が一方通行。
読んでる私から見れば、
それぞれに魅力的な部分があるのに、
人はないものねだりだよねって。
わかるよ~って。
どうして私はあの子じゃないの、って今まで何度思ったことか。
自分もあの子みたいになりたいと。
あの子になりたかったって。
そういう気持ちになったことがある人には、
たぶんぐっとくるのでは。
あと、最近の私の読書の傾向なのか、
思春期で大人と子供の境目の中学生が、
どうしようもできない家庭事情で、
というパターンがめちゃくちゃ多いです。苦笑
どん詰まりというか、なんというか。
非力だし幼くて環境を選べない変えられないという。
本書では、そんな時代を経て、
中学卒業前にそれぞれに向けて書いた手紙を
30歳になる前に開けて読もうと。
当時の自分との再会、
現在の友人たちとの再会、
そこで知ることになる、それぞれの気持ち。
どんなことがあっても、それでもいいよ、って言ってくれるような。
時間が解決することが全てでもないけど、それでも大きい。
読後は良かったです!
Posted by ブクログ
私は私にしかなれないし、私ではない誰かは私には絶対なれない。ずっと思ってきたことです。
この本を読んだことで、改めてそう思いました。
少しまえの、自分が嫌いで仕方なくて、自身がこの世で一番醜く汚れた存在であると感じていた私に、この本のことを伝えたいです。
自分が嫌いで、誰かを嫉妬して羨んで、「あの子になりたい!」そう思った経験のある方におすすめしたい作品。
Posted by ブクログ
田舎が嫌で仕方がない天、東京からやってきたミナは藤生好き、だけど藤生は天の事が好き。閉鎖的な田舎まちで生きること。そしてそこから出ること。
30歳になった三人はそれぞれに宛てた手紙を読む為に集まる。
Posted by ブクログ
「どうしてわたしはあの子じゃないの」
生きている上でみんな誰しもが一度は抱いたことのある感情
だけど、自分視点で見えているその人は本当はほんの一部しか見えていない
冷静になればわかるのに、それがわからない
小説だけど他人事のように感じられなくて、読み終わった今でも謎にドキドキしている
だけどそんな自分を肯定してくれるような気もしていて、今まで感じたことのない複雑な気持ちに戸惑っている でもそれは嫌な戸惑いではないから、余計にどうすればいいかわからない
初めて寺地さんの本を読みましたが、また他の本を読みたくなりました
Posted by ブクログ
九州の田舎村をいつか出ていくことを夢見る天。
天に特別な感情を抱いている藤生。
そんな藤生に恋心を抱く東京生まれのミナ。
閉鎖的な村で思春期を過ごした3人が、30歳になりふたたび再会する。あのとき、30歳になったそれぞれに宛てて書いた手紙を開封するために。
「どうしてわたしはあの子じゃないの」というタイトルの通り、何者かになりたくてなれなくて、身近な人たちを羨む中学生たち。
でも結局自分は自分にしかなれなくて、ほかの誰も自分にはなれない。
ずるくても悪くても、そうやって生きていくしかない。
〝神さまはちゃんと見とらすよ。俺たちがすることを、ぜんぶ。でもただ見とらすだけ〟
〝というわけで、ずるくてもだいじょうぶ〟
*
ミナのお母さん、絢さんがよかった。
大人だから、『正当な手段』で逃げる。
Posted by ブクログ
自分から見えている自分と、人から見ている自分というのはこんなにも違うものなのだなと感じながら読んだ。
外側からは分からない、本当の気持ちや、それぞれの悩みがあるのだなと思った。
Posted by ブクログ
中学生3人それぞれが抱えている感情の描写が丁寧に描かれている。卒業時に書いた手紙を読もうと16年ぶりに再会。
自分にないものが気になって欲しくて・・・
※言葉にすると胡散臭い感じになるけどお賽銭を奮発するより日常をよりよく生きることこそが祈りだと思う。
Posted by ブクログ
どの年代でも誰かに憧れることはある
はたからでは分からないそれぞれの人の事情があるはずなのに
それでも誰かに憧れる
陰鬱なストーリーで読み終えるのに時間がかかったが
いろいろと考えさせられた
Posted by ブクログ
寺地さんが描く登場人物がすごく好き。
今回は特に言葉や心情が読んでいて刺さった。
天の生き方が正しいとか誰が正解とかなくて
ただ、自分は自分と思たらどんなにいいのだろうと
読み終えた後に改めて感じた。
Posted by ブクログ
学生時代幾度も頭をよぎっていたどうしようもない想いを代弁したタイトルにチリチリと胸を抉られる。答えのない悶々としたその問いを手放すこともできず抱えるしかないのは苦しかったな。
天、ミナ、藤生の三人の青春時代も互いの一方通行の恋や村の閉塞感がそれに重なり生きづらさがダイレクトに伝わってきて落ち着かない。
環境が変わっても、どこにいても三島天は三島天なんだと悟るラストに深い安堵感。天がいる限り、ミナも藤生も自分を見失わずに歩いていける気がする。
Posted by ブクログ
寺地はるなさん、10冊目。
今回の舞台は佐賀県の田舎村。お住いの大阪が舞台になることも多いので珍しいと思ったら、佐賀はご出身地だったみたい。私も九州育ちで関西住まいなので、どちらにせよ馴染みがある場所ではある。
早く田舎の村を出て自分が思う人生を生きたいと思う天、彼女に思いを寄せる幼馴染の藤生、その藤生に好意を抱く東京からの転校生のミナ。閉塞感のある田舎での中学生の3人の生活と心の内が描かれる。
三人それぞれの、「人が思っている自分」と「自分が思う自分」の、二つの異なる自分の間で、他の二人を羨んだり妬んだり憧れたりする心の揺れが描かれる、そのお話はそれなりに面白く読めたのだが、そこから言わんとするところにはあまり刺さるところがなかったのだった。
Posted by ブクログ
寺地はるな作品のどうしようもない閉塞感と苦しさはどこから来ているのだろう…ここでない場所でわたしでない人として生きたい、通じない気持ちが切実で、苦しくなる。天、ミナ、藤生の思いの交差をしっかり感じた。
Posted by ブクログ
中学生の頃なんて、お互いに頭の中で思っていることが的はずれということは、しょっちゅうあったのだろうな。言葉にしていたら違う展開もあったのだろうに。人生って不思議
Posted by ブクログ
≪すぐれた誰かがそばにいると、自信が揺らぐ。他者との比較によって自分の価値は変動する。この比較軸を自分が決めてしまっていることに、なかなか当事者は気付けない≫
比べての自己評価
うーん
若い時は、特に……
≪自分は自分にしかなれない――。「嫉妬心」と向き合う小説≫
語り手が章ごとに代わり、時も変わり
でも、寺地はるなさん、やはり読みやすかった
≪ 巨視的に みることやっと 年を経て ≫
Posted by ブクログ
読んだことない作家で自分に合う人を探していた。
久しぶりにすらすら最後まで読める人に出会った。
ただ、どーんと、ずーんと心に届いたわけではなく。
もう少しこの人の本を色々読んでみようと思った。
Posted by ブクログ
誰もが一度は思うんじゃないかな、、あの子になりたいなー、あんな風に生きられたらなー。
正面から見える部分だけで判断して勝手に羨ましくなったり嫉妬したりしてる。
みんなそれぞれ悩んだり、苦しんだりしながら落とし所を見つけて生きている。
ミナ、天、藤生、、、田舎特有の閉塞感を感じつつ、それぞれの視点から見た自分、他者が語られていて飽きずに読めました。