島本理生のレビュー一覧
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購入済み
読み返しても面白い
官能小説初めて読みました。
官能的な部分と話の展開としてとても面白く一気に読んでしまいました。
個人としてはとても切ない完結ですが、恋愛と結婚の違いや、二人のすれ違いが妙にリアルで納得させられました。
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Posted by ブクログ
講談社文庫から角川文庫での新装版。
自分の中では、特別な一冊で。
でも、ストーリー的なことを言うとモゴモゴしてしまうというか、要領の得ないものになってしまう。
だから、どうして特別なのかを探しながら何度も読んでいるような気がする。
新装版ということで、案の定買ってしまったのだけど、2018年の島本理生の「あとがき」というオマケ要素があって、なるほどと嬉しくなった。
それがなくても、やっぱり買っていただろうけど。
二つの、色合いの違う恋心。
狂おしく好きだけど、触れることさえ叶わないという拒絶に耐えられなくて、ガリガリと削り取るしかなかった冠くんとの恋。
触れることの中で、水が流れるように当たり前に、空気を吸うように当たり前に、そこにいることで日常になるせっちゃんとの恋。
そんな二つの恋を味わいながら、高校生らしからぬ奔放さと、奔放さから離れた孤高ささえ持ち合わせる主人公が羨ましかったのかもしれない。
17歳で書いたということに、納得する。
稚拙さとかそういうのではなくて、主人公がいる世界を否応なく感じるからだ。
上手く言えないけど、そこは「わたし」がいる世界なのだ。一人であっても、誰かがいても。
でも、悲しいかな、今の自分には「わたし」だけがいる世界を描くことが出来なくなっている。
「わたし」がいなくても、世界は回ることを知ってしまったと言うのだろうか……。
それは、寂しささえ感じさせないことだった。
レビューというより、思い入れになりました。
しかも、分かりにくい思い入れ(笑)
17歳がここに在り続けることに、文学というものに、感謝したい。 -
Posted by ブクログ
作者の作品は、本作で多分キリ良く十冊目を読み終えたと思う。世間では公開された映画「ナラタージュ」が注目されている(監督とかテレビの番宣による印象)。彼女の代表作に数えられる恋愛小説だが、その大体においての作風というのは、登場人物が何を考えているのかイマイチ分からない。何かしら重いもの(過去だったり立場だったり)を抱えており、その衝突や関係性が物語に影響を及ぼしたりするのだが……。
ただ、本作に関しては、その普段の重さを取り払ってコミカルで今までの作品と比べると分かりやすい行動を取る愉快な人物が殆ど。珍しく主人公が男性で、一人称視点で繰り広げられる。そして何より恋愛小説とは一風異なった青春小説として自分は楽しく読むことが出来た。
個人的な好みも兼ねると、今まで読んできた島本作品で、本書の他にも「一千一秒の日々」「週末は彼女たちのもの」は明るく、湿った空気が少ないカラッと、読みやすく楽しく過ごす事が出来た。逆に言えばそういう部類に本作は分けられるため、人によってはいつもと作風が違うと感じると思う。
さて、肝心な内容に触れると、大学生の男女の双子、奔放な姉・華子に振り回され主人公の冬冶は巻き込まれ、そんな日常から関わりを持つ人が増え、一層騒がしくなっていく――。といった具合だろうか、説明だと面白さが伝わらないくらいにキャラクター小説とも言え、内容や盛り上げ方は漫画と似たテイストだと感じる事が何度かあった。特に気に入っている部分は、言葉の選び方、文章の流れが心地良く、時々サクッと鋭く刺さる。意外な場面でそういう例え、そういう独白を持ってくるか、と感じたり、冬冶が余計な一言を口にしそうになって飲み込む辺りはクドくないぐらいで丁度いい。
本文の中で主人公家族四人に対してクローバーと形容する場面があったが、読み終えて少し経ってから思ったのは、主要人物である主人公と姉、熊野氏、雪村さんの四人の姿もまたクローバー(幸福)に見えた。 -
Posted by ブクログ
名所旧跡というものがある。人の口に上るので、自分では特に行ってみたいと思っていなくても、一度くらいは行っておいたほうがよいのではと思ってしまう、そんなようなところだ。古典というのもそれに似たところがあるのかもしれない。学校の歴史の授業で名前だけは聞いていても、『雨月物語』はともかく、色恋や女郎買いを主題とした『好色一代男』や『春色梅児誉美』などは、文章の一部すら目にしたことがない。ましてや山東京伝の名前は知っていても廓通いのガイドブックである『通言総籬』などは作品名さえ教科書や参考書には出てこない。しかし、出てこないから、大事ではないということではない。
「色好み」というのは、日本の文化・伝統というものを考えたとき、まず最初に指を折るべきところ。何しろ『古事記』の国生みからして、その話から始まるのだし、世界に名立たる『源氏物語』は全篇「色好み」の主題で貫かれている。というわけで、十七世紀から十九世紀にかけての日本文学を代表する作品として選ばれているのは、浮世草子、読本、洒落本、人情本というまあ、今でいうエンターテインメントばっかし。面白くないはずがない。そうはいっても、怖いもの見たさで現代語訳を読んでみた『雨月物語』を別として、あとの三作は原文はおろか訳文すら目を通したことがない、という体たらく。
それもそうだ。『平家物語』の書き出しのように人口に膾炙しているわけでなし、『源氏物語』のように、何度も映画化されていて、原作を読まずともある程度のストーリーに通じているといったキャッチーなところが少ないのだから。まあ、世之介という主人公はけっこう有名で市川雷蔵主演の映画でそのキャラクターも知ってはいたが。『源氏物語』五十四帖をパロディにした、こんな愉快な物語だったとは、現代語訳を読むまではとんと知らなかった。
これは、江戸時代前期の日本各地を舞台にした一種のピカレスクロマンではないか。女だけではなく若衆、つまり男も相手にした好きものの男の一代記。日本が諸外国と比べ、性に対してあけすけなのは知っていたが、これほどまでとは知らなんだ。ところかまわず、相手かまわずことに及び、子どもが生まれたら捨て子にし、どれほど一生懸命に口説いた相手でも、時がたてば別の場所、別の女にいれあげる。この世之介という男、とんでもない男である。その一方で、女にまことを尽くし、どこまでも連れ添おうとする律儀なところもある。価値観というものがそんじょそこらの男とはちがっているのだ。
長い戦国時代が終わり、徳川の世になったことで天下泰平の時代の空気のようなものがそうさせるのか、「金もいらなきゃ名誉もいらぬ、わたしゃも少し背が欲しい」というギャグがあったが、世之介が欲するのはただただ色事に尽きる。歌枕を訪ねるように女を求め日本各地を漂泊する前半も読ませるが、親の遺産を蕩尽しようとして果たせぬ後半のアナーキーさがニヒリズムさえ漂わせ凄みをみせるのが、「好色丸」と名付けた船で女護ヶ島目指して旅に出る最後の場面だろう。バイトやヘルプという俗語も自然になじむ島田雅彦の現代語訳は読みやすい。各巻七章で八巻のみ五章の構成。短い章立てがテンポよく、飽きさせない。
中国白話小説を翻案し、日本を舞台にした怪談集の体裁をとる『雨月物語』は、円城塔訳。儒仏道の薀蓄を散りばめた上田秋成の原文を格調を失わない現代文によく移し変えている。「白峰」にはじまる怪異を描いて鬼気迫る迫力を見せるが、軟文学でないという点で他の三作に比べると異色。
いとうせいこう訳による『通言総籬』は訳者も言うように田中康夫の『なんとなく、クリスタル』を髣髴させる当世カタログ風の出来。通人が当時流行っていた遊郭にあがって太夫を呼んで騒ぐ午後から夜明けまでの一部始終を、当時最先端の風俗をこれでもか、というように次々と繰り出してみせる、山東京伝の才気走った一篇。見開きページの右に本編、左に脚注を配した「なんクリ」ならぬ「ツーまが」。いちいち脚注に当たるのは面倒という向きは、本編だけでも読める程度に噛み砕いてくれているので安心。しかし、脚注で事細かに語られている当時の風俗、流行が何より興味深い。ちらちらと目をさまよわせて読むのも一興。
島本理生訳の為永春水は、かなり原作を改変しているようだ。といっても話の内容をではない。語りを、三人称ではなく主要な登場人物の一人称の語りにした点である。そうすることで、視点人物の感情が読者と共有され、まだるっこしいような男女間の情愛や、女同士の義理立て、意地の張り合いが、一気に分かりやすくなった。人情本本来の情調とは若干異なるのかもしれないが、時代小説のノリで読めるのはありがたい。多分、原文だったら最後まで読み通す気にならなかったと思う。
読まないでいてもいっこうに困らない、という点で名所旧跡にも似た四篇だが、まあ、一度読んでみても損はない。それどころか、日本文化が本来持っていた軟らかさ、なまめかしさ、艶っぽさ、仇、粋、といったあれこれが目の前に立ち現れてくるのがなんとも心地よい。極上の酒を、気の利いた肴をあてに口にしているようで、いやあ極楽、極楽。武張った今の世の中が、いかに日本を忘れてしまっているかを思い出させてくれる警世の書というべきか。 -
Posted by ブクログ
ワガママで女子力前回の華子と、その暴君な姉に振り回されて、人生優柔不断ぎみな理系男子の双子の弟冬治。そんな二人と、めげない求婚者熊野と、挙動不審の才女雪村さんの四人で織りなすストーリー。
四人での楽しい日々と、決断のとき。
一千一秒の日々に続き、島本さんの青春ストーリーです。
登場人物の言葉には、みんなそれぞれの思いがあって、どの人の言葉にも心が動かされました。
冬治が雪村さんに対してかわいいと感じた場面がすごく印象に残っています。
「来たかったところに連れてきてもらって、冬治さんも一緒で、そんなの楽しいに決まってるじゃないですか」
こんなの笑顔で言われたら、たまんないよって男の人多いと思うけど、本当に好きな人だったら自然とこういう感情って湧き上がると思います。
計算じゃなくて心からの言葉。
登場人物全員がどこか面倒くさいけど、そこに人間らしさがにじみ出てて、読み終わった後も登場人物のその後が気になります。
最後の冬治の選択について熊野と同じで納得のいかない読者もいるかもしれないけど、冬治らしくていいのかなと。
すごく大人な人には物足りないのかもしれませんが、誰しもこういう時期ってあったと思うし、同世代の私にはすごくピッタリな作品でした。
大学生にはオススメですね。嫌いな人いないと思う。こういう作品。 -
Posted by ブクログ
表紙の写真と『リトル・バイ・リトル』というタイトルからなにか伝わってくる気がした。
主人公の橘ふみは、父親の違う妹の面倒を見る。全く当たり前に。逃げた父や頼りない母に代わり、進学をやめ働くことにも一切ためらいが無い。
今どきでもこんなコが居ると信じたい。疑ったりし斜に構えたりしないでそう信じたい。そう思わせるあまりにも滑らかなサラリとした書き方だ。野間文芸新人賞を獲った作品だというのもうなずける。
『涙そうそう』のDVDをほぼ同時に見たが、こちらも全く血のつなっがっていない「妹」を兄は徹底的に面倒見る、終いには働きすぎで死んでしまうほど。
やはり、こんな若者が居るだろうかなんていいたくは無い。現代でもきっと居るに違いないと信じたい。ヒット作となったのは、信じたいという願望が私だけのものではないからろう。
私は120人のお年寄りのお世話をしている。と、言ったら言い過ぎである。実際はスッタッフのケアマネジャー4人が担当してくれている。でも責任者の私は、あくまで建前だけれども全部のお年寄りの家族構成からなにから全部把握していることになっている。
殆んど全部のお年寄りの「子」は「団塊」の世代だ。この団塊の世代たち、120家族のうち半分は親の介護から「逃げ」ている。自ら手を煩わすことはもちろんのこと、親のことを考えたり、判断したりすることからさえ逃げている。兄弟どうして押し付けあっている。本当に見苦しい。逃げている団塊世代の尻拭いが私の仕事だと言っても言い過ぎじゃない。情けない話ですが。
「親の居ない子供」、「定職につかずアルバイトなんかしてるコ」、「きちんとした大学を出ていない」、「大きな会社に勤めていない」、「パラサイトシングル」などの数々の偏見を世に定着させたのも彼ら「団塊」世代だともいえる。
自分達は戦後から高度成長にかけて「親に面倒」をかけて大学まで出してもらって、大人になってからは「親の面倒」からは逃避した世代だ。そして会社の中ではほぼ例外なく学歴と会社とにパラサイトしている。手厳しすぎる見方かもしれないが、あまりにも多くの実例を私は見てきた。
橘ふみや『涙そうそう』の兄ぃ兄ぃは、団塊世代が生み出した偏見のフィルターにかければ、「真っ当じゃない子」にほかならない。
だけど、これほど真っ当な子たちが他にいるか。これほど健気な若者がいるだろうか。恥ずかしくないのか、団塊たち!そう言いたくなってしまう。作品の中でもこの子たちの親はやはり大人であるくせに、例外なく無責任か頼りないかのどちらかだ。
橘ふみと彼氏はおそらくお互い初めて同士の彼と彼女だ。二度も二人っきりになるのだけれど、毎回何もしないで寝入ってしまう。それほのこの子たちは疲れている。
兄ぃ兄ぃは、全く疲れ知らずで挫折にもめげず猛烈に稼ぐ。最後の最後まで妹には辛さを隠して。だが最後には。
本当に健気で真っ当な若者達である。
こんな子たちが物語の中だけではなくて現実にも居てほしいものだ。思わずそう願ってしまう。
ある方のレビューが気になって、読んでみる気になった一冊でした。