原文の一部が載ってるくらいので読みたいと思ったけれど、完全現代語訳。だけど、それぞれ訳された作家さんたちのセンスがキラリと光り、江戸文学のエッセンスがギュッと詰め込まれた、お値打ち品の一冊。
好色一代男
原作: 井原西鶴/ 現代語訳 島田雅彦
七才の時、夜中に子守に連れられてトイレに行った時、足元が危なくないように蝋燭を持って付いていてくれた子守のお姉さんに「その火を消して、そばに来て」。「足元が危ないから、こうしているのに、明かりを消してどうするんです。」と子守。「恋は闇ということを知らないの?」。
この頃から、クレヨンしんちゃん顔負けの天才好色男児、世之介!
八歳の時に、伯母さんの家に暫くお世話になっていた時に、好きだった従兄妹のお姉さんに
「この間、僕があなたの大切な糸巻きを踏んで壊した時に、腹が立ったでしょうに「全然大丈夫よ」と言って怒らなかったのは、何か内緒で僕に打ち明けたいことがあったからじゃないですか?もしそうなら、聞いてあげたいです。」という手紙を自分で書けないから、自分のお習字の先生のお坊さんに書いてもらって、下女を通じて従兄妹のお姉さんに渡した。お陰で、代筆したお坊さんは自分が誤解されて迷惑を被った。
十歳の時には、早くも男色の気も現れ、十一歳の時には遊郭に出入りを始め…。あちこちで綺麗な人と「いつまでもいつまでも一緒にいようね。」と誓いあって、相手に血判を押した誓約書まで書かせるのだけど、世之介のほうこそ一人のひとに落ち着けないんだね。悪気はないんだけど。「子供が出来た」と言われれば逃げちゃうし。
ろくでなしの女たらし。こんな物語でも340年も経ったものだと立派に“古典”として扱われるのか…と思ってふと後書きを読んでみたら、なんとなんとこれは「源氏物語」のパロディで源氏物語五十四帖を世之介の7歳から60歳までの好色遍歴54年になぞらえているらしい。そもそも日本文学というのは、イザナキ・イザナミの頃から色恋が大好きで、戦いと冒険ばかり描いていた「イーリアス」や「オデュッセイア」とは違うんだって。
そういえば、世之介は光源氏に似てるんだ。ただの好色ではなく、生まれつきのイケメンで、おしゃれで、気が優しくて、くどき上手で、男にも女にもモテる人たらしなのだ。親に勘当されてお金が無いときでも、流しの歌手として身を立てながら、相変わらず色恋沙汰を休まない姿は憎めないし、親の遺産が入って大金持ちになったあとは、可哀想な遊女がいると、サッと身請けしてやり里に返してやるなど、男っぷりのいいことするし。吉原や島原で名だたる、当代一と言われた遊女たちの本命も“世之介様”だったし。
中年になってから、いつもの遊び仲間と、あっちの遊女がいい、こっちの遊女がいいと品定をする会話の場面なんかは、源氏物語の「雨夜の品定」そっくり。
最後には、愉快な仲間たちと舟に往年の遊女巡りの思い出の品を詰め込んで、恋風任せで船出して、行方をくらました。その前に「夕日影 朝顔の咲く その下に 六億円分の 光残して」という歌を刻んだ茶臼石に朝顔の蔓を這わせ、その下に埋めた六億円、まだあるのかなあ(京都の東山だそう)。
あとの3遍も凄く良かった。書きたいことはいっぱいあるけれど、時間の都合で、紹介だけ。
雨月物語
原作: 上田秋成/ 現代語訳: 円城塔
通言総籬(つうげんそうまがき)
原作:山東京伝/ 現代語訳: いとうせいこう
春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)原作: 為永春水/ 現代語訳: 島本理生
「通言総籬」は江戸っ子のリズム感がいい。落語を聞いている感じ。イナセ。今、江戸で流行っているファッションやイケてることなどがビンビン伝わってくる。
「春色梅児誉美」は現代の人に分かりやすいように三人称を一人称に変えて訳すという工夫されたらしいが、現代小説と変わらない。泣けるラブストーリーであり、心温まる感動の再会、友情の物語。島本理生さんのオリジナル作品読んだことないけれど、興味が湧いた。