あらすじ
17人の書き手が自らの「身体」と向き合って記す、生きるためのリレーエッセイ
私の身体はほんとうに私のもの? 私の身体はどんな視線にさらされ、どのように規定され、内面化されているのか。17人の人気小説家・美術作家・コラムニスト・漫画家・発明家が自らの「身体」と向き合い、ときにユーモラスに、ときに激しく、そしてかつてない真摯さで文章をつむぐ。「文學界」人気連載がついに単行本化。
著者は島本理生、村田沙耶香、藤野可織、西加奈子、鈴木涼美、金原ひとみ、千早茜、朝吹真理子、エリイ、能町みね子、李琴峰、山下紘加、鳥飼茜、柴崎友香、宇佐見りん、藤原麻里菜、児玉雨子の17人。
自分と自分の身体の関係を見つめる言葉が、これまで読んだことのない衝撃と共感をもたらす。
【目次】
島本理生「Better late than never」
村田沙耶香「肉体が観た奇跡」
藤野可織「「妊娠」と過ごしてきた」
西加奈子「身体に関する宣言」
鈴木涼美「汚してみたくて仕方なかった」
金原ひとみ「胸を突き刺すピンクのクローン」
千早茜「私は小さくない」
朝吹真理子「てんでばらばら」
エリイ「両乳房を露出したまま過ごす」
能町みね子「敵としての身体」
李琴峰「愛おしき痛み」
山下紘加「肉体の尊厳」
鳥飼茜「ゲームプレーヤー、かく語りき」
柴崎友香「私と私の身体のだいたい五十年」
宇佐見りん「トイレとハムレット」
藤原麻里菜「捨てる部分がない」
児玉雨子「私の三分の一なる軛(くびき)」
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
様々な『自分の』性との向き合い方について書かれている。メタ的な性との向き合い方でないのは、女性の作家たちだからだと思う。
女性も誰かの性を搾取することもあるだろうが、しかし圧倒的に搾取される側であり、自分の生命と性とが紙一重に近い存在だと思い知る。
アンソロジーの最初の島本理生さんの作品が個人的ににとても響いた。
なぜ自分の性と向き合うだけで傷ついてしまうのか。男性も同じなのだろうか。傷ついたことを思い出さないで自分の性について語れる人間がいるならば、どんな人生なのか知りたいと思う。
Posted by ブクログ
女性作家、芸術家たちの生と性、身体をテーマにしたエッセイ集
自分も漠然と感じてた「女性であること」への違和感、敵対心、恐怖、いろんな言い尽くせない気持ちをそれぞれの人が言語化してくれるよう
現代日本で高らかに女性讃歌を謳うのは難しいことを痛感する
それでも次代はと願いたい
Posted by ブクログ
ここまで赤裸々に書いちゃうの?と驚くような内容もあり。
だけど今まで言語化できなかった気持ちが表現されている部分もあって、あの時のあの感情ってこう言葉にするんだと感動もした。
作家さんは流石だなと改めて感じた一冊。
Posted by ブクログ
青山ブックセンターで、初めの方をチラリ
体のこと、性のこと、
自分個人のことで、公では禁忌されてるテーマ
そんなテーマのエッセイ
女性が書き手っていうのもあって入り込めた
Posted by ブクログ
いろんな視点、テイストがあって面白かった。『てんでばらばら』がお気に入り。
しかし性被害者の多さよ。加害者が多すぎるし許されすぎてる。やめてくれマジで。『女であることを喜びながらも、女であることによる気持ちの悪い経験を排除していきたい』。マジそれな。
Posted by ブクログ
女性作家の自身の身体にまつわるエッセイ集。特に30,40代の今人気の作家さんたちだけを集めたというのが面白い。自身の身長について書かれている方もいたが、自ずと性にまつわる話が多かった。
個人的に感動したのは村田沙耶香さんと能町みね子さん。こちらの感想で、女性なのに自慰について書かれている方が多くて引いた、という感想が少なくないのは正直ちょっと残念だなと思った。村田沙耶香さんは幼少期から行っていた自慰について、いやらしいものという周囲との認識の差に未だに慣れない、ということを書かれていたのだが、子供の頃の自分の王国という表現でその感覚について本当に美しい描写をされており、涙が出そうなほど感動した。現代の子供向けの性教育本を読むと、自慰は人前でオープンにするものではないがご褒美のようなもの、とあり、本来いやらしく汚らわしいものというより村田さんのような表現が正しいのではないかと思った。
また、能町さんの文章は珍しく彼女が普段あまり公で書かれない自身のトランスジェンダーであることの葛藤が書かれており、普段の彼女の冷笑系の口調ではなく、本当に心の叫びという感じで涙が出た。さすが言語化能力に長けている方だけあって、「ノーマル」な人間への想いなど、初めてトランスジェンダーの心の片鱗のようなものを少し理解できたような気がした。
それにしても、西加奈子さん始め、ほとんどの作家さんが若い頃に性加害を経験しているというのが恐ろしすぎる。言葉にするお仕事の方たちだからこのようにオープンにして下さったが、加害を言葉にできない人間がどれほどいるか(小さいものも含めたらもしかしたらほとんどの方かもしれない)と思い知らされた。
Posted by ブクログ
ラジオでも話題になっていて手に取る。著者たちの年齢がほぼ年下であるということに気づく。語ることのタブーがいろいろと無くなったけれど、文筆業である以上、読み手を引き付けるプロ意識が見え隠れしていて面白い。
Posted by ブクログ
女性たちによる性のエッセイ集と聞き、女性あるあるやフェミニズム的な問題提起を想像したが予想外だった。
冒頭の西加奈子はフェミニズムへのお誘いに近いニュアンスを感じたが、続く村田沙耶香で一気に個人の話となる。
その後も個人的なテーマを書く人が多く女性同士だけど違うのは当然、そもそも理解不能だったりする。
でも不思議だなと思いながら読む理解不能の中に、少しだけ自分の面影があると仲間を発見したような安心がある。
私だけの大切な話を自分も整理して書いてみたくなったり、男性バージョンも読んでみたくなった。
Posted by ブクログ
出産入院中に読むか〜と購入。
スカート履くのが嫌で泣いてた自分が出産か〜、、、という気持ちにマッチするエッセイがいくつか。
自意識についてがテーマなので当然っちゃ当然なんだが、「こういう私、どう?」が何気ない振りして3日目の経血くらい滲んでる文章も結構あったなかで、(そのヤンキーという修飾語いるか?みたいな)藤原麻里奈、すごすぎる。
女を捨ててるのに"女なのに"のリングの中で評価されることに気持ちよさを感じる、ってところ、こんな素直に自分の欲求捉えられるのすごすぎる。(2回目)
自分も自分しか見ないような日記ですらすぐ滲ませちゃうので、ああいう文章を書けるようになりたい。文章というか、自分の考えとか心の動きをカッコつけずにそのまま捉えられる力?
2024/10に読んだのを電子の方で書いてたので転記
Posted by ブクログ
このくらい、身体とは何かを強く感じ、自分自身の身体を感じる本が私にはひつようだった
リレー形式ならでは、最後の方、「私の身体を生きる」ってなんやねんって議論が進展していくのが最高だった
Posted by ブクログ
面白かった…!
身体について言語化することは難しいと思いながら、言語化欲求もあって、そこをストレートに表現してくれている言葉は、ポジティブなのかネガティブなのかは分からないが震動を伝えてくるようで、ちびちび読み進めました。
わかる、わかるよ…となるところもあれば、こんな身体感覚を持つ人もいるんだ〜と知るところもあって、何かしらそれが身体にフィードバックされて、終始不思議。
島本理生「Better late than never」
…直後よりも、むしろ二、三日目から、不安定さを伴った執着心はピークを迎えて、その最中には激しい恋をしているようにも感じていたが、その後、十日間かけて緩やかに下降した。そして最後には大半の恋愛の感情まで消失した。つまりは肉体とはそういう仕組みなのだと私は学んだ。
…私たちは、約束も責任もない他者に気軽に触れることは侵害であるということを、長年知らなかった。
…他人にどう見えるか、庇護を期待できるか、性的に許容できるか。自覚はなくても、私が「若い女」だった頃、目の前の異性に対する判断基準はそれだけだった。私が女でしかなかったとき、私もまた男性を人として見ていなかったのだと、最近になってやっと気づいた。
村田沙耶香「肉体が観た奇跡」
…相手がいない性の記憶は、ほとんど無邪気なものばかりだ。「性」というものに対してどこか暴力的なものを感じている自分と、牧歌的な、懐かしい気持ちに陥る自分と、二人の私がいる感覚後、このころからずっと続いている。
…自慰のなかにはいつも祈りがあった。達する瞬間、愛する人たちが住む世界と私の肉体が接続する。そのことは私を救い、切実な焦がれをあたたかい体温の重なりに変容させた。Aさんの体温は私の命を護り、消えないように繫ぎ止めた。Aさんの体温がなければ私は生きていなかった。
自慰は奇跡だった。信仰だった。儀式だった。そのことは、大人になっても変わらない。私は一生、自慰の中で祈り、大切な肉体の鼓動の先で、そこでしか観ることができない特別な光景を感じ続けるのだろう。自慰という教会で、私は一生、祈りを捧げて生きていく。
鈴木涼美「汚してみたくて仕方なかった」
…自分の身体が粗末に扱われるほど、かつて自分を所有していた者からは自由になる気がしたけれど、かといって男と寝るための自分の身体は、再び所有者不明のようになっていく。
金原ひとみ「胸を突き刺すピンクのクローン」
…私はその、ダメなことはダメ絶対、という彼の性格が気に入っていた。だから私は彼に全てを明け渡そうとは思わない。私は常に私の身体として、彼の身体と交わる。セックスしている時も、異物と交わる喜びを堪能する。あの彼と一緒にいた時、私は彼に全てを明け渡していて、セックスのとき一時的に自分を返してもらっているような気がしていた。それは彼の意思によってのみ与えられる救済の瞬間で、そのうち私はそんなの理不尽だと憤るようになった。…暴力は淘汰されなければならない。でも私はあのレイプによって数年間生き永らえたあの彼との関係の中で、あらゆる不幸と幸福を享受したし、その幸不幸に対して抱くのは、あらゆる人間の営みの中で生まれてくる全ての子供に対して抱く、この生誕にいいも悪いもなく、ただの移りゆく景色でしかない、といった諸行無常感に似たものだった。つまり私はかつて、完膚なきまでに主体性を放棄していたのだろう。あの主体性のなさもまた、当時の時代の産物だったに違いない。
…私がこんなにも彼のクローン・ア・ウィリーが欲しいのは、彼が私と溶け合わないからかもしれない。私たちの身体が、二つの身体としてしか結びつかないからこそ、私は彼の身体を所有したいのかもしれないと不意に思いつく。
李琴峰「愛おしき痛み」
お尻の腫れが二日後には内出血の紫の痕に変わり、どちらも一週間後には綺麗さっぱり消えているであろうことを、私は知っている。それでも今この瞬間、私はこの身体をとても愛おしく思う。
鳥飼茜「ゲームプレーヤー、かく語りき」
…私にとって永く、性的なファンタジーとは、常に「消費」とセットでしかあり得なかった。 消費は気持ちいいのだ。他者の欲望を自分の身体に反映させることは、場合によっては気持ちがいい。性被害の実態を一部見えづらいものとしているのはこのことも無関係でないと感じる。モノとして性的に消費されること。それが身体が主体的に求めるところ、な訳がないが、私たちは意外とそのような欲求を増幅させて生きてないだろうか。
柴崎友香「私と私の身体のだいたい五十年」
…帰り道、私は自分の身体について、五十年生きても「わからない」と言ってもいいんじゃないか、と思った。
藤原麻里菜「捨てる部分がない」
…なぜまだこの世界で女であることに喜びを感じているのだろうか。
身体の記憶や感情は生々しく、良いと思う思い出も、明確に悪い思い出も、そのどちらにも暴力があって、どこかに運動の方向が向かっているわけでもなく、ただ始まって・ただ終わっていく、それはすごく諸行無常の感覚にも近くって、、ととりとめもなく思考は流れ、時間は流れ、身体は変化していく。虫に刺されて掻いて作った傷跡が何週間も残って、噛まれた跡やらなんやらが一週間も経てば消えていくことを心の底から不思議がっていたことなどを、ふと思い出した。
Posted by ブクログ
女性の書き手が綴る、「身体」についてのエッセイたち。
私がこれまでの人生誰にも言わずに、日記にすら書かずに閉じ込めてきた経験や思想や感情に近しいことが書かれていたりして、私だけじゃなかったのか……!という発見がいくつもあった。
私みたいに、自分の中に閉じ込めている人も沢山いるであろう内容をこうして書いてくださったことに感謝したい。
生理や身体の変化のこと、妊娠のこと、性自認のこと、性欲や自慰について、ルッキズム、性癖、尊厳などなど……
女性の体と30年付き合ってきたからこそ、どれも興味深い内容だった。
金原ひとみさんの「パリの砂漠〜(略)」を読んだ時にも思ったのだけど、
金原さんの文章だけなんか、フィルターがかった映画のようなお洒落さがあって異彩を放っている。ここだけ短編小説の世界に入ったかのようだった。
Posted by ブクログ
様々な作家の性に対する(主に女性)事が書かれている。性といっても色々な主観や体験があって、知らない作家さんの事は調べて知りたくなり、好きな作家さんの事は今まで知らなかった部分を知り深く知れた様な気になった。
生々しい描写や、親しい人であっても普段はあまり聞かない言わない性の事柄にビックリしたし、何だか安心?した。
日本では性の話しはあまりオープンじゃないからこそ、この本で色んな人の性の事が知れて嬉しかった。次回作も出たらいいな。
Posted by ブクログ
この本を読むとだいたいの女性はなんらかの性被害に合ってる、幼い頃から大人になるまでの期間で。
男性も性被害にあうこともあると思うけど、女性の比ではないだろう。
そういう危険にさらされながら生きるってどういことだろう。
そういう話しばかりじゃないけど「私の身体を生きる」というテーマで書くとなったらそこは避けられないことなんだろう。
特に西加奈子、柴崎友香、金原ひとみ、朝吹真理子、藤野可織、藤原麻里菜のは身につまされた。
千早茜の「私は小さくない」は共感。(そこまで激しく大きく強くなりたいとは思わなかったけど)
鈴木涼美の「汚してみたくて仕方なかった」はぶっとんでた。すごいアカデミックな環境だからこそこんなふうに歪んでしまったのかな。
Posted by ブクログ
自分の身体、この女の身体について色々考えたりすることが最近多くてなんかつらくて手に取った。女性たちが自分たちの身体のことや性のことを話すときなぜだか安心する。わたしもそう思っていると、同じように考えている人がいるというのはそういう安心材料になるんだと思う。どの書き手も性被害を受けている人が多くて本当に社会はクソだ…… 碌でもない人ばかりで、そのせいで自分の体を大切にできない女性がいたりするんだと知った。
わたしはもうずっと女しか子どもを産めないことが本当に許せないので、藤野可織さんの妊娠についてのエッセイは本当に本当にめちゃくちゃ凄いな〜と思った。妊娠出産の機能を持つのが女性だけである時点で、この世に人間を産み落とすための“道具”になる瞬間が女には絶対あると思っているから、藤野さんが一回目の妊娠で流産?をしたときに“助かった”と感じたことがあまりに赤裸々で驚き、それと同時にそう思う人もいるんだというこれもまた安心のようなホッとする気持ちになった。
女であること、母親になることを強制させられること、性欲の対象となり加害を受けることが大いにあるようなこの性別をどうしても好きになれないはずなのに、女であることが好きなのは一体何なのか。わからない。でも、わたしは自分が女であることが嬉しいし、女であることがつらく消えたいなと思うその両方を抱えて生きていくしかない。このことが最近ぜんぶしんどいよ。
こういうことを考えていても周りに話せるわけでもなく(心を許している友人がこういう話を好んで?聞いてくれるかは別の問題だと思うので)誰にも話せないなと思ったとき この本を読めてよかった。
読むのに気力のいる本だった
息子が中学にあがり、性教育を考えると男性視点の情報では難しいと思う事が多々ある
SNSでこの本のことが流れてきて書評を見た時、長男の女性に対する理解に何かしら寄与するかと思い、つい反射的に購入した。
男より女性の生き方はある意味で難しいが、性を持ち出すと安易に楽な選択を選ぶこともできる。
でも、それを選ぶと多くの場合、後でツケがまわる。だから、安売りするな、という言葉を親の世代は言う。
でも、若い世代が持て余す感情は大人の説教なんて聞き入れない。で、大人になって、同じように若い世代に言う。
そこに使える武器があってもそれを使わないって難しいこと。男が腕力で相手を従わせる選択をなかなか選べないのにどこか似てる。
それでも、男は無言の圧力を与えてる。そして、女性も無言の魅力を巻き散らかしてる(人もいる)
本当に、性というものは複雑で厳しいものだ。
女性の、子を成す性の役目は特権でもあり重しでもある。セックスは多様な価値を持ち、時に持て余し、崇高なものにもなり娯楽にもなりうる。。
そんな世界で、女性は男にどう見られるかに迷い陳腐化する。パンツを売り、安易に自己承認も得ている一部の女性を男が「女はずるい!」と叩く。
でも、そんな事ができる性の生き方は辛いだろうな、とも思う。
男と女、どちらが辛いと比較するものじゃないけど、男よりも女性の辛さは複雑で、どれを選ぶにしても(選ばないにしても)自己責任を押し付けられる生き方は厳しいと思う。男の辛さも簡単ではないけども、女性は年齢とともに役割と身体がめまぐるしく変わり、それにつられて求められ方も変わる。
僕は、見ず知らずの女性に数万円払えるほどお金もないし、あったとしても自分の為か家族の為にお金を使おうと思う人だけど、世の中にはお金で女性を買う事に躊躇のない人がいるのも知ってる。ひょっとすると僕がいつも遊んでいる連中にもいるのかもしれない(彼らがそんなにお金をもってると思えないが)
それだけのお金があるのは一部の男なんだろうけど、多かれ少なかれ男は性の対象として女の人を見てるというのは分かる(逆に比べればその対比のバランスの悪さが本当に悲劇でしかないと思う)。そして、女性は男性の欲望を当たり前として受け止める事に疲れ果てて諦めて、で、今、怒りを示している。
いろんな価値観がアップデートされている。「ねーちゃん、えぇケツしてんな」は失礼な事。
そのアップデートがで
Posted by ブクログ
「汚してみたくて仕方なかった」鈴木涼美
売春が無くならないのは、男側の問題の方が大きいけど、自分に値打ちが付くことに依存する女側の問題もあるのかもしれないと思った。女は性処理として利用されてきた時代が長く続いたせいもあり、完全に無くすことは難しいのだと悟った。
「トイレとハムレット」宇佐見りん
面白かった、、!確かに腹痛と苦悩のポーズは似ている。舞台が好きな理由として「シンプルだから」っていうのはすごく腑に落ちた。たった一つの物語、感情を演じているだけだもんな。現実の方が感情ごちゃ混ぜで騒がしいもの。
「私の三分の一なる軛」児玉雨子
生物は毎日ちょっと死んでおかないと生きられないって興味深い。睡眠を取ること=意識を手放すことが「生」繋がるのだとしたら、なんか「死」も生の延長のような気がして、恐怖心が払拭できる気がする。
自分は随分と「身体」というものに向き合っていなかったのだと思ったのと同時に、向き合わなかったという事はそれだけ健康であり、真っ当な人生を歩んでこられたという事なのかもしれないと思うと、親や環境に感謝した。でも1番大事な事は、何も深く考えず、ただ「人間」という生物として生きていく事だけを考えることかもしれない。
Posted by ブクログ
身体や性についてのエッセイ集。この中で柴崎友香さんが呈示していた疑問「なぜ書き手の性別を限っているのか」、私もこれと同じことを思った。もう、このフェーズは終わっていないか。いま、同じテーマで、男性やその他の性の人の語ることも聞きたいし、それらが同じひとつの場所に並べられているところを見たい。
どのエッセイもそれぞれ興味深かったし、色んな方向に心動かされたが、上記の意味で、柴崎さんが「このような疑問を私が持っていることを編集者と共有できたので、書くと返答した」という経緯を書いてくれていたことが、いちばん嬉しかった。もちろん、疑問の詳細は私が書いたこととは違ったけれど。
Posted by ブクログ
どんなことをどんな風に語るかは自由なはずなのに、不思議と受ける印象が近い方も多い。圧倒されたのは、自身の自慰について複数名の方が赤裸々に書かれていたこと。もちろん秘めておくべきかどうかは個人の自由だが、同じことを目の前の男性に言われたらきっと眉間にシワを寄せてしまうと思うので、(こんな性差を感じてどうかとも思うが)そうならないのを織り込み済みの、女性性を逆手に取った表現ような気もする。私のお気に入りはセブンルールで見たことのある藤原麻里菜さん。「もし、技術が発達して、アバターを作って仮想空間で生きれるとしたら、私は女の身体を選ばず、カービィみたいなピンク色の球体を選ぶだろうと思うのだ。そうしたら、女であることの不安や恐怖から解放される。ピンク色でかわいいし。丸くてかわいいし。そういった願望があるけれど、身体からは解放されない。生殖器があるからだろうか。生殖器が私の身体にばっちり組み込まれてるからかな。テトリスだったらセックスしたときに消えそうだけど、そうもいかない。私の身体は消えない。だから、愛するしかないのだ」。
Posted by ブクログ
テーマはとても興味深い。
面白いかと言われれば分からない。
人の隠しておく部分を覗き見したような気持ちになった。「隠しておく」部分ではないのである、もっとオープンに話そうよ、自分の身体のことなんだから、がメッセージか?
年を経ると病気の「身体」のことをしょっちゅう話すようになるのに、この本読んで「隠しておく」部分と感じたのは何故なのだろうか? 社会による刷り込みか?
Posted by ブクログ
高橋源一郎さんのラジオで紹介されているのを聞いて読んでみた。
同じ状況でも「気づいてしまう人」と「気づかずスルーする人」がいると思うが、
「女であること」で少なからず嫌な思いをした経験は誰にでもあると思う。
痴漢について、本筋からはずれるかもしれないが、これだけ多くの女性が被害に遭ってる、ということはそれだけ痴漢をやったヤツがたくさんいる、ということよね?
もしかしたらそこにいる善良そうなおぢさん、爽やかそうなお兄さん、しょぼくれたおじいさんだって!
それでもみんな知らんぷりして普通の生活をしているんだろう、と思うとものすごく腹立たしい。
またまた話がズレるが最近読んだ大谷晶さんが自分をすごく好いている、と書かれていたことがとても印象的だった。
いろんな思い、様々な経験をした上での発言だと思うが、ぜひともこのリレーエッセイに、大谷さんも寄稿してもらいたい、と思った。
Posted by ブクログ
西加奈子さん、村田紗耶香さん、千早茜さん、、他にも豪華な方々のお名前が、、
もうこれ買うしかないやんと思って購入して即読みました。
それぞれの女性作家さんたちがご自身の身体をテーマにリレー形式でエッセイをつづられていて、どのエッセイもすごく赤裸々に描かれていて同じ女性として共感するところもあれば、驚かされることもあり、、それこそ、読んでからは「私の身体は私のもの」を強く感じた。
それぞれの身体に色々な経験や傷が合ったり、コンプレックスが合ったり。
それでも一つしかない自分の身体。
こんな私でももっと堂々と生きていていいんだと思わせてくれる作品でした。
Posted by ブクログ
生というより性に関するアンソロジーだったが、千早茜さんの「私は小さくない」が切り口も異なり胸に迫った。性別による不利益や舐められることを、コンプレックスである小柄にあえて責任を負わせてきた自分に気付かされた。
Posted by ブクログ
他の方も書いていたが、生にまつわるエッセイだと思っていたら、性にまつわるものだった。
性に関するネガティヴなことは、思っているよりもかなりありふれていて、忘れていたけどネガティヴな体験を思い出した。きっと、書きようによっては、深め方によっては、同等のものもあるのだと思う。
そして…この世の中のことは、性に纏わって起きていることが多いこともまた認識できた。小説も映画もファッションも、モテたいという願望そのものが。
今年の始めからあらわになったフジテレビ問題も何度も色んな角度で思い起こし、考えさせられた。
Posted by ブクログ
思ってたんと違った‥
というのがまず第一印象。
タイトルから「生」の話だと思っていた。
それぞれ病気や障害、特性などを抱えながら「私の身体を生きる」というような内容だと思っていたし、そういう内容が読みたかった。
‥それはそれとして、読み進めると
こんなに明け透けに自分の体験や性被害や性癖や生き方を世間に曝け出して大丈夫なのか?と心配になるような内容が多くて驚いた。
そして、みんな色々な事を抱え、考え生きているんだな‥と改めて考えさせられた。
普通に見えるあの人も、幸せそうだと感じるあの人も本当は色々な事情を抱えているのかもしれないと。
「性」に対する考え方・感じ方・捉え方も本当に様々で、10人居れば10通り、100人居れば100通り、同じ人間なんで一人としていないのかもしれない。
Posted by ブクログ
2025/03/08予約 110
少し思っていた内容と違った。
性被害の経験を語る人が多かった。自分の体の特性を認め生きていく事は自分自身が楽に生きていくために必要だ。でもそれが難しい。
Posted by ブクログ
24になり、このタイミングでこの本をこんな気持ちで読むことになるとは想像もしていなかった。
しかし、友人から偶然に勧められたこの本が自分の手元にあった事を幸いに思う。
この本を読んで感じたことは、自分は「中絶」という思いもよらぬ事件を経験するまでは自分の身体についてさほど思いを巡らせてこなかったという事だ。
思い返せば、身体のためと思い込んで行っていたものは全て、ダイエットや審美など「女として美しく見られるため」の何かであり、「一人の人間としてこの身体を生きるための何か」ではなかったように思う。
昔から性的違和があったわけではないし、運動も周りよりも出来る方で自分の身体を自分の思い通りにコントロールしている自負があったからだろう(人は満足していることに対しては無知でいられるから)。自分の身体が自分の精神と乖離しているという感覚はありがたい事に感じたことがなかった。
だが、女として生まれた事で私たちは常に「女というレッテル」の中で生きている。若くて便利な身体を生きる今の私自身が、女であるという価値をとっぱらい、生身の人間として生き、周りから評価される事は、おそらく不可能だろう
•性的な物や認識への価値観は非常に多様であり、何かの型に押し込めて判断することはできない。