町田康のレビュー一覧
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ずっと高熱でうなされている時に見る夢のような話。
主人公の小角は、訳の分からない単価を一方的に糺田両奴に送り付ける。
その単価を考察した文章を著書に載せてヒットした糺田両奴に小角は恨みを持ち、糺田両奴を謎の世界に拉致し、短歌を書かせたりラーメン屋を開かせたり、秋元康的なプロデューサーを暗殺させようとしたりとめちゃくちゃな事を課題として押し付ける。
とにかく、終始わけがわからないのだが、町田康独特の言い回しで続くストーリーは読んでいてとても面白い。
特に続きが気になるなどはないが、ついつい読み進めてしまう。
あと、登場人物の漢字が全く読めないので調べたら、どうやらそういうものらしい。
糺田両奴(きゅうだりょうど)と私は読みました。
実写でやるとしたら
小角→オダギリジョー
糺田両奴→滝藤賢一
新未夢→池田エライザ
かな?
楽しい小説でした。 -
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江戸時代。街道沿いのある茶屋で、牢人が盲目の娘を連れた巡礼の老人を切り捨てた。居合わせた藩士に理由を問われた牢人・掛は、その老人が「腹ふり党」という世を乱す宗教団体の一員であるというのだが……。
映画化もされた時代小説。……時代小説?
裏表紙のあらすじには、「江戸時代」を舞台にした「時代小説」であると明記されているのですが、そこを期待して読むものではないと思いました。
とにかくバンバン出てくる外来語に、荒唐無稽、出鱈目で無茶苦茶なストーリー展開。スパン、と断ち切られるようなラスト。私は今何を読んでるのかと疑問に思いながらも、小説って勢いだけでここまで読ませられるんだなと感心しました。わけがわからないんですが、何だか続きが読みたくなる。
時代小説の形を借りた風刺なんでしょうか。社会情勢、使えない部下、融通の利かない上司や内容のない電話まで、ありとあらゆるものに対する不満であふれた小説でした。
音楽は詳しくないのですが、パンクって確か反社会・反体制的なメッセージが込められた音楽だというお話なので、そういう意味ではこの本は紛れもなく純粋なパンクと言えるのかもしれません。 -
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☆3.5 駄目男
中学か高校の頃に読んで感銘を受けたが、内容を忘れ、昔の感想を読んでも意味不明なので再読した。
のべつ幕なしに情景と、主人公の駄目男の語りが入り乱れる。そのリズム感・グルーヴ感に踊らされ、酔ったやうになるのがこの小説の醍醐味だ。決してストーリーで感銘を与へるタイプではない。
芥川賞の銓衡は、池澤夏樹と宮本輝が相変らずだが、石原慎太郎がほめてゐるのは意外な気がしてしまった。選評《それぞれが不気味でおどろおどろしいシークエンスの映画のワイプやオーバラップに似た繋ぎ方は、時間や人間関係を無視し総じて悪夢に似た強いどろどろしたイメイジを造りだし、その技法は未曾有のもので時代の情感を伝えてくる。》
古井由吉の選評《反私小説の行き方を極端まで取ろうとしながら、いつのまにか私小説の矛盾域、のようなところへ踏みこんだ。》は腑に落ちた。駄目男の私小説みたいだ。『くっすん大黒』の三浦雅士の解説のとほり、一種の太宰治だと気がつく。 -
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7人の作家によるエッセイアンソロジー。
もともと『考えるマナー』『楽しむマナー』という本の中からエッセイを抜き出して、子どもの悩みや質問に対する回答という形式で再編集されている。
サブタイトルに「迷回答」とあるが、そもそも質問に答えるために書かれた文章ではないため、答えになっていない「迷回答」になるよね、とは思う。
子どもの素朴な質問に対して作家が答えてくれた本だと思えば肩透かしを食らうし、一方で様々な作家たちの気軽なエッセイだと思えば楽しめる一冊。
好きなエッセイは
三浦しをんの「ボウリング最弱王決定戦」
高野秀行の、ありがとうを言わない民族と褒めることについて。
角田光代のクヨクヨしてしまう自分。
町田康のおじさん的エッセイも面白かった。
子どもにむけてエッセイという文種について教えることに使えそう。 -
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謎の本である。
買って読んでおいて、この感想は?と思うのだけど、まぁそんな予感で買ったとも言える。
まず、ターゲットの子ども、とはどれくらいの年齢を対象にしているのか。
受験のこととか、スマホの質問なんかが入っているので、小学校高学年から中学生くらいなのかなーという感じがする。
質問が「積極性がないとダメか?」とか「大人になるって楽しいか?」というものなので、子どもの側は至って素朴なのだ。
だけど、「迷回答」してくれる作家陣のラインナップが、ちょっと不思議。
角田光代さんとか、三浦しをんさんは、あぁ!となるかもしれないが……。
素朴な質問に、しっかり「迷回答」するものだから、なんだかもはやエッセイ味まで出て来る。
妙味?の一冊。 -
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私の文学史
なぜ俺はこんな人間になったのか?
著者:町田康
発行:2022年8月10日
NHK出版新書681
小説家の町田康氏が、NHK文化センター青山教室で、2021年10月~22年1月にかけて12回にわたって行った講義をもとに、修正・加筆して書籍化したもの。この作家はエッセイを読むとギャグにこだわっているから、真面目なこの手の話にあまり期待せずに読んだ。まあ、部分的には面白かったし、さすがに勉強にはなった。とくに「詩」について語った回は、具体性があって整理できていた。これで詩が書けるかどうかは別問題だけど。
最初の本格的な読書体験は、小学校の時に買った「物語日本史2」(学研、1967年)。「遣唐使物語/羅生門と怪盗」がテーマだったが、日本の歴史が物語で書かれているのにはまり、母親に頼んで全巻買ってもらった。1~10。6は池波正太郎が書いている。
中学に入ると北杜夫を読み、筒井康隆にはまった。
<詩について>
「わかる」と「わからん」は理と感情で成り立ち、4種類ある。
①「わかるわかる」
パンは小麦で出来ている。理のものに多い。文学でいうと、俳句がそれに近い。「五月雨をあつめて早し最上川」→考えると「わかる」。納得できる。
②「わからんけどわかる」
例えば洋楽のロックを聴いていて、心が動くことがあるが、それも「わからんけどわかる」。文学でいうと、人によって違うが短歌。そして、詩も。
③「わかるけどわからん」
理屈で言われたらそうだけど、感情的には同調できない。
④「わからんからわからん」
おもろい詩の四条件
①「感情(の出し方がうまい)」
②「調べ」
アホみたいな詩でも曲に乗せるといい
③「そいつ自身がおもろい」
種田山頭火、尾崎放哉など
詩をおもしろくなくす落とし穴
自分に対する途轍もない拘泥。「私」「私」「私」となってしまう。玄人の詩人がうまければうまいほど大仰になって詩が濃くなっていく。「自分というものの生と死は途轍もない事件、だからここに途轍もないことが起こっている、それを書けばいい」となってしまう。
<文体について>
文体チェックの三つのポイント
①オートマチックな言葉遣いになっていないか。
例えばマスコミで大量に流布している言い回しを自動的に使っていないか。油断して使っていないか。
②その言葉をどこまで本当に理解して使っているか。理解せずに自動的に使っていないか。
③オリジナリティに拘泥しない。
読んだ作家の影響を受けることを恐れない、憑依を恐れない。
おもしろいことというのは、この世の真実であらねばならない。この世の真実こそがおもしろい。おもしろいことを書くということは、この世の真実を書くと言うこと。隠さねばならないことを隠す、それが建前であり、常識。それを破壊するときに噴出するものを描くのが、文学なんじゃないか、表現じゃないか。
若い頃、昼間のテレビやラジオで流れる漫才、落語、新喜劇などは「芸能」、深夜のラジオで流れるフォークやロックは「サブカルチャー」とされていた。カルチャーは高尚、芸能は低俗と考える人が多かった。カルチャーにはハイカルチャーとサブカルチャーがある。
歌謡曲とロックの違い。
役でやっているのが歌謡曲、素でやっているのがロック。ジョン・レノンが♩マザ~と歌えば、それは本当のレノンの母親のことを歌っている。森進一が♩おふくろさんよ~と歌えば、本当のおふくろさんのことを歌っているわけではない。
エッセイに限らず、絶対におもしろい文章を書くことが出来る〝秘伝のタレ〟がある。それは「本当のことを書くこと」。本当の気持ちを、そのときどきの本当の気持ちを書くこと。西村賢太の小説が、なぜおもろいか。ホンマに書いているから。
「本当」にたどりつくため、文章を書くためには、文章を書くときのカッコつけの自意識を外すことをしなければならない。一度外すと、なくなる。
古典をすると、流行り物の熱狂や現実の熱狂から距離を置ける。醒めてみたら、自分がなんであんなものに熱狂していたのかと。著者は飲酒の熱狂の中にいるときはわからなかった飲酒のメカニズムがわかる、今のほうがいいなと思う派。
*著者は大酒飲みだったが断酒をした。
著者がどうして言葉の中に生き延びたいのか、自分の魂を言葉に込めたいのか。その理由は三つ。①外側のこと②内側のこと③その二つを合わせて考えること。
外側のこととは、マスの言葉、世の中にあふれている言葉に対する抵抗。常套的な、オートマチックな言葉遣い。今なら「多様性を重視しましょう」「持続可能は必要」など。これが出たら、も終わり、打ち止めね、「飯食いにいこう」みたいになる。
人間の魂は形がなく、自分しか分からないのがさみしい。人に見せたい。だからその外側を樹脂みたいなもので塗り固めて乾かすことにより形を与えて、自分も見たいし、人にも見せたい。その塗り固めるものが言葉だと思うが、それをオートマチックにしたくない。だから外側の言葉が、文学が必要だ。
内側に関して・・・感覚的な表現、突き詰めない表現、オートマチックな言葉だけ使って、「情緒」とか、雰囲気だけをつくっていく、わりと安い材料で魂を形づくる。揶揄的に言ってしまえば、Jポップの歌詞のような言葉遣いは、バリアを強化していく。 -
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文体に影響を受けた町田康
随筆でも小説でも本当のことを書くとおもろいなどは、私が常づね考へてゐた事に一致してゐて、せやなと共感した。おもろい詩の四条件はなるへそと思った。
しかし、本に引用されてゐる北杜夫の小説もアホみたいな詩も「本音街」もチャンドラーも、私からするとあまりぴんと来ず、ホンマにおもろいのやろかと思うた。『浄土』のなかで唯一おもしろいのは「一言主の神」だけだと私は思ふ。最後の魂を樹脂で塗り固めるといふ比喩も首をかしげた。おそらく、町田は小説の文体に強い影響を受けた一方で、私は文体よりもストーリーに注目するから、かういふズレが生じるのであらう。