町田康のレビュー一覧
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教科書でお馴染みの帽子を被った童顔の青年とは裏腹に実は喧嘩にからきし弱いタコ八郎のようなどうしようもない酒乱のダダイスト中原中也…しかし詩歌においては斬れ味鋭く言葉を思うがままに操る元祖無頼派の天才であったことは今更言うまでもないだろう。
それゆえ単独で読むにはあまりにも毒気が強過ぎて胃もたれを起こしてしまうのだがダダイズムにルーツを持つ現代のパンクの騎手町田某とコラボすることでそれがいい具体のツマとなってサクサクとそのマインドを堪能することが出来るのが本書の特徴、企画の勝利だろう。
思春期に居眠りしながらも受けた国語授業での衝撃をいい大人になってからまた味わってみるのも良いもんだぜ -
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戦国時代を舞台にした小説といえば、通常は戦国大名やその家臣の活躍を描いた歴史小説が挙げられるであろう。本作もまた武田信玄軍の一員を主人公にしているのだが、しかしその身分は武士ではなく、みずから軍に加わった農民である。これだけでもめずらしい設定であるといえるが、しかし本作の特異な点を挙げるとすれば、そのようなことではないであろう。とにかく、人が死ぬのである。中上健次の「紀州サーガ」にも似たような、田舎の前時代的な社会を描いているため、系図がないと容易に把握できないぐらい多くの人物が登場するのであるが、その大半がつぎつぎに亡くなってしまう。当時の平均寿命などを考えれば、それはとくにおかしいわけでもないのかもしれないが、とにかくぞっとしない。しかしほんとうに恐ろしいのは、それがあまりにも淡淡としすぎている点である。死に特有のあの饐えた臭いはいっさい放たれることがなく、きわめて事務的につぎつぎと人が亡くなってゆく。猟奇的趣味から人を殺しているわけではないことはあきらかであるが、しかしこれははたしてほんとうに小説と呼べるのか。そう思ってしまうくらい、とにかく無機質で無味無臭な小説である。死というものを小説に登場させる場合、どうしたって多少は感傷的になってしまいがちであり、そういう意味では間違いなく小説としての技術は高い。だけど、いち読者としてこういった描写と向き合った場合、どうしてもその意義を疑問に思わざるをえない。解説によれば「『笛吹川』論争」が評論家のあいだで勃発したらしいが、なるほどそれも納得である。おもしろいかおもしろくないかでいえば、けっしてつまらないわけではないのであるが、読後の感想としては、なによりも「こういう小説もあるのか」という感じが強い。
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ネタバレ【本の内容】
権現市へ買い物に出かけたところ、うら寂しい祭りの主催者に見込まれ、「権現躑躅踊り」のリハーサルに立ち会う。
踊りは拙劣。
もはや恥辱。
辟易する男の顛末を描いて川端康成文学賞を受賞した表題作や、理不尽な御老公が市中を混乱に陥れる、“水戸黄門”の町田バージョン「逆水戸」など、著者初の短編集。
[ 目次 ]
[ POP ]
町田康の小説を読むと、真夏日の炎天下、道に迷っているような気分になる。
頭がぼんやりして思考が空回りし、周囲から聞こえてくる会話はリズムと不快なニュアンスが強調される。
パニックになっている頭がふいに悲しい思い出を引っ張り出してくる……。
町田康はそんな気持ちにさせてくれる。
この短編集所収の「ふくみ笑い」はその最たるものだ。自分と世界とのわずかなズレ、軋みがしだいに大きくなっていく恐怖感。
自分ひとりがズレていき、他の人間はなにごともなくリズムにのっているのに、理解できないでいらだつ気持ち。
私は方向音痴でよく道に迷うのだが、そんな時、世界から取り残される不安感がひゅっと襲ってくる。
そのくせ、何かにいらだっている。
そんな気持ち悪さを表現してくれるのは町田康くらいだ。
表題作は、敗北感あふれる祭りの様子になぜかせつなさを感じた。
全体を通じて、透徹な青さが根底に流れているように思う。
美しい物語にはなりえない世界と、自分の青さとの折り合いがつかない哀しさ。
そんな感覚を味わわせてくれる。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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【本の内容】
僕は作家だ。
だが執筆中の小説はまったく進まない。
たまには本当のことを書きたい。
これはフィクションに疲れたマイナー作家の、ささやかな休暇としての日記だ。
誰にも見せないのだから嘘は書かない。
そういう意味で、僕はこの日記を真実真正日記と名づけよう。
虚と実のあわいを絶妙に描き出す慟哭の記録。
[ 目次 ]
日記の書きはじめ/比々さん/文差点の騒動
新店コンドル/矢村の素晴らしい文学/暴動の予感
猿の不安/執筆の停滞/鈍くさい店でスカタン
ブライトな若者/コンドルの不始末/花火と爆撃狂
嫉妬の感情/撮影所見学/鰻の食べ過ぎで苦しい
言葉が通じない/海もどきの怪/農業の勉強
寂しいおっさん/頭のなかの猿/辺多子さんの「茶漬節」
僕は幕下/バンド名決定/地獄の忘年会
奴隷制復活論/メッセージソングの失敗/串カツ屋で大喧嘩
縁起をかつぐ癖/ふわふわの兄ちゃんとオガタ/比々さんを招待〔ほか〕
[ POP ]
作家町田康が、「真実真正」をうたいつつ、その生活の虚実をつづった「日記」。
引っ越し挨拶に「螺子」という漢字を聞いてくる男や、アイドルグループとの討論会兼演奏会に漂う気まずい空気。
そして「犬とチャーハンのすきま」という名のバンドの顛末など、世間を怒りつつも恐れる男の日々がものがなしい。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
芥川賞作家・町田康氏を飼い犬であるスピンクの目から描いたエッセイ集です。作家の日常とかわいい犬たちの掛け合いが面白いのと、「命」と言うものに向き合うと言うことを教えられます。
町田康さんが飼っているスタンダードプードルのスピンク。彼が「主人・ポチ」と言ってその目線でつづられる日常です。かねてからこの本をずっと読みたかったので 今回手に入ってうれしい限りです。
スピンクのこともいいのですが、個人的にはスピンクの兄弟犬であるキューティー・セバスチャンのことのほうにどうしても目が行ってしまいました。
彼はいろいろと複雑な経緯で飼い主とブリーダーの間をたらいまわしにされて、主人・ポチこと町田康さんと美徴さんこと奥様の所に引き取られた際には虐待を受けていてところどころに掲載されているスピンクとの2ショット写真を見ると以下に苛酷な環境にいたのかがわかってつらい気持ちになりました。
医者からはこれからどんな障害が出るのかわからないので早い段階から要介護状態になるかもしれないので安楽死と言う選択も考えたらどうか?と勧められるほどだったと言います。
しかし、美徴さんと主人・ポチこと筆者が懸命に愛情を注いだだけあって、現在では見違えるような回復ぶりを発揮していて、毎日散歩に行ったりスピンクと軽く噛み合っていることが綴られていることがあとになってわかったので読んでいてほっとします。
虐待によってキューティーが体や心に負った傷は一生付き合っていかなければならないものがあるそうなので、「イヌ科イヌ族」の家族と暮らすにはそれ相応の「責任」があってしかるべきで、それをまっとうできないならば彼らと暮らすべきではない、ということが本当によくわかりました。
そんなお堅い内容だけではなく、主人・ポチが意味不明の歌を歌い、奇行やエキセントリックな言動を繰り返して美徴さんにあきれられ、時に「文学の鬼」となって仕事をする。そんなありふれた日常がスピンクの目線で描かれるのは、彼が上梓している猫のエッセイとはまた違った面白さがあると思っています。 -
Posted by ブクログ
『目を覚ましたらブラインドから縞の光が差しこんでいた。
素晴らしいことだと思う。
太陽が僕たちに降り注いで生命が育つ。大地が潤う。そんななかで自然の一部として僕らは生きているんだ。そのこと自体がとてもありがたい。感謝。誰へ? すべてにだよ。すべてに感謝して生きていく。空に、海に、きみに、自分に。』
『それぞれがそれぞれとしてそこにある。それこそが素晴らしい。空が美しい。感謝。』
『それぞれがそれぞれであること。
それが一番大事だと思う。
それぞれが大事なのさ。』
『けど同じことなんだよ。だってこんなに心がひとつになってるじゃないか。同じ、同じなんだよ。それぞれがそれぞれにみな同じひとつの音楽を聴いてる。あれ? ということはそれぞれの魂じゃないってこと?』
『すべてとすべてとすべてに感謝。自分のすごさを常に忘れないこと。そして感謝すること。』
『僕らはポジティヴな話しかしない。ネガティヴなことをいう奴はひとりもおらないのだ。世界中が僕らみたいな奴だったら戦争なんか一瞬でなくなる。感謝。』
『最高ってなんて最高なんだろう。僕らはいつも最高だ。』
『だから僕なんかは彼らを見て悲しくなる必要は毛頭なく、むしろ生きる勇気みたいなものを貰っているはずなんだ。ホームレス、最高。そして。感謝。』
『本日がデッドということで、そのデッドを超えてデザインが来ないということはどういうことかというと、もしできなかった場合、関係者全員(勿来山先生と事務所の人を除く)が切腹して死ななければならないということである。優秀な介錯人がいればそうでもないが、そうでない場合、切腹というものは苦しいもので、そしていまは介錯ができる人なんてそういないから、切腹は間違いなく苦しいもので、首つりじゃ駄目ですか? といいたいところである』
『ふっふーん、この繋がりはまったく意味が分からないが、よほど深い意味があるのだろう、と勝手に深読みしてくれる可能性がゼロとは言いきれない雰囲気が醸成されない可能性がないこともないこともない。』