町田康のレビュー一覧
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中学生くらいの頃に義経にハマっていたことがあるわたしからしたら、町田版義経記なんて避けて通れないじゃないかーと購入したのやけど、読めば読むほどこれは原典からどれほど近い内容なのかさっぱりわからないな…?町田康の解釈がどんくらい入っとんやろ?と疑問に思いながら読み進めてしまった。だってずーーっと町田節なんだよ。
でも解説まで読んで、原典からそんなに遠くないらしいことが分かりましたよ。解説面白かったよ。町田康が音の文学ていうのはそうなんやけど、義経記もそうなんよな。平家物語とかそーゆーのも町田康が書けばめちゃくちゃ面白くなるんやないかな。
音がどうこうだけでなくて、政治的な話や、人間関係なんかのややこしい話も、今と価値観が違うから普通に読んでも理解しにくいようなことも面白く分かりやすく語ってくれてるからスーーンと読めてしまうよ。すごいよ。 -
Posted by ブクログ
大学時代にノートにつけてた記録を転記。
(あらすじ)
作者の家で共に暮らす、ココア、ゲンゾー、ヘッケ、奈奈、それぞれの猫との日常を描いた、笑いあり、涙あり、考えさせられることあり、の、色とりどりな猫記録。
(評価)
猫(特にゲンゾー)の気持ちの代弁時の台詞がツボに入る。猫好きなら共感できるはず。作者の主張が色濃すぎる部分(人間はおごり高ぶりすぎだ、など)があとがきにあり、少し疲れた部分もあったので4星。
(内容)
それぞれの猫が生き生き描かれていて良い。ゲンゾーのお茶目さ、ココアの高飛車な性格、ヘッケの無邪気なふるまい、奈奈の暴れん坊加減。本当に猫を良く観察している作者だからこその愛情が伝わってくる。ゲンゾーの「はみゃみゃはみゃみゃ、ぐるぐるぐる、ぽっぽっぽっ」という鳴き声の描写や、すねて「みなしごのバラード」を歌うこと、タンスの上から眠っている人間の上に飛び降りる「急降下爆撃」など、つい吹き出してしまうシーンが多々あって楽しめる。笑えるだけでなく、別れの時も克明に描いている点で、生き物と共に暮らすことへの覚悟ができる内容にもなっている。野良猫として、衰弱しきった状況で懸命に生きたヘッケ、22年という長寿を全うしたココアへの、作者の奮闘ぶりを読んでいて涙が止まらなくなった。単に「寂しい」「ペットが欲しい」という安易な気持ちで飼うのではなく、同居人として全力で共に生きねばならない、と痛感した。
猫を飼っている人もいない人も、読んで絶対に損はない名作。作者独特の文体はあるが、生命の尊さ、生きることの重さが感じられる。読後、猫を飼ってる人は間違いなく飼い猫を愛でたくなる。忙しい日々でも、なるべく長く「猫にかまけ」たい。 -
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「楠木正成」
楠木正成はいくさの天才で、いくさに命をかけている
それゆえ、つねにやばい状況へと吶喊をかけずにはいられない
そういう人なんだと思う
平和ボケしてロマンチストな現代人たる語り手は
ミーハーな気分でそれに近づき
適当にあしらわれた挙げ句、流れ矢に当たって死ぬ
複雑な南北朝時代の動きを
まあまあわかりやすく解説してくれた語り手だったのに…
「ゴランノスポン」
偽の村上春樹みたいな文体でエコだのロハスだの言い
関係性の広がりが人間を高めるとかいったポストモダンな希望を謳い
それでいて狭い身内の外に対しては極めて冷酷な
そういうナルシストの偽善が
ひとりの仲間の自死によって露呈してしまう
「一般の魔力」
公共の道徳にかこつけて八つ当たりや嫌がらせを繰り返している
そんな彼は、自分を模範的な市民だと信じこんでいるのだが
根は怠惰な臆病者なので
娘のエゴや、親としての責任に真っ正面から向き合うことができない
「二倍」
演技で成り立つ演技会社に運良く入社できたものの
仕事上の失敗は演技と言って済まず
クビになってしまう
ダブルスタンダードじゃないか、と言っても無駄なんだ
常識でものを考えてほしいところだ
しかしそれにしても
通常業務に加えて演技までさせられる現代社会とは
実に世知辛いところであるよなあ
「尻の泉」
清浄な泉が尻から湧いている
そのため常に下半身がずぶ濡れで
常にオムツをつけてなくてはならない
そういう、一種の聖痕を持つがゆえに世間から浮いた我が身の屈託
それが彼の人生をめちゃくちゃにしたのだ
しかし堕ちるとこまでとこまで堕ちたとき、尻の泉は枯れ果て
そのかわり頭に知恵が湧くようになり
彼は成功者になった
すべては神の試練だったわけである
そしてそれをクリアしたおれはすごい奴だぜ
と思ってたら、実はまだぜんぜん試練は終わってなかったという
「末摘花」
子供のころ、占い師から不吉な予言を言われるなどしたために
光源氏は屈折したやりちん男に育った
女性に対してはマザコン的な高い理想を要求する一方
滅びゆくものたちにシンパシーを感じるニヒリストでもあった
それで、零落した貴族の娘に興味を持ち
当時のことだから顔も見ないで同衾するのだけど
あとになってこれが、とんでもない醜女であることが発覚した
「先生との旅」
本当はやりたくないんだけど
後々のしがらみを考えると断れなかった講演会
失敗は目に見えているが、なるべくなら大目に見てほしい
つーかできれば、理由をつけて逃げ出したい
そんな無責任からくる依存心が
救済ともなる災いを呼び込んだのだろうか -
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ネタバレあー面白かった。
ゴランノスポンというタイトルからしてまず感動した。
ご覧のスポンサーの提供でお送りしました。これを幼少期のわたしは、ゴランノスポン、サーノテーキョウでお送りしました、だと思っていたので、このことばをこんな所でみるとは…!!と、幼少のみぎりのぼんやりとした記憶を呼び起こすとともに衝撃を受けた。
中身も本当に面白かった。どれも胸糞悪くて嫌な気持ちになる読後感でとてもよかったけど、特に一般の魔力がすごい。こいつこそクズ男だよなー、ていうそこら辺にいそうな普通の人で、でも愛猫家愛犬家の町田康がどんな気持ちでこの話書いたんやろうと考えてしまった。
求めていた胸糞悪さがどの話にもあるから堪らないよ。
楠木正成と末摘花は雰囲気違うというか、元々あるものに町田節を無理矢理ひっつけた感があって自然な町田康の感じ感を感じなかったのでほしいっこ減らしちゃったよ。
末摘花は雑誌掲載時に読んどったんやけど、源氏のクズさが引き立ってるよね。 -
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みんながおれを悪党だというが
なにもおれは悪党になりたくてなったわけじゃない
わざとじゃないんだ、わざとじゃ
だからおれは絶対に謝らんぞ
といったような、ちんけなプライドに根ざす傲慢さを抱えながらも
わたしはけっして根っからの悪党じゃない
だからつねに、そんなわたし自身の自己防衛的ないいわけについても
懐疑的でありつづけているのです
だからおれは本質的には善人であるわけだ
絶対に謝らんぞ
といった具合に、おれとわたしが無限増殖をしている
といった具合で、たくさんの我を背負っている
それ故にむしろ我ありということがいえるのではないかしら?
などとそのように
己を正当化するための欺瞞的信仰まで持ち出してくるのなら
もはやこちらとしては戦争しかないのであって
それを避けたいというなら、せめて形だけでも詫びを入れてほしい
頭を下げてほしい
郷に入れば郷に従ってほしい
つーか普通に生きなさいよ普通に
などとそんなつまらぬ結論をみるまでに
700ページも小説を読まなければならない
かくも人間の自意識とは度し難いものである
が故に
普通とはなにか?それを定義せよなどといった
クソめんどくせえ議論がここからはじまってしまうであろうことも
容易に予測できてしまうのであるが
まあ神ならぬ人の子がやることですからね、仕方ないね
絶対に謝らんからな
ってまたそういう話になってしまうわけよ
安らぎを得るために、我ら人の子は無謬をあきらめるしかないよ -
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ネタバレたまに町田氏の描く作品が文学なのかただの悪ふざけの言葉の羅列なのかわからなくなることがあるが、やはりこの短篇集を読んで、これは文学なのだと思った。
地獄から出られそうで出られない、もがけばもがくほど深海にはまりこんでゆく、そこもまた、日常。
この理不尽さが不快過ぎてたまに読むのが辛い。特に「ふくみ笑い」の胸糞の悪さ!
『ゼリーのような感触がして酸と便が混ざったような匂いがしたのも、目の前が白くなったのも一瞬、その一瞬の間に俺は、こんなことになったのも俺がみんなに対してエゴイスティックに振る舞い、仕舞には傷害や殺人をしたからだ。みんな自業自得だ、と思おうとした。俺は納得して死にたかったのだ。納得できなかった。やはり納得できねぇ。なんで俺ばかりがこんな目に。そう思った瞬間虫のねらねらした感触が顔面をおおって息がつまって顔面が赤熱苦しくなったその瞬間後に訪れた虚無すげえ。そのすげえ虚無に響いていた音楽。べらんが、めらん。』
ここまで理不尽な世界においてもやはり人は納得して死にたいのだなぁ。世の中がおかしいのか自分がおかしいのか。この虚無すげえ。 -
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「日本霊異記」(伊藤比呂美訳)
訳者あとがきで、伊藤比呂美さんはこの書に惚れ込んだ理由をこう記す。「なにしろエロい。グロい。生き死にの基本に立ち戻ったような話ばかりである。しかしそこには信仰がある。今のわれわれが持て余しているような我なんてない。とても清々しい。しかも文章が素朴で直裁で、飾りなんか全くない。性や性行いについても否定もためらいも隠し立てもない。素朴で素直で単純で正直で明るく猟奇的である。」(469p)
何しろ雄略天皇のセックスをたまたま見た小姓に向かい、天皇は場を取り繕うために「雷神を連れて来い」という話もある(15p)。これが、奈良県飛鳥の里に今もある「雷の岡」の謂れだというのだから、かなり有名な話なのであるが、実際の場所の立て看には「セックス」の話は一切ない。現代って、なんてツマラナイ。
9世紀初めに成立した日本最古の仏教説話集。奈良薬師寺の僧・景戒の筆。行基の大ファン。どうやら本気で行基は菩薩の生まれ変わりと信じていたようだ。彼の信じる仏教は、普通に読めば因果応報、現世利益なのであるが、本人は現世利益とは思っていなかったのだろうな、とも思える。でも、その「俗っ気」がとっても貴重で、彼の採取した話はホントに俗世間が多い。行間に当時の庶民の飾らない本音が垣間見えてとても興味深い。子育てをほっぽらかして男と寝てばかりいて死して苦しむ母親を、成人した子供たちが許して仏を作る話がある。「でも、私たちは恨みになんて思ってやしません。そんな母でも、私たちには慈しみの母でした。」(49p)あゝ人間ってそうだろな、と思うのである。
「今昔物語」福永武彦訳
「日本霊異記」より300年後の12世紀初めに成立。欠損はあって未完成だが、天竺震旦本朝の3部構成、壮大な意図で作られたはずだが、作者の名前も意図も不明。最後に無理やり仏教説話にこじつけているので、仏教関係者のはず。しかし、内容は無常観と淫蕩か漂い、不可解さもある。芥川が世間に知らしめ古典と変えたが、この物語が芥川を作家にした面もある。霊異記と比べれば気品があり、文章の構成力も増している。福永訳の選択には、芥川の入れた七つの話は出てこない。また、谷崎潤一郎は「少将滋幹の母」、堀辰雄は「曠野」、福永は「風のかたみ」を此処から想を得て小説を書いている。実際現代でも、何処かのエンタメ小説に出てきそうな話もある。天皇の母を鬼の霊力でもって邪淫する場面は、少なからずショックである(「天狗に狂った染殿の后の話」)。安珍清姫の道成寺のタネ本も此処にあったし(「女の執念が凝って蛇となる話」)、「異端の術で瓜を盗まれる話」は、中国で有名な説話の見事な和風になっているのだが、本朝話に載っている所を見ると、作者はそのことを知らなかったのかもしれない。「高陽川の狐が滝口をだます話」は、仏教説話にさえなっていない。1度騙した青年が少し情けをかけてくれて、2度目は騙しさえしなかったのに殺されそうになった。「人を騙そうとしたために、可哀想にひどい目にあった狐である」とつい作者もまとめてみせる。この狐に当時の庶民の女の姿が見えるのは、私だけだろうか。
「宇治拾遺物語」町田康訳
13世紀成立、「宇治大納言物語」の拾遺という意味で書かれた。付け加えた話も幾つかある。かなりくだけた文体になっているのか、町田訳もかなりくだけている。「道命が和泉式部の家で経を読んだら五条の道祖神が聴きに来た」は、現代で言えば、アイドルの桜井が石原に手をつけたあとインターネットしていたら「実は海外アーチストの多くがファンなんですよ」と外国人の下衆なファンが盗撮の報告のメールをしたというような話である。確かに、嘘か真か文春のスクープネタのようで、一般大衆の我々には、そんな話は頗る楽しい。「利仁将軍が芋粥をご馳走した」は、単なる芋煮会を開催しただけのように感じるのだけど、まあいいか。「楽人である家綱と行綱が兄弟互いに騙し合った」は、現代の兄弟芸人の間でもありそうな話だ。それにしても、訳がいいのか、選択がいいのか、それとも原作が素晴らしいのか、あまりにも傑作が多すぎ。
「発心集」伊藤比呂美訳
鎌倉時代初期、鴨長明が「方丈記」(1212年)を書いた数年後に編んだとされる仏教説話集。「宇治拾遺物語」は太田光がブラウン管の中で広く世に向かい得々と毒を吐いたのだとしたら、これは又吉直樹が教育テレビの中でボソボソと心情を語っているようなものだろう。両極端な見栄えはするが、語っているのは同じ芸人だということ、人に語っているということでは同じである。
鴨長明はマイナーな番組で、マイナーな人々(僧侶たち)に語っているのだから、内容は如何にして往生を遂ぐか、に尽きる。基本的には延々と執着を捨てよ、と書く。いくら書いても書いても、易行と難行の間を往来したり、至る所俗気満々である。ところが、細部に至ると、「玄賓、大納言の妻に懸想する事。そして不浄観の事」の最終節のように、真理に至る。(437p)彼は俗世間をよく観察した。ホントは「俗世間を離れる」ことに執着するのではなく、「俗世間を記録する」ことを生業と定めるべきだったのではないか。蓋し、事さに成り難しが人生也。 -
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ネタバレ義経記の現代語訳、というか町田康版。義経が千年の時を経て、幽霊なのかはたまたそのへんに魂が揺蕩ってるのだろうか、現代の視点から一人称で語る室町時代。とにかく古典なんて絶対読めない無知な私でもスイスイ読めたのは、いきなりハルク・ホーガンとハルク判官から始まるその突拍子のなさと独特のグルーヴ感のおかげである。
全4巻を予定しているらしいが、1巻だけでも内容が濃い。義経の出生→鞍馬寺→平氏打倒を決意し奥州へ→退屈になり京都へ戻り→弁慶と出会い→ともに兄頼朝の元へ、というのが大まかなストーリー。ここからは軍記物語らしくなっていくのだろうか。
ところで、木曽義仲は板東さんですか?町田康の天才ぷりが如何なく発揮されている。