町田康のレビュー一覧
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「鶴の壺」
むかし一緒に暮らしてた女が死にかけてるらしい
というので見舞いに出向いたがなんだかんだあって引き返す
つるつるの壺はたぶん関係ない
「矢細君のストーン」
テレビ観戦で応援してたボクシング王者の敗北を機に
自らの石信仰をあっさり放棄するエキセントリック友人の話
「工夫の減さん」
ケチで怠惰な己の性格を満足させるために
様々な工夫を凝らしては
たいてい大失敗を繰り返す友人の話
「権現の踊り子」
承認欲求の多い料理店
悲惨な踊りとパワハラを見せられて逃げることができない
「ふくみ笑い」
現実と被害妄想の区別がつかなくなって
気づいたらおそろしい世界にトリップしてる
「逆水戸」
水戸黄門のパロディ
ドライな黄門さまご一行が目論む勧善懲悪は現実の前に爆砕される -
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<狂気のほむら>が大好きだった。以下抜粋。
最近では各家庭に炊飯器というものが普及して主婦の労働というものはよほど楽になったと思われるが、これがむかつく。~中略~ 黙って引き下がるのも口惜しいので、「この大馬鹿者」「野暮天」「てめえの面なんざぁ見たくもねぇんだよ」「死にやがれ、くそ野郎が」などと罵倒するのだけれども、敵は機械。自分の各種罵倒に対して、なんら反応を示すことはなく、ひたすら飯を炊き、これを保温し続けるのである。
中略~つまり、これを水着、というのであって、着物の名称としてこれほど珍妙なものはないということが知れるのである。だいたいにおいて、着物というものは水にぬれないということを前提にしてデザインされるものであって、水にぬれる際は昔から、蓑、笠、柿の渋、などで防御したのであり、水着等というものは、最初から論理的に破綻しているのである。 -
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夏目漱石の「坊っちゃん」は権力者たちの横暴に対し
正義感から怒りの鉄拳をくらわすが
しかし最終的には敗北して田舎町を追われ
東京へと帰っていったのであった
町田康の「へらへらぼっちゃん」は東京に住み
パンクを歌ったり映画に出たり面白エッセーを書くなどして暮らしている
一見、抑圧とは無縁のフリーダムな人生であるが
結局は社会人である、時には卑屈になるし、満員電車にも乗らねばならぬ
なにより生活が不安定だ
それらの鬱屈をはらすべく、頻繁に飲酒をおこなうのだが
酔っぱらうと生来の無鉄砲が顔を出し、損ばかりすることになると
そういうわけである
でもどうにかなる日々
これは小説家デビュー前後、新聞・雑誌に書かれた面白エッセー集 -
Posted by ブクログ
古本で購入。
また町田康を読んでしまった。
読んでしまうのである。
「俺」の独白で語られる現実と思惑のズレ、齟齬スパイラル。
妄想と現実の境が曖昧なままに突っ走った果ての唐突な結末。
この唐突な、と言うより暴力的に話が断ち切られて終りを迎える感じが好きだ。
「でも人生ってそんなもんかも」などとわけのわからんことを思わせるような、無闇なパワーがある。
そのへんの感じは、特に『夫婦茶碗』(新潮文庫)に濃い。
ストーリーには爽やかさと言い感動と言い欠片もないのだけど、そのなまぐささとエグさが癖になる。
この本に収録されている連作(?)『人生の聖』なんて、キチガイじみていて意味はわからない。
だがそれがいい。 -
Posted by ブクログ
タイトルからしてエッセイかと思いましたけれども、実際は日記風の小説、といったところですかね。主人公はなんとなく町田氏を連想させますけれども、やっぱしフィクション上の人物なのであるからして、町田氏とは別の人物、と考えた方が吉かもしれないですね。
ヽ(・ω・)/ズコー
なんというか、平坦な日常の中にも時折見せる鬱屈とした感じが妙にリアルで、そういや、ボキもこういった気持ちになる時あんなぁ…みたいな共感・共鳴を呼んだのであるからして、少なくとも僕的には良作であった!
ヽ(・ω・)/ズコー
最近の著者の作品はエッセイみたいな小説が多い…という印象を僕は抱いているんですけれども、今作はその中でもかなりずば抜けた! 魅力ある著書に仕上がっているんじゃなかろうかと個人的には思いました。おしまい。
ヽ(・ω・)/ズコー -
Posted by ブクログ
『「猫の子をひろったので見に来て下さい。とても可愛い。名前をつけてください。今年の冬は厳しいキツイ、ピース」と書いており、ピースの後に、Vサインをする手の絵が書いてあった。減さんはたったこれだけのことを白紙に書き封筒に入れポストのところまで歩いていって投函したのだ。俺は減さんに電話をかけた。
「別に電話でもいいよ」』
『つまり貯蓄するためにいろいろの工夫をして節約するのだけれどもその工夫が一定の効果を上げぬため、精神が鬱屈・内向、これを散じるために入費がかかり、その入費が工夫によって節約した金高を常に上回っていたのであり、減さんが貧乏をしているのはなまじ貯蓄をしようとしたからであるといえるのである。
しかしそれとて減さんが工夫をせずいま少し地道な手段、方法をとればそんなことにはなっておらず、減さんはいわば工夫によって窮地に追い込まれていっているともいえるが、しかしそれをなんとかしようとして減さんはますます工夫をするのである。』
『減さんは自分が内向した気を散じるために酒場に出掛けている間、子猫が渇死せぬように自動水遣り器を拵えているのだった。おそらく千円かそこいら出せば町でいくらでも購入できるものだろう。けれども減さんはそれを貯蓄に回すために自ら工夫する、失敗する、鬱屈する、飲みに行く、貧乏する。』
『文字や言葉は全部嘘でこういう青空だけが本当なのだ。この焦げ臭さとかね。』
『ワインを飲むというプラスと殴り倒されるというマイナスをどう計算すればよいか。何度か計算をしたところ僅かにプラスになった。俺はどつきまわされてもワインを飲む。腰が砕けても焼酎を飲む。それが俺の生きざまだ。』 -
Posted by ブクログ
「パラ…、なんだいそりゃ?」と尋ねたのはのび太。それに答えたのはドラえもん。
「パラサイト」なんて言葉があるね。寄生って意味なんだけど、要するに独力では如何ともしがたい低級な能力しか持っておらぬ存在がために、より上級な存在におべんちゃらを使って、胡麻を摺り摺りして、ご厚恩にあずかるというか、ま、あずかるというよりも甘えるだよね、これは、うん、って違う違う、そげなこと、ドラえもんは答えていないよ。
じゃあ、「パラダイス」。楽園というか極楽というか。まあ、何かよくわからないけれど、とりあえずハッピーなんだよね。昔、スーパーファミリーコンピューターで『ワギャン・パラダイス』なるソフトがあって、ワギャンという名の恐竜、恐竜というてもその外見はちっとも恐ろしくなく、むしろ当世流行りのゆるキャラのような愛らしいルックスをしたキャラクターが、ワーとかギャーとか言って敵を懲らしめるみたいなアクションゲームなんだけど、そういえば、ドラえもんの大長編シリーズの第1作目は『のび太の恐竜』だったね、『ワギャン・パラダイス』とはまったく連関はないんだけれど、っていうかそもそも「パラダイス」でもないよ、ドラえもんが答えたのは。
じゃあ、正答を述ぶると、「パラレル・ワールド」。平行・並行世界というやつだね。今ある世界と同時並行的・進行的に存在している別世界。この2つの世界それぞれに己が存在していて、ある事象に対して、Aという選択肢をチョイスした己が存在しているのは今ある世界。で、Bという選択肢をチョイスした己が存在しているのはパラレル・ワールド、別世界、てな感じ。
僕らは平生より、いろんな判断・決断をしたり、あるいは迫られたりしていて、例えば今日の午飯は鰻丼にしようかチャアシュウ麺にしようかとか、長年連れ添うたパートナーに別れを切り出すべきかあるいは腐れ縁・現状維持にて耐え忍ぶべきかとか。ときには熟考を迫られるお題目もあるけれど、大概の事は即断即決するのは、ぱぱぱっと決めて行かんと捗るものも捗らなくなり停滞するから。
そのぱぱぱのせいで、後々、悔いやら反省やらと向き合わんければならない破目に陥るんだけど、でも、生きていくためにはある程度のぱぱぱは必要、忙しいからね人間は。ああ、あのときもう1つの選択肢を選んでおったら、今頃、己はどれだけ快楽・愉悦に浸ることができたことかなんて後悔することもあるんだけど、所詮それは叶わぬ妄想に過ぎず、現実にパラレル・ワールド云々をいうて生きている人はほとんどおらんだろう、忙しいからね人間は。
とはいえ、「もう1つの世界・もう1人の自分」というフレーズにはなんとも蠱惑的な響きがあって、実際にそれを妄想してしまうことを、まあ、赦されているのが人間。特権。猿や犬やミジンコなどが別世界だのもう1匹の猿・犬・ミジンコだのを思念することなどないからね、うん、ミジンコの数え方が「匹」なのかどうかは疑わしいけれども。
結局、今ある世界に、つまり現状に満足できん自分がいるから、そんな阿呆なことを考えるのだ。「今生」が駄目なら「後生」があるサ、などというのも、「後生」において自分がええ思いをしたいがために、今生のことはもう諦めて、残りの人生の艱難辛苦はオール我慢するよ、我に七難八苦を与えたまえ、そのかわり後生のことはおたの申します、あ、でもなるべく辛度い思いはしたくないから、やっぱり二難三苦くらいにまけたって丁髷、なあんてどこかしら不純かつ自堕落な欲望を発露とする、愚。愚。愚。負け。感情の敗北。
別の世界・別の時代に期待すればするほど、今を生きている生身の・リアリティーの伴った自分を疎かにしてしまう。あるいは拗ねる、いじける、怠ける、生蔵。そんな箸にも棒にもかからぬような根性では、今生を台無しにするだけでなく、もう1人の自分も(それは並行世界にいる自分だか、いつか生まれ変わるときの自分だか分からぬが)、同じように台無しにしてしまうことだろう。何故ならば、そんなぐうたらな思想しか持たない魂なんだから。救いようがあらぬ魂なんだから。
決して冷めているわけではないよ。ドラえもんはいないし、恐竜・ワギャンも架空の世界だ。もう1人の自分、if…なんてのも、あるいはドラえもんやワギャンと同レベルの話なのかもしれぬ。
グダグダしておったら、いつまで経っても・いつになっても・どこに居ても、あなたはグダグダのまんま。要するに、今を真実・真正に生きよ、このことに尽きるんだよね。人間だから、おかしな期待感を持ったり、情欲に憑かれたりというのを完全に避けるのは厳しいかもしれないけれど、せめてオイラは真面目に生きていますぜ、そう胸を張って言えるくらいの生き様を見せてやるんだぜと、それくらいは決意し実践せんければあかんのだなあと僕は私は思ったのでありました。 -
Posted by ブクログ
すごく面白い。爆笑。
電車や会社で読むのは危険です。
私は電車で読んでしまったために、静かな車内で突然笑い出す怪しい人になってしまいました。
失敗した…。でも楽しかった。
エッセイのテーマというか入口は意外と私にも馴染みのあるものだったりするのだけど、進んでいく道がちょっと違う。
え?そっち?という感じ。
例えば忍者が水面を歩く場合に、右足が沈む前に左足を出してそれが沈む前にまた右足を出す…とかなんとか言ったりするけれど、いつも無理矢理な印象を受ける。
このエッセイの面白さもそれに近いような気がする。
「大丈夫?」が出てこなくて「ズイジャーノ?」と言ってしまうとかその辺りが特に。
しかもその無理矢理な道がネガティブ思考と自虐から導き出されていたりするので、大いに共感してしまったりして…。
で、気付くと笑いを堪えられなくなっている。
苦虫の味なんて知らないでいられるならその方がいい。
でも忘れられない不味さを知ってしまったら、その不味さを笑いに変えてしまいたい。このエッセイみたいに。