町田康のレビュー一覧

  • 耳そぎ饅頭

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    町田康のうくくなエッセイ。

    偏屈にだけはなりたくないと誓って生きてきたにもかかわらず、パンクに目覚めて爾来、偏屈な急坂を只管、転げ落ちるばかりであったという人生。

    このままではあかん、脱・偏屈と、大嫌いなカラオケを歌い、厭悪する温泉旅行に向かい、忌諱するミュージカルを観劇し、北海道で蟹を喰らい等々、あらゆる試みをするも撃沈。事はちくとも捗捗しくならぬ。

    そんなマーチダさんの当エッセイは、なんだか小説のようにも読めて、僕の中ではかなりお気に入りの作品。

    「自由ってアホだよね。」、「虚ろ飯、うつけ飯」、「俺をなめるな。侮蔑すな。」、「ちゃんとしたいと思ってね。」、「個人の暴れん坊」など傑作

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    2012年04月09日
  • 笛吹川

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    武田信玄ものはいろいろ読んだが、
    この作品は甲斐の国の領民を描いている。
    領民と言っても笛吹川沿いに暮らす最下層の農民たちの
    六代にわたる物語である。
    日常の中に飢えがあり、自然死があり、農民の逞しさあり、
    洪水で家が流される・・・・
    若い時読んだ印象に比べ。、いま再び読んでみると「笛吹川」が問題作、名作と言われる所以が少しはわかる気がした。

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    2012年03月23日
  • 実録・外道の条件

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    『しかしながらみんながみんなエンターテイナーになってしまっては国が立ちゆかないので、子供には家庭で学校で、アリとキリギリスの話をするなどして、ともすればエンターテイナーを目指そうとする子供に、そういう面白おかしい生活は人間としてはおろか、昆虫としても間違っているのだ、という教育を施し、一丸となって、子供のエンターテイナー化を防止してきたのだけれども、それがこのところおかしくなってきた。』

    『確かに木原の話は魅力的である。がんがん宣伝をやってがんがんCDが売れれば、収入もがんがん、みんながんがん、わたしもがんがん、人生が明るく豊かになるに違いないのだけれども、ひとつ問題があるとすれば、木原の話

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    2012年02月16日
  • どつぼ超然

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    もーーーなんなんすか、この人ーーーー!!
    面白いよ!!

    十数年ぶりに町田康さんの文章を読んだ感想です。
    「余」の一人勝ち。

    私は本書を病院の待合場所やカフェなど、公共の場所で読んだのですが失敗でした。数ページに数回は声をあげて笑いたくなる箇所が訪れるため、笑いをこらえるのに苦労しました。

    ひとり、心置きなく声をあげて笑うことができる環境で読むことをおすすめします。

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    2012年02月01日
  • 猫にかまけて

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    この本の恐ろしいところは、「町田さんはほんとうに猫さんが好きなのねー文体から町田さんの猫さんへの愛が伝わってくるわー」などと余裕ぶっこいていると、実は猫を愛していたのは他でもない己だったのだ、ということを思い知らされる点です。

    町田さんの文章は相変わらずレロレロと楽しく、私にはそれがわかりよいわけですが、その猫への愛でもって書かれた文章を読みながら猫の姿・仕草・態度を明瞭に、あまりに鮮やかに思い浮かべているのは、これまた己自身の猫への愛なのです。
    結果、私は自分で思う以上に猫を愛していたことを思い知らされ、町田さん宅の猫が亡くなるような時の描写さえ容赦なく、私を刺すのです。

    わざわさこんな

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    2012年01月16日
  • 残響―中原中也の詩によせる言葉

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    知っている詩がある。結構たくさんある。
    そうだ、こんな詩を読んで、こんな詩に惹かれていたのだったな、と思う。
    勘違いして覚えていた詩もある。「月夜の浜辺」など、「月夜のボタン」というタイトルだとずっと思っていた。ボタンではなく、浜辺のほうが主役なんだな。

    時空を超えて、2人の言葉が響き合う。セッションのようだ、と言いたいところだけれど、たぶんそんなサッパリした形容は似合わない。
    ごつごつしている。ごつごつが響き合う。
    この世との相容れなさ、身の置き所のなさ、だろうか?

    町田の言葉は古風だし、中原のそれは若々しく、青々しい。どちらが今の人か?と思うほど。

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    2011年12月21日
  • 浄土

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    2011年の本、56冊目。

    町田康を補充。うむ、快感である。

    圧倒的一人称で突き進んでいくスタイルで貫かれているものの、
    それぞれの短編を形作るものは、それぞれ違っていて、
    でも最後はそれっとオチがぶっ飛んでいく、それがそれぞれ面白い。

    短編なので、試みに内容を短くまとめてみる。
    決してふざけないつもりだが、そうとられても仕方がないかもしれない。
    ただまとめようとすると、とてつもなくワケわからなくなってしまうのだ。

    それと、野暮とは思いながら、各短編で述べられてると、
    自分なりに解釈したことを添えたり添えなかったり。


    【犬死】
    ひどいことがうち続くので、豚田笑子の紹介でジョアンナ先

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    2011年11月29日
  • 残響―中原中也の詩によせる言葉

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    中原中也は大好きなんだけど、現代に中也まんまのスタイルで詩を書く人がいたら、中二病と言われるだけだろう。

    実際、中也の詩はじめじめしていて、不必要に暗かったり、そのまんまランボーのパクリのようなこともある。だけど、暴力的なくらい正直で純度が高い。

    その中原中也の詩の数十編に、町田康が呼応する形で、詩を書いた本。どちらもリズムが素晴らしく音楽的で、正しく残響というタイトル通り。

    一見してスタイルは違うが、今の時代に中原中也の詩がはらむものを伝えるには、町田康の、落語のようでなぜか暴力と哀しみが垣間見える詩と組むことは、確かに合っている。

    とりあえず、最後の四行詩に呼応した、町田康の七行詩

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    2011年11月27日
  • つるつるの壺

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    『そしてたぶん自分は、今日も涙で明日も涙。明後日涙で、明明後日うすら笑い。その後のことはようわからん。』

    『拙宅にも猫が二匹いて…、ー 思い切って申し上げると、私としては、これを、匹、と言いたくないのであって、じゃあなんなんだ、と言われても困るのだけれども、うーん。困った。じゃあ、本当の本当の本当の事を言うと、恥を申し上げるようだけれども、言いますと、「私はこれを二人と言いたい」うぐぐぐ。とうとう言ってしまった。』

    『こうしてすべてを告白してしまい、余計な虚栄心を捨ててしまったいま現在、私は大変安らかな気分である。誰に対してでも、堂々と、「拙宅には猫が二人います」と言えそうな心持ちがする。

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    2011年11月11日
  • 残響―中原中也の詩によせる言葉

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    中原中也にアテラレタ。今も昔も変わらない心象風景がある。
    風化しない詩がある。町田康さんの毒気が感じられない程の中原中也の言葉の力。

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    2011年10月25日
  • 真実真正日記

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    日記にある内容のどれが「私」に本当にあったことでどれが妄想なのかもわからない。
    また作家でバンドマンである「私」の日記には、町田康自身の真実がどのくらい含まれているんだろうか。
    でもそれは明らかにする必要はないと私は思う。

    読んでいて舞城王太郎『暗闇の中で子供』の一文を思い出した。

     ある種の真実は、嘘でしか語れないのだ

    めちゃくちゃな出来事を一心に綴った「私」の文章は嘘でかためられているれど、その文章の奥に、何かを訴えてくる真実の存在を確かに感じる。

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    2011年08月22日
  • どつぼ超然

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    日々、頭の中で取り留めもなく考えていることを一字一句そのまま文字に表したら
    こんな感じになっちゃうんじゃないんだろうか。
    所々に時流に乗った単語を入れてくるのはずるい。不意に笑ってしまう!

    脳で遊ぶ
    という言葉がとても気に入ったので
    ネガティブな思考に陥ったら即座に思い出そう。

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    2011年08月06日
  • 浄土

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    素直におもろい。
    一言主のお話に爆笑してしまった。

    原発関連の不穏さがまださめやらぬ現状で、ギャオスの話は
    非常に示唆的に見えた。


    あとがきやるきねえ

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    2011年07月30日
  • どつぼ超然

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    あえて迷いこもうとする迷路のようであり、脱線ぐるぐる自己完結のオンパレードなのである。その様を眺めるのはたいへん愉快。いちいちげらげら。それは突飛だからウケてしまうのではなくて、なんというか親近感、そう思うわーとか何その捻くれ具合わかるわとか、そういうの。現実ってもんはこんな感じだよね、僕も私も。あと「余」と一緒にうだうだ巡らすことによって、はっと気付かされることがあるなあと思った。
    あ、そうだ盗撮婆が気になって眠れない。

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    2011年03月02日
  • どつぼ超然

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    声を出して笑える。料理を注文するのに何ページも使うのはこの人ぐらいだ。エッセイっぽいけど一応フィクションなんですね。

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    2011年02月11日
  • どつぼ超然

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    主人公<余>は何かやらかしそうで危うい。心の内側から繰り出される言葉が、削除されず表現された文章。韻を踏んだり言葉遊びで作られたりした文章から一歩進んだ作品だと思います。これが後退なのか座標の移動なのかはわからないのですが…

    町田さん流の人間失格といった感じ。

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    2011年01月27日
  • どつぼ超然

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    今までに読んだものと雰囲気が違うと思ったら、言葉数が少し少ない。まくし立てるような感じではなく、もう少し時間はゆっくりと流れている。『実録・外道の条件』のように重くじっとりとまとわりつくことはない。もう少しドライ。でも、絡まりつくような感じはある。

    久々に読んだ町田康。うまくことばにできないけれど、おもしろかった。

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    2011年01月14日
  • へらへらぼっちゃん

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    ネタバレ

    こういう感じ好きだなぁ。
    なんだかよくわからないけど、読んでるとなんか安心してくるんだなぁ。
    この人の小説も読んでみよう。
    音楽も聴いてみんければ。

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    2010年12月22日
  • きれぎれ

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    高校生の頃に買って途中で挫折。そして再読。
    著者はロックシンガー町田康。いい味出してる作品。
    主人公の堕落を、無様を嘲笑える。

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    2012年06月15日
  • きれぎれ

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    へらへらと生きる“俺”がだらだら語るうちに、友達の、道行く人の、他人の悪意が襲いかかってくる。
    でも読んでいるうちに、全ての悪意はこの本人から発せられたものに見えてくる。
    自分が社会に向けた敵意は、鏡のようにはね返されて自分を突き刺す。

    “俺”が社会を突き放しているのか、社会が“俺”を突き放しているのか。
    しかし、解説で池澤夏樹が書いているように、どんなに馬鹿馬鹿しくても“俺”は「大衆を見下して超然としているわけにはいかない」。
    どれだけ社会を軽蔑していても、現実ではおべんちゃらを言いながらへらへら笑って金を借り、ハムをめぐんでもらわないと生きられない。
    だからこそ主人公は滑稽にも、悲しくも

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    2019年01月16日