町田康のレビュー一覧
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『しかしながらみんながみんなエンターテイナーになってしまっては国が立ちゆかないので、子供には家庭で学校で、アリとキリギリスの話をするなどして、ともすればエンターテイナーを目指そうとする子供に、そういう面白おかしい生活は人間としてはおろか、昆虫としても間違っているのだ、という教育を施し、一丸となって、子供のエンターテイナー化を防止してきたのだけれども、それがこのところおかしくなってきた。』
『確かに木原の話は魅力的である。がんがん宣伝をやってがんがんCDが売れれば、収入もがんがん、みんながんがん、わたしもがんがん、人生が明るく豊かになるに違いないのだけれども、ひとつ問題があるとすれば、木原の話にはなんの裏付けもない、ということである。』
『わたしは、出演料、印税、原稿料などによって生計を立てている。そしてそれらはときに、健康で文化的な最低限の生活を営むために必要な額を下回っていた。』
『現場に通ったわたしは、どういうわけか顔面を真っ黒に塗られ、結局のところヒーローが救助に現れたため未遂に終わるのであるが、ヒロインをマンションの一室に連れ込んでレイプに及んだ挙げ句、その一部始終をビデオに撮影してこれを売り捌かんとする悪漢の役を誠実かつ真摯に演じたのである。』
『すなわち、人間、土下座さえしていればおのずと道は開ける、という様田の乞食哲学は完全に破綻、蹉跌を来したわけである。』
『僕はそういう立場にない、と説明したが、しかし、土下座が生き甲斐の様田は聞く耳を持たない。彼女はこの世に土下座が嫌いな人が居るということに思い至らぬのである。』
『それからまた一週間。月曜日はししゃも食って火曜日は眼鏡を失くして水曜日はたにし採って木曜日は根津権現にお参りをして金曜日は靴下の片方がねぇじゃねぇか、と言って大暴れ、自暴自棄になって外出を取りやめ、大酒を飲んで、土曜日は二日酔。』
『なんだか荒涼として貧寒として、木やなんかも赤茶けてたり、白っぽかったりして元気なく、その配置もまた、戦場に拵えた公園のように味気がなく、風情がなく、ものの五分もいたら気持ちがささくれ立って自殺したくなりそうな公園なのである。』
『おおっ、とどよめきのような感嘆の声をあげ、そうなんですか。ちっとも知りませんでした。蒙を啓かれた思いです。積年の疑問が氷解しました。目から鱗が落ちました。ぼーん。と、これは鱗が落ちた音です、といった反応を期待していたのだろうか』
『この茶淹れ機たるや、スイッチを入れた途端、がしゅっ、がるるるるるるる、がじゅがゅがしゅ、ぎゃああああああ、という野獣の咆哮のごとき大音響を発し、初めてスイッチを入れたとき私は、てっきり機械が故障したものだと思いこみ、終始狼狽のあまり、軽く踊ったくらいである。』
『死のうと思った。こんなところでこんなつまらない品書きを眺めしゅず子ずれと食事をしているような腐った人生を生きるなら死んだ方がましだ。俺はムール貝を注文した。ムール貝などといって気取っているが、この店のこと、必ずやいい加減な、おそらく目と鼻の先の川でガタロが鉄屑と一緒にさらえてきた、訳の分からぬ毒に汚染された、それも一ヶ月くらい前の貝に違いないと確信、その貝の毒にあたって死んでやろうと決意したからである。』
『僕の死骸はごみ焼却場で紙屑と一緒に焼いて遺灰をリスの躰に塗りつけて下さい。』 -
Posted by ブクログ
知っている詩がある。結構たくさんある。
そうだ、こんな詩を読んで、こんな詩に惹かれていたのだったな、と思う。
勘違いして覚えていた詩もある。「月夜の浜辺」など、「月夜のボタン」というタイトルだとずっと思っていた。ボタンではなく、浜辺のほうが主役なんだな。
時空を超えて、2人の言葉が響き合う。セッションのようだ、と言いたいところだけれど、たぶんそんなサッパリした形容は似合わない。
ごつごつしている。ごつごつが響き合う。
この世との相容れなさ、身の置き所のなさ、だろうか?
町田の言葉は古風だし、中原のそれは若々しく、青々しい。どちらが今の人か?と思うほど。 -
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2011年の本、56冊目。
町田康を補充。うむ、快感である。
圧倒的一人称で突き進んでいくスタイルで貫かれているものの、
それぞれの短編を形作るものは、それぞれ違っていて、
でも最後はそれっとオチがぶっ飛んでいく、それがそれぞれ面白い。
短編なので、試みに内容を短くまとめてみる。
決してふざけないつもりだが、そうとられても仕方がないかもしれない。
ただまとめようとすると、とてつもなくワケわからなくなってしまうのだ。
それと、野暮とは思いながら、各短編で述べられてると、
自分なりに解釈したことを添えたり添えなかったり。
【犬死】
ひどいことがうち続くので、豚田笑子の紹介でジョアンナ先生に会ったら、「来年の夏に死ぬ」と言われ、お守りをもらったのだけど、性感マッサージにいったらそれをなくしてしまった。豚田笑子に会いたい。
→正しく生きようとして生きられない人間の悲哀。
【どぶさらえ】
町会費を滞納していた俺が、町内のどぶさらえをしなければいけなくなって、富久縞さんに目を背けられ、ビバ!カッパ!
→みじめなムラ意識とそれからはみ出す自意識過剰男。
【あぱぱ踊り】
「俺は凄い」という男と、そいつに媚びて踊る女二人と、エケメに行ったら、散々な感じで、外に出たところ、ガタロに男が殴り殺された、という一面の流れを見届けた男は、温いうどんが食べたくなった。
→北半球的俺様と、南半球的貧困層。
【本音街】
「褒められると気色がよいからです。褒めるところを探してほめてください」「褒めるところは一行もありません。はっきり言って一文字一文字が腐っています。…」というような本音がとびかう街に行った。
→建前社会への痛烈な皮肉。
【ギャオスの話】
東京に突如現れ、あらゆるものを壊し、人々を食らい、カメラを向けられるとポーズをとってしまうギャオスと、それに関わる人々のお話。
→ギャオスは人であり、人はギャオスになりうる。
【一言主の神】
暴君、幼武尊が一言主の神と出会い、そのアドバイスで国を治め、その言葉(に付随して表れるもの)に悩まされ、ボンペイサファイアによって、寿命を全うする。
→混沌と秩序と正しさ。
【自分の群像】
仕事のできる位多子は、仕事をしない似田に冷やかされながら、仕事のできない温夫の尻拭いに疲れ果ててしまった。治療師に肩の痛みをとってもらったら、指先から黒い汁として垂れてきてしまったので、それを温夫に食べさせたら、温夫は笑い続けて、しまいには首がとれてしまった。
→仕事上の不条理。
特に、【自分の群像】は面白かったー。色々響く部分があった。
『人間にとって責任のない立場で正論を唱えることほど気持ちのよいものはないのである。』いやはや、全くだ。 -
Posted by ブクログ
中原中也は大好きなんだけど、現代に中也まんまのスタイルで詩を書く人がいたら、中二病と言われるだけだろう。
実際、中也の詩はじめじめしていて、不必要に暗かったり、そのまんまランボーのパクリのようなこともある。だけど、暴力的なくらい正直で純度が高い。
その中原中也の詩の数十編に、町田康が呼応する形で、詩を書いた本。どちらもリズムが素晴らしく音楽的で、正しく残響というタイトル通り。
一見してスタイルは違うが、今の時代に中原中也の詩がはらむものを伝えるには、町田康の、落語のようでなぜか暴力と哀しみが垣間見える詩と組むことは、確かに合っている。
とりあえず、最後の四行詩に呼応した、町田康の七行詩は珠玉の出来で、大笑いしました。 -
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『そしてたぶん自分は、今日も涙で明日も涙。明後日涙で、明明後日うすら笑い。その後のことはようわからん。』
『拙宅にも猫が二匹いて…、ー 思い切って申し上げると、私としては、これを、匹、と言いたくないのであって、じゃあなんなんだ、と言われても困るのだけれども、うーん。困った。じゃあ、本当の本当の本当の事を言うと、恥を申し上げるようだけれども、言いますと、「私はこれを二人と言いたい」うぐぐぐ。とうとう言ってしまった。』
『こうしてすべてを告白してしまい、余計な虚栄心を捨ててしまったいま現在、私は大変安らかな気分である。誰に対してでも、堂々と、「拙宅には猫が二人います」と言えそうな心持ちがする。』
『休日。精神的な快楽と肉体的な快楽とどっちにしよう? つって、やっぱり精神的快楽。ー それに精神つったほうがなんか高尚な感じがするし。イエイー、てって精神的快楽といえばやはり
読書』
『だいたいにおいて文字というのは威嚇的である。例えば、脅迫状や不幸の手紙なども、字で書いてあるからこそ、所期の目的を達成する可能性があるのであって、もし仮にこれが、紙に悪漢の顔が書いてあって、その横に、「六千万円もってきてちょんまげ」などと書き添えてあったとしたら、なにかの冗談だと思って誰も本気で対応しようとはせず、人質は殺害されてしまうだろう。』
『それじゃまるで××じゃないか。そういう××は一刻も早く、××××に××にしてしまわないと、××だよ。』
『自分のような人間とて人並みにいただく御飯もいただかんければ生きていかれず、その、米代、味噌代、醤油代を支払うための最低限の金子は稼がんければ相成らぬからで、しょうがない』
『まったく仏語を解さぬ自分はパリで三歳児にも劣る状態であり、煙草ひとつ買うにもふたりの人間の介助を要するといった体たらくであったが、まあそこはなんとかなった。』
『俺は切手しか買わぬ。最低のブタ野郎だ。クソ野郎だ。ケチ、ケチ、ケチ、ケチ野郎なんだよ。貴様はよ。ロール・オーバー・シャイロック。エブリバディレッツ貯蓄』
『しかしそれもまた不自由な話で、進むも不自由、引くのも不自由、不自由の泥沼の中で人は生き、そして死んでいくのだ、終わっていくのだ。腐っていくのだ、なんてことを考え自分は猫を抱きしめ踊り狂った。』
『ほどなくして運ばれてきた蕎麦、わーい。実にうまそうだ。食べよ食べよ。しかしながらその前にやはりもう一杯飲もうかな。なんてって、脇に蒸篭を置いたところ、手元が狂って蕎麦を床にぶちまけてしまう。しかし僕らはプラス思考。いいじゃないか。蕎麦くらい。人間だもの。』
『僕は、あなたに、水戸黄門のテーマを日に五度聴けばいいと思う。そして有名な、「人生楽ありゃ苦もあるさー」という歌詞を「人生、苦もありゃ苦もあるさ。苦もありゃ苦もあるさ。苦もあーりゃー、苦もありゃ苦もあるさ。苦もありゃ苦もありゃ苦もあるさ」と歌い替えてごらんなさい。やがて結婚なんて大した苦じゃないと思えるようになり、そのうちある点を超えると、うそのようにいい加減な人間になる』
『音楽というものは論文ではないのであって、言いたいことなどあるわけがないし、一言に要約できるような種類のものではない。』
『親に背いてパンク歌手に成り下がった身の因果を思い、来世ではきっと堅気になろうと心に誓う』
『回転式鼻毛剃りを全世界に普及させるためです』 -
Posted by ブクログ
へらへらと生きる“俺”がだらだら語るうちに、友達の、道行く人の、他人の悪意が襲いかかってくる。
でも読んでいるうちに、全ての悪意はこの本人から発せられたものに見えてくる。
自分が社会に向けた敵意は、鏡のようにはね返されて自分を突き刺す。
“俺”が社会を突き放しているのか、社会が“俺”を突き放しているのか。
しかし、解説で池澤夏樹が書いているように、どんなに馬鹿馬鹿しくても“俺”は「大衆を見下して超然としているわけにはいかない」。
どれだけ社会を軽蔑していても、現実ではおべんちゃらを言いながらへらへら笑って金を借り、ハムをめぐんでもらわないと生きられない。
だからこそ主人公は滑稽にも、悲しくも見える。
“俺”は孤独だけど、真っ暗な中で一人ぼっちの孤独じゃなくて、雑踏の中でぽつねんと立っている姿がどうしようもなく孤独。