あらすじ
絵描きの「俺」の趣味はランパブ通い。高校を中途で廃し、浪費家で夢見がちな性格のうえ、労働が大嫌い。当然ながら金に困っている。自分より劣るとしか思えない絵を描く知人の吉原は、認められ成功し、自分が好きな女と結婚している。そんな吉原に金を借りにいく俺なのだが……。現実と想像が交錯し、時空間を超える世界を描いた芥川賞受賞の表題作と短篇「人生の聖」を収録。町田康ならではの、息もつかせぬ音楽的な文体。読むことがめくるめく快感、そんな作品です。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
芥川賞受賞の表題作を含む中篇2作収録。
既に己の作品世界を圧倒的に確立していた作者だが、中上健次にも通ずる煮詰まった文体とブッディズムに加え、妄想・現実の境が意図的に取っ払われた一人称視点と、表題作は芥川の枠に収まらないと感じた。
明確に読者を選ぶモノローグ作品だが、はぐれ者を描く視座が大きく変化した『人間の聖』も非常に読み応えがあった。
Posted by ブクログ
名古屋へ行くのに持たせてくれた、休憩室の鞄の下に置かれてる、少しの間のお守りがわり。
薄くて読みやすいよって言ってたけれど、なかなかどうだむずかしい、わたしにとって話し言葉は吹き抜ける風、見えない。
読みながら、日記が影響を受けてた。
Posted by ブクログ
町田康の文体は、もはや町田康以外には考えられないぐらい確立されている。何作かしかまだ読んではいないが、社会に馴染めず、金もない、どうしようもない自堕落な青年を主人公とした作品が多い印象で、そのキャラクターとこの文体が完全にマッチしていて、素晴らしいの一言。ストーリーはもはや必要のないレヴェルで読書が進む進む。
文章が語り口だから、音楽的。意外とこんな文章読み慣れてないから、ちょくちょく内容が入ってこなかったりするが、その体験すらもたのすぃ。
今作は1ページ目から、度肝抜くような始め方だが、一見シュールレアリズム的かと思いきや、そうではなく、ファンタジーの要素の方が俄然強い。現実すらもファンタジーのようになる魔法がこの文体にはある。癖になる。作者のユーモアのセンスもあってこその芸当。喝采。
きれぎれの方が断然好みだし、完成度も高いと思う。が、人生の聖の方が作者が好き勝手に書いて、作者の人生や実体験が色濃く反映されているような印象を受けた。
Posted by ブクログ
特別に面白い展開はなくても文章の面白さでぐいぐい読めた。リズムが気持ちいい。主人公はダメダメだけど育ちがいいからところどころで教養が滲み、ユーモラスで惨めで憎めない。お見合いを滅茶苦茶にするシーンなんか最高だった、馬鹿で不細工。
解説で池澤夏樹が、(類似作家としてよく挙げられる太宰と違って)町田康は没落者ではなく、日本全体が没落したのではと指摘してて興味深かった。「泡沫景気が崩壊して、自信を失い、目標を失い、当惑している。何かが終わってしまって、次が始まらない。教養はあるけれどその使徒がない」。きれぎれを読んでいて何となく他人事ではないと焦るような気持ちになったのは、作中を漂う空虚さが限りなく現実のものだったからだと思う。
Posted by ブクログ
な、なんだこの小説。文章がめちゃくちゃ面白いだけで内容なんにもないぞ。でもなんかかなり強烈な印象を残してくな。こんな異様に体言止めの多い文章ってか小説は初めて読んだ。この文章は俺の知ってる散文の範囲をギリギリ超えてる。散文の可能性を破綻しないながらも新しく規定してるようにすら思える。自由奔放で天才的な語彙の選択と唯一無二のリズム感で書かれる文そのものがエンターテイメントだわ。大笑いしちゃうよ。しかし、くんくんに、とか、げっつい、とか聞いたことないよ町田語??まあ、先に読んだエッセイの方が文章も洗練されてて内容も面白かったかな。
Posted by ブクログ
目次
・きれぎれ
・人生の聖
主人公(語り手)の脳内だだ洩れの一人称小説は好きだ。
好きなんだが、好きなはずなんだが。
これには苦戦しました。
SFもファンタジーも好きだけど、マジックリアリズムが苦手。
輪郭のくっきりはっきりした世界の中で突拍子もないことが起こるのは好きだけど、世界の輪郭ごととろとろ掴みどころがなく嘘か真か妄想かわからないまま話が進むのが苦手。
この融通の利かなさがまさしく私なのだと、図らずもこの本から突きつけられてしまったわけだけど、そういうわけで、全く理解できませんでしたとしか言いようがない。
文章のリズムが良いところは好きだ。
けれどそれは、あくまでも黙読している時の話で、音読しようものならつっかえつっかえ、リズムぶち壊しながらしか読めない。
だってこの作品が発表されたのは、平成12年だからギリギリ前世紀なんだけど、それにしてもチョイスされた言葉の古臭さよ。
大正から戦前に書かれたのですか?っていうくらい口にしたことのない言葉と、斬新なオノマトペ。
これは、音読できないでしょ。
っていうか、できな過ぎて笑ったわ。
それでも『きれぎれ』は、唐突にシーンが変わったりするけれども、主人公の立ち位置というか、人間関係に揺らぎがないから、まだわかりやすかった。
まあ、途中途中で変な妖しい不穏な出来事はあるけれど。
パンの中身とか。
『人生の聖』はもう、シーンどころか、語り手さえ同一人物なのかわからない。
会社員だったりテロリストだったり、無人島に置き去りにされたり怪しい工場で途方にくれたり、他の登場人物もアパートの隣人だったり使えない部下だったり。
あらゆる出来事に悪手を打ってしまう主人公は、すべてをまわりのせいにして自分を省みることはない。
だから最後には…結局どうなったの?
読解力なさ過ぎてすまぬ。
Posted by ブクログ
イカれ徒然草。すごい。
あまりにもとりとめのない脳内イメージを、厳密に明確に克明に文章に落とし込んでいる。文体も相まってスルスルと脳内にインストールされてしまう。
あんまり深入りしすぎると自分の口調とかも影響受けそう、日常に悪影響が出そう。危険。
読書になにか意味を求める人には向かない。ただの暇つぶし、エンタメだって思える人なら楽しめると思う。
Posted by ブクログ
混沌とした世界観…かと思うと急激にリアルな世界の行ったり来たりが癖になりそうだ。このコントラストに知らず知らず引き込まれてしまう。脈絡があるのかないのか、クスっと笑っている自分に気づくのだが何に笑わされたのかさえ判然としない。オチで急に突如研ぎ澄まされた感性で表現される本質を突くような表現にハッとさせられる。主人公が二転三転入れ替わるかのような白昼夢を見ているかのような素敵さ。純テロリスト。略して純テロとはなんてシュールな~ツボった
Posted by ブクログ
以前読んだものよりブッ飛び具合が酷くなっている(いい意味で)。
突拍子もない展開なのに情景が目に浮かぶのはさすがです。
一個だけ、清酒五合瓶というのはどうかな?と思った。四合瓶じゃないのかな?無いわけじゃないようだけど・・・
Posted by ブクログ
古本で購入。
また町田康を読んでしまった。
読んでしまうのである。
「俺」の独白で語られる現実と思惑のズレ、齟齬スパイラル。
妄想と現実の境が曖昧なままに突っ走った果ての唐突な結末。
この唐突な、と言うより暴力的に話が断ち切られて終りを迎える感じが好きだ。
「でも人生ってそんなもんかも」などとわけのわからんことを思わせるような、無闇なパワーがある。
そのへんの感じは、特に『夫婦茶碗』(新潮文庫)に濃い。
ストーリーには爽やかさと言い感動と言い欠片もないのだけど、そのなまぐささとエグさが癖になる。
この本に収録されている連作(?)『人生の聖』なんて、キチガイじみていて意味はわからない。
だがそれがいい。
Posted by ブクログ
ふざけた文体や内容がまさに世の中に対する強い批判であり、天邪鬼な人たちの気持ちを代弁しているように感じます。
主人公の心の奥にある暗い感情が妄想を生み暴走していくのだけれど、しかいながら現実に生きているというジレンマをどのように消化していけばいいのか?みんな持っている心の叫びのように感じます。そして、みんなぎりぎりで消化しているだけなのでしょう。
最後の一文
「穴の手前で振り返ると、青空。きれぎれになって腐敗していて。」
を読んだとき愕然した気持ちになりました。
暗闇から覗く青空の美しさの描画の美しさに加えて、腐敗していてというギャップ。何より本の内容を集約した表現に胸が苦しくなり、余韻が残りました。
世の中が少し辛いと感じたときや何か自分だけ浮いているように感じたときに読んでみてはいかがでしょう。決して救われる感じの優しさはないかもしれませんが、少し楽になるかもしれません。
Posted by ブクログ
凄いの一言。全然面白くなかったのに、その凄さだけで4点。
この文章がどういう意味で、次にどう繋がり、如何にオチをつけるか、という小説脳で読もうとしても、多分4頁くらいでやめたくなります。私は何度もやめました笑
言うなれば「きれぎれ脳」、とにかく文を追っている最中は文自体を楽しもうとすれば、徐々にですがハマってしまうのが言いようもなく新鮮です。
そして個人的に1番印象的だったのが、上述のようにハマり出したまさにその瞬間、ほくそ笑むかのようにブツンと物語が終わる、その感覚。
いくつか短編が入っていますが、そのどれもがそう。いやー凄い
あ、あともいっこ。
ひらがなを駆使した独特の擬音語が面白い。
終始頭の中でドカドカ鳴っているように感じました。(園しおん作品のようだ)
町田康、何を読んでもこう感じるのか?
はたまたいろんな技を持った作家なのか?うーん、興味深い。
Posted by ブクログ
文体について行けず一旦積読。
暫く置いて、再読。 今度は読めた、しかも面白い。笑いのつぼもかなり好み
オフィスをオフィースっていうなんか明治、大正っぽい表現とかかなりすき。
町田さんは、凡人の僕らが記憶できない脳の活動って言うか
夢とか想像の部分を見たりしてるひとなのかなーって、何冊か読んでると
より感じます。 それくらい、高速で次々と展開して気づくと元の場所に戻ったりしてる、すんごく集中力のいる小説。
あと、100冊くらいほかの本を読んだらもう一度よんでみよ。 楽しみだな
Posted by ブクログ
へらへらと生きる“俺”がだらだら語るうちに、友達の、道行く人の、他人の悪意が襲いかかってくる。
でも読んでいるうちに、全ての悪意はこの本人から発せられたものに見えてくる。
自分が社会に向けた敵意は、鏡のようにはね返されて自分を突き刺す。
“俺”が社会を突き放しているのか、社会が“俺”を突き放しているのか。
しかし、解説で池澤夏樹が書いているように、どんなに馬鹿馬鹿しくても“俺”は「大衆を見下して超然としているわけにはいかない」。
どれだけ社会を軽蔑していても、現実ではおべんちゃらを言いながらへらへら笑って金を借り、ハムをめぐんでもらわないと生きられない。
だからこそ主人公は滑稽にも、悲しくも見える。
“俺”は孤独だけど、真っ暗な中で一人ぼっちの孤独じゃなくて、雑踏の中でぽつねんと立っている姿がどうしようもなく孤独。
Posted by ブクログ
口語と文語が入り混じり、さらに特徴的な擬音が多用される一見してかなり特殊な文体だ。
この文体は人によっては読みづらいと感じるだろう。
話の展開も気づいたら別の場面に移り変わっているといった感じで時においていかれそうになる。
Posted by ブクログ
どこまで読んだところだったかな。
「あっ」と気づいて反射的に思い浮かんだ。
人間失格、であると。
それからは、もう頭から離れない。目眩く、展開に次ぐ展開の最中にあって「これは」と。
もともと著者の作文ついて、そのように連想されていることは知っている。
それにしても…。
とはいえど、このことについて追求したところで、あまり意味がないだろう。本質から逸れる。
この辺にしておく。
感想だなんてあらたまったところで、ぼくの感想は、けっしてぼくを超えない。何かしら書き連ねて、何ごとかを成した気になってしまう。
行き当たりばったりと計算尽く。
分析なんて、きっと不要なんだ。
剥き出し。あるがまま。なすがまま。
本来、人は誰しも、そのように生きる。
“人間失格”?どこが?なにが?
合格も失格も、ラベルを貼らなきゃ理解できないなんて。ラベルごときで理解するなんて、理解できた気になるなんて。そんなだから人間関係などは、こじれてしまう。こじれるだけこじらせておいて、修復も改善も、回避も解答もない。理解不能なんて、とっくに意識の外。見ないふり。
あまりにも容易い。安易。軽視。
意識の外、見ないふり。
きっと現実のことじゃないと思ってる?
夢か何かの話だと。
『きれぎれ』
こんなリアルはないんじゃないのかな、と思いながら読み進めた。読む手が止まらなかった。
けっして行き当たりばったりなものか。これほどまでに緻密な“計算”尽く、見たことがないと思った。
生きてゆくかぎり、止まらない、止められない物語。人生行き着く先なんて、知らない。
Posted by ブクログ
青空。
きれぎれになって腐敗していて。
これが町田康か。。
狂言回し的言葉の連続。
意味や内容ではなく、音やリズムを楽しむ本、なのかな。
まだよくわからなかった。。
Posted by ブクログ
☆3.5 駄目男
中学か高校の頃に読んで感銘を受けたが、内容を忘れ、昔の感想を読んでも意味不明なので再読した。
のべつ幕なしに情景と、主人公の駄目男の語りが入り乱れる。そのリズム感・グルーヴ感に踊らされ、酔ったやうになるのがこの小説の醍醐味だ。決してストーリーで感銘を与へるタイプではない。
芥川賞の銓衡は、池澤夏樹と宮本輝が相変らずだが、石原慎太郎がほめてゐるのは意外な気がしてしまった。選評《それぞれが不気味でおどろおどろしいシークエンスの映画のワイプやオーバラップに似た繋ぎ方は、時間や人間関係を無視し総じて悪夢に似た強いどろどろしたイメイジを造りだし、その技法は未曾有のもので時代の情感を伝えてくる。》
古井由吉の選評《反私小説の行き方を極端まで取ろうとしながら、いつのまにか私小説の矛盾域、のようなところへ踏みこんだ。》は腑に落ちた。駄目男の私小説みたいだ。『くっすん大黒』の三浦雅士の解説のとほり、一種の太宰治だと気がつく。
Posted by ブクログ
正直意味は全然分からないんだけど面白くないというのもちょっと違う。ただ面白いと言うのは我ながら何だか分かったフリをしているような気がしてしまう。
しばらくしたらまた読んで見る
Posted by ブクログ
刊行当時手にとって挫折したので19年ぶりのリベンジ。
面白いし「一言も。ねぇ。」とかふふってなるところもあるんだけど、趣味の合わないギャグ漫画読まされてるような感じだった。
Posted by ブクログ
小説というより詩集のような。
リズミカルな言葉遊びが、自然と視線を文の先へ先へ送り出す。
社会への侮蔑、敵意、慢心がそっくりそのまま自己へ帰ってくる。太宰の人間失格を町田康風に咀嚼したらこんな風になるかなぁなんて考えました。
Posted by ブクログ
独特の文章だけど何故かスラスラ読める不思議な本だった。リズムが良くて、目は文字を追ってどんどん先に進んでしまうけど、途端に「えっ?どういう意味?」というシーンが連続してやってくるのでもう一度読み直したりする。読み直しても意味は分からない。
きれぎれの方の主人公は妄想がとどまるところを知らず、人生の聖の主人公は哀れですらある。どちらも生きるのが大変そう。
午後のワークの話が不気味で興味をそそられるのでその後あの工場がどうなったのか読みたい。
Posted by ブクログ
久しぶりに読んだ町田康。
彼の作品はいつもぶっ飛んでるけど、その中でもこれはトップクラスだと思う。
彼岸と此岸を行ったり来たりするような感覚。
凡人の私にはちょっとついていけない。
併録の「人間の聖」の方が好き。
開脚し続けて体が裂け、脳天につま先が突き刺さるってどういうことよ…。
Posted by ブクログ
脳味噌丸みえはパンツ丸見えよりも恥ずかしいのか?
先に読んだ山下澄人の作品のような完全な脈絡の無さではなく、主人公が一段また一段と不条理の階段を上がっていく様子を体感することができます。それはもう、「今日、ママンが死んだ」の日本版を思わせる不条理のお話でした。脳味噌丸みえはパンツ丸見えよりも恥ずかしいのか、あるいは、恥ずかしくないのか…考えてしまいます。
ただ、話はとびとびのきれぎれで、この作品のあとはスカッと読みやすいのを読みたいです。