町田康のレビュー一覧
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ネタバレあー面白かった。
ゴランノスポンというタイトルからしてまず感動した。
ご覧のスポンサーの提供でお送りしました。これを幼少期のわたしは、ゴランノスポン、サーノテーキョウでお送りしました、だと思っていたので、このことばをこんな所でみるとは…!!と、幼少のみぎりのぼんやりとした記憶を呼び起こすとともに衝撃を受けた。
中身も本当に面白かった。どれも胸糞悪くて嫌な気持ちになる読後感でとてもよかったけど、特に一般の魔力がすごい。こいつこそクズ男だよなー、ていうそこら辺にいそうな普通の人で、でも愛猫家愛犬家の町田康がどんな気持ちでこの話書いたんやろうと考えてしまった。
求めていた胸糞悪さがどの話にもあるか -
Posted by ブクログ
みんながおれを悪党だというが
なにもおれは悪党になりたくてなったわけじゃない
わざとじゃないんだ、わざとじゃ
だからおれは絶対に謝らんぞ
といったような、ちんけなプライドに根ざす傲慢さを抱えながらも
わたしはけっして根っからの悪党じゃない
だからつねに、そんなわたし自身の自己防衛的ないいわけについても
懐疑的でありつづけているのです
だからおれは本質的には善人であるわけだ
絶対に謝らんぞ
といった具合に、おれとわたしが無限増殖をしている
といった具合で、たくさんの我を背負っている
それ故にむしろ我ありということがいえるのではないかしら?
などとそのように
己を正当化するための欺瞞的信仰まで持ち -
Posted by ブクログ
ネタバレたまに町田氏の描く作品が文学なのかただの悪ふざけの言葉の羅列なのかわからなくなることがあるが、やはりこの短篇集を読んで、これは文学なのだと思った。
地獄から出られそうで出られない、もがけばもがくほど深海にはまりこんでゆく、そこもまた、日常。
この理不尽さが不快過ぎてたまに読むのが辛い。特に「ふくみ笑い」の胸糞の悪さ!
『ゼリーのような感触がして酸と便が混ざったような匂いがしたのも、目の前が白くなったのも一瞬、その一瞬の間に俺は、こんなことになったのも俺がみんなに対してエゴイスティックに振る舞い、仕舞には傷害や殺人をしたからだ。みんな自業自得だ、と思おうとした。俺は納得して死にたかったのだ。 -
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「日本霊異記」(伊藤比呂美訳)
訳者あとがきで、伊藤比呂美さんはこの書に惚れ込んだ理由をこう記す。「なにしろエロい。グロい。生き死にの基本に立ち戻ったような話ばかりである。しかしそこには信仰がある。今のわれわれが持て余しているような我なんてない。とても清々しい。しかも文章が素朴で直裁で、飾りなんか全くない。性や性行いについても否定もためらいも隠し立てもない。素朴で素直で単純で正直で明るく猟奇的である。」(469p)
何しろ雄略天皇のセックスをたまたま見た小姓に向かい、天皇は場を取り繕うために「雷神を連れて来い」という話もある(15p)。これが、奈良県飛鳥の里に今もある「雷の岡」の謂れだ -
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ネタバレ義経記の現代語訳、というか町田康版。義経が千年の時を経て、幽霊なのかはたまたそのへんに魂が揺蕩ってるのだろうか、現代の視点から一人称で語る室町時代。とにかく古典なんて絶対読めない無知な私でもスイスイ読めたのは、いきなりハルク・ホーガンとハルク判官から始まるその突拍子のなさと独特のグルーヴ感のおかげである。
全4巻を予定しているらしいが、1巻だけでも内容が濃い。義経の出生→鞍馬寺→平氏打倒を決意し奥州へ→退屈になり京都へ戻り→弁慶と出会い→ともに兄頼朝の元へ、というのが大まかなストーリー。ここからは軍記物語らしくなっていくのだろうか。
ところで、木曽義仲は板東さんですか?町田康の天才ぷ -
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「どつぼ超然」「この世のメドレー」に次ぐシリーズ第3段にして完結編。
超然と生きるはずだった主人公の「余」は、死に場所を求めて彷徨った挙句、生を肯定する境地に達し、最後に土俗神・龍神沖奈と対決します。
帯にある「町田文学の最高峰」は言い過ぎとしても(最高峰は誰が何て言っても「告白」です!)、町田ファンには待望の作品には違いない。
だって、たとえば、次のような文章なんて、今の文学界で町田さんくらいしか書けないしょ。
「オレオレ詐欺。という。そんなものはもう旧い。これから必要になってくるのは君君詐欺だ。あんた誰ですか。君だよ。俺は君だよ。え? 君って俺なの。そうだよ。君君。君だよ。I am you