町田康のレビュー一覧
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これは何かの暗喩なのか?とか、作者による○○論なのか?みたいなお話も、特に深く考えずに(考えないようにして)不条理ナンセンス作品だなーくらいの気持ちで気軽に読みました
面白かった!
個人的には本なんて読んでて本人が楽しければそれでいいじゃんと、ただそれだけ思っているのだけど、こういった町田康のような作品を読んで、んで深く立ち入った巻末解説を読んでしまうと表面でしか楽しめていない自分がもったいないなとも思ってしまう(笑
例えば『文久二年閏八月の怪異』
自分は「もしも時代劇の主人公がハードボイルド小説の登場人物だったら~」みたいなノリを楽しんで読んでいただけなのだけど、巻末解説を読んだら、過去作からの引用やらなんやらを盛り込んで、細かい描写についてのあれこれへの論を展開していて、素直に「ほあー、すごいなぁ」と感心してしまって
お気に入り……というか、印象に残った作品は
『文久二年閏八月の怪異』
『ずぶ濡れの邦彦』
『狭虫と信彦』
失礼な言い方かもしれないけど『ずぶ濡れの邦彦』は普通にいい話でちょっとじーんとしてしまった -
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町田康による自分語りを文学論というか自分がどのように文学と接して来たかに合わせて語られる。
オートマチックな表現への警戒感に満ちあふれていて、それは思考停止というか、わかったふりをして考えるのをやめてしまうことへの警戒感でもある。とはいえ、オートマチックで何となく済ますということの必要性も理解はされていて、そうでないと身が持たないというかしんど過ぎる。なのでバランスが大事で片足はオートマチックな思考に置きながらも、もう片方よ足はそれに疑問を呈するスタンスを取るということなんだと思う。
随筆の章で述べられていたのが印象的で、有名人の日記は何が書かれていても興味の対象が人物の方にあるからそれなりに面白いのだけれど、無名人のエッセイはその人がコンビニでパンを買ったといっても何も面白くなく、そうではなくて普段何となく考えていることをありのままに書かないと面白くない。作者はそれを本当のことを書くといっているけど、人間、何となく表に出していいことと隠すことを峻別しているわけで、それが先ほどのオートマチックにもつながるわけだ。
気がついてみれば、町田康も2022年で60歳を迎えたようで、若い印象はなくなっていたけど、40-50歳ぐらいの印象ではあったので、それ自体も驚きではあった。 -
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お酒を飲まずに過ごしてる酒飲みの思ってることや考えてることについて書いてある本。
しかもフォントが岩波文庫の活字か?と思わせるクラシックな字体。
前半は酒飲みの繰り言が延々と続くのだが、
半分くらいのところで突然、自己相対化と幸福感の相対性について語られ、人生は徹底的にこだわりを解かれ相対化されていく。
例えば
人はみな幸福を追求する権利は有しているが、だからといって全員が幸福になることが保証されているわけではない。(わたしもこれには非常に共感する。「人は本来平等である」と言うと「それは理想であって現実的にはあり得ないことだ」と当たり前のことを言って食ってかかってくる人がいるが、その人たちは、幸福になる権利のことも幸福の保証であると勘違いしてしまうのかもしれない。)
とか、
楽しんでやれました!という優勝選手の言葉をマに受けて、楽しめば優勝できる、と原因と結果を取り違えてしまう人や、成功した人の体験談を聞いて、同じようにすれば自分も成功できると考えている、与えられた条件を考慮に入れない人などが世の中にはけっこういること。…とか、
そもそも楽しまんとあかんのか?と問いかけ、「本当の楽しさのただ中あるとき、人は、自分はいまどれほど楽しいか? と考えることはないし、それを記録して証拠を残そうとも思わないはず」と喝破する。ほんとにその通りである。これがわたしやにーみくんが「思い出づくり」という概念を毛嫌いすることとも通底していることを感じた。…こととか。
酒飲みの理屈は「私たちには毎日を楽しく暮らす権利がある→にもかかわらず今日一日、あまり楽しくなかった→私は今日のうちに私のためだけの楽しみを味わわねばならぬ=飲酒」なのだからこの前提を壊せば飲酒に結びつかない、として、
自分はアホやと思えばよい、と提唱。なぜなら、
・自分が人並み以下やと思っていれば、他人が少々自分をないがしろにしても腹が立たない。怒りがわく理由は、自分が偉いと思ってることだから。
・自分はアホやと思っていれば、人のことをバカにしてスルーしてしまわず、「へ〜なるほど」といろいろ学ぶことができる。
・普通のことでもカンタンによろこべてすぐ幸せになれる。
でもそれが高じると、プラスマイナスゼロのところに近づいて虚無的になりがちなので、それを防ぐためには自尊心も持たねばならん。自分がアホやと思うことと、自分を卑下することは別のこと。という話に移る。
自分を切り下げるといろいろメリットはあるが切り下げすぎたらあかん。そのために、基準を他人との比較に置くな。そしたら自分をアホと思いつつ尊重することができる。でもだからと言ってその場所から他人を見下したら元の木阿弥やで。と。
終盤で、酒を断つとどういうことが起こるかが述べられる。
いちばんのメリットは、脳髄がええ感じになって仕事が捗ることであると著者は言う。しかし、それは凡才が天才になるということではない、という但し書きが付いている。
それから、精神に余白ができることを述べている。余白があると小さなことを喜びとすることができそれこそが幸福である、と。
対して、リスクとしてあげられているのは、人間関係が薄くなっていくこと。でも、「人生とはもともと寂しいもの」であると筆者は言い切る。
最後に酒を愛する大伴旅人の歌が紹介され、
この代にし樂しくあらば来む世には蟲にも鳥にも吾はなりなむ
生者遂にも死ぬるものにあれば今世なる間は樂しくをあらな 等々。
締めの言葉はこちら。
「酒を飲まないからといってあまり賢くない人が賢くなる訳ではない。けれども酒を飲むと賢い人が阿呆になる。そして阿保はもっと阿呆になる。どうやらそんなことのようだ。」
いやいや、その通りでございます(合掌)
*三鞭酒=シャンパン← この本でわたしが新たに知った言葉 -
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「私小説」が何であるか
それは我が身にふりかかった出来事を書くだけでなく
その出来事を通じて
自分が何を考えたかというのを書くのが重要なんだ
…ということでは実はない
むしろ大正から昭和にかけて私小説の代表作とされるものは
作者のいちばん肝心な意見がオミットされていることが多いのだ
書いたほうが野暮で
書かないからこそ含みを持たせられるということはあるし
また何を言っても保身の言い訳にしかならないなら
黙って批判に甘んじるべきだということもあるが
無論、その態度を単なる逃げと捉える向きは多かった
「新生」の主人公を評して老獪な偽善者と呼んだ芥川龍之介など
代表的なところだろう
しかし告白に自分の考えを加えることが、文学的によいのかといえば
必ずしもそういうことではない
出来事に教訓めいたものを付け加えたところで
文学的な味わいは生まれないだろう
自分の「本当の考え」が重要なのである
それがなぜ重要かといえば
「本当の考え」こそが、独創だからである
凡庸人のそれは、たいていくだらないものであるが
逆に言うと
徹底してくだらないものにこそ日常の真実がたちのぼる
かつてはその手法を指して
ダダ、シュルリアリスムと呼ばれたこともあった
町田康の文章にはそういう、土俗の呪術みたいなところがあって
私小説というのではないけれども
主に初期のエッセイなどが
車谷長吉や西村賢太と同じ箱に分類されることはある
僕が町田康(町蔵)に初めて触れたのは90年代
実は大槻ケンヂの「メシ喰うな!」カバーなんだけど
日常の真実によって
世間の常識が破られるような感覚はあった -
Posted by ブクログ
中村文則さんのエッセイを最近読んだので、その繋がりで読みました。
太宰治の人となりについてはほとんど何も知らないので、読む前の勝手なイメージでは「気難しく人嫌い」な人かと思っていましたが、作品を読むと「ユーモアの感覚もあって、実際に話せばあんがい話好きな人だったんじゃないか」という印象を受けました。
個人的に良かったのは富嶽百景の一場面で、天下茶屋の2階に寄宿している主人公が店の人間とも親しくなってきた頃、店の若い女性店員が1人で客の相手をしている時に、わざわざ1階に降りて隅でお茶を飲みながら遠巻きに見守ってあげているところです。
そんなにあからさまな優しさを出す感じの主人公じゃないんですが、さりげない描写の中に書き手の優しさが滲み出ているなぁ、と感じました。 -
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ネタバレ飛翔能力があるから詩人なのであって・・・(伊藤
歌詞って、歌ってなんぼ、聴いてなんぼ(町田
歌いたいと思うもの、ああいいなと思うもの 音と発せられたところがすべて
カッコよくした文章が声に出したとき、意味の分からない音になってしまう可能性
語りもの 目の前で音が発せられているかのような錯覚 (伊藤
「私」にこだわり続ける 実は「私たち」
自分らしい語彙 本当の意味で使えるか 世界観 (町田
自分の力で何かをコントロールしたい (伊藤
比喩で話を転がす、小ネタを入れ込む話芸 (伊藤から見た町田
言葉も植物も私たちの周りに繁茂する(伊藤
言葉にはそれが生まれてきた理由や成り立ちがある、
その「人」の何だったのか? (町田
あたしは言葉を出すプロ 自分の言葉 朗読もする(伊藤
文体とは結果(町田
現在高尚なものがその時その時代においてその表現が
「本当はどういうものだったのか」:宇治拾遺物語(町田
自分の物語を語れる作品としての「日本霊異記」(伊藤
翻訳は自分の色が出ていても出ていなくてもどっちでもいい
歌うことが目的であって、自分の声であることにこだわりはない(町田
百年経っても残る、言葉の芯で伝えていける現代語訳を作りたい(伊藤 -
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【泣いたり、笑ったり、考えたり】
名前は知ってるけど、町田康って誰やねん。バンドマン?小説家?検索して顔を見てもピンとこない。ただ、なんとなく手に取った一冊。バンドマンでしかも、パンクで、怠惰な生活を送っていたのに?芥川賞を受賞して、エッセイも小説もヒットして?そんな奇跡ってあるの?と穿って読み始めた。
最初はクセが強くて豚骨を極限まで煮詰めたようなこてこてな文体だと思って、2、3ページづつしか読めなかったのに、なんだろうか。芥川賞を受賞した作家のエッセイとは思えないほど、哀愁がそこにはあって、終盤に向けては次よ次よと駆け足で読み進めてしまった。
リズムなのか、なんなのかわからないけど、読んでいてとっても面白くて、でも時には考えさせられて。一気に引き込まれて、久しぶりに良い読書体験をした。解説を中島らもが書いていて、それもとても良かった。
本当に凄い人もいるもんだ。他の作品も読んでみたくなった。 -
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家内に勧められた。老齢ボケが進んでしまう前に、これを読んで断酒あるいは大幅節酒してほしいとのこと。この著者は飲酒すなわち人生というタイプであり、その当人が断酒宣言をして3年間実施して改心したという体験談である。このタイプの酒飲みは、あまりにも身勝手、無頼、大袈裟でちょっと避けたいが、なるほどと頷くところもあった。
愛飲家は自意識というか自分の理想を大事にする傾向が強いと思うが、その分現実との落差が大きくなる。その落差を気軽に埋める手段の一つが酒だと著者は言う。私はそんな不味い酒を飲まないぞと言いたいが、落差のある人相手でも酒の席ならば相手しやすいこともある。もとより美味い酒となる友人は区別して大事にする。
自分のことを自惚れないことだ。自分は普通のアホに過ぎないのだから、自分の外にある現実を謙虚に受け止めることだ、と著者は続けて述べている。それはもっともだが、何かに自我を発揮しなければやっていけないのが人間ではないか。後半まとめの部分であるが、とはいえ自分を低くし過ぎて虚無に落ちてはいけないとしめているので安心した。 -
購入済み
大酒飲みだった町田さんが突然断酒をおこない、その断酒をおこなうに至る心境の変化とどのように断酒をおこなったか、またその結果どうなったのかという内容が克明に記録されている断酒日記でありまして、イメージとしては中島らもさんの「今夜、すべてのバーで」を想起させるのですが、読後感はかなり違っております。というのも読んでも読んでも町田さんが何故断酒に至ったのかという肝心な部分が上手く理解出来ず、断酒をおこなう為の方法(とは言ってもかなりぶっとんでるので本当に酒を止めたい人が参考に出来るとは思えないのですが)が長々と書かれておりまして、ただ終盤になってくると酒を止めたがためにこれだけのメリットを享受できたという内容となり、町田さんの作品(まあ創作ではなくエッセイではあるのですが)としては珍しくハッピーエンドで終わってます。