町田康のレビュー一覧
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学生のときに古文をかじっていたから楽しく読めた。勉強していて良かった。
古文を古文のままで理解できない自分としては、現代語訳に頼ったり自分なりに訳したりしながら読むわけだけれど、どうしても型にはまった蓄語訳は分かるのやら分からないやらはっきりとしないと言うことが起こる。そこが楽しむことを目的として古典を読む際の障りとなってしまうので、こういう訳者のカラーが表れている現代語訳は面白い。
古文って行間を読む楽しさが詰まっているのだと分かる。町田康はやりすぎの感もあったが。
自分は森見登美彦、妻は町田康が好きなので、両者の需要が一致した一冊だった。
両作家が現代語訳を手がけた作品の方はまだ買ってない -
Posted by ブクログ
ネタバレ脳が動く。読むより飛ぶ。その意味で詩的。
言葉の揺らぎによって、小角、未無、ほか人物が狂っているように思える。おかしくみえる。対して糺田の言葉がいわゆる一般的な感覚に近いことで、読み手の拠り所になっている。よって狂った世界に振り回されることになる。巻き込まれる。
とにかく言葉が、思考が飛び回る。軽やかな文体。若くてユカイ。ダイヤモンド。振り切りたいなと思える文章。自分も文章を書きたくなった。
ストーリー。小角が糺田を陥れるために短歌を書いて送りつける。見事罠にハマったので未無に手伝ってもらい、拉致して異世界へ行く。異世界で①短歌を書かせ、②ラーメン屋を出させ、③暗殺をさせようとする。小角の理 -
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Posted by ブクログ
中学生くらいの頃に義経にハマっていたことがあるわたしからしたら、町田版義経記なんて避けて通れないじゃないかーと購入したのやけど、読めば読むほどこれは原典からどれほど近い内容なのかさっぱりわからないな…?町田康の解釈がどんくらい入っとんやろ?と疑問に思いながら読み進めてしまった。だってずーーっと町田節なんだよ。
でも解説まで読んで、原典からそんなに遠くないらしいことが分かりましたよ。解説面白かったよ。町田康が音の文学ていうのはそうなんやけど、義経記もそうなんよな。平家物語とかそーゆーのも町田康が書けばめちゃくちゃ面白くなるんやないかな。
音がどうこうだけでなくて、政治的な話や、人間関係なんかのや -
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大学時代にノートにつけてた記録を転記。
(あらすじ)
作者の家で共に暮らす、ココア、ゲンゾー、ヘッケ、奈奈、それぞれの猫との日常を描いた、笑いあり、涙あり、考えさせられることあり、の、色とりどりな猫記録。
(評価)
猫(特にゲンゾー)の気持ちの代弁時の台詞がツボに入る。猫好きなら共感できるはず。作者の主張が色濃すぎる部分(人間はおごり高ぶりすぎだ、など)があとがきにあり、少し疲れた部分もあったので4星。
(内容)
それぞれの猫が生き生き描かれていて良い。ゲンゾーのお茶目さ、ココアの高飛車な性格、ヘッケの無邪気なふるまい、奈奈の暴れん坊加減。本当に猫を良く観察している作者だからこその愛情が -
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「楠木正成」
楠木正成はいくさの天才で、いくさに命をかけている
それゆえ、つねにやばい状況へと吶喊をかけずにはいられない
そういう人なんだと思う
平和ボケしてロマンチストな現代人たる語り手は
ミーハーな気分でそれに近づき
適当にあしらわれた挙げ句、流れ矢に当たって死ぬ
複雑な南北朝時代の動きを
まあまあわかりやすく解説してくれた語り手だったのに…
「ゴランノスポン」
偽の村上春樹みたいな文体でエコだのロハスだの言い
関係性の広がりが人間を高めるとかいったポストモダンな希望を謳い
それでいて狭い身内の外に対しては極めて冷酷な
そういうナルシストの偽善が
ひとりの仲間の自死によって露呈してしまう -
Posted by ブクログ
ネタバレあー面白かった。
ゴランノスポンというタイトルからしてまず感動した。
ご覧のスポンサーの提供でお送りしました。これを幼少期のわたしは、ゴランノスポン、サーノテーキョウでお送りしました、だと思っていたので、このことばをこんな所でみるとは…!!と、幼少のみぎりのぼんやりとした記憶を呼び起こすとともに衝撃を受けた。
中身も本当に面白かった。どれも胸糞悪くて嫌な気持ちになる読後感でとてもよかったけど、特に一般の魔力がすごい。こいつこそクズ男だよなー、ていうそこら辺にいそうな普通の人で、でも愛猫家愛犬家の町田康がどんな気持ちでこの話書いたんやろうと考えてしまった。
求めていた胸糞悪さがどの話にもあるか -
Posted by ブクログ
みんながおれを悪党だというが
なにもおれは悪党になりたくてなったわけじゃない
わざとじゃないんだ、わざとじゃ
だからおれは絶対に謝らんぞ
といったような、ちんけなプライドに根ざす傲慢さを抱えながらも
わたしはけっして根っからの悪党じゃない
だからつねに、そんなわたし自身の自己防衛的ないいわけについても
懐疑的でありつづけているのです
だからおれは本質的には善人であるわけだ
絶対に謝らんぞ
といった具合に、おれとわたしが無限増殖をしている
といった具合で、たくさんの我を背負っている
それ故にむしろ我ありということがいえるのではないかしら?
などとそのように
己を正当化するための欺瞞的信仰まで持ち