町田康のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
町田康の短編集。
表題作も素晴らしいですが(魂のカレーをばっさりと斬り捨てるあたりは痛快至極)、僕は何より『ふくみ笑い』を挙げます。
例えるならば、X軸にストーリー展開という時間軸、Y軸に不気味さ・気色悪さ・得体の知れなさ・えげつなさなどを取った「Y=3分の1Xの2乗」のグラフを想像していただければいいかな。傾きははじめのうちは緩やかなのですが、X軸が正の方向に進めば進むほど、Y軸の増加具合が著しくなっていくという放物線。すんげえ放物線。
SM店でバナナを売ってもらえないくだり→スタジオで猿愛児のリハに参加できないくだり→霊派Chバイサンコンクのワゴン車の男にギターを偸まれるくだり→そして、現実の亀裂と戦う聖人とのやり取り。ね。この流れ。間違いなく放物線。加速していく気色悪い世界観。そして最後に行き着いた先に待っていたもの。それ、虚無。もはや、えげつなさの∞、あるいはブラックホール。
この、現実と妄想との断裂・融合の反復は、『きれぎれ』や『けものがれ、俺らの猿と』でも見られる、町田康の得意とする小説展開手法だと思うのですが、本書に収録されている『ふくみ笑い』は、見事な完成度を誇っていると言わざるを得ません。
いうまでもなくフィクションであり、非現実的、否、明白な非現実なのですが、しかし、現実と完全なる乖離をしているわけではなく、何かの弾みで、自分の身近な世界がかような世界に一変してしまうかもしれないという危機感が迫ってくるのは、やはり町田康の表現力の凄さなのでしょう。
少しく追記しておくと、ふくみ笑いに完全に包囲されていく男の姿には、20年近く前に放送された、タモさんの『世にも奇妙な物語』にあった伝説のドラマ「ずんどこべろんちょ」の草刈正雄氏を彷彿とさせるものがありました。
そう考えると、「ずんどこべろんちょ」と「べらんがめらん」って響きも似ているよね。ひるまのちち踏み、あぱぱの肉揉み。うくく。
【収録作品】
・鶴の壺
・矢細君のストーン
・工夫の減さん
・権現の踊り子
・ふくみ笑い
・逆水戸 -
Posted by ブクログ
芥川賞作家でパンク歌手の町田康さんが人に、世間に、社会に溶け込もうと孤軍奮闘する抱腹絶倒のエッセイ集です。『真剣になればなるほどギャグになる』彼のおっしゃる言葉がこの本でよくわかります。
立て続けに町田康のエッセイを紹介してわかったのは彼の『魂』に共鳴する部分を、僕は生涯抱えていくんだな、ということでした。 僕も筆者同様、やれ『偏屈』だの『変人』だのといまだに揶揄されている始末で、この本を最初に読んだところで、僕も筆者同様に『遊び』といわれるものを『悪い大人』たちに混じって一通り経験したようなしないような。そうこうするうちにまた、もう一度この本を読み返すにあたって、偏屈の谷底で本人言うところの『肉入菜汁の鍋を掻き回して』いる日々から、どうにかこうにかして人に、社会に溶け込もうとして、あらゆる孤軍奮闘を続ける姿がまじめであればあるほど、その滑稽さにゲラゲラと笑いつつも、しんみりとした読後感になってしまったのは、これいったいどういうことかしら?などと思いつつ、この文章をつづっております。
作中では筆者はトップレスバーに行き、商業捕鯨に反対するためにイルカのショーを見に行ってみたり、世の中にはびこっている美食ブームに怒りの矛先を向けるなど。町田先生の当時の孤軍奮闘振りがやっぱり愛おしゅうございます。その中でも僕が特に感じ入ってしまった一説があって、引用をさせていただきますと
「夢を抱くとはすなわち反吐と大小便にまみれて路上に窮死することなのであり、夢を抱くと夢がなくなるのである。つまり人生にとって大事なのは一発を狙うのではなくして、コンパクトなスゥィングで右狙い、コツコツ当てていってコンスタントに二割五分、これを目指す。基本に忠実に腰を落として身体の正面で確実に捕球をするといった態度姿勢などであって、余計な夢は見ないで現実を見据えることが大事なのである」
というもので、夢を追う、ということとそのリスク。というものをこれだけ端的にあらわしたのは当時これだけであろうと、後に『ANVIL』という映画で、この言葉が見事に映像化されているのを思い出して、夢を追う、というのは古今東西変わらないなぁ、と。かつて、彼が経験したように、僕も世間や常識の周りをぐうるりと回って、こういう駄文を垂れ流しております。彼のいうように『偏屈もまた、楽しからずや』そう思って、できるだけ軽やかにこれからも生きていく所存でございます。 -
Posted by ブクログ
歌うように物語をつづる。芥川賞作家。町田康がつづるエッセイ集です。こういう本よりもビジネス書を読んだほうがすぐに役に立つと思いますがすぐに役立つものはすぐに役立たなくなります。視点を変えたい方はぜひ。
すでにこのときから『町田節』と呼ばれる独特の文体で語られる筆者のエッセイは笑いのツボからその視点にまつわるところまで、自分の感覚に重大な影響を与えてくれました。
確か、この本を読んだのは大学時代~漂白の時期を送っていたころだと記憶せられますが、今回この本を再読して、当時の気持ちを思い出して
『もう二度とこんな時期には帰りたくない!』
というのと
『いざ、戻ったところでこういう精神があれば何とか乗り越えられるんじゃないのか?』 というなんとも複雑な気持ちがない交ぜになっています。
どうも筆者はこのエッセイが書かれた時期に結婚をしているのですが、彼らはどのようにして『夫婦となりしか?』ということがあまり語れている文献が無いので、彼ら夫婦の紡ぐ『物語』というのはオリジナリティー溢れるものだろうなということを、この本を読みながら勝手に想像してしまいました。
一番僕が読んでいて『おっ?』と思った箇所は『人間の屑と聖書』と銘打たれたとある場所で行われた講演を文字に起したもので、筆者が室内警備の夜間仕事をやっていたときのことがつづられていて、詳しいことは書きませんが、彼の語っている同僚の様子が、昔、某所で経験したまったく同じ施設警備の職種に集ってきた人間たちと同じ人たちだということに、ウーン、と考え込まざるを得ませんでした。
そして、その続きである「勝者の傲慢、敗者の堕落」という箇所で、つづられているロックに対する彼の見方が本当に鋭く、現在読んでもまったく古びていないな、という驚きがありました。
ほかにも、彼のつづる『日常』は本当に独特の世界観でつづられていて、この本を読んでもビジネスなどにはまったく役には経たないと思いますが、こういう本の中にこそ、むしろ『喜び』や『救い』があるのだと、確信を持っていえることが現在ではできます。 -
Posted by ブクログ
なにしろ、町田さんの文体が好きだから。好き、というのとはちょと違うかな(無論、嫌いではない、ほとんど快感)、ただ引き込まれる、と言うべきか。内容はともかく(もちろん貶してるわけじゃなくて)、文体だけで読ませる作家って、「往年の」にはいるけれど、今では少ないのじゃないかしら。それでこの本。『東京飄然』ではなく「超然」なのか。文体や内容の好き嫌いはあろうから、内容についての感想は控えます。代わって、本体の佇まいを少し。メタリックなシルバーカバーと同素材の帯がよろしい。そこに白文字でタイトルもなかなかお洒落。そして花布と栞紐が黄色…うーん、私の好み。そんなわけで、私は町田康作品、猫と犬だけ読んでるわけじゃありませんよ、ということにて。
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Posted by ブクログ
たはっ。たははは。たは。
乾いた笑いを堪え切れず、目の前のサラリーマンに怪訝な顔をされる私。
そりゃ、かかる平日の早朝にマウンテンパーカとジーンズで、電車に乗り、本を読んで笑っていたら、お気楽な遊び人野郎に見えるかもしらんが、私はアパレル業なので、私も貴方と同じくこれから出勤するのですよ。身を粉にして働くのですよ。
そして、笑いを堪えられないのは、町田康の書く随筆が面白すぎるからなのですよ。
本書はパンク野郎もといパンク歌手そして作家である著者が己の偏屈を直そうと彷徨・奮闘するエッセイである。
一般の社会を理解、社会の輪の中に入れてもらうために、カラオケで歌う、温泉に入る、床屋で髪を切る、ミュージカルを観る、蟹を食す、ディズニーランドに行くなど頑張るのであるが・・・
町田康にかかれば世間での「当たり前」はこんなにも馬鹿馬鹿しく、そして面白い。