町田康のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
町田康の短編集。
『犬死』
冴えない作家が謎の占い師ジョワンナ先生に会いに行く話。
『どぶさらえ』
町会でシカトされたあげくどぶさらえを任された男がビバカッパ!と叫ぶ話。
『あぱぱ踊り』
陰気な倉庫街で出会った両脇に踊る女2人を従え自分の“凄さ”に酔いしれる男。
そんな男の“凄さ”の化けの皮を剥がすべくエケメという謎の店に行く話。
『本音街』
誰もみな本音しか言わない街、本音街。建前なしの清清しい話。
『ギャオスの話』
突然東京に現われて大都市を混乱に落としいれ、棲みついてしまったギャオスの話。
大怪獣を手なずける方法を偶然見つけ、日本人はギャオスを抱えて生きていく。
『一言主の神』
幼武尊(わかたけるのみこと)の前に突然現われた一言主の神の話。
一言主が口に出した単語は森ビルだろうが渋谷のギャルだろうがなんだろうが時代を越えて現われる。
そんな一言主が最後に発した言葉は「ボンベイサファイア」だった。
『自分の群像』
OL方原位多子と位多子が世話係をするボンクラな後輩温夫の話。
説明するのが難しい話ばかり。
というよりも説明したらつまらなくなる。
めちゃくちゃな展開や文章に読みながら何度も笑った。
特に好きだったのが『あぱぱ踊り』『どぶさらえ』『ギャオスの話』『一言主の神』『自分の群像』。
そうなんですほとんど全部好きなんです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ町田康の猫エッセイ2冊目。
前著『猫にかまけて』同様カラー写真も満載で、「食パンみたいな顔の猫」ってこういうことかーと納得できる稀有な書であります。
14ヶ月で夭逝したヘッケを悼み、未だ路上生活を送っているヘッケの兄弟猫を保護せんと保護団体にコンタクトするも、連れて来られるのはヘッケとは似ても似つかぬ他猫ばかり。
それでも「この子は助けるけどこの子は助けない、というのは人間の傲慢ではないか」といった思想から、町田夫妻が仕事場に寄寓させる事になさったニューフェイス達がシャア、ニゴ、トラ、ウメチャン、エル。
「ウルトラマンニゴ」とか「インド風ラジオ体操」とか、笑いどころも相当あるのですが、やはりどうしても猫たちとの別れに落涙すること頻り。
ただ、人間共の身勝手に振り回される小動物たちに対して「かわいそうに」と心を痛めるのとは別に、ちょっと心配な事も。
新たにやって来た猫のためにケージを新調し、具合が悪くなれば病院に連れて行き、高カロリーの餌やサプリメントを買い与え、インターネット等で情報収集し、最期の瞬間まで寄り添い続ける。身も心もぼろぼろになって。
町田氏も御内儀も、大丈夫なんでしょうか。
目の前で小さくか弱い生き物が苦しんでいたら、助けたくなるのは人情。
でも、個人で助けられる数はどうしたって限られているし、それ以上にこの国では小動物が捨てられ過ぎている。
今こうしている間も殺処分され続けている命と、それを本能的に救わずにはいられない夫婦と、そのご主人が書いた本を読みつつ何もしない自分と。凹みます。
シリーズ第3作『猫とあほんだら』、早く文庫化しないかなあ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ町田康の猫エッセイ1冊目。
私は、愛玩動物雑誌の読者投稿欄(「我が家の姫です☆」「うちの王子様は~」等の文言の数々)を生温かい目で見守り薄ら笑いを浮かべるのが嫌いじゃない、なんて屈折した人間なので、余程薄ら笑いを浮かべたい気分の時でなければその手の記事からはなるべく遠ざかっていたいのですが、書き手が町田康となれば話は別。町田節の猫のろけ、ひとつ堪能させていただきましょう。
とか気安く手に取ったら、大変なことになりました。主に涙腺関係が。
町田邸に暮らすココア、ゲンゾーの日常までは面白可笑しく、っていうか声を上げるレベルで笑いながら読んだのですが、道端で死にかけていた所を町田氏に保護されたヘッケの14ヶ月は泣けて泣けてしょうがなくて、だもんだから続いて氏が出会った奈奈の元気さが逆に泣けて、そうかと思ったらココアも召されて、泣けて。
でもそうやって泣きながら、泣いてる自分に偽善的な部分がありはしないかと何とか自己批判を試みるも、それすら町田氏には見透かされてる。
繰り返される「見ているだけでつらい」「かわいそうでならない」の合間には必ず、『自分の無力さ』から目を逸らさぬよう歯を食いしばる姿があります。
してまた町田氏同様(もしかしたらそれ以上に)猫たちの最期と真摯に向き合う御内儀の気丈さに、一介の読者も背筋が伸びる思い。
ベリークール。 -
Posted by ブクログ
1999年から2003年にかけて発表された短編を集めたもの。
表題作は川端康成文学賞受賞。
改行しねえ句点も打たねえ、文語と口語が混沌、感情の暴発、圧倒的な文圧。どこから読んでも安心の町田節。
短編集だから初めての方も読み易いかも?って思いながら久々に再読しましたが、やっぱり駄目みたい。苦手な人は徹底的に苦手だと思われます。だから無理には薦めない。
微妙に合ってないジグソーパズルのピースを見て見ぬふりして放置するような落ち着かなさ、坐りの悪さ。しかもそのままどんどん作り続けちゃったような取り返しのつかなさ。
町田短編の背後にあるようなないような、そんな「儘ならなさ」の虜。虚無すげえ。
作者の擬時代物も好きなので、『逆水戸』がお気に入り。 -
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とにかくもう延々と悪い夢を見続けているような気分になる短編集。
どうしようもないボンクラがボンクラなりに日常生活を這い回っている最中に遭遇する不条理。あああ。救われない。←のような、這い回り方を丹念に見せる町田作品も好きですが、『浄土』収録作品はどちらかと云うと「不条理」側に重きが置かれているような。圧倒的不条理。
迫り来る大迷惑に対策を講じる訳でもなく、ひたすら「くんな。こっちくんな」と祈るものの結局蹂躙されまくる群集の一員であるなあ、私は。
なんて嘆息するのも束の間、徹底的に受身なくせに内心ではそれを良しとせず、お茶を濁す事で自我を守るのに必死な輩が、他の誰かにとっての「不条理」になるのだよ、みたいな事を最後の最後に思い知らされてしまって赤面すること頻り。
本当に、人間の厭な側面を突き付けるのに長けている作家さんだなあと思います。
「一言主の神」が大好き。
町田節で語られる古代日本の破天荒ぶり、相性抜群です。 -
Posted by ブクログ
町田康先生による猫エッセイの第2弾です。自身の飼い猫に加えて里親となって保護をしている猫たちの存在が出てきます。軽い筆致の中に猫をおもう筆者の想いと、気ままな行動の中に含まれる猫の哲学が印象的でした。
町田康先生の猫エッセイの第2弾です。何年か前にこのエッセイは読んだことがあるんですが、今回、もう一度読みたくなって再読していました。このころから、里親として猫を保護するようになって、ニゴやトラやシャア。そしてウメチャンの名前が出てくるようになります。
もともと野良猫だったり、前の飼い主から虐待されていたりしたという経緯もあってか、えさを与えたり、トイレの砂を掃除したりするときに四苦八苦するさまがなんともおかしく、また人間のエゴのために彼らが必要以上に人間に対して警戒心を持ってしまったんだなと考えるとなんともやりきれないものを感じました。で、さらに保護した猫たちはウィルス性の白血病や猫エイズなどのキャリアを持っていて、当時、筆者は住んでいた自宅ではなく、ここに掲載されてたころは自分の仕事場で世話をしていたのだそうです。
そして、やはり一番心に迫ってくるところは筆者と猫たちの「別れ」に関する箇所で、保護猫のウメチャン。さらには巻末のほうで長年筆者夫妻と生活をともにしてきたゲンゾーが旅立ってしまう場面は何度読んでも辛かったです。筆者いわく
「ゲンゾーはいい奴だった。ともだちだった。
そのゲンゾーが死にかけていた。死につつあった。
涙がこぼれた。
私は、ゲンゾーの名を呼び、背中や頭をなでた
午後二時ゲンゾーは逝った」
というゲンゾーの最期の描写は長年生活をともにしてきて、彼に明け方お腹に飛び降りてこられたり、お気に入りの服を爪で何箇所も穴をあけられたりと、そういう「濃密な」関係の上に成り立っているのかなぁ、と思わせる文章でした。ここに書かれているゲンゾーの死因については詳しくは書きませんけれど、僕がどうのこうのということはできません。しかし、もし将来僕が猫であれなんであれ、ペットを飼う機会があれば、こういうことがもし自分の身に起こった際、ゲンゾーのこと思い出して、筆者の言うように「他山の石」として心のどこかにとどめておこうかと。そんなことを考えています。 -
Posted by ブクログ
この人の本、好きですね☆
猫(私は犬もいますが…)と暮らしていたら、あるある!って感じで、共感できる部分がたくさんあります( ´ ▽ ` )猫ちゃんは一緒に暮らせば暮らす程、奥が深くてハマっちゃいますよw
それに町田さんの猫を思う気持ちが、すっごく伝わってきます!!
だからこそ、最後のココアとのことで、「しかしもっとも辛いのはココアがいなくなっても普通の日々が続いているということだ。今日も部屋に日が差し込んで、新聞が届けられ、私は仕事に出掛ける。ココアがいなくなってもココアがいたときと同じように毎日が続いていく。」と言う、文章に更に涙が止まりませんでした。ほんまにその通りだと思います。
でも、私もいつか通る道なんだなぁと思うと、感情移入せざるを得ませんでした(´Д` )