町田康のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
仏法説話集4作品を集めたもの。
仏教の教えに基づき、どう生きるかなどのテーマをわかりやすく説話形式に。
4編とも何となく似ていたり、同じテーマがあったりして、読んでいるうちに自分がどれを読んでいるのか分からなくなってきた(笑)
読みながら日本が仏教でなく神道が主流になったらどのような説話集になったのだろう?と思った。仏教説話集だと「被害者になったのも因果応報」「お経を唱えて死ねば極楽に行ける」という結論なのでちょっと消極的と感じてしまうことも。
いくつか「ラテンアメリカ文学で読んだぞこのテーマ」と思ったら巻末の解説でも描かれていました。距離と時代が隔たっていても人が語る物語は似るのだろうか。
【景戒(薬師寺の僧)「日本霊異記」新訳:伊藤比呂美】
平安時代初期に印された仏教説話集。
『わたくし薬師寺の僧、景戒はつらつらと世間を見るに目に入るは人の卑しい行いばかり。
人は善悪の報いを識るべきだ。
中国のとても面白くてためになる説話集に倣い、私もこの国の不思議な話を書き記そう。
…ただ困ったことにこのわたし、景戒はあまり頭がよくないんだ。元の良い話を私がうまく伝えらるだろうか?
だがこの話を読むみなさんが、邪な道に進まず善い道に進むことを祈り記して行こうと思う。
諸悪莫作 (わるいことをするな)
諸善奉行 (よいことをするのだ)』
説話集の中身は、人の恩を忘れず善行を進め、仏への祈りを忘れず、日々感謝の心でいきるんだよ。悪い行いをすると戻ってくるよ、というようなもの。
話は唐突で脈絡がないことも。
いきなり雷を捕まえたり、女が龍になったり。
また仏教の”徳”の現れ方も少し不可思議。
ひたすらお経を読む高僧は死後頭蓋骨で舌だけは生きているように残るとか、身籠った女が肉団子を産んだら吉相とか。
人の世の不条理さ、酷い目にあった、不思議なことがあった、という説明の出来ないことがあっても生きていくために編み出されたのが宗教や説話なのだとしたら、「前世の行い」「仏の御心」として受け入れていったのでしょうか。
訳しかたは軽めで流れるような感じです。
「風のように生きる女がいた」という文体が格好いいなあと思った。要するに「極貧で合っても仏に感謝し自給自足で子供たちに感謝の気持ちを伝えていけば、身分は低くとも神女になれますよ」ということ。
要するにこの説話集の言いたいことはこれに尽きるような。
【「今昔物語」新訳:福田武彦】
平安時代末期。
冒頭は「今は昔のこと」で始まり、これは「古い昔」と言う意味と「最近過ぎた昔」ともなる。
訳が福永武彦なのでほかの”新訳”より砕けていないが文章は綺麗で読みやすい。
個人的には”新訳”だからと言ってあまり現代調にするよりこのくらいの文章が状況を感じやすいと思う。
テーマは「因果応報」となっているなのだけれど…一方的にストーカーされた側が「ストーカーされたのも前世の因果」となったり、「盗賊から身体を守るためにわが子を捨てた女」が褒められたり、みたいなのは現代とは価値観が違うけれど、それだけ生きるのが厳しかったたのか。(…というのは巻末の解説にも書いてあった/笑)
のちに「安珍と清姫」「羅生門」「藪の中」となる作品の元の話も収められていう。
「芋粥」の元の話、「東国の武士が一騎打ち」の話などは当時の武士の猛々しくもまっすぐな気性が生き生きと描かれているが、郎党引き連れて殺し合いが日常ってのもやっぱりコワいな。
盗賊や詐欺師の出てくる話は彼らがどのようにして人々から金品を奪っていたのかなどが生々しく伝わってくるが、まさに騙される方が悪い、殺される方が悪い時代だ。
【「宇治拾遺物語」新訳:町田康】
鎌倉時代初期。
ある大納言が夏の間の避暑地として宇治に住み、退屈しのぎに道行く人を身分の上下を問わずに招き入れて面白い話を聞いて、それをまとめたものが「宇治大納言物語」。それが伝わっていくうちに話が追加されたりしていったのが「宇治拾遺物語」ということ。
「アラビアンナイト」がやはり原典からヨーロッパの話し手が加えて行った話が増えていっているが(アラジン、は原典にはなくヨーロッパで追加されたとか)、そのような伝わり方をしているということですね。
しかし生活は安定して、人々と交わり話を聞いて過すなんて、なんて羨ましいのだろう!!
新訳は軽目。
「今は昔」の訳を章ごとに
「これは結構前のことだが」「これも前の話だけど」「前」「そうとう前」などとなっていて、訳者さん遊んでるなと(笑)
使われている言葉も「マジマジマジ?」「ヤバいじゃんマズイじゃん」「『良かったね、問題ないね』とはならない話で…」みたいな(笑)
「こぶとりじいさん」「わらしべ長者」の元の話あり。
「こぶとりじいさん」は「人の真似したってダメだよ」というのが教訓だったのか。私は「無芸は身を滅ぼす」だと思って、無芸な私はこういう場面に自分が出くわしたらどうしようもないじゃないか~~と昔からびくびくしていたのだが(笑)
【鴨長明「発心集」新訳:伊藤比呂美】
鎌倉時代初期。
『何事につけても自分の心の弱くて愚かなことを忘れず、仏の御教えのまま気持ちを緩めず次の生こそ生成流転する苦しみから逃れて浄土に生まれ変わりたいと願う。』
訳者は「日本霊異記」と同じ伊藤比呂美さんだが、訳の調子はこちらのほうが少しはかっちり目で断定的。
高僧が解脱するために入水や生きたまま土中に入ったりと要するに自殺するに当たる心の美しさや、いやその瞬間に湧き上がった恐怖や疑問など…
現代の価値観だと「念仏を唱えることだけに生きて自殺して極楽往生や来世をを願うなら、善行を積んだ方が良いのでは」と思ってしまうのだが… -
Posted by ブクログ
ネタバレこの世界は虚妄だと訴える新興宗教の腹ふり党とそれに対峙するパンク侍の物語?
最後の方は(最初からか)無茶苦茶だけど、全体を通して、藩のメンバーやら言葉を理解する猿やら、インチキくさいやつばかりが出てきて、インチキ臭いことばかりする。
だいたい主人公の最初の言動もおかしい。
最終的には、主人公は世界がインチキというか虚妄であることを認めるんだけど、それでもその中でどうやって生きていくか、みたいなのがテーマになっているようななっていないような。そんなまっすぐな話じゃない?
だって、たとえ世界が虚構であろうと虚妄であろうと、僕は生き延びる、なんてかっこよくのたまった次のシーンで死んじゃうんだもん、主人公のパンク侍が。
美少女ろんはラストで吐き捨てるように言う。
こんな世界だからこそ譲れないものがある、と。
そんな彼女が吹き出した(意味不明)空は綺麗な青ででも偽物。 -
Posted by ブクログ
「ぼくはなんか重大な使命を負ってる、なんて考えない方がいいよ。そういうのをね、袂君、教えてあげよう。自意識過剰、っていうんだよ。若い人に多いのだが、稀に、ごく稀に、君のような三十半ばを過ぎてもまぁそんなことを言っている人が居るんだ。多くは不幸な人生を送っている。」
「啓示というと、なんか神からの重要なメッセージ、みたいな感じがしますが、余のようなアホバカ恩知らずの、脳髄がゼリー状に溶けて正常な状況判断ができなくなっている三文小説書きは、啓示るという言葉を口にするだけで罰が当たって死にます。」
「まさか。余のごときものが祝福されるはずがないじゃないですか。余は全人民に笑われながら六千億年苦しみ続けるのが確定済みのハナクソのできそこないですからね!」
『そうして心が狭いことをなんとかしなければならない、と心狭く思っているからこそ、そんなことを言うのであり、人間とはそもそも心が狭いもの、という事実を心広く受け入れている人間の方がよほど心が広いのである。』
『夢と現実の違いなんて、絹ごし豆腐と木綿豆腐くらいの違いでしかなく、どちらも潰れやすいのだよ。』
『そう人間は常に半分半分の気持ちを抱いて生きているのだ。
自分だけが助かりたい気持ち半分、身を捨てて人の役に立ちたい気持ち半分。
愛する気持ち半分、憎む気持ち半分。
そばを食べない気持ち半分、うどんを食べない気持ち半分。』
「ひとつきいていいですか」
「いいに決まってるじゃねぇか。俺たちは生まれたときは別々だけど死ぬときは一緒、って固く誓ったポコランポコランズのメンバーなんだぜ」
「いや、誓ってないんですけどね。」
「そうなんだ。要するにロックってのは生き様なんだよ。月水金とロックして、火木土は休む、とか、そんなパートタイムみたいなロックじゃダメなんだ。やっぱ、月火水木金、とフルタイムでロックしなきゃいけないんだよ」
「土日はどうすんだよ」
「土日は休みに決まってるだろ」
「休むのかよ」
「そんなことで怒りはしない、怒りはしないが、社会が、こういう若い人に対しては一定の教育的配慮を必要としていることを理解している。なので、自分自身を社会的な装置と見なして、人が怒ったときと同じ反応を示す、ということをする場合がある。それをいましているということですな。」
『余は超然者などではなかった。余はただのバカモノであった。
ほんと、シンプルにそれだけ。自分がいろんなことを説明するのが面倒くさいので、「ほんと、シンプルに塩と胡椒で、素材の味を生かして」とか言ってる料理家のように、シンプルにそれだけを認めよう。』 -
Posted by ブクログ
どれもこれも思い当たる節のあるストーリーで心が痛い。「表層的なハッピー感に拘泥する」ゴランノスポンは就活でよく聞く「仲間に感謝」の行にインスパイアされてる?しかし表層ハッピーは続けられない。一点の綻びから本性があらわになる。
一般の魔力も思い当たる節があってつらい。自分を棚に上げて他人を批判、自分に非があることはすぐ忘れる。自分の嫌な気分を相手に察っしさせたい。この感情は普通なこと?
先生との旅は相手の能力を過大に評価して身動きが取れなくなってしまう物語。自分の中の普通と相手の普通が違うと思い込んでいることが元凶である。そこに至るまでのなんだかんだ理由をつけて断りのメールという嫌なことを先延ばしにする姿勢も私にそっくり。
というか全体的に見に覚えがありすぎてつらい。見られてたのかと思うほどにしっくりきてつらい。
ゴランノスポン(ご覧のスポンサーでお送りしました)というタイトルで幻想から醒める瞬間を表現した物語群らしい。醒める前はあるあると思うことも多いが、醒めた後は完全に町田康の想像。綺麗にまとまりすぎているという感想もあったが、やっぱり結論があったほうがすっきりする。 -
Posted by ブクログ
”というのはすなわち、愛は愛。これは人間にとって重要なことで、愛の歌を歌うのはよいのだけれども、それとカネとは全く無関係で、それは例えば、「ちょっと姐ちゃんウイスキー頂戴」と酒を注文。しかるに姐ちゃんは、「あらごめんなさい。ウイスキーは売り切れっす」「飲み屋でウイスキーないちゅうのはどもならんな。ほた、ビールでええわ。ビール頂戴、ビール」「ビールも売り切れっす」「ビールも売り切れやの?しゃあないなあ。ほた酒でいいわ。酒頂戴、酒」「売り切れっす」「しまいに怒るで。ほた、いったいなんやったらあんねん?」「そっすね。冷蔵庫があります」「は?」「日本酒もビールもウイスキーもありませんが冷蔵庫ならあります」「おまえなに考えとんねん。冷蔵庫が飲めるかあ、ぼけ」という御論議と同様で、それぞれ人間にとって同じくらい重要であるにもかかわらず、決して冷蔵庫はウイスキーの替わりにはならぬように、愛がいかに重要であろうと、ふたつは別のもので、決してカネの替わりにはならぬのである。”