村上春樹のレビュー一覧
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著者がアメリカに滞在していた頃に書いたエッセイ本。アメリカで過ごしたときに出くわした体験を主に綴っているが、なかでも興味深いのは、著者の小説を書くまでの過程に触れた「ロールキャベツを遠く離れて」と日本のエリートに言及した「ヒエラルキーの風景」の2つである。前者では、著者は学校で習ったことよりも、店を開いて肉体労働をした時期のほうがより多くのことを学べたと語る。また大学生のころ、何かを書きたいと思いつつも、何をどういう風に書けばいいのかわからなかったといい、そこから著者は書けないときは無理に書かなくていいという結論を出す。自分というものを確立するための時間、経験が小説を書くに至るまでに必要なことだったと語る。後者では、著者はこれまで接してきた日本のエリートを見て、日本はエリートが幅をきかせている国で、彼らは個人的な価値観よりも自身が属してる会社や官庁、または共通一次の点数を重視していると痛感した。
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とても不思議で、一切の救いのない物語。
巨躯で訴訟好きの女性、ミス・アミーリア。圧倒的な人間嫌いのアミーリアに対し、突然出現し、一途な愛を受けることになった病的に小さなカズン・ライモン。この二人が始めたカフェが、町全体を活気づけ、奇跡のような平和をもたらした頃に現れる、前科者で過去に10日間だけミス・アミーリアと結婚していた、マーヴィン・メイシー。
この三者の、愛の一方通行を描きながら、その愛の行き着く先を示す。
マッカラーズの小説に出てくる登場人物は、皆、どこか普通ではない。
普通ではないのだけれども、普通ではないなりに、皆、不思議と歯車が噛み合っている。
そしてその噛み合い具合がとても心地よく、「心は孤独な狩人」などは、それが作品を希代の大傑作たらしめている。
本作は、噛み合わない。全然噛み合わない。
なので、登場人物の普通でなさが際立つ。異様さが際立つ。
神話的なニュアンスさえ感じられるほど異質。
ただ、その異質さは読むことを拒絶するかというと、そういう類いのものでもない。
むしろ引き込まれる。異質さが魅力になっている。
中盤くらいから、明らかに本作が絶望に向かっていることがわかる。
わかっているにもかかわらず、目が離せない。
物語自体の魅力はもちろん、それを語る文章の美しさもある。
マッカラーズは、普通ではない人の、普通ではない行動を実に見事に描写する。
これはひとえに、天才の所業なのだろう。
本作は中編程度で短く、そして山本容子氏の銅版画が挿絵(背景画)となっており、さながら大人の絵本という感じに仕上がっている。
そして大人の絵本というにふさわしい内容。
異様だし、絶望だけど、読みやすい。
この美しい絶望は、マッカラーズのファンでなくても、味わってみて欲しい。 -
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登場人物たちは、なぜこんなに理不尽な目に遭わなくてはいけないのか?
この世界は彼らにしか見えていないのか?
また、別の話では、何かを象徴している出来事なのか?
うっすら肌をあわ立てながらも、深掘りし始めると止まらない。
オノマトペ?でもない?不思議な音がカタカナで表されている。
【TVピープル】
TVピープルは、この人にしか見えていない「小さいおじさん」的なものなのか。
【飛行機-----あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか】
彼、20歳になったばかり。
彼女、27歳既婚、子供あり。夫は旅行会社に勤め、月の半分は海外に行っている。家庭に問題があるわけじゃない、と彼女。ならどうして彼と寝るのか。
【我らの時代のフォークロア ———高度資本主義前史】
1960年代に若者だった僕。
「処女性」がどれくらい重要視されていたのか。
この時代は知能の高い女性でもこんな考え方だった。そういう時代だったなあ・・・
だから、これは彼の話であり、我々みんなに起こったことでもあった。
【加納クレタ】
男たちはクレタを見ると必ず犯そうとした。
ひどい運命。
【ゾンビ】
真夜中、マイケルジャクソンのビデオみたいに、墓場の近くを歩く。
【眠り】
結婚して、子供を持ってから、自分というものがなくなってしまった主婦の願望のように思える。
昼間の時間は夫と子どもに支配されている。眠っている時間を自分のために使えたらどんなにいいだろう、という願望をかなえたらこうなった?
主婦になったら本を読めなくなった、読んでいても気がつくと別のことを考えている。わかる。 -
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チャンドラーのほかの作品と同様。ミステリとしてはさほどではない。話が妙にこみいっているわりに、驚きの真相や、ハラハラの展開もない。本書の読み所は、そこじゃない。
疲れている。いつになく、ふてくされて、毒づいて、空虚で。そういう、疲弊したマーロウ=チャンドラーが実に味わい深い。
例えば以下のようなところ。
‘
”ふん、映画スターがなんだ。ベッドを渡り歩く達人というだけじゃないか。おい、もうよせ、マーロウ、今夜のお前はどうかしているぞ。”
(p138)
ハードボイルドだ。村上春樹や、原リョウさんへの影響を与えたのは、「長い別れ」より本書かもしれない。本書の先に、この2人の日本作家を感じた。 -
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小説家の村上春樹は、指揮者の小澤征爾も驚嘆するほどの鋭い耳を持っている。
そして、クラシックに関する造詣も深い。
時には、小澤も知らないような知識を披瀝して小澤を驚かせる。
村上春樹は、若い頃ジャズ喫茶を経営していたので、ジャズに関する知識は尋常ではないと思っていたが、クラシックに関しても同様だ。
音楽に対する、途轍もない情熱を持っているのだ。
その情熱が小澤征爾を刺激して、通常では語らないようなことまで語り出す。
ボストン•シンフォニーでのエピソード、師であるカラヤンとバーンスタインの差などが続々と出てきて「えっ、そうだったの」と感嘆しきり。
極付で面白い。
中でも、ジャズ•ピアニストの大西順子とのエピソードが感動的だ。
村上春樹が大西順子の引退コンサートに誘う。
演奏に感動した小澤征爾は「ブラボー!」と叫ぶだけではなく、楽屋に行き、大西に「引退を許さない」と伝えるのだ。
小澤征爾の面目躍如。
そのためにどうしたかと言うと、小澤は、松本でのサイトウキネンフェスティバルに大西を招いたのだ。
そこで競演したのが、「ラプソディ•イン•ブルー」。
その時の演奏はYoutube で観ることが出来る。
その緊張感あるピアノとオーケストラの掛け合い。
どう動くが分からない大西の演奏を、柔軟に臨機応変に受けてみせる小澤の懐の深さ。
大西が演奏継続を決めたのは、この演奏で受けた刺激のためだと言う。
村上春樹の取り持った感動的な出会いだ。
その前には、さりげなく、カズオ•イシグロとの交友が述べられている。
村上春樹は、東京でカズオ•イシグロと食事をした際、二人ともジャズもクラシックも大好きなことを知る。
カズオ•イシグロは長篇を書き終えたばかりだった。
彼はタイトルも内容も語らなかった。
日本のジャズ•ミュージシャンの話になったとき、村上春樹が推したのが大西順子だ。
そして、彼女のCDをプレゼントしている。
その後、イシグロはノーベル書を受賞する作品を発表するが、そのタイトルを見て、村上春樹は驚く。
タイトルは「Never let me go」。
それは、大西順子のCDに収められたジャズのスタンダード•ナンバーだった。
(「Never let me go」は、邦訳「わたしを離さないで」)
大西順子を挟んだ、村上春樹とカズオ•イシグロの麗しい関係が分かって楽しい一節だ。
小澤征爾の「征爾」という変わった名前が、小澤の生まれた満州で満州軍を指揮していた板垣征四郎の「征」と、満州事変を起こした石原莞爾の「爾」から取られているのは有名な話だ。
二人は小澤征爾の父開作の友人だったのだ。
それだけで、開作という男が只者ではないことがわかろうというものだ。
その父の血を受けて、アジアに夢を見るのではなく、世界に夢を見たのが小澤征爾だったのだ。
もう、小澤征爾がこの世界に居ない。
そのことが、どれほど悲しいことなのか、本書は教えてくれる。
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ネタバレ村上春樹さん…有名すぎる小説家の方ですが、あまり読んだことがなく…なんだか難しそうなイメージがあって、手を出せずにいました。
でもある時「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」というタイトルを何かで聞いてから、気になってしまって。このタイトルだけでもうわくわくして開いてみたら、え?8ページ…。短くてびっくりだったのですが、とても読みやすかった。
小説を読んでいると、目から入ってくる文字を頭の中で映像化していくわけだけど、村上春樹さんの小説ってなぜだか背景が海外になってしまう。この100%も、ヨーロッパのお洒落な街並みが自動的に脳内で設定されてしまって、そして素敵な男女が出会って別れて(分かれないで欲しかったなぁ)すれ違っていったけど、最後にもガッツリ「原宿の裏通りを西から東へと向い」って書いてあるのに、なぜか背景はヨーロッパの街並みのままだった。
「君は僕にとって100パーセントの女の子なんだ」と言われたら、自分だったらどんな反応をするだろう、なんて考えてみた。信じるとか信じないとかよりも、この小説を読んでしまった以上「あ、村上春樹さん読みましたね?」って返してしまうと思う。そしてこの小説についての感想を語り合えたら嬉しい。 -
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18編のショート・ストーリー。
本当に短いのに、一気に世界が変わる。
読み終えたら、今、旅行に行ってきたとか、今、夢から覚めたみたいな気分になる。
さりげない日常と、さりげない非日常と、日常に違和感なく入ってくるファンタジーと、「あの街」にまつわるノスタルジー。
『5月の海岸線』がいちばん好き。
気になったのは『かいつぶり』
よく分からない。
他にも不思議な話はいくつもあるのに、なぜ『かいつぶり』だけが気になるのだろう。ずっと、「かいつぶり」が頭を離れない。
水に関係があって、五文字で、手のひらに入るけど食べることはできない、というものを考えてしまう。
気になって仕方ないのは、その合言葉は間違っていると門番に言われたのに、そいつが出てきたからである。
読解力の限界を感じる。 -
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村上春樹の旅行記は面白いと思う。小説よりも面白いかも、とすら感じる。
本書の最後の、あとがき的な部分で、村上春樹は、旅行記を書く意味や、それを含めた作家としての立ち位置みたいなことを話している。下記に引用する。
【引用】
でもいずれにせよ、旅行をするという行為がそもそもの成り立ちとして、大なり小なり旅行する人に意識の変革を迫るものであるなら、旅行を描く作業もやはりその動きを反映したものでなくてはならないと思います。その本質はいつの時代になっても変わりませんよね。それが旅行記というものの本来的な意味だから。「どこそこに行きました。こんなものがありました。こんなことをしました」という面白さ珍奇さを並列的にずらずらと並べるだけでは、なかなか人は読んではくれません。<それがどのように日常から離れながらも、しかし同時に日常に隣接しているか>ということを(順番は逆でもいいんですが)、複合的に明らかにしていかなくてはいけないだろうと、僕は思うんです。そしてまた本当の新鮮な感動というのはそこから生まれてくるものだろうと。
いちばん大事なのは、このように辺境の消滅した時代にあっても、自分という人間の中にはいまだに辺境を作り出せる場所があるんだと信じることだと思います。そしてそういう思い出を追確認することが、即ち旅ですよね。そういう見極めみたいなものがなかったら、たとえ地の果てまで行っても辺境はたぶん見つからないでしょう。そういう時代だから。
【引用終わり】
すなわち、村上春樹は、小説家として、自分の中にある辺境(それは、自分自身にとっての未知の自分であり、他人にも差し出せるような未知の世界)を描こうとしており、それの修業の一環(文章を書くというスキル的なトレーニングと、辺境を描くという思索的なトレーニング)として旅行記を書くことは、うってつけであるということを言っているのだと理解した。
村上春樹の小説は、途中作から自分にとっては難解で理解が追いつかなくなってしまっているが、こういった旅行記(および、そこに書かれている村上春樹の作家としての考え方)を読むと、村上春樹の小説に対しての、一種の「信頼感」が増し、また、難解な小説にトライしてみようという気にもなる。 -
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村上春樹の家族関係、とりわけ父親(村上千秋)についていくか語る。父親は浄土宗の寺の次男として生まれた。1917年生まれで、戦時中は日中戦争に参戦した(のちに調べたところ、1年違いで南京戦に参戦しなかったが判明した)。中国人の捕虜が軍刀で斬首されたと父親は言っていたという。無抵抗状態の捕虜を処刑するのは、国際法に反する行為であったが、当時の日本軍はお構いなく実行した。本書で紹介された本によると、当時日本軍が捕虜を処刑する際、その多くは銃剣であったらしい。このように、父親は実際に戦地に行った人であったが、戦争映画を見ることにとくに抵抗はなく、村上は父親とよく一緒に映画館へ行き、アメリカの戦争映画や西部劇を見たという。
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今回も著者が体験したことや思ったことを書いていく。日本のみでなく、いくつかの国々で生活したこともあってか、日本国内外の話についていくつか言及している。ワシントンDCに住んでいたころ、ホテルのシャワーを利用しようと並んでとき、右派ロビイストから横から割り込んで色々と言われたが、自分の後ろにいた白人男性が抗議するという経験をした。著者はアメリカ人について考えるとき、常にその二人を思い出し、力と金がすべて、あるいは公正を信じる人という図式は、どこの国にも当てはまるのだろうという。この経験から、日本にいる外国人がもしなにか困っているときは、助けるようにしている。本書はほかにも、複数の国で過ごした著者ならでは視点や洞察があっておもしろい。
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村上ラヂオシリーズの第2弾。前回と同様、著者が体験したこと、思ったことを書き綴る。オリンピックの開催地は、発祥の地アテネにするべきといい、その理由として広告代理店、土木工事など費用が無駄にかかるからだという。また日本のメディアは、選手がメダルをとれるかとれないかということに関心を持ちすぎだと批判する。このような理由からオリンピックはあまり好きではないらしい。
著者は健康的な生活を送っていることで有名であるが、この習慣をつけるようになったのは、作家としてデビューした30歳ごろで、それ以前はたばこを吸う、夜更かしを
するなど、現在とは真逆の生活習慣を送っていた。
ほかにもアイスランドの旅行で見た謎のチャンネルや、アボカドの食べごろなど、読者にあれこれと語る。 -
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著者が日常で体験したことをまとめたエッセイ本。酒のつまみとして最適な柿ピーの柿とピーナッツのバランス具合が絶妙であること、イタリア本場のパスタがおいしい反面、イタリア国境のパスタはまずい、うなぎやすき焼きがおいしい、ちらし寿司が関東と関西では別物であるなど、食に関するエッセイは割と多い。また著者のデビュー作『風の歌を聴け』が群像新人賞をとった当時について言及している。授賞式のために用意したスーツは、青山のVANのショップに行き、バーゲンで買ったという。受賞が決まり、出版社に向かって担当の編集者と会うが、そのとき編集者から「君の小説にはかなり問題があるが、まあ、がんばりなさい」と直接言われた。当時『風の歌を聴け』は物議をかもしたらさく、出版社内部でちゃらちゃらした小説で文学じゃないという声があった。さらに本書には人間の寿命、すなわち早死にした方がいいか、それとも長生きしたほうがいいかを語っている。本人としては少しでも長生きしたほうがいいと思っているが、長生きした作家の顔写真を見て、長生きするのもどうなのだろうと悩んでいる。というのも、早死にした作家は若いころのままに対して、長生きした作家は死ぬ前の姿が写真として残るためである。