村上春樹のレビュー一覧
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この手の本を読んだことがなかったのですがとても興味深く読めた。英語も日本語も関係なく、とにかく文章が大好きなお二人と学生さんたちの講義の様子は想像するのも楽しかったし、翻訳は面白いんだ!やらずにはいられないんだ!という村上春樹の翻訳愛に触れられたのも新鮮。キャッチャーインザライは野崎訳も村上訳ももっているけど、この講義をしていた頃にはまだ訳していなかったんだなと思うと感慨深かった。
そして、お二人があまりにも熱烈に英語をどう日本語に直すのか、というお話をするので私も翻訳という作業に興味がわいてしまって、フラニーとズーイの英文庫を取り寄せています。英語は得意じゃないけれど、こういうところから勉強してみたいなと思えた良い出会いでした。 -
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これ、ずっと知っていたのにすっかり「読んだもの」と思ってスルーしていた。読んだことがあるのは多分象工場の方 (それも曖昧)。
村上春樹と安西水丸が工場見学に行くという話なんだけど、既視感あるなと思ったら片桐仁の「教えてなぜなら知りたがりだから」ですね…もちろんこっちの方が全然先なんだけど。「教えて〜」の方も大好きだったけど、やっぱりこういう専門的な話というのは面白い。特に人体模型工場なんて、ぜひ行ってみたいけどまだあるのか?1986年の本なので今とは全然状況が違うんだろうなと思いつつ、アデランスの「うちの強みはカスタマーサービスの部分なので技術のことが他社にバレても負けない」と言い切る強さがいまだに「カツラといえばアデランス」になってるんだろうなと思うと感慨深い。
安西水丸が描く村上春樹は可愛くて好き。 -
Posted by ブクログ
ポッドキャスト「ペーパードライブ」を聴いて読んでみた。表題作と眠りについては別の短編集「象の消滅」で読んだことがあった。他の短編については正直なところあまり印象に残らなかった。
TVピープルは、何に対しても情熱を持つことが無い空疎な主人公に、さらに空っぽそうなよくわからないもの(オレンジの皮むき器のような飛行機?)が流し込まれる話と感じた。いろいろなものに白けた態度をとり続けた空の箱のような人には、少しのきっかけで何でも流し込める恐ろしさ。
この当時、ソニーのTVはきっと最新の製品と思うけど、2025年に読み返すとノスタルジックなものに見える。また、その時代設定のせいか、TVピープルが登場する際の空間の歪の描写も、80年代後半から90年代初頭の荒い画像処理で自分の脳内で再生されるのも面白かった。あの頃の世にも奇妙な物語のような質感というか。リアルタイムで読んでいるとまた全然違う世界観で読めたものなのだろうと思うと、当時読んだ人に聞いてみたい気持ちになる。
また、冒頭から主人公に聞こえている音の擬音が不思議なもので、その変なカタカナの連なり方は、表紙が佐々木マキなこともあり、佐々木マキのムッシュムニエルの呪文を連想し、より一層、奇妙な物語感が強まった。
眠りはこの短編集の中で一番良いと思った。というより、記憶の中ではこれまで読んだ村上春樹の短編の中で一番好きな作品。主人公は女性だが、途中まで主人公の性別がわからないくらい、語り口が女性的ではなく、ここにリアリティがあると感じている。女性も頭の中で考えを巡らせるときはこのような性別を超えた文章で考えるように思うので。
また、主人公が抱える苦悩(同じような毎日が繰り返される、傾向を消費される等)は、勿論女性としての苦悩であると思うし、実は男性にも響く内容だと思い、普遍性があると感じた。今読んでも全く古く感じないので、性別だけではなく時代も超えているのだろう。
ラストは恐ろしいけれどれも、この話自体が長い夢の中であり、夫と息子に起こされる描写にも見えるし、やっぱり死を想起させるものとも思えた。物語の後半で、主人公が頭と体を切り離し機械のように必要なタスクをこなしていく事は理想的な状態ではないけれども、生きているからこそできる事であり、死を迎えるときは精神と体を切り離せない状態に向かっていくのであれば、恐怖が頭の中に充満し、身体も支配されたラストは死を迎える際の一つの創造しうるパターンとして考えられそうだなと思った。でも、こんなに恐怖を感じるのだとすると本当に死ぬのが恐ろしい。 -
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ネタバレ夫々小説家/心理学者の著者による対談集。明確に語られていたわけではないが、ぼんやりと感じたのは「物語が論理的(分解的?)/静的なアプローチを補完する場合もある」ということ。分析とは分けることである、と言われるように、所謂科学的アプローチが日常の仕事にまで染み込んでいる現代について、少なくとも自分は癖として物事を切り分ける/個別事象を理解する/最後に各事象を結びつけるという思考を踏んでいる。これはこれで間違いではなく、むしろ特定の人々からは推奨されるものであるとも思うが、どうしても細部を捨象したり、全てが意図性を持ってしまうきらいがあるとも感じる。一方物語は、明確なメッセージを持たない場合(意図性を持たないこと)もあるかもしれないが、全てが連なっている。故に、ここに読者はなにかを見出すことができる。それはインスタントな説明性は持たないかもしれないが、分析しても悩みが解決しない人にとって、救いになるのだろうと、自分もその一人として感じた次第。
特に印象に残った箇所は以下
・「プロだから結末は来る」というのは、簡単に言えば結末が来なければ能力的に小説家としてメシは食えないということですが、それと同時に「自分を信じる」という側面もまたあるわけです。あとはもう経験ですね。それでもときどきふと「大丈夫かな?」と思うこともありますが、「大丈夫」と自分に言い聞かせて書き続けるのです(p.82)
・なんのために結婚して夫婦になるのかといったら、苦しむために、「井戸掘り」をするためなんだ、というのがぼくの結論なのです。井戸掘りは大変なことです。だから、べつにしなくてもいいのじゃないかと思ったりするんですよ(p.98)
・欠落そのものは(あるいは病んでいることは)人間存在にとって決してネガティブなものではないということです。欠落部分というのはあって当然です。ただし人が真剣に何かを表現しようと思うとき、「欠落はあって当然で、これでいいんだ」とは思わないものです。それをなんとか埋めていこうとする。その行為に結果的な客観性がある場合には、それは芸術になることもある。そういうことです(p.129)
・結局、深く病んでいる人は世界の病を病んでいるんですね(p.216) -
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▼(本文より)
常識というのは、決して計算間違いなぞしない、グレーの背広を着たちっぽけな男だ。しかしその男が計算しているのは常に他人の金だ。
▼(本文より)
この街の売りのひとつは、ここで働いている人間にはここに住むような経済的余裕はないということです。
▼フィリップ・マーロウ長編を発表順に再読しよう計画の最終章。第1作「大いなる眠り」は作者49歳くらい。最後の「プレイバック」は作者69歳くらい。マーロウの年齢は言及されずにあまり老けていない印象ですが、小説そのものは、より練られて、より枯れてきて、そしてややタガが緩んでいる印象。それはそれで滋味深いのですが、やはり「ロング・グッドバイ」が他をよせつけない強靭さと分厚さとオモシロさであることは確かですね。 -
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誰かが僕らの絵を描いてくれないかな、と思う。故郷から遠く離れた三十八歳の作家とその妻。テーブルの上のビール。そこそこの人生。そしてときには午後の日だまり。
この文章がこの本の中で一番好きだった。
村上春樹ほどの人物でもやはり人間は人間であるから、心が壊れそうになったり、色んなことから逃げ出したくなったり、しがらみも何もかもを捨ててしまいたくなったり、そんな感情になるのかと思うと、何だかほっとする。
そんな彼の、イタリア時々ギリシャ、時々その他ヨーロッパでの暮らし。
食や芸術や映画、ランニング、そして執筆、それらと共にある彼の生活は、質素だけれど丁寧で、自分が憧れても憧れても届かないような、だけれども彼にとっては日常であるのだろう。
トラブルまみれのイタリアであってもなんだか憎むに憎みきれないのがイタリア人。
ああ、私もまた行きたい。
ところでタイトルの由来もなんだか好きです。