あらすじ
久しぶりにリュックを肩にかけた。「うん、これだよ、この感じなんだ」めざすはモンゴル草原、北米横断、砂埃舞うメキシコの町……。NY郊外の超豪華コッテージに圧倒され、無人の島・からす島では虫の大群の大襲撃! 旅の最後は震災に見舞われた故郷・神戸。ご存じ、写真のエイゾー君と、讃岐のディープなうどん紀行には、安西水丸画伯も飛び入り、ムラカミの旅は続きます。電子版特典!『辺境・近境《新装版》』に掲載された、松村映三カメラマン撮影のカラー口絵写真を追加収録!
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村上春樹さんの旅行記。無人島、メキシコ、讃岐、ノモンハン、アメリカ横断、神戸。彼がこんなにディープな旅が好きだったとは知らなかった(ちょっと沢木耕太郎さん系の)。特に、ノモンハンの戦争の跡を訪ねる旅は印象深い。「ねじまき鳥クロニクル」に出てくる世界ですね。
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noteの旅行記なんかで、旅を大きくとらえすぎている人がいるけど、今の時代、お金と時間と勇気さえあればどこにでも行けるし、なんだってできる。現代旅行記はかくあるべし、といった感想。
旅の位置づけというか、自分にとって旅がどういう意味を持つものなのか、再考するきっかけを与えてくれる。
ノモンハン、アメリカ横断、西宮まで歩くetc
「香川うどん紀行」がお気に入り
腰の座った生活の香りがする
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確か高校の現代文の先生が読んでいたので、本書の存在は知っていた。個人的にも香川、西宮など、ゆかりがある場所が多く出てくるのでそれだけでも楽しく読めたが、加えてこれからある意味での旅に向かう自身にとって響く言葉が多かった(詳細は以下、多くなってしまった)。
改めて、何かを問うとき、問われているのは自分自身なのだと感じる。どこかへ行くとき、災難に見舞われるとき、発見するのは自分自身なのだと思う。旅とは、ある種の諦念(思い通りにならないこともそりゃ沢山ある、という姿勢)を獲得する過程であり、これを獲得するからこそ、逆説的ではあるが、それでも不変なもの(どうにも変えられない自分の一部、等)に目を向けられる/自覚的になれるのではないか。
これまで数多の本を読み、映画を鑑賞し、他者の考え方に触れる中で確立してきた(ように思う)自身というものをもう一度揺さぶる機会として、旅を位置付けられないかと、率直にそう感じた。本書は今後の自身の旅にも持っていきたいと思う。
特に印象に残った箇所は以下
・僕の人生というのはー何も僕の人生だけに限ったことではないと思うけれどー果てしのない偶然性の山積によって生み出され形成されたものなのだ。人生のあるポイントを過ぎれば、我々はある程度その山積のシステムのパターンのようなものを呑み込めるようになり、そのパターンのあり方の中に何かしらの個人的意味あいを見出すこともできるようになる。そして我々は、もしそうしたければ、それを理由(リーズン)と名づけることもできる。しかしそれでもやはり、我々は根本的には偶然性によって支配されているし、我々がその領域の輪郭を超えることができないという基本的事実には変わりない。学校の先生がどれだけ論理的で整合的な説明を持ち出してこようとも、理由(リーズン)というものは、もともとかたちのないものに対していわば無理やりにこしらえあげた一時的な枠組みに過ぎないのだ。そんな、言葉にできる何かにどれほどの意味があるだろう。本当に意味があるのは、言葉にできないものの中に潜んでいるものではないのか。でも、僕がメキシコという「場」に足を踏み入れて、そこにある空気を吸ってまず感じたことは、そんなことを言いだしてもここではきっと通用しないんだとうなというある種の諦観だった(p.53〜54)
・一人でメキシコを旅行してみてあらためてつくづく感じたことは、旅行というのは根本的に疲れるものなんだということだった。これが僕が数多くの旅行をしたのちに体得した絶対的真理である。旅行は疲れるものであり、疲れない旅行は旅行ではない(p.84)
・僕は思うのだけれど、うどんという食べ物の中には、何かしら人間の知的欲望を摩耗させる要素が含まれているに違いない(p.147)
・でも僕にはうまく表現できないのだけれど、どんなに遠くまで行っても、いや遠くに行けば行くほど、僕らがそこで発見するものはただの僕ら自身でしかないんじゃないかという気がする(p.230)
・人は年をとれば、それだけどんどん孤独になっていく。みんなそうだ。でもあるいはそれは間違ったことではないのかもしれない。というのは、ある意味では僕らの人生というのは孤独に慣れるためのひとつの連続した過程にすぎないからだ。だとしたら、なにも不満を言う筋合いはないじゃないか。だいたい不満を言うにしても、誰に向かって言えばいいんだ?(p.286)
・いちばん大事なのは、このように辺境の消滅した時代にあっても、自分という人間の中にはいまだに辺境を作り出せる場所があるんだと信じることだと思います。そしてそういう思いを追確認することが、即ち旅ですよね。そういう見極めみたいなものがなかったら、たとえ地の果てまで行っても辺境は見つからないでしょう。そういう時代だから(p.301)
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紀行文大好きです。
行った場所と感じたことを行っていない人に伝えるって難しいことだと思うけど、村上さんの目線でその場所を感じさせてくれるって素晴らしい。
全部行きたくなってしまう。
メキシコやノモンハン、アメリカ大陸横断に混じって讃岐が入るところも好きです。
神戸のところ。村上さんが育った阪神間は私の生まれ育ったところと重なるので、震災前後で街の風景が変わってしまったことの寂しさや「行きたい」と思ったらすぐ甲子園球場に行ってしまうところが私の思いと重なりじんわりしました
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メキシコの荒々しさやアメリカの雄大さを、ここまでありありと表現できる人は村上さんのほかにいないだろう。私も行ってみたいなと思わせるのがプロの文章というエピローグにもうなずける。
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すごく面白かった!
行かれてる場所のバリエーションもさることながら、村上さんの語り口のおもしろいこと!
村上さんの文章ってすごく飾り気があるようで言うてることは飾り気無いのよね。
最後の神戸でちょっぴりしんみり。
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旅先でどんなに壮絶な体験をしても、めげずに最後まで旅を続けるところがすごい。このタフな体験によって、小説の深みとか面白さが一層増していると思った。ねじまき鳥を再読したい。
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村上春樹の本はあまり好きでない、、と思っていたけどこの紀行文は面白い。自分も旅の折に読んで、かなり響いた部分があった。決して淡々とはしていなくてどの話も若干のディスりが入っていたのが面白い笑
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村上春樹の旅行記は面白いと思う。小説よりも面白いかも、とすら感じる。
本書の最後の、あとがき的な部分で、村上春樹は、旅行記を書く意味や、それを含めた作家としての立ち位置みたいなことを話している。下記に引用する。
【引用】
でもいずれにせよ、旅行をするという行為がそもそもの成り立ちとして、大なり小なり旅行する人に意識の変革を迫るものであるなら、旅行を描く作業もやはりその動きを反映したものでなくてはならないと思います。その本質はいつの時代になっても変わりませんよね。それが旅行記というものの本来的な意味だから。「どこそこに行きました。こんなものがありました。こんなことをしました」という面白さ珍奇さを並列的にずらずらと並べるだけでは、なかなか人は読んではくれません。<それがどのように日常から離れながらも、しかし同時に日常に隣接しているか>ということを(順番は逆でもいいんですが)、複合的に明らかにしていかなくてはいけないだろうと、僕は思うんです。そしてまた本当の新鮮な感動というのはそこから生まれてくるものだろうと。
いちばん大事なのは、このように辺境の消滅した時代にあっても、自分という人間の中にはいまだに辺境を作り出せる場所があるんだと信じることだと思います。そしてそういう思い出を追確認することが、即ち旅ですよね。そういう見極めみたいなものがなかったら、たとえ地の果てまで行っても辺境はたぶん見つからないでしょう。そういう時代だから。
【引用終わり】
すなわち、村上春樹は、小説家として、自分の中にある辺境(それは、自分自身にとっての未知の自分であり、他人にも差し出せるような未知の世界)を描こうとしており、それの修業の一環(文章を書くというスキル的なトレーニングと、辺境を描くという思索的なトレーニング)として旅行記を書くことは、うってつけであるということを言っているのだと理解した。
村上春樹の小説は、途中作から自分にとっては難解で理解が追いつかなくなってしまっているが、こういった旅行記(および、そこに書かれている村上春樹の作家としての考え方)を読むと、村上春樹の小説に対しての、一種の「信頼感」が増し、また、難解な小説にトライしてみようという気にもなる。
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やっぱり村上さんの紀行文は面白いっ。メキシコ、中国。アメリカ大陸横断は少し物足りなくって、もっと読みたかったな。日本からは、無人島からす島、讃岐うどん、神戸まで歩く辺境・近境旅。うどん美味しそう〜。また香川へうどん巡りに行きたくなりました。
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村上春樹は紀行文でもやはり村上春樹の文体で心を揺さぶる。
阪神大震災の二年後に自分の住んでいた街の辺りを歩いていく。
大震災の傷跡を自らの目で確かめる。小さい頃泳いだ海、空き地が変貌ぶりに違和感を覚えながら。
ノモンハンも同じだ。ノモンハンが事件でなく本物の戦争であることを証明するかのように現地を訪ねる。現地に来て、「220キロを徒歩で行軍する」ことの凄まじさに唖然とする。1時間に6キロの速さで水不足の中の行軍。だんだんイメージ出来てくる。
メキシコでは貧富の差、治安の悪さを実感し、ものを失う喪失感も味わう。
そんな中、香川のディープなうどん巡りと無人島、からす島の秘密は楽しい!
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村上春樹の旅行記。普段の小説もおもしろいから、これも面白くないはずがないと踏んで読んでみた。
笑えるような話もあれば、考えさせられる話もあってとても読み応えがあった。
香川旅行編は面白かった。前々から香川のうどんを食べてみたいと思ったことがあり、この話を読んでさらに行きたくなった。水丸さんの挿絵が絶妙にシュールで、香川のローカルうどん屋の勝手さに驚く村上春樹が想像できた。
「神戸まで歩く」は想像していたよりもっと現実的で真面目な話だった。震災の後の神戸はどれだけ空虚で悲しみに溢れていたのだろうか。私は生まれていなかったし、関西出身でもないから震災の記憶はほぼないが災害が起こった後のやるせなさが神戸中に蔓延していたと考えると苦しくなった。
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村上春樹さんと松村映さんの日本と世界の旅の写真集。時折春樹さんが被写体になって写っているのがかっこいい。行った場所はアメリカ、カナダ、メキシコ、中国、カラス島、神戸。
メキシコはいいがアメリカの旅がつまらなさそうなのがちょっと残念。
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エスノグラフィー入門の本で、一部を紹介されていた。その讃岐うどん紀行を読んだ。イラスト入りであった。村上春樹ではなくても、恐るべきさぬきうどんの本やYoutubeでも面白い観察が見られる。
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日本国内のエピソードは行ける可能性があるためか前のめりに読めて、国外は遠くのことに感じました。国外は戦争にまつわる描写などがあるので、私が遠くに感じたかったのかも。
村上春樹も戦争の痕跡を目の当たりにして言葉を失ったようだけど、体験していないことはなかなか身近に感じにくい。でも遠くの国でも人間の生活の本質ってあまり変わらないんだろうな。
故郷の神戸を歩く話はリアルな描写で追体験するように読みました。
うどん県のエピソードも国内のことなのに、知らないことばかりで新鮮に読めました。
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「村上春樹」の旅エッセイ『辺境・近境』を読みました。
久しぶりの「村上春樹」のエッセイ。
もう20年くらい前になりますが『ノルウェイの森』が大ヒットした前後に「村上春樹」という作家と出会い、何作か読んでいるうちに、小説よりもエッセイや紀行文の方が好きになったんですよね。
題名は失念してしまいましたが、、、
イタリアやギリシャに滞在した際のエッセイ(紀行文?)は、今でも断片的ながら覚えていますね。
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久しぶりにリュックを肩にかけた。
「うん、これだよ、この感じなんだ」めざすはモンゴル草原、北米横断、砂埃舞うメキシコの町…。
NY郊外の超豪華コッテージに圧倒され、無人の島・からす島では虫の大群の大襲撃!旅の最後は震災に見舞われた故郷・神戸。
ご存じ、写真の「エイゾー」君と、讃岐のディープなうどん紀行には「安西水丸」画伯も飛び入り、「ムラカミ」の旅は続きます。
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本作には以下の七篇の旅エッセイが収録されています。
■イースト・ハンプトン 作家たちの静かな聖地
■無人島・からす島の秘密
■メキシコ大旅行
■讃岐・超ディープうどん紀行
■ノモンハンの鉄の墓場
■アメリカ大陸を横断しよう
■神戸まで歩く
個人的なイメージもあるんでしょうが、、、
「からす島」、「メキシコ」、「讃岐」、「ノモンハン」は、なかなか魅力的でしたね。
『メキシコ大旅行』での一節…
『自分の目でその場所を見て、自分の鼻と口でその空気を吸い込んで、自分の足でその地面の上に立って、自分の手でそこにあるものを触りたかったのだ。』
なんて説得力のある言葉でしょう。
読んでいると、なんだか旅に出たくなりましたねぇ。
それも、リュックひとつ背負って… みたいな旅をしたくなりました。
『うん、これだよ、この感じなんだよ』って、思えるような旅に出てみたいですねぇ。
(無理かな… 無理だよなぁ… きっと)
Posted by ブクログ
村上春樹氏の小説はあまり肌に合わないが、エッセイは大好きだ。彼の感じたことに共感でき、それでいて自分自身ではうまく表現ができないので、読むとすっきりとした気分になる。
今回は、旅をテーマにしたエッセイ集。メキシコや香川など、いろいろな旅行先の出会いやエピソードを綴っている。
メキシコやアメリカ横断は、「あるある」と思いながら読んだし、行ったことがないモンゴル・中国はやっぱりそうかと感じたし、香川のうどんを食べる旅の章は本当に面白くて、ゲラゲラと笑ってしまった。そして、香川に行きたくてたまらなくなった。
読者に行きたい!と思わせることが旅のエッセイの目的ではないが、村上氏のやや冷めた表現がなかなかツボだったので、気が向いたら読んでみていただきたい。
Posted by ブクログ
村上春樹氏の旅行記、時々猛烈に読みたくなり、そして読むたびにほっとする何かがある。そうそう、これが村上春樹なのだ。無人島に行った時の話で、蟻の穴を無心で掘り起こすところは思わず声出して笑った。たまに余裕がなくなって垣間見える、突然品がめちゃくちゃなくなる村上春樹、めっちゃ好き。笑
Posted by ブクログ
コミカルで示唆に富んだ文章、からす島もメキシコもうどん紀行も中国・ノモンハンも面白かった。
人生というものは果てしない偶然性の山積によってできていて、ある程度生きれば自分の行動や選択のパターンみたいなものもつかめるかもしれないし、その意味みたいなものを「理由」と呼ぶこともできる。それでもやはり、結局私たちは根本的には偶然性によって支配されている。(ー「なぜメキシコを旅行するのか」と聞かれて)
ESの志望動機に悩まされる身としては全力で頷きたくなる。
村上春樹が描く1992年初頭の中国も面白かった。今日ではもうすでに経済発展を成し遂げたけど、当時の「中国的混乱」は今も変わっていないだろうなあ。恐ろしい勢いで変わるものの中に普遍の確固たる何かがあるのが中国のオモロいところ。
「過度の思い入れとか啓蒙とか気負いとかを排して」今の時代の旅行記は書かなくちゃっていうの、心に留めておきたい。
20221014再読
Posted by ブクログ
20年ほど彼の小説を避けている。最近思う、私は村上春樹は嫌いというより食わず嫌いかも。
これを読んで遠回りして四国初上陸し本当にただ讃岐うどんを食べに行った。
つまり、私は確実に村上春樹に感化されてる。やっぱり読まなきゃ。
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寝る前の読書は春樹氏のエッセイみたいな読み物が良いことに気付き、実家に帰った時に、本書も何回も読んだが持って帰ってきてまた読んだ。
春樹氏が国内外の旅行に行ったときのエッセイ。私が興味を持って読んだものに関してははっきり覚えているのに、興味がないものはほとんど覚えていない事に気付き、脳の面白さを感じる。
無人島
→多くの虫に悩まされた事を覚えていた
讃岐うどん紀行
→ほとんど全部覚えていて行ってみたいなと思う、お店まだ有るのかなぁ。
ノモンハン
→ほとんど覚えていなかった。
アメリカ大陸横断
→あまり覚えていなかった。著者自身もあまり楽しい思い出でも無いようなのになんの為にエッセイにしたのか。まだ前項のノモンハンの方が、あまり興味はないものの人のやった行い等、考えさせられる物があったが。
神戸
→これも出だししか覚えていなかったな、興味あるテーマだが、内容が著者のごく個人的な内容だったからかと思われる。
Posted by ブクログ
初めて旅行記なるものを読んだ。旅行の体験を綴るにしても、文章力のあるプロの作家が書くと、やはり臨場感もあり、面白い。旅行中に読むのに適しているかと言われると必ずしもそうではなく、むしろ旅行に行きたいけど行けない時に読むと、非日常を追体験できて、より楽しめるのかもしれないなと思った。今回、旅人としての村上春樹の顔を知ることができて、やはりこの作家には魅力があるなと感じた。また別の旅行記を読んでみたい。
Posted by ブクログ
村上春樹の旅行記
クレイジージャーニーばりの衝撃的なメキシコ、モンゴル(ノモンハン)
アメリカらしいアメリカ横断
対照的にほっこりの讃岐うどん食べ歩き
そして、村上春樹の内面が浮かぶ神戸歩き
それぞれに趣が異なり、村上春樹の言葉のおかげでイメージが沸き起こり良い
Posted by ブクログ
メキシコ編で村上さんが旅行する理由のようなことを書いていて面白かった。
旅行下手な私は、旅のエッセイで満足してしまうから、旅を好む人はそんな風に考えるのかと思う。
旅行とは疲弊すること
どこの国に行っても疲弊するが
メキシコの疲弊はメキシコでしか得られない種類の疲弊なのだ
若い頃、「行き惑いかねない旅」が差し出す幻想を切実に求めていた
年を取ればとるほど、幻想の幻想性がより明確に認識されればされるほど、我々が差し出すものの量に対して、我々が受け取るものの量はだんだん少なくなってくるわけだから。
とはいえ、まだ見たことのないような新しい幻想だって、注意深く目を開き、しっかりと耳を澄ましていれば、まだ僕に訴えかけてくる。