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Posted by ブクログ
ホントに楽しい。村上さんの旅行記。
なんでこんなタフな旅行ができるんだろう。
タフで気持ち悪くて「とても無理〜」と思うことも
ユーモラスに書いてくれるから嬉しくなってくる。
メキシコ ララインサールで八歳の美しい女の子から布袋を買った。値段交渉の末、四千ペソに落ち着いたが実際にお金を払おうとすると三千五百ペソしかなかった。「悪いけど三千五百ペソにしてくれないかな、これしかないから」と言ったら女の子はものすごく哀しそうな目で長い間じいいいいっと僕の顔を見ていた。まるでスクルージ爺さんを見るみたいに。
‥スクルージ爺さんって誰?わかんないけど、こういう表現がとてつもなく好き。
旅行記を書くために旅をするときは、むしろ現場では書くことを忘れるようにするんです。記録用のカメラもほとんど使いません。そのかわりしっかりこの目でいろんなものを見て、頭の中に情景や雰囲気や匂いや音なんかを、ありありと刻み込むことに意識を集中するわけです。好奇心の塊になる。とにかくそこにある現実に自分を没入させることがいちばん大事です。肌に染み込ませる。自分自身がその場で録音機になり、カメラになる。経験的に言って、そういうもののほうが、あとになって文章を書くときにずっと役に立つんです。
Posted by ブクログ
村上春樹の旅行記は面白いと思う。小説よりも面白いかも、とすら感じる。
本書の最後の、あとがき的な部分で、村上春樹は、旅行記を書く意味や、それを含めた作家としての立ち位置みたいなことを話している。下記に引用する。
【引用】
でもいずれにせよ、旅行をするという行為がそもそもの成り立ちとして、大なり小なり旅行する人に意識の変革を迫るものであるなら、旅行を描く作業もやはりその動きを反映したものでなくてはならないと思います。その本質はいつの時代になっても変わりませんよね。それが旅行記というものの本来的な意味だから。「どこそこに行きました。こんなものがありました。こんなことをしました」という面白さ珍奇さを並列的にずらずらと並べるだけでは、なかなか人は読んではくれません。<それがどのように日常から離れながらも、しかし同時に日常に隣接しているか>ということを(順番は逆でもいいんですが)、複合的に明らかにしていかなくてはいけないだろうと、僕は思うんです。そしてまた本当の新鮮な感動というのはそこから生まれてくるものだろうと。
いちばん大事なのは、このように辺境の消滅した時代にあっても、自分という人間の中にはいまだに辺境を作り出せる場所があるんだと信じることだと思います。そしてそういう思い出を追確認することが、即ち旅ですよね。そういう見極めみたいなものがなかったら、たとえ地の果てまで行っても辺境はたぶん見つからないでしょう。そういう時代だから。
【引用終わり】
すなわち、村上春樹は、小説家として、自分の中にある辺境(それは、自分自身にとっての未知の自分であり、他人にも差し出せるような未知の世界)を描こうとしており、それの修業の一環(文章を書くというスキル的なトレーニングと、辺境を描くという思索的なトレーニング)として旅行記を書くことは、うってつけであるということを言っているのだと理解した。
村上春樹の小説は、途中作から自分にとっては難解で理解が追いつかなくなってしまっているが、こういった旅行記(および、そこに書かれている村上春樹の作家としての考え方)を読むと、村上春樹の小説に対しての、一種の「信頼感」が増し、また、難解な小説にトライしてみようという気にもなる。
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小説・文芸
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