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「電灯のスイッチを切って扉を後ろ手に閉めるまでの長い時間、僕は後ろを振り向かなかった。一度も振り向かなかった」東京で友人と小さな翻訳事務所を経営する〈僕〉と、大学をやめ故郷の街で長い時間を過ごす〈鼠〉。二人は痛みを抱えながらも、それぞれの儀式で青春に別れを告げる。『風の歌を聴け』から3年後、ひとつの季節の終焉と始まりの予感。「初期三部作」第二作。
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Posted by ブクログ
青春小説だと思います。 やるせない悲しみや逃げられない辛さに直面した鼠と主人公、二人を描いています。 彼女に何も伝えず苦しみ抜いて街を出る鼠。何も生み出さないピンボールに多くの時間を費やした主人公。 二人が具体的に何に苦しみ、悲しでいたのかは書かれません。おそらくそんな必要はないのでしょう。 ただ...続きを読む美しい情景描写、印象的な会話、いくつかの感情表現が話を綴ります。 ーこの土地には雪こそほとんど降らなかったが、そのかわりにおそろしく冷たい雨が降った。雨は土地に踏み入り、土地を湿っぽい冷やかさで被った。そして地底を甘味のある地下水で満たしたー ー時折、幾つかの小さな感情の波が思いだしたように彼の心に打ち寄せた。そんな時には鼠は目を閉じ、心をしっかりと閉ざし、波の去るのをじっと待った。 夕暮れ前の僅かな薄い闇のひとときだ。波が去った後には、まるで何一つ起こらなかったかのように、再びいつものささやかな平穏が彼を訪れたー ーねえ、誰が言ったよ。 ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲めってね。 鼠はジェイに向かって微笑み、ドアを開け、階段を上る。街灯が人影のない通りを明るく照らし出している。鼠はガードレールに腰を下ろし、空を見上げる。そしていったい、どれだけの水を飲めば足りるのか、と思うー ー僕は一人同じ道を戻り、秋の光が溢れる部屋の中で双子の残していった「ラバーソウル」を聴き、コーヒーを立てた。そして1日、窓の外を通り過ぎていく十一月の日曜日を眺めた。何もかもが透き通ってしまいそうなほどの十一月の静かな日曜日だったー 何ももう苦しまなくていいんだ。全て過ぎ去ったことなんだ。全ては追憶なんだ。 そんな安らぎを読者に与えてくれる稀有な作品だとおもいます。 村上春樹の小説の中で1番好きな作品です。 あなたにとってのピンボールはなんですか?
迷わずにfive stars 短い小説ではあるが、付箋だらけになった。 ノルウェイの森と鼠三部作の関連性ははっきり言及されていないと思うが、先に読んだノルウェイの森の直子と本作品の直子がどうしても重なってしまう。直子と井戸について同時に言及されているので、尚更そう感じる。 倉庫の中での「スペース...続きを読むシップ」との再会と別れは、語り手が手放せずにいた直子の死や過ぎ去った過去(人、街、文化)に別れを告げたことを象徴するのではないか。 そしてその別れと共に、語り手の時間は少し動き出したような気がした。 けれどそれは成長というよりは、生きている限り、時間は進み、同じ場所に留まることはできないということなのかもしれない。 「見知らぬ他人が出会い、そしてすれ違う、それだけのことだった。それでも鼠の心は痛んだ。」
どことなく寂しさが漂う作品。しかし彼の文章は心の凝りを溶かしていくような温かさがある。鎮痛剤のようなものだと感じる 毎日寝る前にちまちまと読んでいた。読み進めるごとに不安が薄まっていくような感じ。 少し寂しい。
こちらを読み終わり、すぐに「羊をめぐる冒険」に行こうと思う。 そう思っちゃうくらい、この世界観がたまらなく好き。 舞台が日本なんだけど、日本じゃないような雰囲気で、その曖昧さが何とも言えないハルキ特有の感じで良い。 アメリカとかヨーロッパの雰囲気が漂いながらも急に「熱い日本茶」が出てきたりする...続きを読むから、「日本だ」って安心感が戻ってきて、でもやっぱり日本文学の雰囲気とは違う、海外文学とも違う、独特のこの雰囲気がやっぱり私は好きなんだな〜。 ずっと静かに進むストーリーの中で、最後の方にはっきりとしたクライマックスが来る。 ピンボール・マシンが並ぶところ。 ぞくっとした。 ハルキの季節や情景の描写に出てくる比喩も好きだし、服装の描写も好きだし、美味しそうなパスタとかクッキー、熱いコーヒーや冷たいビールの登場の仕方も好きだし、何なら煙草や紙ねんどのようなパン、ぬるいビールさえもが美味しそうに思えてくる。 ただ毎度のことだけど、ハルキの小説で女性が担っている役目の部分がどうしてもモヤモヤ。 昔のピンボール•マシンに描かれていた女性たちを読んだところで、もしやハルキの小説の女性たちも、この描写が合うのでは…?と思ってしまった。 以下引用。 「誰もが素晴らしい乳房を誇らしげに突き出していた。あるものはボタンを腰まで外した薄いブラウスの下から、あるものはワンピースの水着の下から、あるものは先の尖ったブラジャーの下から…。彼女たちは永遠にその乳房の形を崩さぬまま、確実に色あせていった。」
「僕」が双子と暮らし、ピンボールを見つけ出し綺麗に別れることで直子との過去も断ち切り、(ピンボール=直子) 鼠は「進歩や変化は破滅の過程に過ぎない」とのことを言っていたが、街をでる決心をし、現状を変えようとしていた(=破滅の道へ) 過去をたちきり前へ進む「僕」と、 変化を求め破滅とされる前へ進む...続きを読む鼠 (同じ方向を向いてるようで2人は互いに逆方向へ)? 東と西に、右に左に、上に下に、
テネシー・ウィリアムズがこう書いている。過去と現在についてはこのとおり。未来については「おそらく」である、と。 しかし僕たちが歩んできた暗闇を振り返る時、そこにあるものもやはり不確かな「おそらく」でしかないように思える。僕たちがはっきりと知覚し得るのは現在という瞬間に過ぎぬわけだが、それとて僕たちの...続きを読む体をただすり抜けていくだけのことだ。
「風の歌を聴け」を読んだ勢いで2作目も読みました。本当にいい小説です。村上春樹作品で5本の指に入ります。人の出会いと別れ、街の風景、時代とともに移り変わるもの、それらが過度にセンチメンタルになることなくさらさらと流れるように綴られて気持ち良く読めます。しかしこの作品はやはり秋に読むべきだった!村上春...続きを読む樹は季節の描写も見事なので、季節を違えて読むと目の前の風景と合わずもったいない気がします。
春樹ワールドから遠く遠く離れて
30年以上も前、初めて読んだ80年代の十代の自分と、そのもっと前の時代1970年代…言葉で表現出来ない思いが込み上げてくる。ずっとずっと昔、ハルキストなんて言葉がなかった時代に村上春樹を読んでいた人にもう一度読んで見て欲しいと思う。
他の人の感想にあった、鼠のところに現れた双子は、鼠の分身なのではないかという見解。 双子の女の子が、自分の両脇にいるというファンタジーにほぼ近いような状況 解離性障害とも読み取れるような彼 最後は双子とさようならをするのは、自分の中の幻想と一度さよならをして自分を取り戻しに違う街に出るのか。 ピン...続きを読むボールの描写も直子も、ジェイも不思議だった 鼠は僕とイコールなのか 高校生の自分が読んだらつまらないと思うかもしれない作品、22の自分は楽しめた。
何年か振りの再読。 かつての私は突然出てきた双子の存在に戸惑いながらも、現実と空想の入り混じったその世界観に憧れていた。日常の隙間に顔を出すファンタジー。そんな捉え方をしていた。 そして、こんな世界に住んでみたいな、とさえ思っていた。 今回、双子が僕の元から去っていく場面を読んで、双子は「僕」の...続きを読む幻覚なのではないかと唐突に思った。 【幻覚】げん-かく 実際に感覚的刺激や対象がないのに、あるように知覚すること。幻視・幻聴など。 これは、ファンタジーや空想の世界などではなく、僕が実際に体験している幻覚だとしたら。 物語りの捉え方は一変する。 そういった違和感を僕はしばしば感じる。断片が混じり合ってしまった二種類のパズルを同時に組み立てているような気分だ。(略) 目を覚ました時、両脇に双子の女の子がいた。今までに何度も経験したことではあったが、両脇に双子の女の子というのはさすがに初めてだった。 講談社文庫 1973年のピンボール P12 「断片が混じり合った二種類のパズルを同時に組み立てるような気分」 自分の中に現れるもう1人の自分。その2人は決して混じり合うことはなく、同時並行的に違う思考を持ち、別の行動をしようとする。 一見、解離性同一症(多重人格)のような印象を受ける。しかし、同時に二種類のパズルを組み立てることができるということは解離性同一症ではない可能性が高い。解離性同一症の場合、他人格が出現している時には主人格にはその記憶がないことが多いからだ。 「今までに何度も経験したことではあった」 何を経験していたのか。これは目を覚ました時に側に誰かがいるということ。 実際に誰かがいるはずはない。先の「違和感」からもこれは僕に幻覚があったことを示唆している。 幻覚があり、二種類のパズルを同時に組み立てるような違和感を持っている 「僕 」。 これらを併せると思い浮かぶのは統合失調症だった。 これは「僕」の話であるとともに鼠と呼ばれる男の話でもある。その秋、「僕」たちは七百キロも離れた街に住んでいた。 講談社文庫 1973年のピンボール P26 これは統合失調症である「僕」と「鼠」の物語、ということになる。 僕=鼠 なのか 僕≠鼠 なのか 七百キロという距離は何を意味しているのだろうか。 鼠はかつての僕の親友で、僕が鼠から直子を奪ってしまったために、2人の友情が壊れたという説がある。 ピンボールが直子のメタファーだとしたら、2人がピンボールで叩き出したスコアは直子からの採点になるのだろうか。 いつも女の子を霊園へデートに誘う鼠。本来ならそこは避けたい場所である。 霊園を好む鼠は、実は初めから死んでいるのではないか? 鼠が死んでいるとすれば、鼠=僕 も成立しえる気がする。僕の中で死んでしまったもう1人の僕。 208と209と呼ばれる双子、ゴルフ場、壊れた配電盤、池。 双子はピンボール、配電盤は鼠のメタファーなのか。 この一冊の中にどれだけのメタファーが散りばめられているのだろう。 沢山の人がそれぞれの解釈を述べている。 物語には余白が必要だ、とゴダールも言っていた。 解説本が出るほど研究され、人々の憶測が色々と飛び交う氏の作品は、それだけ余白があるということだろう。 ただ書かれている事を読めば物語が理解できるというものではない。出てきた余白をどのように埋めていくのかで、その密度は変わってくる。 改めてこの作品の奥深さを感じている。
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