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「電灯のスイッチを切って扉を後ろ手に閉めるまでの長い時間、僕は後ろを振り向かなかった。一度も振り向かなかった」東京で友人と小さな翻訳事務所を経営する〈僕〉と、大学をやめ故郷の街で長い時間を過ごす〈鼠〉。二人は痛みを抱えながらも、それぞれの儀式で青春に別れを告げる。『風の歌を聴け』から3年後、ひとつの季節の終焉と始まりの予感。「初期三部作」第二作。
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Posted by ブクログ
こちらを読み終わり、すぐに「羊をめぐる冒険」に行こうと思う。 そう思っちゃうくらい、この世界観がたまらなく好き。 舞台が日本なんだけど、日本じゃないような雰囲気で、その曖昧さが何とも言えないハルキ特有の感じで良い。 アメリカとかヨーロッパの雰囲気が漂いながらも急に「熱い日本茶」が出てきたりする...続きを読むから、「日本だ」って安心感が戻ってきて、でもやっぱり日本文学の雰囲気とは違う、海外文学とも違う、独特のこの雰囲気がやっぱり私は好きなんだな〜。 ずっと静かに進むストーリーの中で、最後の方にはっきりとしたクライマックスが来る。 ピンボール・マシンが並ぶところ。 ぞくっとした。 ハルキの季節や情景の描写に出てくる比喩も好きだし、服装の描写も好きだし、美味しそうなパスタとかクッキー、熱いコーヒーや冷たいビールの登場の仕方も好きだし、何なら煙草や紙ねんどのようなパン、ぬるいビールさえもが美味しそうに思えてくる。 ただ毎度のことだけど、ハルキの小説で女性が担っている役目の部分がどうしてもモヤモヤ。 昔のピンボール•マシンに描かれていた女性たちを読んだところで、もしやハルキの小説の女性たちも、この描写が合うのでは…?と思ってしまった。 以下引用。 「誰もが素晴らしい乳房を誇らしげに突き出していた。あるものはボタンを腰まで外した薄いブラウスの下から、あるものはワンピースの水着の下から、あるものは先の尖ったブラジャーの下から…。彼女たちは永遠にその乳房の形を崩さぬまま、確実に色あせていった。」
「僕」が双子と暮らし、ピンボールを見つけ出し綺麗に別れることで直子との過去も断ち切り、(ピンボール=直子) 鼠は「進歩や変化は破滅の過程に過ぎない」とのことを言っていたが、街をでる決心をし、現状を変えようとしていた(=破滅の道へ) 過去をたちきり前へ進む「僕」と、 変化を求め破滅とされる前へ進む...続きを読む鼠 (同じ方向を向いてるようで2人は互いに逆方向へ)? 東と西に、右に左に、上に下に、
テネシー・ウィリアムズがこう書いている。過去と現在についてはこのとおり。未来については「おそらく」である、と。 しかし僕たちが歩んできた暗闇を振り返る時、そこにあるものもやはり不確かな「おそらく」でしかないように思える。僕たちがはっきりと知覚し得るのは現在という瞬間に過ぎぬわけだが、それとて僕たちの...続きを読む体をただすり抜けていくだけのことだ。
1973年は私の生まれた年だ。 なのでつい、『風の歌を聴け』の前に読んでしまった。 まぁ先に『羊をめぐる冒険』読んじゃってるけどね。 初期の村上春樹作品はいいね。スラスラ読める。 読み心地もいい。 双子に配電盤の説明をするところと「彼ってすごいんだから」は吹いた。 鼠が別れに来た時に、ジェイが物...続きを読む分かり良い返答をした時の鼠の反応が好きだ。村上春樹作品に物分かりのいい読者に春樹さんがツッコミ入れたみたいな感覚がした。
高校を三年に進級して、進路について差し迫った色々があった頃、僕は二ヶ月くらい学校をふけた。夏の蒸した部屋でカーテンが閉まっていた枕元にたくさんの本を積んで一日誰もいない家で五冊六冊読むといった生活をしていた。 生活というほどでもなかったかもしれない。 ノルウェイの森を読んだのがその始まりで、村上春樹...続きを読むに魅せられ、それから一年の間に村上春樹の長編のその過半数を読破した。その度いろいろ感ぜられる事はあったなれど、この作品が最も印象的に思えた。 「ねえ、誰かが言ったよ。ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲めってね」ジェイのこの台詞に痺れ、僕は文庫本を常にポケットに忍ばせる様になった。
春樹ワールドから遠く遠く離れて
30年以上も前、初めて読んだ80年代の十代の自分と、そのもっと前の時代1970年代…言葉で表現出来ない思いが込み上げてくる。ずっとずっと昔、ハルキストなんて言葉がなかった時代に村上春樹を読んでいた人にもう一度読んで見て欲しいと思う。
村上春樹、再読。 レビューを読むとわたしと同じように「再読」と書かれている方がちょいちょいいて、ニヤニヤ。 読み返して確認してみたくなる作家さんなのかな。 二作目もたいしたことは起こらず。 けれど主人公たちの語られてはいない内面は深く暗い。 語られてはいないんだけど、過去に何かがかならずあっただ...続きを読むろうと思わせる描き方で、 想像できないのにずしんと来る。 村上春樹の小説で好きなところはそういった部分と あとは比喩が豊富なところ。 とてもユニークで、その場面やその時のにおいまでもが感じられるようなたとえが良い。 全体的に暗いストーリーの中、そこだけちょっと空気がほんわかして、明るい気分になれるところが好き。 話自体はすっかり忘れていたけど 終盤、タイトルにもなっているピンボールの登場シーンには圧倒された。 ほんとにすっかり忘れていて、 初めて読んだ気分だったけど。 再読は続く。
恐ろしく孤独に満ちた生活と、浸り続けたビール、促すようなレコード、そしてピンボール。囚われた者らが1種の脱走を図るのだと思った、何故かは彼ら、彼女にしか分からない。そこが居場所では無いのかもしれないし、そこが居場所では無くなったのかもしれないし、新たな居場所が現れたのかもしれない。僕自身も読破した瞬...続きを読む間双子のように手を振りたくなったよ。
中編にここまで時間をかけたのはいつぶりか 初めて本を手にしたそんな時のような読書の方法で読んだのは最近の生活が忙しかったからだ パン屋再襲撃という短編集で,消えた双子の謎 という短編を読んだが,それはこの1973年のピンボールの続編だったのか 風の歌を聞けで別れた2人を平行して描く本作. 何かを...続きを読む求め続けたものと,何かを諦めたもの 二人の中にある哀愁と,二人の中に秘めた思い出のような煌めきはとても虚しい 時より語られる2人の話はまるで遠い過去のように聞こえる とにかく比喩が多く,全ての表現に村上春樹の哲学が詰まっているように思えた ピンボールとの会話.それはピンボールではなくてもいいのだろう.自分自身のそこの深く,(村上春樹でいうなら井戸だろうか)との会話だ.自分自身が見る本質的な自分との会話は人間にとって連続的だと思える時の非連続性を思い出させた. 悲しそうに笑った練習をする(していただろう),鼠の愛人.彼女のことが本当になんで言ったらいいのかわからないほど切ない. 鼠という人間にとっても,彼女にとっても二人の関係は曖昧で言語的でなくそれはまるで双子と僕のように賞味期限付きのものであったのだろう. 秘書といい,僕といい,彼女といい,鼠といい,とにかくどこかに雨が降り注ぐかの如く急に心に現れる焦燥感や悲壮感が若者特有のもので素晴らしい. そんなものを言語化せずにただシャワーを浴びたがり,ただ眠たがり,ただ話したがる. そんなことを繰り返してこそ飽きてしまってこそ人間という形がより正確に形成されていくのだろう 海の音を聞きに行く鼠,自分自身の位置を確認するように双子と過ごす僕,彼らはやはり似たもの同士であり,それでも本質的に異なる二人の村上春樹なのであろう
「ピンボールって何…?」と、まず思った21世紀生まれ。 ググッたら出てきた。少女だった頃、ひいおばあちゃんの家で遊んだおもちゃに似ているものが笑 それでも村上春樹を読みたくなる。「僕」と「鼠」それぞれの道が、女と別れ、大人になっていく2人が気になる。
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1973年のピンボール
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村上春樹
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