村上春樹のレビュー一覧
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購入済み
村上春樹はこういう旅行記とかエッセイを読むとなんというか力の抜けた、ちょっと変だけど普通のおじさん(この時はまだおじさんという歳ではないか)という感じがしますね。地中海の暖かな日光を思い浮かべながら読んでましたが、当の村上春樹本人は焦燥感に駆られているような印象。ギャグシーンが割に多く、ワインでも飲みながら読むといいかと思います。
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ネタバレ本書は、著者が1991年〜1993年にかけてアメリカのプリンストン大学にて週に1コマ大学院の授業を受け持つことになり、小説家として、教えるのではなく“第三の新人“の作品を学生たちと読み込んでディスカッションしよう〜という形で、テキストとして取り上げた作品からいくつかを改めて読み直したものである。(その後、ボストン近郊のタフツ大学でもクラスを半年持つなど)
冒頭の『僕にとっての短編小説』にて、短編小説は長編小説の始動モーターとしての役目を果たすとし、“その女から電話がかかってきたとき、僕は台所に立ってスパゲティーをゆでているところだった“から構想が始まった「ねじまき鳥と火曜日の女たち」は「ねじまき鳥クロニクル」に、「螢」から「ノルウェイの森」に、「街と、その不確かな壁(加筆されて近年になり刊行された。この頃は150枚程度の下書きだった)」から「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に〜と、短編から長編に繋がった作品を紹介している。
著者の読書遍歴。主に海外小説を原語で読むが、海外生活を始めてから嫌でも自身が日本人であることを思い知らされ、日本に来る度に日本文学を買い漁る。自然主義的な小説や私小説は苦手で、例えば太宰治、三島由紀夫などは駄目だった。
逆に心惹かれたのは、第三の新人と呼ばれる、安岡章太郎、小島信夫、吉行淳之介、庄野潤三、遠藤周作など。他は、長谷川四郎、丸谷才一、吉田健一など。
その後、計6作品を読書案内。
言語化が上手いなという共感できるところもありながら、いまいち理解し切れない部分もあった。
それぞれの該当図書を先に読んだ方が勿論楽しめそうだが、知らなくてもなんとなく話についていける。(あらすじを説明されるものとあまりされないものがある)
私的には小島信夫「馬」が奇抜で面白かった。
馬が人の言葉を喋るとなれば、色んな解釈ができそうだ。しかし、著者(村上春樹)の解釈のように、馬は主人公の投影であるというのは最も腑に落ちる。 -
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ネタバレ【村上春樹さんの滞在エッセイ集】
村上春樹さんが滞在したことのある、アメリカ・ボストン、ギリシャの島、イタリア・トスカーナ、旅先で訪れたアイスランド、フィンランド、ラオス、アメリカの2つのポートランド、そして熊本県でのお話、思索がつづられています。
先日『#一人称単数』を読ませていただきましたが、その欠片も少し出てきて、発想の宝庫がこの経験の中に散らばっているのだろうなーと思ったりした。
村上春樹さんの経歴について、あまり知っていないのですが、特に翻訳作家としてご活躍されているので英語の習得はどうなさったのかとふと思い、調べたら特に学校もずっと日本なんですね。
本書で何度か出てくるアメリカ滞在経験、それは大人になってからで。
でも映画やジャズを通して、アメリカ好きなんだろう、と思いきや、ヨーロッパにも執筆のために滞在していたり。
時に独特な着眼点、様々なものへの好奇心が深く探求し思索する言語力と行動力を伴い、村上春樹さんの世界観が広がり続けているのだろうと感じた。
自分が暮らしてきた価値観や考え方との類似点と相違点を考え、言葉にしていたり、これまでもっていた概念を更新していく。
例えば、ラオスで根幹から変わったと書かれていた川の観念。固有の物語性を持つ宗教の実体験。
猫や鳥、羊も出てくる。虫が無理な人にはお勧めのアイスランド、いいですね。
フィンランドのハメーンリンナ訪問記では、これは#多崎つくる の巡礼のお話の下になっているのかと思いきや、章の最後の追記で、その本を想像で書いてから訪問したとあった。工芸品とかも出てきて、とても雰囲気あったけどな。想像力も豊かなのだろう。
彼がイタリア・ギリシャに滞在していたのは、1986年、30代後半。#ノルウェイの森 を考えているときだったりしたらしい。
そして、アメリカに渡ったのは90年代前半。
四半世紀経って訪れる楽しみも伝わってくる。
人生長く生きることになる場合、若い時に一度訪れた場所や、出会った人、したことを竿度する、そんな楽しみもあるのかな、と思ったりした。
だから今、興味のあることに飛び込んでいく価値があるのだろう。
将来振り返れる今を持つこととか。もう会わないかもしれない人、もう来ないかもしれない場所、たくさんある中で、記憶がよみがえるかどうかも分からないけれど、思い出って面白い。 -
購入済み
映画ドライブマイカーはこの短編集のうち「ドライブマイカー」を軸にしながら「シェエラザード」「木野」あたりの短編のイメージも用いながら再構成した話になっているのかな。
男と女、男のプライド(といってもパターナルな男性像ではなく、一見するとリベラルな男性の持つある種のプライド)。男は自分の内側の傷とうまく向き合えず、それを共有する仲間も持てず、妻や友人に本当の意味で自分の弱みをさらけ出せない。そんな男性性を描いてる作品だと思った。 -
Posted by ブクログ
一遍の量がとってもちょうどいい。
家事の合間、お風呂入る前、職場での昼休憩、、
どんな場面でもすぐにふっと別の場所に連れて行ってくれる。
そして何よりくどくない。
ユーモアを2.3滴混ぜながら彼の追体験をさせてくれるんだけど、押し付けがましくないというか、
距離感がちょうどいいというか。
時々憑依の如く文章に引き摺り込まれて
胸焼けする、、という作品もあるじゃないですか。
彼の作品にはそれがない。
彼のこの魅力的なスタンスこそが
小説に見え隠れする美しさなのかな〜とも思ったり。
あんなに苦手意識があったはるきの文章なのに
エッセイにまで手を出しているという。。苦笑
彼の作品についてあれこれ語るのは趣がないけれど、たくさん感じてしまったので記す。 -
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村上朝日堂シリーズ。
1983年から5年間のエッセイで、大部分は『ハイファッション』という雑誌での連載という。
年齢的には、34歳〜39歳とのこと。
青春は終わった、と感じたりする村上さんである。
エッセイには、それを執筆中の割と短い間に考えていることがつづられる。その新鮮さが売りでもあるのだが、
34歳から39歳の間の心理的変化は結構大きなものなんじゃないかと思う。
所々に村上さんというパーソナリティーを感じ取れる。
一冊だけ本を持って無人島に行くとしたら何を持って行く?
本なんか持って行かなくても、自分が小説を書いちゃえばいいんじゃないか(そりゃそうだ)
原稿でもなんでも、前倒しに進めてしまわないと気が済まない。せっかちゆえに生まれる、ちょっと余った時間が好き。
映画にも、ロックにも、クラシックにもとても詳しい。でも、うんちくという角度では語らない。
そして、当たり前すぎてあまり気づく人は居ないのではないかということに気づいている。
アンケートというのは不気味かつ無意味な物が多い。う〜ん、そうかも。
日本は標語が多い。これは私は怖くなった。自分が気づかなかったことに。
朝ドラの背景なんかでよく目にするアレを思い出す。知らないうちに思想統制されているのかもしれない。
「1973年のピンボール」という小説を書いた縁で、ピンボールマシーンをもらったことがある。
ちょっと古い物だったが、その単純な機械の仕組みが好きだった。
引越しの時に、欲しいと言ってくれた人に譲った。
その大きな機械が引き取られて行く様子に、老いた馬が去って行くような寂しさを感じる村上さん。
そして、若い頃の貧乏を懐古して終わる。 -
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ネタバレ【歴史は現在に生きていると気づくこと】
村上春樹さんの本では、たくさんの史実的描写が出てきて、細かい描写に感心する。過去への好奇心と想像力は、どこから来るのかなと思ったりする。
この本では、村上春樹さんの父親の経てきた過去について、一緒に猫を捨てに行った、自身の記憶にある出来事から始まり、90歳になった父親、そして母親などに聞いた、自身がまだ生きていなかった、主に戦時経験についてつづられている。
「僕がこの文章で書きたかったことのひとつは、戦争というものが一人の人間ーごく当たり前の名もなき市民だーの生き方や精神をどれほど大きく深く変えてしまえるかということだ。そしてその結果、僕がこうしてここにいる。」
東日本大震災から13年。震災を経験していない子どもたちが、この経験を語りつぐ活動をしているというニュースを見た。
私は私のとても身近にいる人の経た体験も、その体験から今に続く世界の見方も、きちんと知らないなーと思った。
「・・・歴史は過去のものではない。それは意識の内側で、あるいはまた無意識の内側で、温もりを持つ生きた血となって流れ、次の世代へと否応なく持ち運ばれていくものなのだ。そういう意味合いにおいて、ここに書かれているのは個人的な物語であると同時に、僕らの暮らす世界全体を作り上げている大きな物語の一部でもある。ごく微少な一部だが、それでもひとつのかけらであるという事実に間違いはない。」
一般的な歴史を個人的な話として知ることで、歴史が生きた現実のものになる。
歴史と現在のつながりを作って行く作業って、他者への想像力を養うことでもあるんだなーと思ったり。
社会には、それぞれの現実が混在する。隣にいるひととさえもなかなかうまくやれないことも多い。生きてきた環境や時代が違うと、考え方や世界の見方は違うのは当たり前。摩擦を起こしながら人と関わり、ときに通じ合い、ときに自分の考えについて問い直し、相手について思考をめぐらす。他者との違いへの好奇心を持ち続けること、他者に影響され、出来事に影響され、自分の考え方が変わることを許すこと、それが世界への見方を豊かにし続けたいと思ったり。 -
Posted by ブクログ
以前、文庫版を古本屋で購入したのだけれど、紙が焼けていて、それでも大切に読んだ本だった。
今回、ハードカバーで復刊すると知り、当然ながら購入。嬉しい。
文庫版の自分のレビューを読むと、「カンガルー通信」を読みたくて買ったようだが。
読んでから、ずっと記憶に残っているのは「中国行きのスロウ・ボート」だ。
それも、バイトの同僚の中国人の女の子とのパートが、ずっと残り続けている。
ネタバレになるのだけど、良い雰囲気になった中国人の女の子を、家とは反対方向の電車に乗せてしまった、あの出来事は本当に偶然なんだろうか。
そう考えると、そもそも偶然って何だろうとも思うのだけど。
中国人の女の子を騙そうという明確な悪意がなかったとして。
いろんな無意識、無自覚の織りなす糸が絡まって、偶然が作り出されてはいないのだろうか。
中国人の女の子の落胆は、「考えすぎ」なものとして流してしまって良いものなのか。
未必の故意は、私たちの意識の奥深くで、しっかりと輝いているのかもしれないし。
ちょっとしたアンラッキー、と済ませてしまうことに、もしかしたら何らかの意味があるのかもしれない。
そんなことを一つ一つ疑って生きてはいないのだけれど、読むたびに、いつも、この話のエンディングの意味合いは「変わらない」ように感じる。
そんなわけで、私にとって大切な物語の一つだと言える。