村上春樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
コミカルで示唆に富んだ文章、からす島もメキシコもうどん紀行も中国・ノモンハンも面白かった。
人生というものは果てしない偶然性の山積によってできていて、ある程度生きれば自分の行動や選択のパターンみたいなものもつかめるかもしれないし、その意味みたいなものを「理由」と呼ぶこともできる。それでもやはり、結局私たちは根本的には偶然性によって支配されている。(ー「なぜメキシコを旅行するのか」と聞かれて)
ESの志望動機に悩まされる身としては全力で頷きたくなる。
村上春樹が描く1992年初頭の中国も面白かった。今日ではもうすでに経済発展を成し遂げたけど、当時の「中国的混乱」は今も変わっていないだろうなあ。恐 -
Posted by ブクログ
長年マラソンやトライアスロンをやられている
作家・村上春樹さんによるメモワール(回想録、あるいは個人史)。
僕は走ることにまったく興味がないし、
瞬発力もなければ肺活量もないタイプで、
つまりどっちかといえば運動系の人間ではないので
本書のタイトルを見ても長く食指が動かなかったのですが、
いろいろな種類の本を読んでいるうちに、
本書のようなタイプもいいかなと思い、今回手にとってみました。
村上春樹さんは長距離走に向いた人であると自ら言っていて、
長距離走は小説家として長編を書くことによく似ている、と述べている。
仮にその類似性が正しいとしても、
長距離走と長編執筆の両方をよくできるのに相関 -
Posted by ブクログ
2人のやりとりがものすごい。
マーラーのくだりが特に面白かった。
カラヤンやベームが、その雑多性や猥雑性、分裂性が生理的に我慢できなくて、自分の音楽に適した容れ物になるものしか演奏してないーとか、
ボストンの演奏はレベルの高いチームプレーでオケの音から外れるようなことはしないが、マーラーの場合は必ずしもそれが正しいとは限らないーとか、
リヒャルトはドイツ音楽を辿ってくればその流れで読めるけど、マーラーはまったく新しいアングルが必要になってくるーとか。
音楽教室の話は、自分もカルテットやクインテットをやるので、頷ける所が多く、気持ちが引き締まった所でもある。
早くチェロを弾きたくなった。
弦 -
Posted by ブクログ
ジュンク堂でやっていたフェアから掘り出す。
そういえば、この間も『翻訳するということ』という本を読んだばかり。
村上春樹は、フィーリングの合う作家を「選び出して」その文章を翻訳することから学ぶという話をしていた。
良い文章を真似て書くといいと聞いたことがあるし、言葉にすれば暗唱にも繋がるのかもしれないけど、独特の呼吸や言いまわしというのを身に付ける第一歩ってそこなんかな。
ただ、村上春樹の翻訳は村上春樹だな、という声を聞く。
私は小説は何作も触れたけど、翻訳はまだ読んだことがない、というか多分よほどのことがなければ、今後も読まないと思う。
でも、村上春樹が勧める本は読む。
先日は『ゴールド -
Posted by ブクログ
ネタバレ恥ずかしならがら、この本が村上春樹氏の本で初めて読んだ本だ。短編小説が読みたいなと思っていた頃、電子書籍の検索でこれがヒットしたので、衝動的にワンクリック購入し、そのまま放置していた本だ。
特に村上春樹さんを読みたかったわけでもく、「いつもノーベル賞候補にノミネートされる村上さんが、案内してくれる短編小説ならきっと面白いに違いない」という発想で買ったものだ。
・・・が、「案内」という意味が違ってた。ブックガイドではなかった。これは、それぞれの作品をどう解釈し、どう味わうか、といった村上春樹流「文学の読み方の案内」というような本だった。ノーベル賞受賞候補・村上春樹氏の文学講演を聞いているよう -
Posted by ブクログ
「小説家とは何か、と質問されたとき、僕はだいたいいつもこう答えることにしている。『小説家とは、多くを観察し、わずかしか判断を下さないことを生業とする人間です』と。
なぜ小説家は多くを観察しなくてはならないのか?多くの正しい観察のないところに多くの正しい描写はありえないからだ——たとえ奄美の黒兎の観察を通してボウリング・ボールの描写をすることになるとしても。なぜ小説家はわずかしか判断を下さないのか?最終的な判断を下すのは常に読者であって、作者ではないからだ。小説家の役割は、下すべき判断をもっとも魅力的なかたちにして読者にそっと(べつに暴力的にでもいいのだけど)手渡すことにある。」 -
購入済み
引き込まれて
出だしから作者の世界観に引き込まれ、色々な事を解明する過程の主人公の思いに心を掴まれました。
出てくる登場人物は多くはないが、それぞれの立場での感情が見てるかのような錯覚に陥りました。