村上春樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
新たな地平の開拓という意味で最近jazzを聞き込み始めております(最近のrockはどうも、、、何というかキャッチーさが足りないんですな。やたらとギターとドラム音をがなり出してるだけみたいな、、、うーん、当方も年を取ってしまったのか。とは言いつつclassicとは結局折り合えなかったところ、中途半端でもあるのだが)。
そこで何か素人に取っ掛かりを与えてくれる本はないかと探していたところ本作に出会う。この本が入門本として良いのか否かは正直判断できないけれども、この本への賛否両方の反応に対応していけば、jazzの世界には浸れるということではないかな?
ともかく村上春樹のjazz愛は半端なものではないことだけは確かに理解できる。そしてその文才も。これほどまでに自分の言葉で語ることができるとは、、、jazzは間違いなく村上春樹の小説のバックボーンの一つです。何より音楽という美しい世界をひたすら愉しむ感性、趣味という観点から単純に羨ましいかぎりです。 -
Posted by ブクログ
最近は友人に誘われてライブに行くこともあるのですが、実はこれまでほとんどジャズは聞きませんでした。でも村上春樹は大好きなのでこの本を手には取りましたが、普通に読んでもピンと来ないのでそれぞれのミュージシャンのエッセイに合わせてその演奏を聴きながら読むことにしました。最近は月額固定の聴き放題サービスを使っているので、そちらで検索しながら少しづつ読んだのでめちゃくちゃ時間はかかった。
が、これが大正解。春樹氏の文章の意味するところがなんとなくわかるし、これまで敷居が高かったジャズという音楽が少し好きになりました。
何名かはお気に入りができました。今日車でソニー・ロリンズの「サキソフォン・コロッサス」とホレス・シルヴァーの「ソング・フォー・マイ・ファザー」を大音量で聴きながら首都高走ったらすごい大人な気がした。これまで聴かないで損したなあ。 -
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同時代に生きている作家か、自分が特別に好きな作家の本しか翻訳してこなかった村上春樹。
サリンジャーを訳すという考えは、当初なかったそうなのだ。
そうか。サリンジャーはすでに古典になりかかっているのか。(サリンジャーが亡くなったのは2010年)
何人かの人に「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を訳さないんですか?と言われ、長く残る作品については複数の翻訳テキストがあってしかるべきとの持論もあり、野崎訳をも出版し続けることを条件に「キャッチャー~」を訳すことにしたのだそうだ。
時代の空気を伝える訳は、翻訳としての賞味期限が短くなってしまう。
しかし、時代の空気を無視して「ライ麦~」を訳すことはできないだろう。
そのバランスのとり具合が訳者のセンスであり、味なのだと思うし、だからこそ異なる翻訳者での作品の読み比べが楽しいのである。
村上春樹が訳した文章に誤謬がないか、そしてよりよい訳文がないかと柴田元幸と二人、2日間に渡ってみっちり物語を読み込み、討論をしたのだそうで、それを踏まえたうえでの今回の対談となっている。
言葉を訳すことと世界観を伝えること、サリンジャーについて、アメリカ文学について。
二人の話題は深くて広い。
「ライ麦~」を読んだことがない今の若者に向けて、当時の時代背景やサリンジャーの生き様、作品の解説を巻末に村上春樹が書いている。
それは本来、作品の後ろにつけるはずだったのだが、出版社とサリンジャーとの契約事項に「作品解説はつけない」というものがあったため、付けることができなかったのだ。
そういった諸々のことを含めて、副題が「サリンジャー戦記」となったのだな。きっと。 -
Posted by ブクログ
一部は東大の学生の前で、二部は翻訳の専門学校生の前で、そして三部は中堅の翻訳家・研究者の前で二人が翻訳に着いて語ったことが収録されている。
言葉を訳す。文章を訳す。雰囲気、世界観を訳す。
どう訳すかの選択から翻訳がはじまるのだと思った。
村上春樹と柴田元幸がそれぞれに、カーヴァーとオースターの短編小説を訳し、そのちがいを読み比べる第三部が面白かった。
本来村上春樹が訳しているはずのカーヴァーの作品でさえ、私には柴田訳の方が読みやすかった。
もともと村上春樹は英文で書かれた小説を読んで自分の文体を作ってきたのだそうだ。
だから彼の小説は、脳内では英文で構成されているものを、書くことによって日本語として自然なものに翻訳されているようなものなのだろう。
思考の枠組みが英語的で、文章が極めて日本的。
これが村上春樹の文章なのだということが、ここにきて理解できた。
計算して計算して、頭で書かれた文章なのである。
対して柴田元幸は、この時主人公はどのように思ったのか?など、登場人物や作者に思いを寄せることによって、心の中から湧いて出てくる文体らしいのだ。
もしかして、北島マヤ?
じゃあ、村上春樹が亜弓さん?
村上春樹は文体とはリズムだと言っているが、そのリズムとは音ではなく、文章を読んだときの、目のリズムなのだそうで、訳した文章のリズムを確認するために音読することはないらしい。
柴田元幸は、口を動かし手を動かしながら、文章のリズムを作っていくというのだから、翻訳の仕方などは人それぞれなのだ。
正しい翻訳の仕方なんてない。誤訳はあるが。
いくら美しい日本語だといっても、普段使っていない身についていない日本語なら使わない方がいいと二人は言う。
確かに読んでいても、言葉が浮いているな~と思うことがある。
そういうことだったのか。
翻訳の賞味期限について。
同時代性を表現するのに流行りの言葉を使うと、すぐに言葉が色あせていくことになる。
逆に当時は一般的ではなかったので敢えて訳語を使用したところ、今では直訳の方が伝わることもある。
フランス旅行団→ツール・ド・フランス
新しいバランスのスニーカー→ニューバランスのスニーカー
読む方はあっさりと読み流してしまうようなことを、実にいろいろ考えながら訳してくれていることがわかり、感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも、よい作品をたくさん日本語に訳してください。 -
Posted by ブクログ
【本の内容】
戦後日本の代表的な作家六人の短編小説を、村上春樹さんがまったく新しい視点から読み解く画期的な試みです。
「吉行淳之介の不器用さの魅力」「安岡章太郎の作為について」「丸谷才一と変身術」…。
自らの創作の秘訣も明かしながら論じる刺激いっぱいの読書案内。
[ 目次 ]
吉行淳之介「水の畔り」
小島信夫「馬」
安岡章太郎「ガラスの靴」
庄野潤三「静物」
丸谷才一「樹影譚」
長谷川四郎「阿久正の話」
[ POP ]
村上春樹が小説の読み方についてレクチャーというだけで読みたい、それだけの価値あり。
彼がこの本を書いたきっかけ、小説家としての意見が書かれている「僕にとっての短編小説」と「まずはじめに」。
まずここで、エッセイや対談では知ることのできない彼の創作への思いや考え方が分かりやすく書かれていて、すっと惹きつけられる。
そして、真摯に戦後日本の作家6名の短編を解説が始まる。
ホッとしたのは、こんな有名な作家であっても、読書は誰と違っていてもいい、とその分析を進めていること。
読み上手ではないので、この自由さが嬉しい。そして、6名の作家の「自我」にこだわって分析を進めていること。
自我、そして生き方についても語られているのだ。
「評論も、自分を通してしか書けない創作だ」とは私の好きな作家の言葉だけど、まさに6作の読書案内を通して、「村上春樹」が強く表現されている。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
1995年3月20日に(昨日がちょうど事件から19年目でした)
オウム真理教による地下鉄サリン事件が東京で発生しました。
死者は13人、被害者は6300人(本書には3800人)にものぼりました。
事件当時僕は17歳で、教室で1時限目か2時限目の生物の授業の時に、
教室に入ってきた先生が興奮しながら「ひどい事件が起こった」
といって、結局授業にならなかったことを覚えています。
そのくらい、インパクトの大きな事件で、その後もしばらく
世間はこの事件とそしてオウム真理教に関する報道にくぎ付けになりました。
本書は小説家・村上春樹さんが初めて手掛けたノンフィクションで、
彼がインタビュアーとなって、62人の被害者や関係者に事件のことを
語ってもらった、777ページに及ぶ大作です。
その日、何が本当に起こったのか。
事件の当時、地下鉄駅構内や周辺では具体的にどうだったのかは、
事件後マスメディアからは語られなかったようです。
語られるのは、正義の「こちら側」から断罪するように分析され糾弾される
悪の「あちら側」すなわちオウム真理教だったようです。
つまり、「こちら側」と「あちら側」を対立させ、相互流通性を欠いたかたちで
一方的に「あちら側」を責め立てる論調があったようです。
しかし、そこで著者はあとがき的なところでこう述べています。
「あちら側」の論理やシステムを徹底的に追求し分析するだけでは
物足りないのではないか、もちろんそれは大事で有益なことだが、
それと同じ作業を同時に「こちら側」の論理とシステムに対しても
平行に行っていくことが必要ではあるまいか、と。
このあたりについて「どうして?」と思う人は、本書を手に取ってみてください。
62人のインタビュイー(語り手)から語られることは、
たとえば同じ地下鉄を利用した人ならば状況は一緒なのですが、
そのときの対処の方法、感じたことや考えたことは十人十色で違います。
そして、その違うそれぞれの体験によって、事件当時の様子が多角的で
部分的にわかるようになっています。
インタビュイーの方々は、たぶん警察の事情聴取を受けておられるでしょうから、
語る内容が整っていて、対象化されていますが、
それは、もしかすると、書き起こし文の編集をした著者によってそう読みやすく
されたところが大きいのかもしれないです。
意外に思われるかもしれないですし、不謹慎とさえ誤解されるかもしれないですが、
インタビュイーのひとたちの人生を交えて語っていることが多いのですごく興味深く、
面白かったりします。笑えるようなことを言ってる人もいる。
こういう人もいるんだなぁ、大変な仕事をされているなぁ、
だとか、そういう感想を持ちながら読むことになります。
そうはいっても、そのインタビューの大部分であるところは事件の体験なので、
ぐっと気を引き締めたりしながら読む場面もあるのですが。
それだけ、本書は被害者の人生の一場面としての事件であり、
その大きさを語っているでしょう。
被害による「縮瞳」という症状、
後遺症とみられるような健忘の症状や疲労のしやすさというものが
多く告白されていました。
それで、ここが一つの問題なのですが、
サリンを撒いた犯行そのものによる被害と、
その後の社会の無理解からの被害がこの事件にはあると言われていました。
「もう時間がたっているんだから事件の被害のことは言うな」というような空気、圧力ですとか、
「あの人はサリン被害者だ」という差別があったようです。
それはどうなんだ、と思いますよね。
現代人の冷たさです。
原爆被爆者を差別するというのもありましたが、
サリン被害者もはみ出し者扱いをするムラ社会がこの日本の社会なのでしょう。
なので、本書でも、仮名でインタビューを受けておられる方が多くいらっしゃったようです。
安心社会とは、はみ出し者を無視したり迫害したりする排他的な性格を持っています。
それを信頼社会に移行していこうとする考えももちろんあって、その方が良いよなぁと、
僕もなんとなく考えていたりします。
信頼が裏切られた場合に機能する法律、
一定の道徳感覚・倫理感覚が社会全般で共有されているという信頼の前提があってこそ
「ムラ社会(安心社会)」後の「信頼の社会」は機能するのでしょう。
とまぁ、いろいろと考えさせられます。
オウム真理教の問題は、いまなおはっきりしない部分もあります。
そんななかで、事件を風化させないための力をもった本です。
あとがき的な部分はちょっと難しめですが、
「物語」が必要だ、などと語られる論説に繋がったものですので、
そういう知識や経験がある人はわかると思います。 -
Posted by ブクログ
ジャズが好き、和田誠さんの絵が好き…で購入したのですが、この本を読んで村上春樹さんの短いエッセイのファンにもなりました! 行間から、「音が聴こえてくる」んです。この本を読んでから聴いたビル・エヴァンズ「My Foolish Heart」、マイルズ・デイヴィス「Four &More」…ああ、村上春樹はこの音をそう表現するのか…と、うっとりしました。まだ聴いていないとっておきの曲がまだまだたくさんあって、考えるだけでわくわく。CD化もされていて、村上さんがエッセイを添えていますが、これも涙もの。ジャズとはどういう音楽か? 村上流のめちゃくちゃ素敵な答えがそこに。これもぜひ読んでみていただきたい名エッセイです♪♪