村上春樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
コミカルで示唆に富んだ文章、からす島もメキシコもうどん紀行も中国・ノモンハンも面白かった。
人生というものは果てしない偶然性の山積によってできていて、ある程度生きれば自分の行動や選択のパターンみたいなものもつかめるかもしれないし、その意味みたいなものを「理由」と呼ぶこともできる。それでもやはり、結局私たちは根本的には偶然性によって支配されている。(ー「なぜメキシコを旅行するのか」と聞かれて)
ESの志望動機に悩まされる身としては全力で頷きたくなる。
村上春樹が描く1992年初頭の中国も面白かった。今日ではもうすでに経済発展を成し遂げたけど、当時の「中国的混乱」は今も変わっていないだろうなあ。恐ろしい勢いで変わるものの中に普遍の確固たる何かがあるのが中国のオモロいところ。
「過度の思い入れとか啓蒙とか気負いとかを排して」今の時代の旅行記は書かなくちゃっていうの、心に留めておきたい。
20221014再読 -
Posted by ブクログ
2人のやりとりがものすごい。
マーラーのくだりが特に面白かった。
カラヤンやベームが、その雑多性や猥雑性、分裂性が生理的に我慢できなくて、自分の音楽に適した容れ物になるものしか演奏してないーとか、
ボストンの演奏はレベルの高いチームプレーでオケの音から外れるようなことはしないが、マーラーの場合は必ずしもそれが正しいとは限らないーとか、
リヒャルトはドイツ音楽を辿ってくればその流れで読めるけど、マーラーはまったく新しいアングルが必要になってくるーとか。
音楽教室の話は、自分もカルテットやクインテットをやるので、頷ける所が多く、気持ちが引き締まった所でもある。
早くチェロを弾きたくなった。
弦楽四重奏ができなければ、何もできない。
「みみずくは黄昏に飛びたつ(しかもこちらもインタビュー本)」を読んでいた時に行った梟書茶房で、案内された席になんと!設置されていたため、思わずその場で読破。
引きの強さというかなんというか。クラシックやってて春樹も好きな私としてはずっと気になっていた本ではあったのだけど、この出会い方には運命的なものを感じてしまった。 -
Posted by ブクログ
ジュンク堂でやっていたフェアから掘り出す。
そういえば、この間も『翻訳するということ』という本を読んだばかり。
村上春樹は、フィーリングの合う作家を「選び出して」その文章を翻訳することから学ぶという話をしていた。
良い文章を真似て書くといいと聞いたことがあるし、言葉にすれば暗唱にも繋がるのかもしれないけど、独特の呼吸や言いまわしというのを身に付ける第一歩ってそこなんかな。
ただ、村上春樹の翻訳は村上春樹だな、という声を聞く。
私は小説は何作も触れたけど、翻訳はまだ読んだことがない、というか多分よほどのことがなければ、今後も読まないと思う。
でも、村上春樹が勧める本は読む。
先日は『ゴールドフィンチ』四巻一気読みしました。良かった。
それはよく言われるけど、意図してはない、とのこと。
日本の美文に触れて学べという話題で、二人とも難色を示していたのだけど、読んでいて、自分の中に在る語彙がベースになるんだから、そりゃあその人が出て来るよなぁと思った。
もちろん、作品に合わせて言葉を選ぶだろうけど、それだって自分という世界にないものから取ってくるという訳ではない。
そうすると、学生がやっている和訳は、確かに直訳で画一的なのも面白いけど、ある程度のまとまりを持った文章を、各自がどんな風に読み解くか、というのは面白い試みなんじゃないかと思う。
ちなみに、この新書には「ものすごい」ことに、レイモンド・カーヴァーとポール・オースターの短編を、村上春樹と柴田元幸訳バージョンでそれぞれ味わうことが出来る。
正直すごいし、面白すぎる!
二人の違いを見るのも面白いけど、二人が同じところに傍点を打ってたりすると、ドキドキする。
「読み」を深めなければならないとか、慣れに任せ過ぎずにテキストに立ち返る必要性とか、翻訳から離れている人間も学びのある一冊でした。
ジュンク堂のフェア組んでくれた方のおかげです。
ところで。
登録した際に見えた、「2」の字。
マジか。読むしかないですね。
「でもなおかついちばん大事なのは、この文章の骨の髄みたいなのを自分が摑んでいるという確信ですよね。今のところまだそれをうまく訳せないとしても、それは大した問題ではないと思うんです。努力すればいつかできることなんだから。でも、本当の意味をつかんでいるという確信がなければ、どれだけ語学力があっても、どれだけ文章がうまくても、どれだけ努力しても、ほとんどどこにもいかないんじゃないかな。」
……厳しいっす。
「一つは、テキストがいちばん大事であるということ。テキストのみを読みこむことによって、その作家像とかいろんなものを自分の想像力のなかで再構築していく。もう一つは実際的な調査を行なって、この作家はこういう人で、こういう人生を送って、というようなバックグラウンドを頭に入れて、それでその作品のトーンを考証的に割り出していく。両方の方法があるし、僕はべつにどっちでもいいと思うんですよ。どっちがより正しいとは言えないと思う。」
「たいていの人は技術的な問題であるにもかかわらず、なぜか人格の問題として捉えちゃってね、翻訳って。間違いをすっと認めるということがたいていの人にはなかなかできなくて」
この二つは、自分の今の仕事に関わる部分があって、ストンと落ちた。
指摘が、技術的なことか人格的なことか、というのは、なるほどむしろ「そう思っていいのか!」と思わされたなー。
最後に、翻訳の賞味期限について。
特に引用はしないけど、ここ、難しい。
原典の時間は変わらない訳で。
でも、これもテキストに沿って考えれば2018年の読み方ができる訳で。
(もちろん、時間設定上、偽ってはいけないけれど、語彙の選択上ね)
池澤夏樹の現代語訳シリーズなんて、まさにそういう意味の味わいを目指したものなんじゃないかと思う。
面白いのは、一方で名訳は普遍性を持ち得るということでもある。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ恥ずかしならがら、この本が村上春樹氏の本で初めて読んだ本だ。短編小説が読みたいなと思っていた頃、電子書籍の検索でこれがヒットしたので、衝動的にワンクリック購入し、そのまま放置していた本だ。
特に村上春樹さんを読みたかったわけでもく、「いつもノーベル賞候補にノミネートされる村上さんが、案内してくれる短編小説ならきっと面白いに違いない」という発想で買ったものだ。
・・・が、「案内」という意味が違ってた。ブックガイドではなかった。これは、それぞれの作品をどう解釈し、どう味わうか、といった村上春樹流「文学の読み方の案内」というような本だった。ノーベル賞受賞候補・村上春樹氏の文学講演を聞いているようでもあった。
この本では、次の6編を取り上げている。これらは、いずれも「第三の新人」と呼ばれた作家だそうだ。名前だけは聞いたことがあるという人が数人含まれているが、全員他の作品も含めて一冊も読んだことなし!(汗)。
吉行淳之介 『水の畔り』
小島信夫 『馬』
安岡章太郎 『ガラスの靴』
庄野潤三 『静物』
丸谷才一 『樹影譚』
長谷川四郎 『阿久正の話』
本書の巻末には、各人の紹介文も掲載されているが、いずれも徴兵されるなど、戦争に巻き込まれた経験をお持ちの方ばかり。世代が違うというのを苦し紛れの言い訳としたい。
村上氏は、この「第三の新人」と言われる作家の作品で、こういうことをやってみたかったと言っている。
こういうことというのは、作品をじっくり読みこんで、読みこんだ人達で、その解釈や感想を述べあうことにより、その作品の理解をより深めるというようなことだ。
本書では、この6編に入る前に、「僕にとっての短編小説」とか「まずはじめに」とかの章がある。であるのに、ここをすっ飛ばして、いきなり「吉行」の章から読み始めてしまったものだから、村上氏が吉行氏の作品にあれやこれやケチをつけたり、勝手に解釈していているのを見て、早計にも「先輩の作品にケチをつけるとは、いくら優れた作家でも、マナー違反じゃないの!」なんて感想をもったわけですが、ちゃんと最初から最後まで読んでみて、誤解が尊敬に変わりました。
文学を読むということはこういうことなのか?
小説をさらりと読んでオシマイという習慣の自分には、一つの作品をその著者の背景なども絡ませながら、「その作家がどうしてこういう表現をしたのか」ってなことを推理していく過程を読むのは、推理ゲームのようで非常に面白かった。過程も面白かったし、推理の結果がまた興味深い。
村上氏は本書の中で、「その作家のはいていた靴に自分の足を入れてみる」というようなことを言っている。また別のところでも、「僕は・・・太宰治も駄目、三島由紀夫も駄目でした。・・・サイズの合わない靴に足を突っ込んでいるような気持ちになってしまう・・・」というようなことを言っている。
先輩の作品にケチをつけているのではなく(ご自身も上記の作品は最もお気に入りの作品のセレクトだと言われている)、むしろ先輩の作品を教材として研究を尽くされているのだということがよくわかった。
この本を読んで、そろそろ本当の村上春樹氏の本を読んでみたいなと思ったし、ここで紹介されている中では、丸谷才一氏を読んでみたいなと思った。 -
Posted by ブクログ
「小説家とは何か、と質問されたとき、僕はだいたいいつもこう答えることにしている。『小説家とは、多くを観察し、わずかしか判断を下さないことを生業とする人間です』と。
なぜ小説家は多くを観察しなくてはならないのか?多くの正しい観察のないところに多くの正しい描写はありえないからだ——たとえ奄美の黒兎の観察を通してボウリング・ボールの描写をすることになるとしても。なぜ小説家はわずかしか判断を下さないのか?最終的な判断を下すのは常に読者であって、作者ではないからだ。小説家の役割は、下すべき判断をもっとも魅力的なかたちにして読者にそっと(べつに暴力的にでもいいのだけど)手渡すことにある。」 -
購入済み
引き込まれて
出だしから作者の世界観に引き込まれ、色々な事を解明する過程の主人公の思いに心を掴まれました。
出てくる登場人物は多くはないが、それぞれの立場での感情が見てるかのような錯覚に陥りました。