【感想・ネタバレ】翻訳夜話2 サリンジャー戦記のレビュー

あらすじ

サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の新訳を果たした村上春樹が翻訳仲間の柴田元幸と、その魅力・謎・真実の全てを語り尽くす。ホールデン少年が語りかける「君」とはいったい誰なのか? 村上が小説の魔術(マジック)を明かせば、柴田はホールデン語で、アメリカ文学の流れのなかの『キャッチャー』を語ってのける。永遠の青春文学の怖さ、ほんとうの面白さがわかる決定版です。「幻のキャッチャー・イン・ザ・ライ訳者解説」を併録。

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 読んだばかりのJ.D.Salinger の「Catcher in the Rye」について、訳者である村上春樹と、それを教材に東大で講義をしている柴田元幸が徹底的に語り合っている。

 この小説は「社会に反抗する無垢な少年の物語」という評価が通り相場らしいが、村上も柴田もそれに関してはとても否定的である。以前は、若者はこの小説を読まないことには話が始まらないというところがあったそうだ。ところが二人の対談を読んでいると、とてもそんな単純な物語ではないことに気付かされた。

 二人は「トム・ソーヤー」や「ハックルベリー・フィン」を引用しながら、ヨーロッパにある成長物語はアメリカにはない。反成長物語ばかりだという。この2つもそうだし、「ギャッツビー」もそうだし「老人と海」もそうだという。他のアメリカ文学もそうなのか後に検証してみたい。

 ホールデンの言葉遣いについて柴田が村上に言っている。
「『何々しちまう』という語尾なんか50年代を意識したのか。最初は違和感があったが、読んでいるうちにすんなりはまった。」
 実際私も非常に違和感を持ったが、村上はこれを意図的にそうしたという。「ホールデン語」みたいなのが必要だったという解説を読んで納得した。

 タイトルについては、野崎孝の既訳は「ライ麦畑でつかまえて」だが、村上訳では原文のまま「キャッチャー・イン・ザ・ライ」とした。そのままでは全然意味が伝わらないかもしれないが、ある程度情報があればそれでも機能するだろうと、このタイトルにしたそうだ。例えば映画でも「プライベート・ライアン」なんかそうで、private に「兵卒」の意味があることなんか、一般の日本人はあまり知らない。でも誰も文句言わない。ということだそうだ。

 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」本体には、契約上訳者の解説を付けることができなかったそうだ。そこで本書にその解説を載せている。これを読むことができて本書の理解が深まったと思う。

 また、最後に柴田が「キャッチャー」をアメリカ文学の中に位置付けるという意味で書いたという「Call me Holden」もホールデンに語らせた解説みたいで、とても面白い。

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2014年06月06日

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サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を村上春樹さんが翻訳していること、併読している『ギンガムチェックと塩漬けライム』(鴻巣友季子著)で初めて知りました。そして、本書に辿り着きました。

村上さん、『キャッチャー』(『ライ麦畑』)を大絶賛でした。翻訳という大変なお仕事をするのですから、当然といえば当然ですが。『キャッチャー』(『ライ麦畑』)を読んだら、(どちらかでも)本書は必読だと個人的に思います。

村上さんの翻訳を巡っての柴田さんとのお話は、とにかくおもしろい! 野崎訳『ライ麦畑でつかまえて』を読み、ちょっと理解が難しいところが、こんがらがった糸がほどけたように分かり、すっきりしました。そして何より、村上さん柴田さんの翻訳観を知り得たこと、大きな収穫でした。言葉の訳し分けの細かいところまで、突っ込んで説明されています。翻訳の繊細な部分を感じ取れました。

契約上、「訳者が本に一切の解説をつけてはならない」という縛りがあったとのこと。本書には村上さんの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の解説、柴田さんの「Call Me Holden」が掲載されていてお得です。

早速、村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、読んでみようと思います。

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2025年07月03日

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おもしろかった!
ハルキストではないので、おもしろかったことが悔しい(笑)

柴田先生との対談。ホントに楽しそうで、また、本の紹介本でもある…

柴田先生のコール・ミー・ホールデンが良かったです。

ライ麦畑でつかまえて、読みたくなりました。

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2022年10月12日

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ネタバレ

大変に面白かったです。大満足です。

まず、「翻訳夜話2」ということで、第二弾の本ですよ、って事だと思うのですが、「翻訳夜話(1)」は、未読です。そっちを読まずに「2」から読むのって、ある意味アカンやんか、、、と思うのですが、すみませんコッチから読んじゃいました。また機会がありましたら、「(1)」の方も、読みますです。楽しみです。

で、本書の内容をザックリと言いますと、村上春樹さんと柴田元幸さんが、それぞれに
①翻訳というものはなんぞや?を語る。
②「キャッチャー・イン・ザ・ライ」という物語を語る。
③J・D・サリンジャーという人物について語る。
という本、だと思います。

翻訳論、キャッチャー~論、サリンジャー論、その三つを一気に読んじゃえてラッキーだね、という、お得要素の強い本だなあ、って思いましたね。

主に村上さんがガハハと語って、柴田さんが相槌&話の促しに徹する、みたいな組み合わせ?だと思いましたが、二人の息が合ってる感じがバンバンしまして、エエ感じに話が転がってるね、ってのはヒシヒシと感じましたね。

お二人の相性が最悪だったら、全然オモロない感じになってたんちゃう?と思うと、二人で論を進めることの、二人の相性の良さって、大事だなあ、って思いますね。村上さんと柴田さんは、人間的に相性が良いんだろうなあ、とかね、思った次第ですね。

ちなみに、自分は、サリンジャーについては、全然詳しくないと思います。まず、サリンジャーの作品は、絃移転では「キャッチャー~」しか読んだことがないです。それも

①大学生時代?か、大学生卒業してすぐ、ぐらいの時に、野崎孝訳の「ライ麦畑で捕まえて」を読んでみようとするが「あかん。意味わからん」で、読み終えることできず。

②三十代半ばくらいで、村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読んでみようとする。一応読み終えるも、「うーん。面白くないなあ」という感想を抱く。

③四十歳過ぎて、再び「キャッチャー~」の再読にチャレンジし、「うーん、やっぱ、そんなに面白くないなあ~」という感想を抱く。

というサリンジャー遍歴ですので、とてもこう、熱心なサリンジャー読者、とは言えない。全く言えない。

なのですが、この作品は大変楽しく読むことができた、というのはね、やっぱ俺は、村上春樹が好きなんだなあ~、というね、そこを理解できた、というね、ま、そんな感じなのですよね。

で、この作品を読んで「こらちょっと、その他のサリンジャー作品を読んでみたくなりましたよ!」とはね、正直ね、あまり、なりませんでしたね。ちゃんちゃん、なんですけどね。村上春樹はやっぱ好き、という思いは、ガンガン固まりましたけどね。

でも、なんだろう。サリンジャー、って人が、傑出した人物なんだろうなあ、ってことは、ヒシヒシと感じました。

個人的に感じたイメージで言いますと、
小説家としてのサリンジャー
ミュージシャンとしてのカート・コベイン(ロックバンド、ニルヴァーナのフロントマン)
この二人は、似ているなあ、って事を感じた次第です。

途轍もないムーブメントを生み出したこと。
人間的に、とても複雑な人物である。明け透けに言うならば、色々と問題のあるメンドクサイ人物、だと思われること。(途轍もない才能と、途轍もないとっつきにくさを併せ持つ)。
途轍もないムーブメントを生み出したことが、結局は本人を、一般的な幸福(と思われる状態)にはしなかったと思われること(サリンジャーは極端なまでの隠遁生活に入り他人とのコミュニケーションを拒絶し、カートは自殺してしまった)。

そんな事を、読んで思った次第です。

でもやっぱ、アレだ。色々と話をしつつも、村上さんが、サリンジャーが生み出した小説に対して、間違いなく愛情と敬意を持っている、ってことはシミジミと感じましたし、そこがなあ、、、好きなんだよなあ、、、ってね、思いましたね。村上さんが、村上さん自身が好きだ!と思うものに対しての思いのたけを語る文章を読むことが好き。つまるところ、そういうことなんですよね。

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2021年04月14日

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サリンジャーに限らず、これまで学んできたアメリカ文学に関するアンサーが次から次へと流れるように入ってくるけど、全部すっと入ってくるものだから、消化はしやすいです。
特にカポーティやフィッツジェラルドのイノセンスとの比較論は興味深い。(マンハッタンの「地獄めぐり」ね)
麦畑か…という理由だけで実はずっと読んでなかった。はやく読んだらよかった。

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2016年10月13日

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この本を読んだあとに村上訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」も読みました。作者との契約で村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」に翻訳者のあとがきを載せることができないために、こちらに掲載されたとのこと。学生時代に野崎訳で「ライ麦畑…」を読んで以来の再読なので、予習のつもりで、こちらを先に読みました。
翻訳者のレベルの細かい話がたくさんあって、翻訳された日本語をぼーっと読むだけの読者の私としては、新鮮でなかなかおもしろかったです。

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2013年10月01日

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「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が大好きなので。
すごく良かったです!
改めてサリンジャーのこの作品が、どれだけ凄いか分かりました。
そしてそれを見抜かれたお二人も。

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2012年08月13日

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村上さんと柴田先生の対話で暴かれていく作家サリンジャーのひととなり、非常に興味深く読めました。物語への考察=サリンジャーの生涯に密に関わっていたんだという発見があり、サリンジャーの生き方をホールデンになぞらせたのではなく、サリンジャーがホールデンの生き方をなぞっていったというのは一種の狂気を感じた。大昔に野崎訳を読んだ後に村上訳を読んで比較したことはあったけど、当時の印象として前者のホールデンはとんがり少年で、後者は引きこもりがちな天邪鬼。この印象の違いは翻訳に取り掛かった時代の背景を訳者がうまく反映させていたからだというから感心しきりだったし、ひとつの文章がこんなに変わるものなのかと文学の多面性のようなものにやっぱり面白いと思わずにはいられなかった。海辺のカフカが読みたくなる。

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2025年05月28日

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訳本の方はまだ読んでなく、旧約ももう長いこと読んでいなかったが、楽しく読めた。
解釈の違いで翻訳に色を出したりすることを知らなかったので、村上春樹の考察するキャッチャーの話も楽しめたし、また、村上春樹の小説はほぼ読んだことないので、村上春樹の思考の一端が垣間見えたようで新鮮だった。

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2023年07月14日

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キャッチャーに惹かれる理由がなんとなくわかる対話だった。結局のところ、寂しさとか孤独があるから共感できるんだろうし、あれほどタラタラ文句言う本もそうそうない気がするから言いたいこと言ってくれたみたいな感じがあってスッキリするのかもしれない。

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2022年11月23日

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村上春樹がサリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の新訳を刊行したことを受けて、彼と柴田元幸が二度にわたっておこなった対話を収録しています。さらに巻末には、『キャッチャー』に収録できなかった村上の「訳者解説」、さらに柴田がホールデンに成り代わってハックルベリー・フィンなどとの比較についての考察をおこなっている「Call Me Holden」が収録されています。

本書を読む前は、おそらく柴田がサリンジャーのアメリカ文学上の位置づけについて大きな枠組みを示し、そのつど村上が作家としての感性にもとづく解釈を差し挟んでいくというスタイルで議論が進められているのではないかと思っていたのですが、じっさいに読んでみるとむしろ村上が終始サリンジャー解釈の大きな枠組みを提示し、柴田がサポートにまわっているという印象です。村上が、翻訳についてはともかく、他の作家の作品世界についてこれほど能弁に語るのは意外でしたが、「イノセント」の意味にかんする、おそらくは河合隼雄の心理学に由来をたどることのできるような考えが示されていて、興味深く感じました。

わたくし自身は野崎訳『ライ麦畑でつかまえて』しか読んでいないのでよく理解できないところもありましたが、村上の翻訳についての考え方も率直に語られており、こちらもおもしろく読むことができました。

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2019年11月15日

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そうか~。これ、”サリンジャー戦記”ってより”キャッチャー戦記”だ。そう銘打っておいてくれれば、同作を読んだ直後にこれも読んだのに。本来は本編に同時収録されていたはずの、村上春樹による解説が収録されていることからも分かるように、これは完全に”キャッチャー”の解説本です。だから恐らく、あとがきを読むかのように、本編を読んだそのままの流れで本作を読むのが理想的。自分の記憶力の悪さもあって、細かい内容は結構忘れていたから、そのあたりが悔やまれる。それを差し引いて、名翻訳者2人の対談、っていうだけでも読む甲斐はありましたけど。

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2018年02月02日

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同時代に生きている作家か、自分が特別に好きな作家の本しか翻訳してこなかった村上春樹。
サリンジャーを訳すという考えは、当初なかったそうなのだ。
そうか。サリンジャーはすでに古典になりかかっているのか。(サリンジャーが亡くなったのは2010年)

何人かの人に「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を訳さないんですか?と言われ、長く残る作品については複数の翻訳テキストがあってしかるべきとの持論もあり、野崎訳をも出版し続けることを条件に「キャッチャー~」を訳すことにしたのだそうだ。

時代の空気を伝える訳は、翻訳としての賞味期限が短くなってしまう。
しかし、時代の空気を無視して「ライ麦~」を訳すことはできないだろう。
そのバランスのとり具合が訳者のセンスであり、味なのだと思うし、だからこそ異なる翻訳者での作品の読み比べが楽しいのである。

村上春樹が訳した文章に誤謬がないか、そしてよりよい訳文がないかと柴田元幸と二人、2日間に渡ってみっちり物語を読み込み、討論をしたのだそうで、それを踏まえたうえでの今回の対談となっている。

言葉を訳すことと世界観を伝えること、サリンジャーについて、アメリカ文学について。
二人の話題は深くて広い。

「ライ麦~」を読んだことがない今の若者に向けて、当時の時代背景やサリンジャーの生き様、作品の解説を巻末に村上春樹が書いている。
それは本来、作品の後ろにつけるはずだったのだが、出版社とサリンジャーとの契約事項に「作品解説はつけない」というものがあったため、付けることができなかったのだ。

そういった諸々のことを含めて、副題が「サリンジャー戦記」となったのだな。きっと。

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2015年04月15日

Posted by ブクログ

村上春樹が翻訳について熱く語る「翻訳夜話」シリーズ2作目

本書はJ・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の翻訳について語ります

青春小説の古典として親しまれている名作を村上春樹がどのように新訳に挑んだのか?

その想いが尋常では無いほどよくわかります。

なので、村上春樹が解説するキャッチャー・イン・ザ・ライの副読本としても読める内容です。

しかし、村上春樹さんって翻訳が大好きなんですね。

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2013年08月02日

Posted by ブクログ

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を訳した時のことなどを両氏があれこれ語っている内容ですが、
これは一粒で何度もおいしいような本ですね。

『キャッチャー』の巻末に理由あって載せられなかった訳者解説は読む価値があるし、
サリンジャーという人物にまつわる話もおもしろいし、
翻訳の奥深さを感じさせてくれる内容だし、
アメリカ文学の解説としても分かりやすい。

家に眠ってる米文学本でもぼちぼち読んでいこうと思いました。
『キャッチャー』の原書と野崎訳の『ライ麦畑でつかまえて』も家に眠ってるので、
時間があれば読み比べてみようかな~。
時間があれば、ですがね。

バルトは「作者の死」なんて言ってますが、
文学についてあれこれ言うのは、それはそれで楽しいことですよね。

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2013年01月25日

Posted by ブクログ

徹底的に「キャッチャーインザライ」を掘り下げる。また、読みたくなってしまった。野崎訳も村上訳も。

・グールドの音楽に対する姿勢
・アメリカではヨーロッパと違って、引きこもりがハードな形になりがち。
・『海辺のカフカ』におけるネコ殺しへの反応。人間殺しより過剰。イノセントに対する反応か。
・柴田氏が挙げた『アメリカの息子』『見えない人間』『ブラック・ボーイ』『ポートノイの不満』

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2012年11月05日

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一冊丸々キャッチャー・イン・ザ・ライであり、一冊丸々サリンジャー。こういう深い読み方ができたら、本をよむのもずっと意味のあることになるのだろうな、とおもう。サリンジャーという人間の人種的背景や育ってきた環境も含めてこの大ヒット小説を読む。この本の強い強い吸引力のようなものの元を明らかにしていく。すごく分かりやすいと同時に、色々と言われているけれどとりあえずもう一度キャッチャーを読みたい、ホールデンに会いたい、と思わされた。こんな風に本が読めたらなあ、こんな風に好きな本について話せたらなあ、と思わざるを得ない。良き本を書く人は同時に良き読み手でもあるし、わたしに介入の余地はないし、とりあえずキャッチャーを読みます。

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2012年10月31日

Posted by ブクログ

J.D.サリンジャーの『The Catcher in the Rye(キャッチャー・イン・ザ・ライ)』は野崎孝訳「ライ麦畑でつかまえて」で親しまれてきたのだが、2003年に村上春樹が翻訳権を持つ白水社からあらたな訳で『キャッチャー・イン・ザ・ライ』として出版することとなった。

その翻訳に関わる経緯や翻訳中の解釈を対談を通じて解説しているのがこの書。

村上春樹は、どっぷりとこの作品に浸っていると言うよりも、少し離れた視点から眺めているようだが、それゆえに非常に深く見通している感がある。

ジョンレノンを射殺したマーク・チャップマンや、レーガン元大統領を狙撃っしたジョン・ヒンクリーについては”短絡的”な読者と切り捨てている。

村上春樹訳の『The Catcher in the Rye』は現代においては読みやすく、それ故に感じる批判もあるんだけども、この『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』を読むと、また村上春樹訳も読み返してみたくなる。

この本は、訳者村上春樹と柴田元幸(東京大学文学部助教授)と編集者の対談で、より深く『The Catcher in the Rye』を楽しめるようになっている。

また、フィッツジェラルドもかなりの部分で解説に登場してくるので、併せて読むといいかもしれない。

語り尽くすことが難しい(し、その必要もない)この『The Catcher in the Rye』は読者の個に帰するところが大きいと思う。そういう点では「you」についての訳と解釈の語りは特に興味深かった。

この本『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』では、村上春樹と柴田元幸の他に、村上春樹が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』に載せることができなかった「訳者解説」が収められている。出版契約において、サリンジャーは訳本に解説などを掲載することを拒否しているからだ。
また、柴田元幸の「アメリカ文学史の中に『The Catcher in the Rye』を位置づける」という試みのもと描かれた『Call me Holden』が差し込まれているが、これも秀逸。あらたなホールデンの語りとなっている。

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【出版社/著者からの内容紹介】
サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の新訳を果たした村上春樹が盟友柴田元幸と、その魅力・謎・真実の全てを語り明す。

永遠の青春文学、J・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の新訳を果たした村上春樹が翻訳の「盟友」柴田元幸とともに、その魅力と真実、新訳の「目玉」、小説作法のあり方、さらには特異な作家サリンジャーその人まで、縦横に語り尽くす。ホールデンが語りかける「君」とは誰か?小説のエンディングは何を意味するのか?〈『キャッチャー』の謎〉の全てがここにあります。訳書に収録できなかった「幻の訳者解説」も併録。
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【目次】
ライ麦畑の翻訳者たち まえがきにかえて  村上春樹
対話1 ホールデンはサリンジャーなのか?
・「君」ってだれだ?
・地獄めぐり
・「あれよあれよ」と
・『キャッチャー』にたどり着くまで
・怖ろしい小説
・ホールデンはどこにいる?

対話2 『キャッチャー』は謎に満ちている
・アントリーニ先生再び
・ホールデンと少年カフカ
・ハック・フィン、カポーティ、フィッツジェラルド
・反成長小説
・ホールデン語
・勝ち組でも負け組でも
・「インチキ」から遠く離れて
・しゃべりまくって逃げる
・回転木馬の「善」
・ イノセンスから愛へ

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』訳者解説(村上春樹)
Call Me Holden(柴田元幸)
あとがき(柴田元幸)
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2012年09月22日

Posted by ブクログ

村上春樹がどういう意図で『キャッチャー•イン•ザ•ライ』をあのように訳したかぎ分かる本。さらに『キャッチャー』の謎に包まれている部分がどこで、対談をしている二人がどう考えているのかが分かる。
キャッチャーにつかなかったあの解説も読めたし満足できた。柴田元幸のCall Me Holdenもホールデンと同じ口調で書かれていて、とても面白かった。

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2012年09月14日

Posted by ブクログ

これは先日レビューを書いた
「翻訳夜話」の第2段として
出版されたもの。

しかも今回はタイトルにあるように
「サリンジャー」キャッチャーインザライ
つまり、「ライ麦畑でつかまえて」
に、ついてエンエンと語ったもの。

そもそもホントはこれが読みたくて、
翻訳夜話から読んだようなもので、
話は遡ること3年前の夏。

初めて村上さんの訳で
キャチャーインザライを読んだ
所まで戻ります。

正直キャッチャーはぼくには
難解過ぎて、読みどころが
全然分からないまま空中に
放り出されたような感覚で
しがみつくように最後まで
読んだことをよく思いだします。

そこで、最後の砦として
「訳者後書き」を楽しみに
歯を食いしばって完読した所、
最後のページには
「一身上の都合により訳者後書きは
 掲載できませんでした」
とのアナウンス。

がちょーん

この本を読んで分かったのですが、
むか〜しの契約で、キャッチャーの
後書きは書けないことになっていたそうで、
仕方なく、この本に再録したとのこと。

という訳で非常にありがたいやら何やらで
3年越しでようやく後書きを読むことが
できました。

それに加えて、村上さんと柴田さんの
サリンジャーをめぐる考察付きで、
ようやくライ麦畑の読みどころが
よく理解できました。

という訳でまた時間をつくって
キャッチャーインザライを改めて
楽しみたい次第です。


読むのにかかった時間:3時間

こんな方にオススメ:ライ麦ファン必読

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2012年07月15日

Posted by ブクログ

キャッチャーインザライを読んだ直後にこの本を読んだので、さらっと読めました。本編で感じた思いを強くすることができてとても良かったです。
村上春樹氏は作家といえば作家なんだけど、このような本の時はまるで文学の先生か学者のような印象を持ちます。

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2012年05月12日

Posted by ブクログ

’Catcher’が「反成長小説」だということにすとんと納得した。アメリカ文学とイノセントっていうのは割と典型的なテーマだと思うけれど、そういった制度化から抜け出して'Catcher'を純粋に考えていこうとする2人がとても興味深かったし、対談のほか、村上春樹訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」に収録できなかった訳者解説と柴田氏による"Call Me Holden"も読めるのでお得感(笑)。

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2012年05月01日

Posted by ブクログ

この本を読んだ後に「ライ麦畑で捕まえて」を読むと
「ライ麦~」がすごいイイ作品だとわかる

「あ。ここはあの時、柴田さんと村上さんが言ってた所か~フムフム」
「なるほどね、ここは次のあそこに繋がっていくわけね~フムフム」

「ライ麦~」の事だけじゃなくて二人のお話が興味深い

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2011年10月20日

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翻訳夜話1を読んでからはや2年。やっと2を読めました。本当は1を読んでから今までのわたしの翻訳観の変化についてとか言ってみたいけど、英語できないし、やっぱり翻訳はよくわかりません。あらゆるプロセスを受け入れる、「文章」というものの魅力には相変わらず取り憑かれているし、これからもきっと魅せられ続けると思いますが。
今回はサリンジャー戦記ということで、とりあえずサリンジャーを読み返したくなった。わたしはキャッチャーよりナイン・ストーリーズの方が好きだったのですが、これを読んで改めてキャッチャーを読もう、と思った。春樹独特の解釈が最高です。

イノセンスを題材にしてしまうと、その性質上どこにも行けなくなってしまうけど、どこにも行けなくなってしまうからこそ魅力的なんだとも思います。マーガレットが小さい頃は無条件に溺愛したが、彼女が成長して自我を持つようになると興味を失ったサリンジャー。わたしは彼女ではないので、もうサリンジャーのその不気味さも、不安定さも、人間的欠陥すら愛おしい。
サリンジャーほど破滅的にではないけれど、わたしも無垢な、うつくしいものに憧れる。その憧れを決して捨てたくないと思う。

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2011年08月26日

Posted by ブクログ

 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(以下、この本に沿って『キャッチャー』と呼ぶ)の翻訳を手掛けた村上春樹と、彼の翻訳仲間である柴田元幸が、翻訳者という視点からサリンジャー及び『キャッチャー』について縦横無尽に語る本。

 小説について作家が語る本を読むのは、おそらく初めてだと思う。読書ガイドとして書評集を買うことはあったが、どれも一冊につき2~3頁程度で語られており、こうして一冊の本としてガッツリ語られたものを読んだことはなかった。 読むことになった理由は、『キャッチャー』を読んだ時の印象が、普段読む多くの青春小説に比べ非常にもやもやした感覚が残ったため。
 青春小説というと、例えば主人公に好きな人がいて、その女の子(男の子)とのロマンスがある。で、相手を愛したり憎んだりいろいろして、結ばれたり結ばれなかったりする。そして、そこで様々な経験を通じ、物語が始まった時より少しだけ大人になっている。そんな物語が圧倒的に多い。古くは夏目漱石の『坊っちゃん』とか、私の愛してやまない『文学少女シリーズ』とか、最近なら『君の膵臓をたべたい』とか、アニメ『宇宙よりも遠い場所』とか。
 こうした「物語を通じた若者の成長」という枠に、どうしても『キャッチャー』がしっくりこなかった。元々大反響を呼んだ小説だということはもやっと聞き及んでいたので、この違和感の正体を垣間見たくて、この本を読むことにした。

 この本で語られている限り、やはり主人公の成長というよりは、ホールデンは永遠の16歳であり、「そこにしっかりと留まり、読者の心のひとつのありかとして機能することを宿命づけられた小説」(p.220)なのだそうだ。
 また、同時に米国の、しかも60年代の小説ということもあり、出版当時教育界などからヒステリックなまでのバッシングがあったこと、今でも一部では有害図書として扱われていること、ある凶悪殺人犯がこの小説をバイブルの如く扱っていたこと、当時は(日本もそうだろうが)社会・世間の繋がりが非常に強かったので、説教や世間に当て嵌めるような教育が今以上に重視されていたこと、など、小説を読んだだけでは気付けなかったものも多数あり、作品の理解(?)に大いに役立った。
 あとは、サリンジャーがホールデンのように、あるいはホールデン以上にイノセンスな世界にのめり込んでしまい、隠遁生活を送るようになるという解説のくだりはやはり印象的だった。前にも後ろにも進めないホールデンの閉塞感が悪い方向に向かってしまったような(そりゃ社会から隔絶された隠遁生活が悪くも何ともないと言えばそれまでだが)、汚いとも取れるノット・イノセンスの世界を拒絶するということがどういうことか、
突き付けられている気もする。

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2019年04月20日

Posted by ブクログ

小説家であり翻訳もこなす作家の村上春樹と訳書をいくつも出版している柴田氏の対談。翻訳夜話という新書の2にあたる。
タイトルにあるように作家サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の翻訳にまつわる様々なエピーソードなどを対談形式で送る本。

文学や翻訳に興味がない人はまったくおもしろくないだろうが、そういうのに少しでも手を付けている人はなかなか興味深く読めるとおもう。

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2018年10月09日

Posted by ブクログ

"the Catcher in the Rye" 40年振りの新訳について、訳者 村上春樹と柴田元幸が語り尽くす。

出版に先立って行なわれた白水社主催の対談、本書出版のために行なわれた文春主催の対談、訳書に(契約上の問題で)未掲載となった幻の訳者解説、柴田元幸のエッセイ風解説の 4編からなる。圧倒的に面白いのは、やはり出版前夜の興奮を湛える白水社の対談。"the Catcher in the Rye" を訳すためには、物語そのものではなく、スタイル(文体)を翻訳する必要があった、そしてこの40年の日本語の変化や、日本文化のアメリカ化が、(1964年の野崎訳と比較して)それを比較的直截的にしているという話は興味深い。それに比べると文春の対談は凡庸。

訳者解説は(意図して)大半がサリンジャーの略歴で、作品自体の解説はあまりしていない。その微かな作品解説の中で、"the Catcher in the Rye" を「構造的に完成された(あるいはそれを意図して書かれた)小説ではない」というのはその通りで、構造に着目して読み込む類の小説ではないだろう。しかし、その魅力を同世代の共感に求めたのは短絡的に過ぎる。個人的には、サリンジャーという「大人」が 16才のホールデンという adolescence を克明に描き切っているところが、この小説の興味深いところだ。それは大人になってから思い描く adolescence の勢いであり、未熟さであり、16才当初のそれそのものではないところに逆に魅力がある。

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2016年03月21日

Posted by ブクログ

「キャッチャー」で何を言わんとしているのかを知りたくて読んだ。翻訳する際に意識していることも書かれてある。

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2015年01月26日

Posted by ブクログ

キャッチャー・イン・ザ・ライを翻訳した村上春樹と柴田元幸によるサリンジャー・キャッチャー論、及び翻訳論。小説家の見方、米文学研究者の見方、翻訳者の見方、そして純粋な読者としての見方から、キャッチャーを多角的に語り尽くす対談。村上さんによる訳者解説と、アメリカ文学におけるキャッチャーの位置付けを洒落た形式で語った柴田さんの文章も読める。

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2014年12月04日

Posted by ブクログ

おもしろい。
ホールデン少年が結局何が好きで本当に気に入らないものは何だったのかということを考えていたので。

彼らがこんなにもいろいろ考えながら読めるのは、当たり前だけどほんとうにたくさんの本を読んできたからなんだと思うと果てしないなあ

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2013年04月13日

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