【感想・ネタバレ】翻訳夜話のレビュー

あらすじ

roll one's eyes は「目をクリクリさせる」か? 意訳か逐語訳か、「僕」と「私」はどうちがう? 翻訳が好きで仕方ないふたりが思いきり語り明かした一冊。「翻訳者にとっていちばんだいじなのは偏見のある愛情」と村上春樹。「召使のようにひたすら主人の声に耳を澄ます」と柴田元幸。村上が翻訳と創作の秘密の関係を明かせば、柴田はその「翻訳的自我」をちらりとのぞかせて、作家と研究者の、言葉をめぐる冒険はつづきます。村上がオースターを訳し、柴田がカーヴァーを訳した「競訳」を併録!

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Posted by ブクログ

一冊をひとりで翻訳する、それは孤独な作業。道をひとりぽっちで歩いてゆかねばならない。本書はその旅のおともになる。弱気になった時に読み返すと、少しだけ元気をもらえる。
3つのフォーラム――1996年東大駒場、1999年翻訳学校、2000年若い翻訳家6人と――を収める。若い翻訳者のなかには、25年前の岸本佐知子や都甲幸治もいる。
カーヴァーとオースターの短篇を村上・柴田がそれぞれ訳している、その比較が興味深い。もともと波長が合うためか、ふたりの訳文がそんなに違っていないような印象も受ける。
村上も柴田も勢いがあるのががいい。まだふたりとも、ほぼほぼの40代だもん。

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2025年11月19日

Posted by ブクログ

 残念ながら柴田先生の講義を受ける機会に恵まれませんでしたが、翻訳者としての意見を本書で知ることができ、嬉しいです。翻訳について村上派か柴田派か、と聞かれれば、私は柴田先生を選びます。
 大学にて翻訳理論、英文学翻訳、米文学翻訳の授業を受講していたのですが、各先生と柴田先生は、翻訳者の立ち位置について似たことを仰っていました。
 改めて「翻訳者とは」を勉強した気持ちです。

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2024年02月25日

Posted by ブクログ

翻訳本が苦手に感じるのは、
作品が面白ければ面白いほど、
ひとつずつの言葉の表現に直接触れてみたくなるから。
つまり、原著で読めるのならば原著のままで読みたいのだ。

物語の本質はひとつずつの言葉ではないところにあっても、
翻訳者の中を通ったものは、
すでに純正ではなく(劣化するという意味ではない)
二重性が大前提になってしまう。
そこに、さらに読者としての私の解釈も入り込むと、
誰の、何に影響されたものなのか難しくなってくる気がするので、
だから翻訳本を苦手だと感じていた。

とはいえ、ポール・オースターが大好きで、
『オーギー・レーンのクリスマス・ストーリー』が読みたくて、
村上春樹と柴田元幸がそれぞれ訳しているだなんて、
興味深すぎると思い本書を手にした。

読み終えてみて、
翻訳という営みは、
精神分析という営みと本質的に大切な事柄を共有しているという大事な発見があったことが最大の収穫であり、
これからは翻訳本は苦手と言わずに済みそうだ。

あと、専門書でもそうなのだが、
どうしても言語的に理解しにくい翻訳があったら、
それは翻訳が下手くそなのだと思おう(笑)。

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2020年08月10日

Posted by ブクログ

 かなり面白かった。翻訳の持つ妙味が想像できた。
 おかしかったのは、小説家でもある村上氏が「自分の小説を英訳された英文を読んだときに、『けっこう上手く書けているじゃないか』と思ってみると、自分の作品だった」というのが多々ある、ということ。
 この人の自分の小説に対する距離感はわりに不思議で、「若い人たちのための短編小説」でも、「自分の小説だからといって、自分の解釈が唯一無二で正しい訳ではない」といった風なことを述べていたのと通じるな〜と、感じた。

 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」はまだ読んでいないので、読んでから、翻訳夜話2を読んでみたい。

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2018年12月22日

Posted by ブクログ

ワタシの中で「名訳者」の地位をゆるぎないものにしているお二人が出した本が、面白くないはずがない。あまりにハマってしまって、電車を乗り過ごしてしまいそうになった。

本書が出るきっかけとなった、柴田さんの持つ大学の授業への村上さんの登場がフォーラム1。聴衆を翻訳学校の生徒に換えて行ったのがフォーラム2。そして、お二人によるカーヴァーとオースターの短編競訳をはさんで、それについて若手翻訳者を前に語ったのがフォーラム3。

お二人の口から出てくる言葉や、そこから読み取れる感性がとても心地いいし、気づきも与えてくれる。特に競訳とそれについて語ったフォーラム3は秀逸。12年近く前に出た一冊だけれど、中味は全然古びていない紛れもない良書。

蛇足: 村上さんは翻訳を「言うなれば"遊び"でやっているんだけど、それと同時にやっぱり何かを真剣に学びとろうと思って」やっているんだとか。ワタシと読書の関係もこれだ。

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2018年11月18日

Posted by ブクログ

As long as there's one person to believe it, there's no story that can't be true.

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2018年03月26日

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最近の自分的外文ブームにうってつけの本新書。しかも春樹・柴田共著となると、もう読むしかないってことで。期待に違わぬ内容で、翻訳のイロハの部分とか、ちょっと垣間見れた気になっちゃいました。他の著作でも触れられていたと思うけど、”翻訳には耐用年数あり”っていうのには全面的に賛成。新しい訳で読めば良かった!って思ったことも結構あり、最近では専ら一番新しい訳にこだわってたりもする。そう考える中でふと思ったのが、外文は100年経ったものでも新しい訳で生まれ変われるんだから、日本の古典的文学作品も、50年とか経ってるものは誰かが書き直せば良いのに、ってこと。夏目、森、芥川など諸々。新しい言葉に置き換えられたら楽しめたって人、多分結構いると思うけど。ってか、そう思うなら自分でやれば良いのか。

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2017年10月17日

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しぐさの英語表現辞典 研究社
出てすぐに読めば良かった!高校生にすごくオススメ。最後の文を自分で訳してから2人のを読んだりしたらさらに面白いかと。

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2015年11月03日

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特に翻訳に興味があるわけではない、と言うか、むしろ翻訳の文章は頭に入ってこないので苦手な世界だが、その舞台裏はとても面白い。興味がないけどそのマニアックぶりが面白いという点では「小澤征爾さんと、音楽について話をする」を連想する。やはり村上春樹が面白いのだ。
翻訳のあれこれを語ると読者や作家活動にも関係してきてその広がりも面白いところ。

ここでは2つの短編を二人が翻訳して掲載し、比べるという面白い試みもしている。例えば登場人物の職業について書かれていない場合、翻訳者が肉体労働者と思うか知的労働者と思うかで訳文がかわってくる。淡々としたものにするか熱いものにするか、主人公は「僕」なのか「私」なのか、過去形か現代形か、受け身にするかどうか、段落をかえるのは原文と同じにするかしないか(日本の小説は外国の小説よりは段落を替えるケースが多いので、原文どおりにすると日本人は読みにくく感じる。)などいろんな選択があるんですね。
それに翻訳者の物語への思入れもあって、タッチがかわってくる。海外ドラマの吹き替えで、声の調子でキャラクターが出てしまうのに似てますね。

アンダーラインを引きたくなるところが満載すぎて例示に困るので30ページごとに開いてみる。
『リズムがない文章というのは読めないんです。~だから翻訳するときには、何はともあれ原文のリズムをうまく日本語に移し換えるということを意識します。』

筆者が文章スタイルを意図的にぶち壊そうとしている『日本語にするともう収集不可能になってしまう。だから適当に止めちゃったんですよ。』『作者の意図がどうであれ、日本語にしたら読む人は違和感を感じると思ったら、翻訳者は自分の判断で変えていいんじゃないかと、僕は考えています。』

『とにかくもう何でもいいから、寝食を忘れて一生懸命いろんなものを翻訳して、何度も何度も読み直して、何度も何度も書き直して、人に読んでもらってまた書き直すということを続けていれば、スタイルというのは自然に出てきます。』

『「僕」のほうが「私」より色がありますよね。で、なるべく色なし、人間性なしでいきたかったので、本当は、だから何も書かないのがいちばんいいのだけど、さすがにそうもいかないので仕方なく「私」にした』

『僕は絶対言葉に出さない。というのは、音声的なリアリティーと文章的な、活字的なリアリティーってまったく違うものだから、音はあまり意味ないんですよね。』

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2015年09月15日

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翻訳物を多く読む訳でなく、著者に思い入れがある訳でもなく、なのに何故か気になり手にとり気になり読み始めてみると面白い。グイグイ引き込まれながら読みました。
翻訳とはどういうことかを、まずは大学のワークショップの学生の前で、次に翻訳家を目指す若者の前で、そして同じ短編小説をそれぞれが翻訳した作品を挟んで若き翻訳家の前で質問に答える形で示していく。
それぞれの立場も違えば取り組み方も変わる。しかし翻訳という行為そのものを楽しんでいる様子はふたりから溢れています。そこに強く大きく引き込まれたのでしょう。

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2014年09月05日

Posted by ブクログ

 この対談が行われた頃は、まだ村上が「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の翻訳に取りかかっていなかったので、どうしても順番に読むというわけにはいかなかった。村上春樹訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読んだ後、それについて対談した「翻訳夜話2」を先に読んだので、後先になってしまったのだ。これも村上春樹と柴田元幸の対談で構成されている。翻訳を志す学生を前に、二人が翻訳についてのエピソードや、それぞれのポリシーを語っている。一方的に語るのではなく、学生らの質問に答えながら進める対談は、もし現場で聞けたらかなり面白いに違いない。

 また、同じ短編を、村上と柴田がそれぞれ訳して比較して討論しているのは大変面白いと思った。村上の訳はカジュアルで流れるような読み易さがあり、柴田の訳は学者だけあってとてもアカデミックだと感じた。翻訳家を志す人はもちろん、村上や柴田の翻訳本に少しでも興味を持っている人なら、「ここはどうしてこういう訳がついているのだろう?」と感じたことがあるだろう。そういう点を納得させてくれる対談だと思う。村上ファンは、続編の「翻訳夜話2」と併せて読んでおきたい。もちろん村上春樹訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読んでからの話だが…。

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2014年06月30日

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70冊目『翻訳夜話』(村上春樹/柴田元幸 著、2000年10月、文藝春秋)
米文学翻訳家のトップを走り続ける2人が、若き翻訳家や翻訳家を目指す学生と行ったディスカッションの模様を纏めた新書。
一見堅苦しそうな本に見えるがそんなことは全く無く、いかに翻訳が楽しい作業なのかが伝わる幸福感に満ちた一冊である。
2人が同じ短編小説をそれぞれに訳すという「競訳」も収録されており、そのスタイルの違いを比較出来るのも面白い。

〈僕は翻訳というのは、基本的には誤解の総和だと思っているんですね〉

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2025年09月17日

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この手の本を読んだことがなかったのですがとても興味深く読めた。英語も日本語も関係なく、とにかく文章が大好きなお二人と学生さんたちの講義の様子は想像するのも楽しかったし、翻訳は面白いんだ!やらずにはいられないんだ!という村上春樹の翻訳愛に触れられたのも新鮮。キャッチャーインザライは野崎訳も村上訳ももっているけど、この講義をしていた頃にはまだ訳していなかったんだなと思うと感慨深かった。
そして、お二人があまりにも熱烈に英語をどう日本語に直すのか、というお話をするので私も翻訳という作業に興味がわいてしまって、フラニーとズーイの英文庫を取り寄せています。英語は得意じゃないけれど、こういうところから勉強してみたいなと思えた良い出会いでした。

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2025年05月10日

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翻訳をめぐる二者の対談。翻訳というものを自身の中でどう位置付けるかということに関する話に心惹かれた。

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2025年04月30日

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ネタバレ

この本のここがオススメ

「とにかく、いくつも、いくつも、いくつも、いくつも翻訳をやるしかないと思うんです。その中で自然に出てきます。それしかないです。頭で自分のスタイルを作らなくちゃと思って考えても、それは無理です。積み重ねの中で出てくるものだから」

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2024年06月07日

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村上春樹と柴田元幸が、翻訳について語った三回の講演やフォーラムなどをまとめた本です。さらに「海彦山彦」と題された章では、オースターとカーヴァーの短編小説を二人がそれぞれ訳したものが収められています。

第一回は東京大学でおこなわれた柴田の授業に村上が参加したときの記録、第二回は翻訳学校の生徒たちを相手に両者が質問にこたえるというもの、第三回は若手の翻訳者からの質問を二人が受け付けるというかたちになっており、著者である二人の翻訳についての考え方を知ることができるのみならず、翻訳に関心のあるさまざまな水準の受講者たちがいだく疑問にかんしても、興味をもって読むことができました。

村上は彼の文体をかなり意識的に選択しているのかと思っていたのですが、じっさいにはそうではなかったと語られているのは意外に感じられました。村上はこの問題について、自分で使うことばよりもむしろ自分ではけっして使わないことばがあるというところに焦点をあててこたえており、そこにスタイルを形成することについての興味深い考えが含まれているのではないかという気がしています。

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2019年11月15日

Posted by ブクログ

競訳。英語の授業でもなければ、なかなか2つの訳を読み比べることはないので、それだけでもとても面白かった。まして、翻訳の大御所と言われるこの御二方でも、こうも原文の雰囲気の捉え方が異なるのかとわかり、驚き。それほど、本は作者の手から離れたあとは誰のものでもないということだ。そして、翻訳の際は文章の声にひたすら耳を傾けている、と、村上氏。身に染みます。

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2019年03月16日

Posted by ブクログ

翻訳にそれほど興味はないが、翻訳者の柴田元幸さんには以前から興味があった。相手が村上春樹さんとあれば、なおさらだ。
翻訳の裏話がたくさん出てくる。
個人的に好きな部分は挙げきれないので、ここでは割愛。
1つだけ挙げるなら、村上さんの、翻訳者に必要なのは、偏見のある愛情という話。
内容に直接関係はないけれど、カーヴァーやフィッツジェラルドを読みたくなった。

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2017年08月03日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 海外文学を読み始めてまだ日が浅いけれど、このお二人がとてつもない量の仕事をしていることは嫌でもわかる(各々5人くらいいるんではないかと疑ってる)。それほどまでに英米文学の棚には彼らの名が連なっている。柴田氏の訳文は海外文学初心者の私でもスーッと脳に染み込むようで心地よく、みんなにオススメしたい。

 しかし、100%自由に書ける小説と違い、翻訳というのは原作の上に成り立つ。そこにストレスはないのだろうか?翻訳者でもあり、世界中さまざまな言語に翻訳される著書を多数持つ村上春樹氏の翻訳に対する見解は意外なものだったー“多少誤訳があっても、多少事実関係が違ってても、べつにいいじゃない、とまでは言わないけど、もっと大事なものはありますよね。僕は細かい表現レベルのことよりは、もっと大きな物語レベルのものさえ伝わってくれればそれでいいやっていう部分はあります。作品自体に力があれば、多少の誤差は乗り越えていける。それよりは訳されたほうが嬉しいんです。”ー
 
 人称をどう訳すか、he said she said〜みたいなくどい文章をどのように訳すか、過去形と現在形を織り交ぜてリズムを作り出す、などなど、訳文はあらゆる小さなこだわりの積み重ね。あらゆる翻訳は誤訳である、何らかのノイズは忍び込む。そのノイズをいかに取り除き、原文の文学的価値を損なわないようにする、繊細すぎるにもほどがある仕事だということがわかった。
 今からでも翻訳家になりたいなー。そりゃ、ダジャレなんかも理解できないといけないくらい、英語そのものだけでなく現地の文化などへの理解も求められる大変なものだとは思うけど。柴田さんの、芸術方面に興味があるけど事務処理が得意っていうの、すごいわかる(わかるなんて言ったらおこがましいけど)。

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2017年10月01日

Posted by ブクログ

村上春樹さんが、「趣味で訳す」という趣旨の話をしていて、柴田元幸さんが「読み手がいないならしない」と言われてたけど、私はまちがいなく前者。読む人が自分以外にいなくても、訳したい。好きなお話や、歌や、詩を、思う存分訳したい。読んでくれる人がいれば尚いいし、いつか小説の訳をしてそれが本になったりしたら、さぞ素敵だろうとも思うけど。

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2016年07月08日

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村上春樹と柴田元幸の翻訳フォーラムとそれぞれが訳したオースターとカーヴァーの短編が収録されている。私は村上春樹が好きだし、柴田元幸の翻訳も好きだ。ふたりの翻訳を比べるとやはり柴田元幸の翻訳のほうがスッキリとしていて読みやすく感じる。春樹本人も語っていたが春樹のカーヴァーの翻訳は「~した」の過去形が並びまくり文章が硬かった。今ならこんな翻訳はしないのかもしれないけれど。

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2015年06月22日

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二人の翻訳愛が溢れ出ている。村上春樹が翻訳の愛情を迸らせ、柴田元幸がそれよりも少し冷静に見えるのが面白い。様々な質問を巡り、議論が交わされるが、結局、答えの向かう先は翻訳に対する愛なのだ。

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2015年04月02日

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一部は東大の学生の前で、二部は翻訳の専門学校生の前で、そして三部は中堅の翻訳家・研究者の前で二人が翻訳に着いて語ったことが収録されている。

言葉を訳す。文章を訳す。雰囲気、世界観を訳す。
どう訳すかの選択から翻訳がはじまるのだと思った。

村上春樹と柴田元幸がそれぞれに、カーヴァーとオースターの短編小説を訳し、そのちがいを読み比べる第三部が面白かった。
本来村上春樹が訳しているはずのカーヴァーの作品でさえ、私には柴田訳の方が読みやすかった。

もともと村上春樹は英文で書かれた小説を読んで自分の文体を作ってきたのだそうだ。
だから彼の小説は、脳内では英文で構成されているものを、書くことによって日本語として自然なものに翻訳されているようなものなのだろう。
思考の枠組みが英語的で、文章が極めて日本的。
これが村上春樹の文章なのだということが、ここにきて理解できた。
計算して計算して、頭で書かれた文章なのである。

対して柴田元幸は、この時主人公はどのように思ったのか?など、登場人物や作者に思いを寄せることによって、心の中から湧いて出てくる文体らしいのだ。
もしかして、北島マヤ?
じゃあ、村上春樹が亜弓さん?

村上春樹は文体とはリズムだと言っているが、そのリズムとは音ではなく、文章を読んだときの、目のリズムなのだそうで、訳した文章のリズムを確認するために音読することはないらしい。
柴田元幸は、口を動かし手を動かしながら、文章のリズムを作っていくというのだから、翻訳の仕方などは人それぞれなのだ。
正しい翻訳の仕方なんてない。誤訳はあるが。

いくら美しい日本語だといっても、普段使っていない身についていない日本語なら使わない方がいいと二人は言う。
確かに読んでいても、言葉が浮いているな~と思うことがある。
そういうことだったのか。

翻訳の賞味期限について。
同時代性を表現するのに流行りの言葉を使うと、すぐに言葉が色あせていくことになる。
逆に当時は一般的ではなかったので敢えて訳語を使用したところ、今では直訳の方が伝わることもある。
フランス旅行団→ツール・ド・フランス
新しいバランスのスニーカー→ニューバランスのスニーカー

読む方はあっさりと読み流してしまうようなことを、実にいろいろ考えながら訳してくれていることがわかり、感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも、よい作品をたくさん日本語に訳してください。

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2015年03月31日

Posted by ブクログ

小説家である村上春樹と東大の助教授である柴田元幸が翻訳家として、翻訳方法、原作者への思い入れ等を公開フォーラムを通して語っていく。翻訳モノというと硬い訳を想像しがちだが、作者の思いが訳を通じて、より理解しやすくなるというもう一つの言語としての魅力をもった文学だと感じた。次回から翻訳モノをより作者の気持ちに沿って読めそうだ。

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2014年08月30日

Posted by ブクログ

2人の翻訳との向き合い方が垣間見えた。

自分の文章はリズム的、と自覚している村上さんが印象的だった。

カキフライ理論も興味深い。

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2025年10月20日

Posted by ブクログ

村上春樹さんと柴田元幸さんという2人の翻訳家(?)の対談と、1つの小説を2人がそれぞれ訳したものが載っていた。

本当に小説の一文一文を丁寧に読む方々だなぁと思った。自分はどうしても話の展開が気になるタイプで、一文一文を味わっていないなぁと思ったり。

以下メモ
村上さん:どうして翻訳をしなければいけないのか。翻訳をすると生き生きとした気持ちになれる。自分が何かの一翼を担っている。
小説を書くのと翻訳するのでは脳の全く逆の部分が使われる。
良い文章とは、人を感心させるものではなくて、人の襟首をつかんで物理的に中に引きずり込めるようなもの。

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2025年07月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

本作は、作家でありながら、翻訳にも精力的に取り組む村上春樹氏と、東大で長年教鞭をとり現在は名誉教授教授の柴田元幸氏の対談集。
対談は、一つは東大の生徒を前にしたもの。もう一つは翻訳会社のフォーラムにて。

更に、同じ文章を村上氏と柴田氏が翻訳したもの2篇、その原文、またこれらを踏まえて他の(当時の)若手翻訳家たちとの座談会を行った様子も、併せて収録されています。

なお本作は2000年の出版。もう25年も前の話なのですね。

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翻訳の世界。憧れがあります。カッコいいなあって。

でもgoogleで「翻訳 デビュー どうやって」とか「翻訳 英語 収入」とかで見てみると、余りいい話は出てきません。

翻訳学校に行って、卒業後はそこ経由でちいさいお仕事を貰いつつ、出版社らの依頼にきちんと従う、なのに仕事はあまり回ってこない、など。

新参者には厳しい世界であることを感じました(まあ、いい話・おいしい話などの情報の非対称性は、ネットが生き渡る現在はすぐに消散してしまうのでしょうが)。

そこにあってこのタイトル。夜話、ですよ。

昼は平気でうそをつく、というわけではありませんが、夜に話すというのは、やはり本音や打ち明け話ではないでしょうか。ましては宴会ではなく、少人数で語り合う。
きっと、忖度なし、隠し事なしの話が聞けるのだろうと期待が膨らみます。

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で、読んでみると、村上氏がえらく飛ばしているなあ、という印象笑

その翻訳のattitudeですが、これ本当に感覚的に申し上げると、フィーリングの村上氏と、基本メソッド+臨機応変の柴田氏、という印象を受けました。

翻訳をするにあたり、作家への思い入れや、感じるものがあるものを訳したいという村上氏。実際それを行ってお金を稼げているので素晴らしいことです。

他方、職業翻訳家はそうはいかないでしょうし、ある意味依頼が来ても断らない(断れない?)ことは多い気がします。

故にか、場を仕切る柴田氏は、そつなく村上氏をいなし、否定はせずにうまく対話や座談会を回していた気がします。

そういえば、村上作品を英語に訳す米国人翻訳者についても書いてありました。一人はハーバードの先生でかっちり訳す。もう一人は正体不明?の人で味のある訳し方をするとか。で、村上氏はどちらもそれでよい。作品の雰囲気を保ってくれれば細かいことには困らない、という話をしていらっしゃいました。

・・・
さて二大巨頭の訳の競演ですが、”Collectors”(Raymond Carver)と”Auggie Wren’s Christmas Story(Paul Auster)”が選ばれています。

これがなかなか面白い。

スタイルとか味、という観点で行くと、私は断然村上氏の訳が好みです。
なんというか、まとまりというか、すごく型があるように感じて、味わい深い。

他方柴田氏の訳は、正しい翻訳だったり、適切な意訳だったり、二篇とも理解度は村上氏を上回ると感じました。ただ、良くも悪くもクセがない印象でありました。

・・・
因みにAuggie Wren’s~ の翻訳で、ワインを二本ばかり、という訳がありました(偶然にも二人とも全く同じ訳)。

訳を読んだとき、二本ばかりの原語ってなんだろう?って思っていました。原文を見ると a couple of bottles of wineでありました。学校英語だと、a couple of で可算名詞を2つ、というのは習いましたが、訳すときは「ばかり」と付加しているんですね。こうするとぐっとこなれた感じが出ますよね。へー。

・・・
ということで村上氏、柴田氏の対談集+α、でした。

翻訳を行う方々の本音が垣間見えて、面白い本でした。また二人の翻訳の違いがはっきり出てくるこうした訳文公開企画もなかなか面白いと感じました。

やや古いのですが、翻訳の現場がのぞける貴重な作品であると感じました。

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2025年05月22日

Posted by ブクログ

村上春樹さんと柴田元幸さんの3回に渡る聴取からの質問に対する対談をまとめた本作。
お二人の考え方の違いが面白い

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2021年10月31日

Posted by ブクログ

柴田元幸と村上春樹の対談(フォーラム)を書き起こしたもの+カーヴァーとオースターの作品をそれぞれが訳したもの。翻訳はそのテキストが第一で、それに対する偏愛が大事なんだなと。凝った訳や綺麗な訳をしようとするよりも、その作品を誰よりも理解しているという自負と作品への愛が分かった。

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2020年04月04日

Posted by ブクログ

翻訳家・村上春樹と柴田元幸の対談。
翻訳の世界も小説と同じようにセンスが求められる。村上は小説家として、柴田は文学者として翻訳を行っているが、それぞれ背景となる世界が違っているので、翻訳にもそれが現れる。翻訳に対する自分の流儀、好みの作家など翻訳に関する色々な話が紹介されていて面白かった。

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2020年01月02日

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