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Posted by ブクログ
村上春樹さんの、小説は大昔に何度か読んだけど難解であまりよくわからない……すごくスルスル読めるし、印象に残るフレーズは今も覚えているので、すごい作家さんなんだなぁと思っていたし、威張ったところのない作品ばかりで親しみやすいけど「物語」としては、あまりよく理解できない、と思っていた。ごめんなさい。
ただ、なんとなく「いつかこの人の小説でないエッセイが読みたいな」と思っていた。理由ははっきりと言語化できなかったのだけど、この本を読んで、この本を私は読みたかったんだな〜とストンと胸に落ちた。
私自身、村上さんとは全然スケールが違うけど、趣味で小説を書いている。その中で、やはり自分が書きたい「物語」があり、そのために「どう伝えようか」とたくさん悩んだ作品は、それはどんなに技巧や文章が美しいと思っていた作品よりも、ずっと読者さんに響いていくなぁ…というのに気づく出来事が、つい最近あったばかりでした。
村上さんは、一人の人が書く小説の限界(村上さんほどの作家さんでも限界を感じるんだ…と驚き)も見据えながら、それでも希望の灯火を守り、作家として書き続けることに深い覚悟…と言ったらご本人は否定しそうだけど、深い使命のようなものを抱いているんだな、と思った。何より、本当に小説を書くことを「なりわい」として、…好きとも違いそうだけど、同じような親しみを感じているのかな、と思いました。
初めて村上さんの話を読んで「……一体なんなんだろう?」と思ってずいぶん経ちましたが、またチャレンジしてみようかな。あと、ジャスのくだりはあまりにオタクすぎて楽しい反面、やっぱり長文になると眠くなってしまいました。同時に、やたら他のテーマと比べても長文が多かったように思うので、熱意とはすごいな、村上さんも一人の人なんだなーと微笑ましく思いました。
Posted by ブクログ
冒頭の「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」が東京にある某私立高校の今年の入試問題に出た、というので読んでみた。村上春樹の文章は一見平易だが、中身は難しい。小説は、比喩の構築物であり、大人でも知識が浅いと意味を連想できない。村上自身が書いた小説論は、中3に歯が立つだろうか。以下、私自身の意訳も含めた本文の解釈だ。
小説家は、自分とは何かという問いかけに対し、多くを観察して仮説を積み上げ物語化する職業だ。その問いかけへの最終的な答えは読者に委ねている。
そもそも、何を書いたとしても、自分自身との関係を自動的に記録してしまうのが書くという行為だ。だから、何でも書けばいいのだ。それが問いかけに向き合うことになるから。
ただし、仮説はどんなにうまく積み上げられても有限でなければならない。人は物語が終われば現実世界に戻るものだ。
カルト宗教は、クリーンな世界があると言って人を引き込み、現実世界に戻そうとしない。小説も、虚構の世界に読者を引き込む点では同じだが、終われば読者を眠りから解き放つ。邪悪なものと闘ってきた伝統もある。
牡蠣フライについて書く。なじみのレストランで食べる牡蠣フライが与えてくれたのは、仮説、つまり自分とは何かを問う物語の材料だ。
以上、このように読んだ。やはり難しい。
本書は、小説家が仮説をどう扱うべきかについても次のように書いている。
仮説を、まるで眠っている猫を手にとるときのように、そっと持ち上げて運び(僕は 「仮説」という言葉を使うたびに、いつもぐっすり眠り込んでいる猫たちの姿を思い 浮かべる。温かく柔らかく湿った、意識のない猫)、物語というささやかな広場の真 ん中に、ひとつまたひとつと積み上げていく。
ジャーナリズム的な文章は、目に飛び込む見出しが命だから、本文も結論を頭から書くことが求められる。そのためしばしば、観察対象を力業で言葉にしてしまい、結果、伝え方が歪んでしまうものも多い。
小説は、ありのままをそっと掬い取り、積み上げる。幸い結論は読者が読み取ってくれる。この仮説の積み上げは繊細な作業で、プロの小説家がなしえる技だ。
そういう技術論も、村上はここで書いているのだ。中3には難しくないだろうか。
Posted by ブクログ
村上春樹のエッセイというかこの本に収められているようなちょっとした文章ってなんでこんなにも読んでいて「しっくり」くるんだろう。
テーマの重さ軽さに関わらず、本文中の表現を借りるならレッドヘリングを書き連ねていく。読んでいる方はどうしてもかわされた気分になるかもしれない。でも、よくよく読んでみるとそういうレッドヘリングにこそ村上春樹の思索の本質的な部分が現れていることが往々にしてある。
自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)とかその典型な気がする。他にもジャックロンドンの入れ歯、自分の物語と自分の文体などなど。
ねじまき鳥、世界の終わり、ノルウェイの森他多数の長編小説で小説の形として読者に提示してきたテーマを再確認できる。答え合わせというと小説の持つ解釈の多面性を否定することになるかもしれないがともかく、一貫した思想が長編にも短編にもエッセイにも現れているのを見るとファンとしてはどうしても嬉しくなってしまう。
本書を手に取ったきっかけは中学校の国語の授業で先生が壁と卵のスピーチを教材として使っていたのを思い出したからだけど今になって読み返してもその意味するところなんて十全にわかるわけがない。これを中学二年生に理解しろと言うのもなかなか酷な話だ。
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小説・文芸
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