あらすじ
走ることについて語りつつ、小説家としてのありよう、創作の秘密、そして「彼自身」を初めて説き明かした画期的なメモワール。
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Posted by ブクログ
まず村上春樹さんがサブ3.5くらいで走れることに驚きました!自分も走り始めたのがちょうど同じくらいで走ってる時に考える事はとても共感できました。
海外のマラソン大会出てみたいー
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ランナーとしての村上春樹のメモワール。
元競技者であり、同じくひとりのランナーでもある立場から読んだ。深く同意するポイント、春樹はこんなことを考えるんだと新鮮に感じられるポイント、いろんな発見があった。
特に2、4、6章は定期的に読み返したいものです。
p90の景山氏の「村上さん、ほんとにマジでコースを全部走るんですね」という発言が、春樹の小説であまりで出てこない表現だったので新鮮だった。まあ、メモワールだから当然なんだろうけど…
以外、印象に残った箇所を引用。
p61. 学校というのは入って、何かを身につけ、そして出ていくところなのだ。
→とある善き期間とは心地よいものであるが、その先にある自ら道を切り拓かなければならないときにうまく活かせて、はじめて意味が与えられる。
p120.才能にそれほど恵まれていない〜作家たちは、若いうちから自前でなんとか筋力をつけていかなくてはならない。彼らは訓練によって集中力を養い、持続力を増進させていく。そしてそれらの資質を(ある程度まで)才能の「代用品」とさて使うことを余儀なくされる。
p151.肉体は時間の経過とともに否応なく滅びていく。遅かれ早かれ敗退し、消滅する。肉体が滅びれば、(まずおそらく)精神も行き場を失ってしまう。
→まず肉体という精神の器があり、その中に健全な(一部はやましい不健全な)精神があってはじめて、人間は日々の営みができる。ホワイトカラーの仕事をしているとつくづく感じるが、近現代は肉体を蔑ろにしすぎている。
Posted by ブクログ
走ることを本格的に始めたのは、
専業小説家となった時、『羊をめぐる冒険』を書き終えたとき、33歳。
つまり、村上春樹さんにとって、書くことと走ることが一体化している。
書き方は走り方に例えられ、走ることを通して自らの生き方を深めていっている、そんな一端を知ることができました。
身体、というか肉体、というか、
思考を深めることと身体的経験が一体化していることを、
とても意識的に自らを実験場としてその過程を書き記している記録みたいな部分もあり、
ある程度そんな感じはするけれど、ここまで突き詰めることはないから、
検証結果の精密度が高いというか、信憑性が高いというか、
何だかよく分からないけど全体的にいろいろと納得させられる…。
Posted by ブクログ
この本は、2回目です。
前回は、紙で普通に読書。
今回はオーディブルで。
ついにオーディブルデビューです。
今年のやりたいことリストのひとつ「オーディブルで聴き読みをする」をクリア。
ナレーションの人には申し訳ないけれど、1.5倍速で聴きました。この程度だと本来の声を損なわない感じがあり、かつ効率も良いかなと。
散歩したりランニングしたりしながら読書ができるなんて感動でした。
前置きは、さておき
久しぶりの村上春樹氏の本。
100キロマラソンで、マラソンに遠ざかってしまった話し。トライアスロンの話し。
走ること
体にも心にも、創作にも。人間関係にも。
読んでいると、全てにプラスに作用している様子がありありだ。
ウルトラマラソンやアイアンマンレースにも挑戦したかったのだろうが、本来の作家としての人生を優先する結論に至った著者。
限界への挑戦は、回避して。長く続けられるランを優先。
一流の方の取捨選択に、自分の取捨選択を考える。
走ることを哲学的に考える名著です。
Posted by ブクログ
村上春樹さんがランナーということを知らなかった。ふと見つけたので手に取った。
著者がランニングを通して考えたこと、感じたこと、そしてランニングに対してどのように向かい合っているかが記されている。
著者にとって、世界や自分を捉えるためには、本業である「書く」ことに加えて、ランニングが眼鏡のような役割をしているなぁと感じた。
眼鏡をかけることで世界が良く見えるようになるように。
ランナーの自分も共感できることが非常に多く、楽しみながら読むことができた。
思っていることをここまできれいな日本語にできたら、生きるのは楽しいだろうなぁ。
自分も、思っていることを文字にする、というか文字にすることを通じて「自分が何を感じているのか」を捉えられるように、言語化の習慣をつけたいなと思いました。
引用:
Pain is inevitable. Suffering is optional.
人の精神は、肉体の特性に左右されるということなのだろうか? あるいは逆に精神の特性が、肉体の成り立ちに作用するということなのだろうか? それとも精神と肉体はお互いに密接に影響し、作用し合っているものなのだろうか?
このまえ膝について真剣に考えたのはいったいいつのことだったろう? そう思うと、膝に対していささか申しわけない気持ちになる。たしかにそのとおりだ。鼻息にはいくらでも代わりはあるが、膝には代わりはない。今あるもので死ぬまでやっていくしかない。だから大事にしなくてはならない。
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半年前ほどからランニングを始め、先日初めてハーフマラソンの大会に参加したものです。あの村上春樹さんがランナーだという情報を得て、本書にたどり着きました。ひよっこランナーの自分とは違う次元にいらっしゃることは理解しつつも、共感出来る部分がたくさんありました。走っている時は何か考えているようで何も考えていない、レース中はこれ以上走りたくないと思いつつ、レース後には次のレースをどう上手く走ろうかと考えているなど。自分もまずはフルマラソンに挑戦し、ゆくゆくはトライアスロンにも参加してみたいと思います!
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具体的に内容は覚えてないんだけど、村上春樹は意外と身体性を重視してたのが驚きだった。あとはバーを経営しながら小説を書き始めた頃の話も載ってて、気取ってる作家かと思われがちだけど(自分も比較的そういう印象があった)意外と努力や苦労を重ねてるんだなと。ただダンスダンスダンスとか多崎つくるの話とかでは前向きに生きること、しんどい時でも耐えることを伝えようとしてる感じはあるから、作品からもそういうのは読み取れるのかも。
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村上春樹さんによる、ランニングにまつわるエッセイを集めた一冊。フルや100km、トライアスロンなど、いろんな競技に挑戦されていて、ランニング中の耳読書のお供に最適です。これまでにも幾度も読んで聴いてきましたがまた再読しました。ひょっとしたら人生で一番回数を読んでいる本かも。長距離走の最中に聴くと何となく励まされる感があって心が折れません。おすすめ。
Posted by ブクログ
『走ることについて語るとき僕の語ること』は、村上春樹がランニングと小説を書くことを重ねて語ったエッセイです。淡々と走り続けることと、毎日小説を書き続けることを結びつける姿勢に強い説得力がありました。
特に印象的だったのは、40度を超える国で、日本人一人、しかも周りにランナーすらいない環境でも走り続けるエピソード。誰もやっていない場所で継続できるのは本当にすごいことで、「結局は地道に積み重ねるしかない」という著者の信念を強く感じました。
「過酷な環境でも走り続ける姿勢」まさに「努力と継続の象徴」
この本は、華やかな成功談ではなく「継続のしんどさ」を正直に語っているのが魅力です。走る人だけでなく、何かを続けたいと思っている人に勇気を与えてくれる一冊だと思います。
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こんなにランナーだったとは。自分自身今年初めてフルマラソンに挑戦するがもっと身体の準備整えないといけないかなと不安に思った。ただ、村上春樹の身体の丈夫さは異常な気もする。
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傑作!個人的今年No.1を更新꒰*✪௰✪ૢ꒱
村上氏には及ばないが、日々なけなしの距離を走っているエセランナーとして、氏のランへのスタンスや思いには顎がもげるほど頷きが止まらなかった。巨匠の筆致とはこういうものか!普段ぽやーっと感じてきたことをすべて言語化してくれ、一文一文が気持ちいい。作家の凄みを見せつけられた想いだ。こんなにも軽やかで美しい日本語で言語化してくれて、ただただ感謝。
このエッセイを読むと、知的でインテリな村上春樹像は崩れ、実は体育会系やや脳筋タイプであることが明らかになる。これがまず面白い。氏は創作活動には集中力と規律が必要と考え、そのために走り始めた。長年続けられているのも、どんな状況でも自分を鍛え続けた積み上げと自負があるからだ。毎日10km走るらしい。そんなストイックな氏でも、走る理由はほんの少し、走らない理由は大型トラックほどあるという。それが何だか嬉しい。
マラソンやランについての本でありながら、その視点は創作活動や人生観にも及ぶ。作家になってからは交友関係を絞り、早寝早起き・ラン・創作のルーティンに徹し、全リソースを創作に注ぐようになった。重要な人間関係は特定の誰かではなく、不特定多数の読者だという。この“自己との対話と創作に没頭する生き方”は、単線的にビジネスパーソン的生き方を考えていた自分にとって目から鱗で、新しい選択肢をくれた。
さらに、どうにもならないことが降りかかったときこそ走って自分を強くする——その考えにも強く共感した。言語化能力がとんでもない。
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引用
誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。いつもより長い距離を走ることによって、そのぶん自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということをあらためて認識する。いちばん底の部分でフィジカルに認識する。そしていつもより長い距離を走ったぶん、結果的には自分の肉体を、ほんのわずかではあるけれど強化したことになる。腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。そう考えて生きてきた。黙って吞み込めるものは、そっくりそのまま自分の中に吞み込み、それを(できるだけ姿かたちを大きく変えて)小説という容物の中に、物語の一部として放出するようにつとめてきた。
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全てのランナーに、お勧めしたい本です!
Posted by ブクログ
初の小説じゃない春樹
今年から走り始めたから、春樹の目を通して走ってみたいな思って、電車時間の読み物として読んでみた
最近は暑くて走りより泳いでるから、結果的に読んでる期間一度も走らなかったけど、おかげで電車時間が癒し時間になった
what we talk when we talk about love
愛について語る時に私たちの語る事が愛以外のものであるように
本書は走る事を語ってるようで、小説のことや生き方を語っていた
ポニーテールの比喩と、自分のネイチャーをボストンバッグに比喩していた文章が特に印象に残った
流れるような美しい文章、一見全然関係ない2つの事柄がすんなり共通してしまうような比喩のうまさ、300ページくらい言うなれば自分の経験と考えを書き連ねてるのに全く感じさせないエゴ的な要素
春樹の他の小説以外の本も読んでみたいと思った
Posted by ブクログ
子供が生まれてからランニングをサボっていたが、この本を読んで、また走り始めた。走っているときの感覚を的確に読みやすく表現しており、走ることへの魅力を再確認できた。走りながら街の様子や自分の心の内側を確かめていきたい。
Posted by ブクログ
自分自身も走ることが好きだからこそ、この本の面白さがよく分かって嬉しい!
私も、走っていて辛さを感じる時は“Suffering is optional”を頭の中で繰り返すようになりました。
マラソン終盤は特に、辛さは消えないまでも多少ましになる、気がする。
「走ることは、僕がこれまでの人生の中で後天的に身につけることになった数々の習慣の中では、おそらくもっとも有益であり、大事な意味を持つものであった」p22
「走り終えて自分に誇りが持てるかどうか、それが長距離ランナーにとっての大事な基準になる。
同じことが仕事についても言える。他人に対しては何とでも適当に説明できるだろう。しかし自分自身の心をごまかすことはできない」p25
「価値観の相違は日常的に細かなすれ違いを生み出すし、いくつかのすれ違いの組み合わせが、大きな誤解へと発展していくこともある。〜 そのせいで心が深く傷つくこともある。〜 しかし年齢をかさねるにつれて、そのようなつらさや傷は人生にとってある程度必要なことなのだと、少しずつ認識できるようになった」p37
「心の受ける生傷は、そのような人間の自立性が世界に向かって支払わなくてはならない当然の対価である」p38
「いずれにせよ、僕はそのようにして走り始めた。三十三歳。それが僕のそのときの年齢だった。まだじゅうぶん若い。でももう“青年”とは言えない。それは人生のひとつの分岐点みたいなところなのかもしれない」p74
「“苦しい”というのは、こういうスポーツにとっては前提条件みたいなものである。もし苦痛というものがそこに関与しなかったら、いったい誰がわざわざトライアスロンやらフル・マラソンなんていう、手間と時間のかかるスポーツに挑むだろう?」
「日々休まずに小説を書き続け、意識を集中して仕事をすることが、自分という人間にとって必要なことなのだという情報を身体システムに継続して送り込み、しっかりと覚え込ませるわけだ」
「刺激し、持続する。この作業にはもちろん我慢が必要である。しかしそれだけの見返りはある」
p117
「それらはお互いを補完し、ある場合にはお互いを自然に含みあうことができるものなのだ。往々にして健康を指向する人々は健康のことだけを考え、不健康を指向する人々は不健康のことだけを考える。しかしそのような偏りは、人生を真に実りあるものにはしない」p149
「僕という人間の人柄みたいなものを、相手にうまく伝えなくてはならない。話を聞いてもらうために、そこにいる人々を一時的にせよ、僕の味方につけてしまわなくてはならない。
そのために何度も何度も話し方の練習をする。これは手間のかかる作業だ。しかしそこには、自分が何か新しいものに挑戦しているのだという手応えがある
」p153
「100キロを一人で走りきるという行為にどれほどの一般的な意味があるのか、僕にはわからない。
しかしそれは、“日常性を大きく逸脱してはいるが、基本的には人の道に反していない行為”の常として、おそらくある種とくべつな認識を、あなたの意識にもたらすことになる。自己に対するあなたの観照に、いくつかの新しい要素を付け加えることになる。
その結果としてあなたの人生の光景は、その色合いや形状を変容させていくことになるかもしれない」p157
Posted by ブクログ
村上春樹がどんな人なのかを知りたくて手に取った本。
ランニング、執筆への向き合い方がメインで書かれているのだが、習慣化のtips が散りばめられており、学びも多かった。以下引用
このような能力(集中力と持続力)はありがたいことに才能の場合と違って、トレーニングによって後天的に獲得し、その資質を向上させることができる。これは前に書いた筋肉の調教作業に似ている。日々休まずに書き続け、意識を集中して仕事をすることが、自分という人間にとって必要なことなのだという情報を身体システムに継続して送り込み、しっかりと覚え込ませるわけだ。そして少しずつその限界値を押し上げていく。気づかれない程度にわずかずつ、その目盛りをこっそりと移動させていく。
村上春樹の小説以外がいつも面白いのは、この継続の賜物なのだとひしひしと感じた。
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村上春樹、若い時から立派な生き方だ。
目的感を持ってランニングをし、それを何十年も続けている。執筆活動の傍ら、毎日走り、毎年フルマラソンに出ている。
かっこいい。
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私も一応、ランナーで。走りながら考えることも、たくさんあるし、走る動機も一応あるし、そして何より走ることが好きだし。でもそれを文章にはできない。そこが一番違うとこ。
Posted by ブクログ
まさかの #村上春樹 作品で最初に読んだ本がこちらになります
本を読む習慣はなかったけどコロナ禍でランニングを始めてこの本に出会いました
ただ淡々と走る
己のために
我が道を
ランニングは無理をしなければ身体に良いことしかない
流石の村上春樹様
他の本も読みたくなった(順番がおかしい)
Posted by ブクログ
読んでた中で、ランの記録がある年齢を境に天井を打つということに自分と重ね合わせた。
私は老後もランとbikeはやっていきたいと思っている。その付き合い方にこの本が参考になった。
Posted by ブクログ
マラソンに向けて1日10キロ、月にして310キロを走り、レース前の入念なストレッチング、給水のタイミング、レース展望の想定、出来る準備をしても報われないのがマラソンなんだとランナーは報われないタイムによって知る。
この本は、マラソンを一度でも走ったことがある人、無い人で評価が分かれるとは思う。
なんで、こんな辛いことを好き好んでやるのか走ったことが無いからしたら狂気の沙汰としか思わないだろう。
次のレースに向けて改善ポイントをリストアップし、レースで実践するはずが、上手くいかない。
こんなはずでは、もっと出来たはず、もっと良いタイムで走れたはず。
〇〇より上の順位なんてものに興味を示さず、
自分に負けなかった、その一点がランナーにとっての矜持であり、誇り。
レースを楽しむことは、人生を楽しむことなんだろう。
僕は1度しか42キロレースを走ったことがないから、レースを楽しいとは思えなかった。
楽しいの前に納得なんて出来なかった。
この本を読んだことによって、
走ることが生きることに少しでもなれば僕は、
嬉しい。
耐えた先に何があるのか、走って知りたい。
Posted by ブクログ
村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』は、単なるマラソンの記録ではなく、生きることそのものの比喩に満ちた、静かな覚悟の書であるように感じた。私自身、ストイックなランナーというわけではないが、走るという行為に魅せられているひとりとして、頁をめくる手に熱がこもった。
なかでも、「痛みは避けがたいが、苦しみは選べる」という一節は、深く胸に刻まれた。外的な痛みに翻弄されることは避けられないとしても、その痛みにどう向き合うかは常に自分次第であるという、静謐な意志の力が滲む言葉だった。
本書では、がむしゃらに努力を重ねることよりも、己の限界を冷静に見つめ、淡々と継続することの大切さが語られている。とりわけ、「自分との約束を破れば、その先もまた破り続けてしまう」という記述には、自制と規律の哲学が透けて見え、強く心を打たれた。
私はこの書を、ただ読むのではなく、走る身体と共に“受け取っていた”のだと思う。私が走ることで得ている感覚と、村上が言語化した「走ることの意味」が静かに交差する。その過程こそが、最も豊かな読書体験であった。
Posted by ブクログ
走ることについて一冊の本にできるのが凄い ジャンルでいったらエッセイなのかな。走ることを通して思うことを書いているだけでここまで読者わ飽きさせないのは凄いし、いつもは小説でしか知らなかった村上春樹についていろいろわかって結構興味深かった。
Posted by ブクログ
長年マラソンやトライアスロンをやられている
作家・村上春樹さんによるメモワール(回想録、あるいは個人史)。
僕は走ることにまったく興味がないし、
瞬発力もなければ肺活量もないタイプで、
つまりどっちかといえば運動系の人間ではないので
本書のタイトルを見ても長く食指が動かなかったのですが、
いろいろな種類の本を読んでいるうちに、
本書のようなタイプもいいかなと思い、今回手にとってみました。
村上春樹さんは長距離走に向いた人であると自ら言っていて、
長距離走は小説家として長編を書くことによく似ている、と述べている。
仮にその類似性が正しいとしても、
長距離走と長編執筆の両方をよくできるのに相関があるかといえば、
謎だとは思うんですよね。
たとえば、僕なんかは、
子どものころから肉体は比較的まずまずでも
肺活量が学年一容量が小さくて長距離はほんとうに苦手だったし今でもそうだけれど、
「子ども時代に長距離走のできないあなたは、
長編小説なんて書けないし向いてないからやる必要はない」
と決めつけることはできないと思う。
人生の欠損部分は空白地帯であって、
空白地帯はプラスとしてもマイナスとしても決めつけられないものではないだろうか。
つまりは考慮外。
長距離走はわかりやすい例なのかもしれないけれど、
それに代わるなにかに従事するものがあって、
それが小説を書くことに良い相関のあるものだってこともあるだろうし、
「ローマに続く道はこれ一本!」的には考えたくない。
と本書の中ほどまで読んで考えていたら、
次の章で著者は「あくまでこれは個人的な意見で」的なエクスキューズを、
まあまあな量の紙幅を割いてつけていました。
最近思うのだけれど、
村上春樹さんの言葉は、
とても巧みであるがゆえに弱点や脆い点をうまくカモフラージュしたり
斟酌をうながしたり
エクスキューズ付きだったりしながら
ひとつの丸みある結論(あるいは結論ではなくとりあえずの終着点だったりもする)に
繋がっていくタイプ。
それが、
僕みたいな軟弱者(類する人はたくさんいるでしょうけれども)が読んでみれば、
けっして歯切れの良くない部分でさえ、
彼のその言葉の明快さによって鋭く、
そして言葉丸ごとが正鵠を得ているように感じられるものなんですよね。
でも、前述にあるような弱点や脆い点はけっこう怪しいんですよ。
そりゃ、村上春樹さんといえど、
何もかもを見通す大哲学者・大文化人ではないですからね。
大文学者がすべて正しい知を備えた者という、
持ちやすいだろうけれど間違ったイメージが、
ごくふつうの人々のごく一般的である頼りない思考力を軽くいなしてしまって、
彼の言葉はすべて正しいってなっちゃう。
こういうアラではないけれども、
そういった部分が見える人には見えるし、
日ごろそういうのが見えない人にも見える一瞬が訪れたりするものです。
まだほころんでみえる時があるぶん、
不誠実ではないのかなあと思いもして。
そりゃあ、社会におおっぴらにする言葉なんだから、
しゃんとして示さないとという本気の気持ちで書いている。
それはそれで、ゲームの「上手なプレイヤー然」とした構えかなぁ。
ただ、村上春樹さんに限らず、
好きな作家さんや文化人の方たちを妄信してしまう人ってたくさんいると思いますし、
いちいちそこを考えて受け手への誠意を持ちすぎる対処では、
人はついてこないんじゃないかと思いもするわけなんですよね。
スケール感が小さくなるし、
支持とか信奉とかって、過大評価や誤解がつきものなんじゃないかと、
仮定してではありますが僕はそう考えるところってあるんです。
そういうわけで、村上春樹さんのような有名な文学者はどうふるまうか。
だから、この世を社会ゲームというゲームとしてとらえ、
自分たちはプレイヤーだとしてふるまうみたいなポジションでいるとして
村上春樹さんと彼の言葉を考えると、
かっちりは収まらないけど、
ほぼといった態で収まるように見えてくる。
そんな感じなのだから、
受け手の側は、
話半分で聴く姿勢を常に意識の片隅にちょっとでいいから持ったら良いのでは、
と思いもします。
妄信はよくないし、
何かのはずみで妄信に亀裂が生じたときに深刻な恨みが生まれないためにも、
そういう姿勢は少なくとも僕はできるだけ持っていたいと思うのです。
……と、まるで本書の内容に具体的に触れていませんが、
ランナーとしての生活のひとつのケースとして本書は読め、
さらに小説家としての生の部分が垣間見える、
小説を書くことへの忌憚のない語りもあります。
走ることについて興味が無くても、
読書好きの方なら面白く読めてしまうでしょう。
やっぱり文章がうまいから、
どんどん、というようにページを繰る手が止まらなくなります。
散文の書き方の模範にもなるような本でした。
Posted by ブクログ
村上春樹さんのイメージが180度変わりました。
まず最初に、走るイメージがまったくなかったことです。
失礼ですが、見た目で判断するのは良くないですが、全体的にか細いイメージがありました。
そんな彼が、走ることについて語っている。
年に一度は、フルマラソンやトライアスロンに
挑戦する。
小説家とランナーとの両立についても語っていたり、歳を重ねていくてたびに新たな挑戦をする姿にかっこいいなと実感しました。
私も走ろうかなとは思わなかったけど、好きから
始める挑戦は何度でもできるんだなと本著を読んで実感しました。
Posted by ブクログ
村上春樹のエッセー本は初めて読んだ。読みやすかった。引っ越してから走らなくなったけど、これを機に走りたくなった。走ることって瞑想している時のような無になる瞬間が心地よかったりする。
思考する時間、思考を超えた何かを感じる時間を作らなきゃなと思った。頭だけじゃなくて身体を動かすことでその境地に至るのかも。
Posted by ブクログ
村上春樹さんの作品を初めて読みました。自分自身も走っているけど自分がなぜ苦しくて辛いフルマラソンやらトレランにハマっているのがなぜか分かったような気がしました。