あらすじ
走ることについて語りつつ、小説家としてのありよう、創作の秘密、そして「彼自身」を初めて説き明かした画期的なメモワール。
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Posted by ブクログ
半年前ほどからランニングを始め、先日初めてハーフマラソンの大会に参加したものです。あの村上春樹さんがランナーだという情報を得て、本書にたどり着きました。ひよっこランナーの自分とは違う次元にいらっしゃることは理解しつつも、共感出来る部分がたくさんありました。走っている時は何か考えているようで何も考えていない、レース中はこれ以上走りたくないと思いつつ、レース後には次のレースをどう上手く走ろうかと考えているなど。自分もまずはフルマラソンに挑戦し、ゆくゆくはトライアスロンにも参加してみたいと思います!
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具体的に内容は覚えてないんだけど、村上春樹は意外と身体性を重視してたのが驚きだった。あとはバーを経営しながら小説を書き始めた頃の話も載ってて、気取ってる作家かと思われがちだけど(自分も比較的そういう印象があった)意外と努力や苦労を重ねてるんだなと。ただダンスダンスダンスとか多崎つくるの話とかでは前向きに生きること、しんどい時でも耐えることを伝えようとしてる感じはあるから、作品からもそういうのは読み取れるのかも。
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村上春樹さんによる、ランニングにまつわるエッセイを集めた一冊。フルや100km、トライアスロンなど、いろんな競技に挑戦されていて、ランニング中の耳読書のお供に最適です。これまでにも幾度も読んで聴いてきましたがまた再読しました。ひょっとしたら人生で一番回数を読んでいる本かも。長距離走の最中に聴くと何となく励まされる感があって心が折れません。おすすめ。
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『走ることについて語るとき僕の語ること』は、村上春樹がランニングと小説を書くことを重ねて語ったエッセイです。淡々と走り続けることと、毎日小説を書き続けることを結びつける姿勢に強い説得力がありました。
特に印象的だったのは、40度を超える国で、日本人一人、しかも周りにランナーすらいない環境でも走り続けるエピソード。誰もやっていない場所で継続できるのは本当にすごいことで、「結局は地道に積み重ねるしかない」という著者の信念を強く感じました。
「過酷な環境でも走り続ける姿勢」まさに「努力と継続の象徴」
この本は、華やかな成功談ではなく「継続のしんどさ」を正直に語っているのが魅力です。走る人だけでなく、何かを続けたいと思っている人に勇気を与えてくれる一冊だと思います。
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こんなにランナーだったとは。自分自身今年初めてフルマラソンに挑戦するがもっと身体の準備整えないといけないかなと不安に思った。ただ、村上春樹の身体の丈夫さは異常な気もする。
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傑作!個人的今年No.1を更新꒰*✪௰✪ૢ꒱
村上氏には及ばないが、日々なけなしの距離を走っているエセランナーとして、氏のランへのスタンスや思いには顎がもげるほど頷きが止まらなかった。巨匠の筆致とはこういうものか!普段ぽやーっと感じてきたことをすべて言語化してくれ、一文一文が気持ちいい。作家の凄みを見せつけられた想いだ。こんなにも軽やかで美しい日本語で言語化してくれて、ただただ感謝。
このエッセイを読むと、知的でインテリな村上春樹像は崩れ、実は体育会系やや脳筋タイプであることが明らかになる。これがまず面白い。氏は創作活動には集中力と規律が必要と考え、そのために走り始めた。長年続けられているのも、どんな状況でも自分を鍛え続けた積み上げと自負があるからだ。毎日10km走るらしい。そんなストイックな氏でも、走る理由はほんの少し、走らない理由は大型トラックほどあるという。それが何だか嬉しい。
マラソンやランについての本でありながら、その視点は創作活動や人生観にも及ぶ。作家になってからは交友関係を絞り、早寝早起き・ラン・創作のルーティンに徹し、全リソースを創作に注ぐようになった。重要な人間関係は特定の誰かではなく、不特定多数の読者だという。この“自己との対話と創作に没頭する生き方”は、単線的にビジネスパーソン的生き方を考えていた自分にとって目から鱗で、新しい選択肢をくれた。
さらに、どうにもならないことが降りかかったときこそ走って自分を強くする——その考えにも強く共感した。言語化能力がとんでもない。
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引用
誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。いつもより長い距離を走ることによって、そのぶん自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということをあらためて認識する。いちばん底の部分でフィジカルに認識する。そしていつもより長い距離を走ったぶん、結果的には自分の肉体を、ほんのわずかではあるけれど強化したことになる。腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。そう考えて生きてきた。黙って吞み込めるものは、そっくりそのまま自分の中に吞み込み、それを(できるだけ姿かたちを大きく変えて)小説という容物の中に、物語の一部として放出するようにつとめてきた。
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全てのランナーに、お勧めしたい本です!
Posted by ブクログ
初の小説じゃない春樹
今年から走り始めたから、春樹の目を通して走ってみたいな思って、電車時間の読み物として読んでみたい
最近は暑くて走りより泳いでるから、結果的に読んでる期間一度も走らなかったけど、おかげで電車時間が癒し時間になった
what we talk when we talk about love
愛について語る時に私たちの語る事が愛以外のものであるように
本書は走る事を語ってるようで、小説のことや生き方を語っていた
ポニーテールの比喩と、自分のネイチャーをボストンバッグに比喩していた文章が特に印象に残った
流れるような美しい文章、一見全然関係ない2つの事柄がすんなり共通してしまうような比喩のうまさ、300ページくらい言うなれば自分の経験と考えを書き連ねてるのに全く感じさせないエゴ的な要素
春樹の他の小説以外の本も読んでみたいと思った
Posted by ブクログ
子供が生まれてからランニングをサボっていたが、この本を読んで、また走り始めた。走っているときの感覚を的確に読みやすく表現しており、走ることへの魅力を再確認できた。走りながら街の様子や自分の心の内側を確かめていきたい。
Posted by ブクログ
村上春樹の小説は何冊か読んだことがある。彼がランニングをしていることやランニングについての本を書いていたことも、少しは知っていた。けれども、それほどのランナーではないと勝手に思っていたので、本書をずっと読まずにいた。
しかし、読み終えてもっと早く読んでおくべきだった、と後悔している。
私もランナーだ。約20年のラン歴がある。フル・マラソンは15年以上の経歴があり、昨シーズン(2024)は5レースに出た。フル・マラソンランナーとしての彼が言っていることは、良く理解できた。だから彼のことが凄く身近に感じた。
いくつか心に残り、響き、突き刺さる言葉があった。
「僕らにとって最も大事な物事は、ほとんどの場合、目には 見えない(しかし心では感じられる) 何かなのだ 。
本当に価値のあるものごとは往々にして、効率の悪い営為を通してしか獲得できないものなのだ。P.252」
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村上春樹が「走ること」を通して、自分と向き合い、作家として一人の人間としてどう生きてきたかを語る。
ストイックに走り続けてきた人生。年を重ねれば身体能力は衰え、今までできてきたことが少しずつできなくなっていく。そんな自分に「何はともあれ、これが僕の肉体である。限界と傾向を持った、僕の肉体なのだ。」とあるがままに受け入れ自分を納得させる。
「与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることのメタファーでもあるのだ。」
「大事なのは時間と競争をすることではない。どれくらいの充足感を持って42キロを走り終えられるか、どれくらい自分自身を楽しむことができるか、おそらくそれが、これから先より大きな意味をもってくることになるだろう。」
結びの言葉が村上春樹という人間の魅力であり、これからも走り(書き)続ける彼の強い意思を感じた。
「僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるなら、このように刻んでもらいたい
村上春樹
作家(そしてランナー)
1949-20**
少なくとも最後まで歩かなかった
今のところ、それが僕の望んでいることだ。」
Posted by ブクログ
村上春樹さんがランナーでトライアスリートだと
知らなかった。
本屋さんで何気に手に取って即日読み切った。
トライアスロンとフルマラソンの為に日々走っている自分にはとても刺さった大切な1冊。
たまに「何の為にそんな走っているの?」と聞かれることがあるが、うまく答えられなかった。
これからは上手く答えられなくても大丈夫。
何度も読み返したい。
Posted by ブクログ
自分自身も走ることが好きだからこそ、この本の面白さがよく分かって嬉しい!
私も、走っていて辛さを感じる時は“Suffering is optional”を頭の中で繰り返すようになりました。
マラソン終盤は特に、辛さは消えないまでも多少ましになる、気がする。
「走ることは、僕がこれまでの人生の中で後天的に身につけることになった数々の習慣の中では、おそらくもっとも有益であり、大事な意味を持つものであった」p22
「走り終えて自分に誇りが持てるかどうか、それが長距離ランナーにとっての大事な基準になる。
同じことが仕事についても言える。他人に対しては何とでも適当に説明できるだろう。しかし自分自身の心をごまかすことはできない」p25
「価値観の相違は日常的に細かなすれ違いを生み出すし、いくつかのすれ違いの組み合わせが、大きな誤解へと発展していくこともある。〜 そのせいで心が深く傷つくこともある。〜 しかし年齢をかさねるにつれて、そのようなつらさや傷は人生にとってある程度必要なことなのだと、少しずつ認識できるようになった」p37
「心の受ける生傷は、そのような人間の自立性が世界に向かって支払わなくてはならない当然の対価である」p38
「いずれにせよ、僕はそのようにして走り始めた。三十三歳。それが僕のそのときの年齢だった。まだじゅうぶん若い。でももう“青年”とは言えない。それは人生のひとつの分岐点みたいなところなのかもしれない」p74
「“苦しい”というのは、こういうスポーツにとっては前提条件みたいなものである。もし苦痛というものがそこに関与しなかったら、いったい誰がわざわざトライアスロンやらフル・マラソンなんていう、手間と時間のかかるスポーツに挑むだろう?」
「日々休まずに小説を書き続け、意識を集中して仕事をすることが、自分という人間にとって必要なことなのだという情報を身体システムに継続して送り込み、しっかりと覚え込ませるわけだ」
「刺激し、持続する。この作業にはもちろん我慢が必要である。しかしそれだけの見返りはある」
p117
「それらはお互いを補完し、ある場合にはお互いを自然に含みあうことができるものなのだ。往々にして健康を指向する人々は健康のことだけを考え、不健康を指向する人々は不健康のことだけを考える。しかしそのような偏りは、人生を真に実りあるものにはしない」p149
「僕という人間の人柄みたいなものを、相手にうまく伝えなくてはならない。話を聞いてもらうために、そこにいる人々を一時的にせよ、僕の味方につけてしまわなくてはならない。
そのために何度も何度も話し方の練習をする。これは手間のかかる作業だ。しかしそこには、自分が何か新しいものに挑戦しているのだという手応えがある
」p153
「100キロを一人で走りきるという行為にどれほどの一般的な意味があるのか、僕にはわからない。
しかしそれは、“日常性を大きく逸脱してはいるが、基本的には人の道に反していない行為”の常として、おそらくある種とくべつな認識を、あなたの意識にもたらすことになる。自己に対するあなたの観照に、いくつかの新しい要素を付け加えることになる。
その結果としてあなたの人生の光景は、その色合いや形状を変容させていくことになるかもしれない」p157
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人生ってそういうものやんなっていう、わかるわかるっていう、特別目新しい話でもないことやけど、それが村上春樹の文章で語られると読みがいのあるものに感じられる。そういうことが走ることを通して綴られている本。
エッセイってほとんど読んだことなくて、でもこれからもっと読んでいきたいなと思っていたところだったのでちょうど良かったように思う。この本をくれた友人に感謝。
Posted by ブクログ
私も一応、ランナーで。走りながら考えることも、たくさんあるし、走る動機も一応あるし、そして何より走ることが好きだし。でもそれを文章にはできない。そこが一番違うとこ。
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まさかの #村上春樹 作品で最初に読んだ本がこちらになります
本を読む習慣はなかったけどコロナ禍でランニングを始めてこの本に出会いました
ただ淡々と走る
己のために
我が道を
ランニングは無理をしなければ身体に良いことしかない
流石の村上春樹様
他の本も読みたくなった(順番がおかしい)
Posted by ブクログ
読んでた中で、ランの記録がある年齢を境に天井を打つということに自分と重ね合わせた。
私は老後もランとbikeはやっていきたいと思っている。その付き合い方にこの本が参考になった。
Posted by ブクログ
マラソンに向けて1日10キロ、月にして310キロを走り、レース前の入念なストレッチング、給水のタイミング、レース展望の想定、出来る準備をしても報われないのがマラソンなんだとランナーは報われないタイムによって知る。
この本は、マラソンを一度でも走ったことがある人、無い人で評価が分かれるとは思う。
なんで、こんな辛いことを好き好んでやるのか走ったことが無いからしたら狂気の沙汰としか思わないだろう。
次のレースに向けて改善ポイントをリストアップし、レースで実践するはずが、上手くいかない。
こんなはずでは、もっと出来たはず、もっと良いタイムで走れたはず。
〇〇より上の順位なんてものに興味を示さず、
自分に負けなかった、その一点がランナーにとっての矜持であり、誇り。
レースを楽しむことは、人生を楽しむことなんだろう。
僕は1度しか42キロレースを走ったことがないから、レースを楽しいとは思えなかった。
楽しいの前に納得なんて出来なかった。
この本を読んだことによって、
走ることが生きることに少しでもなれば僕は、
嬉しい。
耐えた先に何があるのか、走って知りたい。
Posted by ブクログ
村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』は、単なるマラソンの記録ではなく、生きることそのものの比喩に満ちた、静かな覚悟の書であるように感じた。私自身、ストイックなランナーというわけではないが、走るという行為に魅せられているひとりとして、頁をめくる手に熱がこもった。
なかでも、「痛みは避けがたいが、苦しみは選べる」という一節は、深く胸に刻まれた。外的な痛みに翻弄されることは避けられないとしても、その痛みにどう向き合うかは常に自分次第であるという、静謐な意志の力が滲む言葉だった。
本書では、がむしゃらに努力を重ねることよりも、己の限界を冷静に見つめ、淡々と継続することの大切さが語られている。とりわけ、「自分との約束を破れば、その先もまた破り続けてしまう」という記述には、自制と規律の哲学が透けて見え、強く心を打たれた。
私はこの書を、ただ読むのではなく、走る身体と共に“受け取っていた”のだと思う。私が走ることで得ている感覚と、村上が言語化した「走ることの意味」が静かに交差する。その過程こそが、最も豊かな読書体験であった。
Posted by ブクログ
村上春樹が等身大の自分を"走ること"を通して描いた作品である。
思いの外、小さく描かれている自己評価に不思議な親近感を抱いた。
作家としての活動にも触れられており、かつて読んだ作品をどんな気持ちで執筆したか知ることができた。
Posted by ブクログ
小説を書き続けることと長距離を走り続けることは、意外と似ているなと感じました。
著者自身も、この2つの共通点を意識しているのかもしれません。
この本を読んで、私の仕事や人生についても大切なことを教えられました。
大きな成果を出す人は、日々の地道な努力をとても大切にしているのだと改めて思いました。
私は、この本に書かれている「走ること」の話を、そのまま仕事の考え方として読み取りました。
村上春樹さんは本当にストイックな方だなと思う一方で、その人柄に触れられる内容がとても興味深かったです。
Posted by ブクログ
村上春樹の小説家としての生い立ちとランニングについて書かれていた。
小説と違ってとても読みやすく、いい言葉がたくさんあった。
特に印象に残ったのは
"走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのを止めるための理由なら大型トラックいっぱい分はあるからだ、僕らにできるのは、そのほんの少しの理由をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ"
Posted by ブクログ
長年マラソンやトライアスロンをやられている
作家・村上春樹さんによるメモワール(回想録、あるいは個人史)。
僕は走ることにまったく興味がないし、
瞬発力もなければ肺活量もないタイプで、
つまりどっちかといえば運動系の人間ではないので
本書のタイトルを見ても長く食指が動かなかったのですが、
いろいろな種類の本を読んでいるうちに、
本書のようなタイプもいいかなと思い、今回手にとってみました。
村上春樹さんは長距離走に向いた人であると自ら言っていて、
長距離走は小説家として長編を書くことによく似ている、と述べている。
仮にその類似性が正しいとしても、
長距離走と長編執筆の両方をよくできるのに相関があるかといえば、
謎だとは思うんですよね。
たとえば、僕なんかは、
子どものころから肉体は比較的まずまずでも
肺活量が学年一容量が小さくて長距離はほんとうに苦手だったし今でもそうだけれど、
「子ども時代に長距離走のできないあなたは、
長編小説なんて書けないし向いてないからやる必要はない」
と決めつけることはできないと思う。
人生の欠損部分は空白地帯であって、
空白地帯はプラスとしてもマイナスとしても決めつけられないものではないだろうか。
つまりは考慮外。
長距離走はわかりやすい例なのかもしれないけれど、
それに代わるなにかに従事するものがあって、
それが小説を書くことに良い相関のあるものだってこともあるだろうし、
「ローマに続く道はこれ一本!」的には考えたくない。
と本書の中ほどまで読んで考えていたら、
次の章で著者は「あくまでこれは個人的な意見で」的なエクスキューズを、
まあまあな量の紙幅を割いてつけていました。
最近思うのだけれど、
村上春樹さんの言葉は、
とても巧みであるがゆえに弱点や脆い点をうまくカモフラージュしたり
斟酌をうながしたり
エクスキューズ付きだったりしながら
ひとつの丸みある結論(あるいは結論ではなくとりあえずの終着点だったりもする)に
繋がっていくタイプ。
それが、
僕みたいな軟弱者(類する人はたくさんいるでしょうけれども)が読んでみれば、
けっして歯切れの良くない部分でさえ、
彼のその言葉の明快さによって鋭く、
そして言葉丸ごとが正鵠を得ているように感じられるものなんですよね。
でも、前述にあるような弱点や脆い点はけっこう怪しいんですよ。
そりゃ、村上春樹さんといえど、
何もかもを見通す大哲学者・大文化人ではないですからね。
大文学者がすべて正しい知を備えた者という、
持ちやすいだろうけれど間違ったイメージが、
ごくふつうの人々のごく一般的である頼りない思考力を軽くいなしてしまって、
彼の言葉はすべて正しいってなっちゃう。
こういうアラではないけれども、
そういった部分が見える人には見えるし、
日ごろそういうのが見えない人にも見える一瞬が訪れたりするものです。
まだほころんでみえる時があるぶん、
不誠実ではないのかなあと思いもして。
そりゃあ、社会におおっぴらにする言葉なんだから、
しゃんとして示さないとという本気の気持ちで書いている。
それはそれで、ゲームの「上手なプレイヤー然」とした構えかなぁ。
ただ、村上春樹さんに限らず、
好きな作家さんや文化人の方たちを妄信してしまう人ってたくさんいると思いますし、
いちいちそこを考えて受け手への誠意を持ちすぎる対処では、
人はついてこないんじゃないかと思いもするわけなんですよね。
スケール感が小さくなるし、
支持とか信奉とかって、過大評価や誤解がつきものなんじゃないかと、
仮定してではありますが僕はそう考えるところってあるんです。
そういうわけで、村上春樹さんのような有名な文学者はどうふるまうか。
だから、この世を社会ゲームというゲームとしてとらえ、
自分たちはプレイヤーだとしてふるまうみたいなポジションでいるとして
村上春樹さんと彼の言葉を考えると、
かっちりは収まらないけど、
ほぼといった態で収まるように見えてくる。
そんな感じなのだから、
受け手の側は、
話半分で聴く姿勢を常に意識の片隅にちょっとでいいから持ったら良いのでは、
と思いもします。
妄信はよくないし、
何かのはずみで妄信に亀裂が生じたときに深刻な恨みが生まれないためにも、
そういう姿勢は少なくとも僕はできるだけ持っていたいと思うのです。
……と、まるで本書の内容に具体的に触れていませんが、
ランナーとしての生活のひとつのケースとして本書は読め、
さらに小説家としての生の部分が垣間見える、
小説を書くことへの忌憚のない語りもあります。
走ることについて興味が無くても、
読書好きの方なら面白く読めてしまうでしょう。
やっぱり文章がうまいから、
どんどん、というようにページを繰る手が止まらなくなります。
散文の書き方の模範にもなるような本でした。
Posted by ブクログ
村上春樹のエッセー本は初めて読んだ。読みやすかった。引っ越してから走らなくなったけど、これを機に走りたくなった。走ることって瞑想している時のような無になる瞬間が心地よかったりする。
思考する時間、思考を超えた何かを感じる時間を作らなきゃなと思った。頭だけじゃなくて身体を動かすことでその境地に至るのかも。
Posted by ブクログ
村上春樹さんの作品を初めて読みました。自分自身も走っているけど自分がなぜ苦しくて辛いフルマラソンやらトレランにハマっているのがなぜか分かったような気がしました。
Posted by ブクログ
おすすめポイント
・ランナーの皆さんにおすすめ
・村上春樹の文体でランニングやマラソンを語るとこうなるんや〜!という新鮮さを味わえます
・私は特段ハルキストではありませんが、言葉選びなどはやっぱり絶妙。さすがだなと思いました。
残念ポイント
・中身は普通のランニングエッセイ。特段の驚きはないです。
Posted by ブクログ
“走り続けるための理由はほんの少ししかないけど、走るのを止めるための理由なら大型トラックいっぱい分はあるからだ。僕らにできるのは、そのほんの少しの理由をひとつひとつ大事に磨き続けることだ_”
めちゃくちゃ共感してしまった!!
歳を重ねると…欲しいものに手を伸ばすより
いま手の中にあるものを大切にしたい想いが
強くなった気がする…
この数年間で 体力の衰えを感じていて…
気持ちはまだ2、30代なのに
身体だけは 待ったなしで未来に
突き進んでいて…笑
私の中で本質的に心の中で感じていた“何か”を
村上春樹さんの優しくも本質をつく言葉で
よりその何かに輪郭を与えてもらった
気がしました!!
フルマラソンやトライアスロンに
挑戦するエピソードも
生き様を感じられて カッコよくて素敵だけど
小説を書き続ける姿勢や読者への想いや
人としての生き方についても
語られているのが良かったな!
ときどき奥さまとのエピソードも出てきて
ふふっと笑いをさそう魅力的なエッセイでした♡