村上春樹のレビュー一覧
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ネタバレ 購入済み
視点
視点とは何者だったのだろうか。
この空間に漂う素粒子のようなものだろうか。
彼らに朝は来るのだろうか。
完全な新しい時間の中に生きることはできるのだろうか。
答えが出なかった。
ヒントももらえなかった。
慎重に歩んできた進路を,鋭利なナイフでさっと切り捨てられてしまったような,そんな終わり方。 -
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ネタバレこりゃおもろい。凄いぞ村上さん、って、思いました。
村上さんが、短編小説を読んで、その感想を書いている、っていう感じの、評論というか、エッセイというか、そんなかんじの本なのですが。
村上さんの、その読んだ短編に対する愛情が、ハンパない。そして、分析も、ハンパない。そこまで分析するか!?ってくらい、分析している。そして、多分、その分析は、愛しているからこそ、できるんだろうなあ~、って思うと。好きな本を、じっくり読む、って、良いことだなあ、って、思うんですよねえ。凄いぞ村上春樹。凄いぞそこまで読み込むなんて。
ちなみにこの文章、というか、村上さんが、これらの短編をきっちりキッチリ読み込んだのは、アメリカの大学で講義を持ったから、みたいな理由も、あったみたいです。こんだけきっちり読み込んで、向こうの国の学生さんたちと、色々とディスカッションしたりした、みたいですね。それってもう、めっちゃんこオモロい授業だったんでは?受講できた学生さんたちが、羨ましすぎますね。「とある作品を読み込むことは、これほどまでに面白いのか~」ということを、痛感しまくれたんでは、ないでしょうかね?
で、この本の中での、とある短編に対する村上さんの「この短編は、こういうことだと思う気がするんですよね」って解釈は、もしかしたら、作者本人に聞いたら「全然ちゃいます。そんな思いは、全く無かったです」って、言うかもしれませんよね?
でも、「全然ちゃう」かったとしても。村上さんが、「こう思った」ことは、それはそれで、絶対的に素晴らしい事だと思うんですよね。だって村上さん、これらの短編が、好きなんだし。好きなものがある。それに対して、アレコレ考える。で、その考えたことは、見当違いかもしれない。だが。自分が「好きだ」と思ったものに対して、「何故好きなんだろう?こうだからかな?ああだからかな?不思議だなあ。こんなに好きだなんて」って、色々思うことって、最高やないですか。そんな事を、思いましたね。
あと、文庫本バージョンの序文として「僕にとっての短編小説」という文章が載っています。まあ、「村上春樹は、『短編小説』というものを、どのような存在と考えているのか?」を述べたもの。まあ、タイトルそのまんまな文章なんですが、これがまた、ベラボーに面白い。
「俺は実際の所は長編小説がいっちゃん大事なの」って言っておきながらの、それはそれとしての、短編小説への愛を、ちゃんと語ってるところとかホンマ好き。素敵。
あと、「失敗してこその短編小説。上手くいくときもあれば、イマイチな出来のときもある。でも、だからこそ失敗を怖れるな。前向きの失敗は次につながる」とか、抜群に励まされるやんか。村上さんが、こういうこと言ってくれると、嬉しくなっちゃいますよね。村上さんとイチロー氏は、やっぱ、似てると思うんだよなあ。
自分にとっては、読み終えて、「まあやっぱ、村上春樹さん、俺、すっげえ好きだなあ~」という思いを、新たにした一冊ですね。これほどに、自分以外の人の文章を、しっかりと愛して分析することができる人は、やっぱ、素敵です。
で、ちなみに自分は、この本で村上さんが紹介された作品は、一冊も読んだことがありません。すまん、、、すまん、のだが、自分が全く読んだことのない短編の感想を、村上さんが喋ってるだけ、ってくらいの本なのに、それでもこの本は面白い、というのは、やっぱでえれえ凄い事だと、逆説的に思う次第ですよね、うんうん。 -
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どんな作家さんでもこの手の細々とした文書があるでだろうが、村上春樹ともなればこんな雑文集でも本になるし売れるだろう。けど、読んでみて村上春樹のことがより身近になったし、いろいろな文体で飽きることなく読める。
昔から本を大量に読み、ジャズ喫茶を経営するほどジャズが大好きで、安西水丸と和田誠を友人に持ち、翻訳家の仕事は半ば趣味のようにこなし、海外での生活歴が多いといったことがわかる、ファンには充実の内容です。
エルサレム賞でのスピーチ原稿はとても練られた素直とも言える過激な内容で印象に残ります。
レイモンドカヴァー、チャンドラー、フィッツジェラルドなどの作品群への熱い語りも好きです。それら翻訳した本を読みたくなりました。
お二人の友人も今や亡き人となり、村上春樹も70歳超え。同じ時間を生きる幸運を活かし、作者の本に触れていきたいと思います。 -
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レイモンド・チャンドラー長編の村上春樹訳としては最終となります。名残惜しいというか、余韻に浸るように読んでいきました。他のチャンドラー長編とは大分違った印象のある本作。少し期待を裏切られながらも、本作には光る魅力もありという内容でした。その場その場に読者を引っ張り込む、魅力的な文章の力は、他作品よりは弱いところがあり、そのある意味筋を無視したエンターテイメント性が影を潜めています。筋をしっかりと持った、一般的な推理小説に近いものにしているのですが、著者にとっては慣れないことをしてしまったのか、最後は矛盾を呈するようになってしまっているのを感じます。やはりチャンドラー小説は、読者が状況を呑み込めないまま流れに翻弄され、その翻弄を楽しむようなところがあると思います。ここが失われてしまっているのが残念だと感じます。チャンドラー小説の登場人物の魅力は活きていて、それだけで他の作家とは違う地位に挙げることができる位なのですが。
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ネタバレ「村上朝日堂」を読む前に、一応の続編?であると思われる、こちらから先に読んでしまった、、、しまった、とか思ったりもしたのですが、多分、大丈夫っぽいです。なんせ村上さんのエッセイは、いついかなる時にどんな順番で読んでも、抜群に面白いのですから、という事を、わかりやすく教えて頂ける作品かな、と。
すげえ大したことない内容だと思うんですが、それでも、抜群にこう、面白い。1986年のエッセイなのに、2020年によんでも、普通に面白いし、全然古びていない(ように感じられる)のは、いったいどーゆーこっちゃ?って思うんですよね。世の中の流れは、すげえスピードで、変わっていっていることは、間違いないでしょうに。
ということは、アレか。村上さんは、こんなにも何の変哲もない言葉で、人類普遍のなにかを、アッサリと書いちゃっていたのか?みたいな事を考えたりもする、のですが、ホンマにもう、大したことない内容だと思うのですが(途轍もなく失礼な言い方ですみません)、それでも抜群に面白いです。いやもうホンマですこれは。すっごいよなあ、村上さん。 -
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村上春樹が翻訳したレイモンド・チャンドラーの名作「さよなら、愛しい人(Farewell,My Lovely)」を読みました。
「The Long Goodbye」「Big Sleep」に引き続き3作品目。
フィリップ・マーロウは相変わらず頭が切れて、率直で、男くさくて、女性に対してシビアで、へこたれず、強く、そして孤独です。
そこに首を突っ込むの?という点が普通と違ってドキドキの連続で、案の定痛い目に何度も会います。今回は半殺しのヤク漬けにされかかるなど、ちょっと程々にしておきなよと忠告したくなるぐらい。
あと言葉尻がいちいち面倒くさい。相手に食ってかかるし、皮肉っぽいし。あと、まるで○○のようだと比喩するのは村上春樹が訳しているから?そのせいもあって、そのうちフィリップ・マーロウが「やれやれ」とか言いそうな雰囲気。そういや村上春樹作品の主人公もフィリップ・マーロウ的な人が多い気もします。
そういったぶぶんも全部ひっくるめて、フィリップ・マーロウ作品群の最大の魅力だと思います。
登場人物も多彩。
へらじかマロイ、美女たち、警察の方々、クセの強いおばちゃんたち、臆病なスケコマシ、占い師、脱法医者、暗黒街のドン、などなど。皆ビビットに表現されており、頭の中で絵が浮かんでくるようです。
一番印象に残っているのは、のちに無残な姿となるアル中のおばちゃんですかね。お酒とラジオだけが私の心の拠り所、同情したくなる境遇の彼女の印象は深く残ってます。
前作Big Sleepでも思ったけど、名推理!と言うのはないです。
フィリップ・マーロウの行動が事件の解決に繋がっていくという流れ。
ストーリーの展開のされ方から、こうなりそうだな、と言う推測はつきますが、後の種明かしで、はあ、なるほどねとなります。読んでるだけではよく推理できないある種の名探偵コナン的な種明かし。まあ推理小説らしいですけどね。
物語では「愛しい人」は死んでしまい、「愛した人」も同じ道を歩んでしまいました。
愛しい人がどうであれ、
愛しい人に何をされようが、
貫く愛というのは素晴らしいものですね。
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Posted by ブクログ
ネタバレついにジョージ・オーウェルの1984を読んだ。いや、厳密には読んでいないが、森泉岳土による漫画版「オーウェルの一九八四年」を読んだ(オーウェルの、と付くところが良い)。
救いがないとは聞いていたが、本当に。
でも何より救いがないのは、読み終わったときに「ああ良かった、怖い話は終わった、"あんなんとは無縁の"現実へ戻ろう」と心から思えないところだ。
あとは備忘メモ。(ネタバレもあり)
・舞台はロンドン、ただしイギリスではなく「オセアニア」という国。オセアニアを率いるイングソック党の党首ビッグブラザー(BB)がすべてを監視し、好ましくない兆候があれば「思想警察」に連行される。党は人々の行動、音声、表情ばかりでなく、心臓の鼓動まで把握している。(エマワトソンとトムハンクスの映画の原作の)「ザ・サークル」と同じだ…と開始3ページでざわつく私。サークルという会社に入社したメイは、入社オリエンテーションのなかで、これが私たちの誇る新しい社員健康管理の方法なのよ、とアプリ?の仕込まれたスムージーみたいなものを飲まされていた(といってもあの輝かしいサークルの一員になれたことが嬉しいメイは喜んで飲むんだけど)。私事ながら、「端末の利用状況を送信する」のチェックを外させることにはうるさいくせに、人の身長体重歩数をほぼ強制的に送らせる"ヘルスケア"施策、ほんと嫌悪。
・党のやり口。景気が回復していると喧伝する(人々は剃刀の刃一枚、穴の空いていない靴下ひとつ都合できない生活だが、チョコレートの配給が増えたとかで喜んで、BBの手腕を褒め称えている)。
・そのときどきのBBの発言に合わせて、記録局は出回っているあらゆる文書を修正する(訂正版であるという印などもちろん付けない。「いわば」「すなわち」「するなかにおいて」といった文言を散らしておけば、ありもしなかった演説を捏造するのは容易い、と記録局務めの主人公ウィンストンは言う)。
・「二重思考(ダブルシンク)」によって人々の記憶までも改竄させる(矛盾している二つの事柄を両方とも頭から信じ、忘れなければならないことは忘れ、必要があればふたたび思い出す)。
・「新言語(ニュースピーク)」という新しい公用語を制定する(実際のところは、言葉の破壊なのである。「良い」で十分なので「素晴らしい」「申し分ない」は削除、「悪い」という曖昧な言葉も無くし「反良い」とする、など。言葉が削られれば思考も縮小される。それが狙いである)。
・隣国への憎悪を植え付け、戦争を正当化する。(敵国は「ユーラシア」であったり「イースタシア」であったり、そのときどきによって変わる。この三大国は戦争状態を維持し続けることによって、富の増加による階級社会の不安定化や崩壊を防ぎ、各国の支配階級が永遠に権力を持ち続けることができるという仕組みをもって結託している。この秘密については漫画では描かれておらず、さっきWikipediaで読んで知ったことだ)。
・このような社会で教育を受けた子どもは、戦争好きに育つ。無邪気に「人民の敵!」などと叫ぶ。ウィンストンの隣人パーソンズはのちに自分の七歳の娘に告発されて思想警察に連れ去られる。このような一般市民によるスパイ行為は英雄的ということで大いに賛美される。
・この社会の仕組みに違和感を覚え、ひそかに日記をつけ続けていたウィンストンは、小道具屋チャリントン、党の高級官僚オブライエンなど、このモヤモヤを共有できるかも?と思える人々との接触を通して、社会転覆の希望をわずかに持って生活しているが、実は体制側の人間であった彼らに裏切られ、恋人ジュリアと共に思想警察に連行される。そして「治療」という名の壮絶な拷問を受け、受け、受け、……党を愛する従順な一市民になるのだった。信念打ち砕かれる瞬間の1ページの表現が、つらかった。 -
匿名
ネタバレ 購入済み村上春樹の初期の長編小説。
主人公が食事を作ったり、掃除するところなどが細かく描かれている。村上作品は音楽のようなところがある。長編小説は交響曲である。それも綿密に計算された音楽である。羊博士が羊と交わってそれが先生のところに行き、先生から離れて鼠の中に入る。鼠は自分が死ぬことで羊を消滅させる。最後に爆破で大円団である。鼠と羊博士と先生の関係が今でもこんがらがっている。羊博士が連れてきた星の付いた羊に先生が憑かれたのだ。
現代小説なのだが呪術的なところがある。そして神話的である。そして西洋的である。
非日常の世界を描いていくのだが、そのベースに肉体的で日常的なものを綿密に積み上げていく確かな描写力があるから話が軽々しくなったり嘘っぽくなったりしないのだと思う。
主人公が羊屋敷から離れる場面で感じる懐かしいような切ないような感覚は村上作品独特なものである。