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Posted by ブクログ
イエスタデイが好きだった。
木樽のような人間になりたい
ドライブマイカーの
どれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛し合っている相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。
そんなことを求めても自分が切なくなるだけです。
しかしそれが自分自身の心であれば、努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことができるはずです。
ですから結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。
本当に他人を見たいと望むなら、自分自身をまっすぐ見つめるしかないんです。
自分は理解するのは不可能でありだけど、相手を理解しようとする姿勢が大事だと考えていたけど、ベクトルを自分に向けるというのはなかった。
すごく今の自分に刺さる
Posted by ブクログ
村上春樹やっぱり好きだなぁと思った作品でした。しばらく読めなくなってて、「夏帆」を読むにあたり準備体操のようなつもりで読みましたが、ノルウェイの森が大好きなわたしにはとってもよかったです。
全員が不倫とか浮気とかセックスとかしてるのはもう作風だと思ってるので(だから苦手だ、とオットは言います)それはそれで置いておいて、出てくる人の不思議な話、もっと続きが読みたいのに、と終わるその感じとかとても面白いと思いました。シェエラザードとか、えっ!?その看護学校2年の時の話はァ!?続きお願いしまぁす!!って思ってしまったし。木野の話も、木野がまたあのバーに戻れることを祈ってしまう。
出てくるどの人も、村上春樹風なのもとても好きです。みんな、コリコリとネジを巻くように、清潔に生きている人たち。
Posted by ブクログ
前書きからアクセル全快の短編集。村上春樹自身が「四〇〇字詰め原稿用紙八十枚」の長めに書いたと語るように、文量、ストーリー展開ともに分厚めの作品集です。どの作品も読み応えがありますが、一番気に入ったのは「木野」。村上作品お決まりのジャズバーで各々が読書や音楽、物思いに耽る場面はさすがの描写力だと思いますし、一人で何かに没頭することは本当に贅沢な時間の使い方だなと結婚した今思います。また、蛇の登場から始まる時間•空間の転位は『ねじ巻き鳥クロニクル』を思わせる展開。他の作品を含めて何度夜中に電話のベルがなったり、ドアがノックされたのか分かりませんが、遂にその相手の正体と真意が明らかに。なるほどと思わずにはいられない結末でした。
Posted by ブクログ
特に『ドライブ・マイ・カー』が面白かった。
中年男性は寂しいいきものである。基本は仕事と家庭で完結する日々を送る(ずっと友人とだけつるんでいる中年というのも存在はするが、あまり褒められた存在ではない)。
主人公の家福は亡くなった妻に、“家族“と“友人(戦友?)“の2役を求めていたのではなかろうか。そんな大きな存在を急に失い根無草となってしまう家福、そこにまた同じ女性を拠り所としていた高槻が近づいてくる。
女(と敢えて大きな主語を遣う)を失った2人が近づきグルーミングをしあう。2人の最終の目的は違っているとしても。家福の目線からすると、高槻は物事を深く考えていない浅い人間のように描かれているが、そうした人を見下す攻撃的な視点には、本人の傷ついた本心とそれを守る動物的威嚇が表われているように感じる。
男性同士でケアをしあうような関係があっても良い。そこに仕事・家庭以外の第三の自分の“役”が与えられて、辛い現実から一種逃避できるようになる。
Posted by ブクログ
はじめの短編「ドライブ・マイ・カー」(のちに映画化され、アカデミー賞を獲得した)で扱っているテーマは、人の心理をよく考えたり臨床心理的な本を読んだりしている人にとってはとても響くと思った。そうじゃなくても、人の心理の機微というものに興味をいだくきっかけとなりうる作品ではないだろうか、と思った。
続いて「イエスタデイ」。若者たちが抱える個人的な(かつ普遍的でもある)問題と彼らは真剣に向き合っている。でも深刻さとは距離を置いている。おそらく意識的に。真剣さに溺れて深刻にならないよう、ときに発せられるユーモアが弛緩を生んでいて、それが読者にとっては意識下で希求していた心理的解決と感じられるだろうと思う(過剰なまで真剣になると体に力が入り過ぎて水の中に沈んでいきます。泳ぐことにも生きることにも、すこしの「弛緩」は必要です)。登場人物たちが会話や語りにユーモアをまじえるのは、もしかすると生存本能によるものなのかもしれない。それはそれとして別のところに置いておいていえるのは、最高の短編だった、ということ。僕はこういう作品が大好物だ。余談的につけたすと、ヒロインの栗谷えりかさんは、生田絵梨花さんを想起させて仕方なかった。いくちゃーん! って想いながら読んでいた。
次の「独立器官」もそうなんだけど、登場人物が過去を回想し、それがその小説の大事な軸になっているというのがある。その回想の過程というものはカウンセリング的なものなのかもしれなくて、そこに読者は癒しを感じていやしないかなあ、と思った。読者は読んだ内容を実体験として受容しなくとも、登場人物が回想する過程を追体験することで自分の未開拓の心領域に道を見つけやしないか。
その次は「シェラザード」。女性と親密な時間を過ごすことには、現実を無効化する意味がある、との箇所が気持ちいい。そのくらい言い得ていると、個人的に感じられた。
続く「木野」については、村上春樹節という感じがした。すらすら書きあがったものではなく直しに時間がかかったようだけど、それでもそう感じられた。重要なテーマである「空虚」というものの解釈に、異化作用があった。「なるほど、そう考えるのか」と肯定的に読んでいくとモノの見え方が変わるようになっている。
表題作にもなっている、書下ろしの最後の短編「女のいない男たち」。鋭いセンスと豊かな技術で饒舌に語られる小説。腕っぷしに魅せられる読書体験。そして、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』や『街と、その不確かな壁』へつながる一角獣というモチーフと喪失というテーマ。これはこれでまた、「木野」とは別の村上春樹節なのだった。彼の実力が自然と生み出すワザのように感じられた。
というわけだが、村上春樹さんの『女のいない男たち』は、各短編の最後には、その物語的に、あるいは哲学的にというか気持ち的にというか、ちゃんと腑に落ちるというように「オチ」がついて終わる構造ばかりだった。こういう形はすっきりするのだけど、僕は近ごろ名づけようのない気持ちや状況などで終わるものに興味があって、ならばまあ自分でトライするといいのだけれど、他者にもそれを求めてしまってるような心持ちがしているのに気づいた。
また、それがステレオタイプと気づかずにステレオタイプなセリフや行動の描写に接すると、読み手にとって負荷が少なく心地よいものなのかもしれないことにも気づかされた。常套句や当たり前のように感じられる考え方などがでてくると、それはステレオタイプなのかもしれなくても、ほっとするところがある。嘘は潤滑油で本音は抜き身の刀、なんて言った著名な心理療法家の方がいたけれど、この場合の嘘ってステレオタイプに寄せる意味を持つ、という言葉だったりしないだろうか。良いか悪いかは別として、人はそれで安心するのだった。
久しぶりの村上春樹作品でしたが、存分に楽しめました。
Posted by ブクログ
村上春樹を一冊読むのは初めてかもしれない。
短編集で面白いものもあればそうでもないものもあった。登場人物の大半が浮気なり不倫をしていた気がするが、それは置いておこう。
面白かったのは「独立機関」。まさかの恋の病で死ぬ人の話。
面白くなかったが心に残ったのが「女のいない男たち」。2年前に恋仲だった恋人の訃報を受けた後の心情を描いたものだ。
男性の恋愛は失恋したときに始まると何かで聞いた事がある。私にも覚えはあるし凡そ同意できる金言だ。しかし昔付き合うっていた初恋の女性の死でこれほど長い物思いにふけられるとは思いもしなかった。私もいずれそういう時が来るかもしれないが、笑ってしまった。決して長い話ではないが、心情を語るだけの話としては長すぎる。
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小説・文芸
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