Posted by ブクログ
2017年09月07日
この本は音楽について書かれたエッセイを集めた一冊だ。
その冒頭の一遍はビーチ・ボーイズ、特にバンドのリーダーであった
ブライアン・ウィルソンについて書いてある文章だ。
ブライアン・ウィルソンという人は矛盾とミスマッチを抱えている。
彼自身が作り上げたビーチ・ボーイズは
アメリカのイノセンスを象徴す...続きを読むるようなバンドだった。
「太陽の光、海、元気な男の子と可愛い女の子の笑顔、サーフィン、オープンカー」
彼ら自身がアルバムジャケットでサーフィンを抱えてニコニコしている。
ところがブライアンは海に行くことはなかった。
泳げなかったそうだ。
だけれどもファンに求められるまま
太陽の光に照らされる海を唄いつづけなくてはならなかった。
ビーチ・ボーイズという「お金」を生むバンドのマネージャー
はブライアンの父親が務めた。
父親は常にブライアンの仕事を監視しコントロールした。
父親はかって成功できなかった作曲家であった。
ブライアンは素晴らしい楽曲を作り続けた。
しかし父親が作曲家としてのブライアンを
認めることはずっとなかったという。
時は流れアメリカはヴェトナム戦争の泥沼にはまる。
アメリカのイノセンスを象徴していたビーチ・ボーイズは
次第に世間から忘れ去られていった。
ジミ・ヘンドリックスは言った。
「今時、誰がビーチ・ボーイズなんて聴くんだ?」
ブライアンの父親はビーチ・ボーイズの
「金銭的な価値」はもう失くなったと判断した。
だから1969年にブライアンの作った楽曲の権利の一切を売り払ってしまった。
そのことに深く傷ついたブライアンはドラッグに溺れることになる。
それからブライアンはビーチ・ボーイズの中で
次第に後ろに引き下がるようになった。
他のメンバーたちが主導権をめぐって争った。
彼らは実の兄弟であり、従兄弟たちでもある。
ビーチ・ボーイズはいつの間にか懐メロバンドになった。
そこにさらにドラッグの深みにはまったブライアンの
いる場所はもうなくなっていた。
春樹さんはこのエッセイの中でスコット・フィッツジェラルドの
言葉を引用している。
「アメリカに第2章はない」
ドラッグに溺れ才能を無駄にしたブライアンに第2章はないかと
誰もが思っていた。
しかし華々しくはないがブライアンは静かに第2章を始めていた。
時は流れかってのビーチ・ボーイズたちの何人かは
もう亡くなっていた。
だけど生き残ったブライアンは静かに第2章を唄い始めていた。
そのブライアンの様子をワイキキで観た春樹さんの文章がとても良い。
まさに透明感ある水のようでありながら人肌くらいの暖かみのある文章だ。