あらすじ
秋が終り冷たい風が吹くようになると、彼女は時々僕の腕に体を寄せた。ダッフル・コートの厚い布地をとおして、僕は彼女の息づかいを感じとることができた。でも、それだけだった。彼女の求めているのは僕の腕ではなく、誰かの腕だった。僕の温もりではなく、誰かの温もりだった……。もう戻っては来ないあの時の、まなざし、語らい、想い、そして痛み。リリックな七つの短編。
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Posted by ブクログ
『蛍』
ノルウェイの森の原型。
主人公と、親友と、親友の彼女。親友は自殺し、二人は取り残される。
この、大切な人の『死』が決定的に二人を損なって、その傷に気付かまいとする、なんともいえない空気感が好き。
『納屋を焼く』
薬でトリップしているときに唐突に「時々、納屋を焼くんです」と彼女の新しい恋人に告げられる。
近くの納屋を焼く予定だともいい、主人公は探すも、結局焼かれた納屋は見つからず。後々会った時には、焼いたと言われるが……。そして、彼女は『消え』、音信不通となる。
普通だったら、主人公が代わりに捕まっちゃいそうなもんだけど、そんな簡単な話になるわけなく。
分からなすぎて、色々解釈を読みましたけれど、どの読み方も唸らせられますが、そんな多重に解釈できるメタファーが、こんな短い小説の中にどれだけ込められているの!?となって、そのことに驚愕。
さすが、ニューヨーカーに掲載された小説は一味違うぜ……。
『踊る小人』
象工場で働く僕は、夢の中に出てきた小人に、同じ職場で働く女の子を欲しいという願望を吐露することになる……。
声を出せば、小人に身体を奪われ、森の中で踊り続けることになる。小人は、女の子の肉体が腐っていく幻影を主人公に見せるが、主人公は幻影を見抜き、耐え忍ぶ。
働いている象工場がそもそもファンタジーなのだが、話の流れは、ちょっとした怖い話のテイスト。
メタファーや、バックボーンまで見抜けていませんが、革命など寒々しいイメージが、根底に蠢いている気がします。
『めくらやなぎと眠る女』
耳の疾患が、恐らく精神的なもの……。この世界との馴染めなさの一端を表しているような気はしているのですが……。
もう一遍の「めくらやなぎと、眠る女」と比べてみて考察してみたいです。
『三つのドイツ幻想』
まーじで、夢の中!?
幻想小説にも程がある!
Posted by ブクログ
めくらやなぎと眠る女がアニメ映画化されたので、どんな話か読もうとこちらの短編集を買ったけど、肝心のめくらやなぎも、そのほかの短編も、どれも読んだことがあって、初読なのは三つのドイツ幻想だけだった。
納屋を焼く、はいろいろな短編集に入っているので、読むのはもう三度目かな。
好きな話なので、良い。
蛍、納屋を焼く、めくらやなぎの短編ほ、ガールフレンドとうまくいくとかそういうことはなく、友人が死んでしまったり、友人のガールフレンドがいなくなったり、喪失についての物語だと思う。
納屋を焼くというのも、納屋を消滅させるということになるのかもしれない。けど、それは誰からも必要とされていないから、気づかれもしない消滅だ。
何かを失う、ということについて。身近だけど、あまり意識して生活することはなく、だけどあまりにも身近な物語。
Posted by ブクログ
『螢』は「ノルウェーの森」の原形とされている短編。
『納屋を焼く』は「バーニング」の題で韓国で映画化されている。
40年前の短編集であるけれど、いつもの村上春樹作品と同じく、時代性を感じさせないので現代の作品と同じ感覚で読める。
この、時代にとらわれていない感じがいいところだといつも思う。
どの時代の読者が読んでも、その時代時代を借景にして普遍的に通じるのである。
本作に収録の短編はどれも完成度が高く、ミステリアスな感じも村上春樹作品の入門としてよいと思う。
Posted by ブクログ
村上春樹さんの再読2冊目。この本は案外内容を覚えていた。もう20年以上前に読んだはずなのに、深く印象に残ったのだと思う。特に「納屋を焼く」が独特で好きだ。これを原作とした韓国映画「バーニング」も読後に観てみたが、自分の想像とはずいぶん異なる雰囲気と結末だった。想像の余地が大きいのが春樹さんの作品のまた面白いところだなと思った。
Posted by ブクログ
映画『めくらやなぎと眠る女』が好みの映画だったので、数年ぶりに引っ張り出して読み直した。
村上春樹の作品のなかでは長編、短編含めて一番好きな作品かもしれない。
特に本作のなかで一番好きなのはイ・チャンドン監督で映画化された『バーニング』の原作『納屋を焼く』だろうか。ミステリアスだがホラー的な要素もあって面白い。
そして『踊る小人』もシュールな怖さがあってとても良い。寓話のような、ファンタジーのような雰囲気もある。
『ノルウェイの森』の習作となった『螢』も良かった。何ならこっちのほうが良いかもしれない笑
読後、どこか空虚さを感じるのだが、この独特な空虚さを感じるのも村上春樹作品の魅力かもしれない。
Posted by ブクログ
理屈がないのに滑らかで、安心感のあってそれでいてやるせのない話を読んでいると、この感情は自分ただ1人しか味わえない、誰にも共有し得ないものだと実感すると同時に、自分がだだっ広い空間にポツンと投げ出されて行き場をなくしたような停滞感も味わうことになる。進めないのか進みたくないのか、もう分からない。
Posted by ブクログ
7つのうち、最初の短編の「蛍」で、「僕」は「彼女」と中央線の電車の中で偶然に出会い、四ツ谷駅で降りる。その後、彼女は何も言わずに歩き始め、僕は、そのあとを1メートルほど離れながら歩く。四谷から飯田橋、飯田橋から神保町の交差点を経てお茶の水、さらには本郷に抜けた後で、駒込まで、僕は彼女のあとをついて歩く。そして、彼女は僕に「ここはどこなの?」と聞く。「駒込」と僕が答えると、彼女は「どうしてこんな所に来たの?」と尋ね、僕は「君が来たんだよ。僕はあとをついて来ただけさ」と答える。
グーグルマップで調べてみると、四ツ谷駅→飯田橋駅(2.1km、徒歩27分)、飯田橋駅→神保町交差点(1.2km、18分)、神保町交差点→御茶ノ水駅(950m、15分)、御茶ノ水駅→駒込駅(ここはほぼ直線、4.3km、62分)となり、合計で8.5km、122分となる。全く休まずに、口もきかずに、それだけの距離と時間を歩きとおし、「どうしてこんな所に来たの?」と僕に質問してしまう。
彼女は、彼の高校時代の友人のガールフレンドだったのだが、彼の友人は、どういう理由か分からないまま自殺してしまう。それから久しぶりに彼女と僕は偶然会うのだが、僕から見て彼女はやせてしまっていて、そして、上記の通り、普通ではない。
その後、彼女と僕は時々デートを重ねる。そして、クリスマスの夜に結ばれるが、彼女はそのまま僕の前から姿を消してしまう。その後に来た手紙には、彼女は「療養所」に入っているという内容が書かれている。
僕の友達の自殺により、彼女は心に深い傷を負い、まだ癒えてはいない、というよりも、異常をきたしている。デートを重ねるが、彼女は僕と一緒にいても、僕のことを見てはいない。「彼女の求めているのは僕の温もりではなく、誰かの温もりだった。」そのように、僕は感じながらも彼女と会い続ける。そして、結ばれた直後に、彼女は姿を消す。
とても哀しい物語だと思う。なぜ、このようなことが起こるのかということには、小説の中では一切触れられていない。ただ、そのように時は過ぎていくのである。
小説の最後に、僕は、別の友人からもらった瓶に入った蛍を屋上で逃してやる。蛍は飛んでいき、弱い光を放つが、彼にはその光をつかまえる術はない。
Posted by ブクログ
「納屋を焼く」の話が印象的だった。スマートな見かけの青年が、どういう理由か周辺の納屋を焼いていく。納屋を焼く人と納屋は焼かない人とに分かれるという。その不思議な世界観にひかれた。村上春樹の素敵な文章に浸れて、幸せな時間を過ごせて良かった。
Posted by ブクログ
だいぶ昔に読んだ本。再読。
その頃は、二回同じ本を読まない主義というか、他にも読みたい本が山ほどある中で、後戻りしていられないという、読書を味わい尽くす使命感のようなものがあった(今もあまり変わらない)。その頃の記憶が、当時の音楽や情景に宿っていて、それは小説にも閉じ込められていたと気付く。
私にとって村上春樹はそうしたタイムカプセルの象徴であり、本書の「蛍」はストーリー自体も回想のようで、私自身の記憶と錯綜し、感情が紐解かれるようだ。そして、案外、話を覚えているものだ、というのが自分自身、意外だった。
言葉の意味も深く分からず、夢中で読んだ。その余韻に浸りながら、感受性豊かだった学生時代を思い出す。世界観、喪失感に厨二病のように取り憑かれ、誰かや自分の言葉、価値観に振り回されながら、それに陶酔していた日常を。
『ノルウェーの森』を教えてくれた人が、この短編集に世界を広げてくれたのだった。今はもう、その人と簡単に会える関係性にはないが、元気でいてくれたらなと思う。
Posted by ブクログ
新潮文庫夏の100冊で手に取った1冊。叙情性豊かな短編集です。
■蛍
ノルウェイの森の元素材となった本作。文庫本2冊分のエッセンスをギュッと纏めてくれてこちらで再読した気になります。
ラストがノルウェイの森は旅に出るストーリーだったが、こちらは蛍を放つ、と言う叙情性豊かな造りになっています(ちょっとあざといかも)。
■納屋を焼く
納屋を焼くと言う男と消え去る女性。burn the barnは分かるけど何が言いたいのかは最後までよくわからなかった(納屋を焼く=殺害のメタファーのようです)。
■踊る小人
夏目漱石の夢十夜みたいな小説。踊りの上手い小人と像工場で働く僕。夢と現実。皇帝と革命。メタファーが物凄いが、蛍に並んで感性を触られるようで本作の中では一二を争う位好き。
■めくらやなぎと眠る女
過去に関わった友人から聞いた体を蝕むめくらやなぎと耳の聞こえないいとこのお話。正直、"?"と言う感想(読み込めばまた解釈も変わるかも)。
■三つのドイツ幻想
博物館の描写はThe・村上春樹と言う感じでなかなか良かった。
Posted by ブクログ
螢を読むと、ノルウェイの森を再読しようかなという気にさせられる。この作品は抽象的な表現が殊更に多く、正直何を言ってるかわからないものもあった。だが、描写の引出しが多いのは流石だと感じた。村上春樹が他作家と異なる点はこの引出しの多さだと思う。
Posted by ブクログ
どれも味わい深い。
理由は説明できないけど『納屋を焼く』が1番好きかな。
定点観測の意味で目的を持ってランニングしたらおもしろそう。
僅差で『踊る小人』。
洒脱で不思議な杜子春みたいだった。
村上春樹の小説で革命なんて言葉が出てくるのは珍しい気がする。
Posted by ブクログ
村上春樹の小説は初めて読んだけれども、短編集はそもそも好みなのですらすらと読むことができた。
個人的には踊る小人が1番印象には残っている。終わり方が良かったからな気がする。
納屋を焼くは「バーニング」を見たので流れはわかっていたが、それでもとても示唆的で面白く読めた。
他の小説たちも、言いたいことがあるようで、だけど答えは定まっていないような感じだった。そんな「近すぎず遠すぎず」の文意が心地よく感じられるのは、村上春樹という偉大な作家の為せる技なのかなと思った。
Posted by ブクログ
村上春樹作品は本当にどれもダメなのか……と色々とレビューや感想を見て回って、そういえば村上春樹が好きと言っているブロガーさんがこの本をお勧めしていたなぁと思い出した。以前から色々な感想を書いていてブログ読者になって数年。紹介された作品の何作かを読んでいる。
ブログには、ちゃんと『こういう人には向かない』という事も書いてあるので嫌いではない。ただ、価値観は違うなと思う点は多々あるので、期待値は低かった。
それと同時に、「ノルウェイの森」のレビューを読み直していると、「蛍」を読んでみたらいいと言うのも見かけたというのもある。
ともかく、読んでみたいかもと思えたので読んでみる事にした。
読んでみて思ったのはこの本を先に読んでいたら、村上春樹作品への嫌悪はこんなに膨らまなかったかもしれないという事。
短編一作ずつ感想を書いてみる。
蛍::
ノルウェイの森を先に読んでしまったので、比べてしまう。ノルウェイの森の冒頭部分を凝縮したようなお話しだった。実際は逆でこの短編から話を膨らませて、ノルウェイの森になったらしい。
ここでは性描写は実にあっさりと書かれている。
『その夜、僕は彼女と寝た。』
この一言で説明が終わっている。あのよく分からないポルノシーンは何だったんだと言いたくなるほど、実にあっさりと『文学的』という言葉が合いそうなほど上品な仕上がりになっている。
何故ノルウェイの森はポルノにしたのだろう?本当に意味が分からない。
ノルウェイの森がダメな人は『蛍』を勧めるとレビューしていた人の気持ちが分かる。
友人の恋人と寝て、その恋人が消え去った寂しさを儚く飛び去って行く『蛍』に合わせている。というのがテンプレートな読み方なのだろう。後は各々好きに読むのだろうが……私はこういうものがあまり好きではないので、テンプレ以上の読み取りは出来ない。
そして、ノルウェイの森もいろいろと書きながら、そう言う話なのだろう。ノルウェイの森はこれでもかとポルノが挟まれるので、何が言いたいのかを読み取る前に怒りしか残らなかった。
納屋を焼く::
これも蛍に続いて読みやすい。性的描写や残酷描写がないという点において。
あらすじ。
知り合った女性の彼氏さんが「納屋を焼く」という話をしてから、主人公は「どの納屋が焼かれるのか」が気になりずっと観察を続けるが、納屋が焼かれる事はない。女性とは連絡が取れなくなる。彼氏さんとは再び偶然会う事が出来て、納屋の事を聞くと「もちろん焼きましたよ」と答えが返ってくる。
……ざっと書くと、何とも意味不明な物語だ。
しかも納屋を焼く理由は分からないが、『(納屋が)僕に焼かれるのを待っているような気がする』と彼氏さんは言う。
焼く納屋は『大きな火事にならないもの』『誰も悲しまないもの』らしい。
意味は分からないが、そこにぞくっとしたものを感じる。さらにそれを見つめると、その『自分に都合がいい解釈』は犯罪者のそれと同じだとも思う。
痴漢が『触られたいからミニスカートを履いている』と思いこむようなものである。さらにはその子をじっくり見つめて『家族がいない』『相談する人がいない子だ』と思えば、触る以上の事をして痴漢では済まなくなるだろう。
と考えると、性描写も残虐描写もないが、この物語はものすごく『グロテスク』なのかもしれない。
でも、あまりにも綺麗に書かれているので、この作品が嫌いとか嫌だという感覚はない。ただ『何となく不気味なもの』の裏側に犯罪者思考があるだけだ。それが意図されているのか、それとも全く別の意図で書かれているのか。いや。納屋を焼く行為が犯罪であるとは書いてあるのだから、やはり犯罪者の思考を書いているのだろうか?
正直どこまでが、意図されたものなのかが分からない。
映画にもなっている……と聞いたが、この短編をどう映画にしたのだろう。
踊る小人::
グロテスク表現が好き。ただし、苦手な方は要注意な作品だなと思った。
物語は踊る小人に『好きな女の子をモノにする願い』を叶えてもらうが、引き換えに「声を出したら、その身体を貰う」という約束もする。
最終的に官憲に追われる事になる。そこで、小人が囁く。身体をくれれば、逃げ切れる。代わりに森で踊り続ける。どちらを選ぶかで主人公は迷う。
最初は夢なので、そういうものかなと読んだ。が、設定はしっかりとファンタジー。ファンタジー設定は好き。
この作品の面白いのは、願いが『女の子をモノにする』つまり、自分のモノにするという事なのに、その為には『小人に身体を渡さないといけない』という点。
小人は女の子が欲しいわけではないので、主人公の身体を得るために『女の子をモノにする前に声を上げたら、身体を貰う』という条件になっている。話せないが、女の子をダンスで惹きつけてモノにする。
たぶん男の『女の子の前でかっこつける』というものが含まれているのだろうが、失敗したら『小人に身体を乗っ取られる』=『自分ではいられないほどのショック』という風に考えると……リアルだなぁと思う。
※『女の子をモノにする』というのは差別的だなぁと思うケド、その設定が物語に必要であるという事が分かるので嫌悪はない。
めくらやなぎと眠る女::
いとこを病院に送る話。
病院に送って、食堂で診察を待つ間に昔の事を思い出す。友人と友人の彼女のお見舞いに行った事を。
『友人と友人の彼女』が出てくると、ノルウェイの森?と思ってしまう。しかも、この短編の『友人』も若くしてなくなっている。この短編も、ノルウェイの森の元になっているのだろうか?……いや。気持ち悪くて、細かく調べる気もない。(調べたわけでもないのに、自動で情報が入って来る不思議。ノルウェイの森の元になってるらしいです。)
昔の友人の彼女の妄想話に『めくらやなぎと眠る女』の話が出てくる。
『めくらやなぎの花粉をつけた小さな蠅が、耳からもぐりこんで女を眠らせるの』
いとこは耳を悪くして病院に通っているので、めくらやなぎという過去の話と現在のいとこの話が繋がる。
舞台は現代(昭和?)だろうけど、めくらやなぎのファンタジー感が上手く絡まっていて好き。
三つのドイツ幻想::
1.冬の博物館としてのポルノグラフィー
最初の一文に惹かれた。
『セックス、性行為、性交、交合、その他なんでもいいのだけれど、そういったことば、行為、現象から僕が想像するものは、いつも冬の博物館である』
性行為が堂々と書けてしまうのはそう言う意味なのかと思ってしまった。村上春樹作品の中の性行為シーンは全て『絵画を見ている=現実世界から離れている』という意味で読み流せばいいのだと思う。
性行為に性行為の意味を持たせてないから、あんなにくどくどと無意味とも思えるシーンが書けてしまう。いや。他のシーンもほとんど意味が分からないものが多いのだけど……そして、最終的にまとめると『女性への郷愁のようなものを書いているだけ』な気がしてならない。どの作品もそれ以上のものが私には読み取れない。人様の感想を読んでいても、イマイチ何が良いのかさっぱり分からない。
ちょっとオシャレなパーツが入っていたり、気取った言葉が入っていたりするが、性行為がそれらの全てを台無しにしていて残念と思っていたが、性行為=博物館めぐりと考えると作者の中では性行為すら『気取ったもの』なのかもしれない。世間一般の『ポルノ』という感覚ではないのだろう。
物語のあらすじは冬の博物館で勃起する話。
勃起すら博物館の展示物らしい。……私には意味が分からないが、そう言う世界観なのだろう。
2.ヘルマン・ゲーリング要塞 1983
ヘルマンゲーリング要塞に観光に行った話。
観光後に入ったお店のウェイトレスの描写が酷い。
『彼女はまるで、巨大なペニスを讃えるといった格好でビールのジョッキを抱え、我々のテーブルに運んでくる。』
この前後に性的なものは何もないのに、なぜかここでいきなり『ペニス』が差し込まれている。
博物館の展示物という感覚で書いているからこうなのだろう。
だから、私は村上春樹作品が嫌いなんだと改めて思わせてくれた。
3.ヘルWの空中庭園
空中庭園を見に行った話。
ファンタジーなのだろうが、いまいち分からない。ドイツの地図を描けたらまた別なのか、地名はベルリンくらいしか分からないが、ベルリンがどこにあるかまでは頭に入っていない。
私の頭にあるのは『ベルリンの壁が東西を分けていた』という冷戦時代の話。それさえも詳しく知っているわけではない。
おそらく冷戦の話が混ざっているのでは?と思うのだけど、何を二人が話しているのかが半分くらい理解できない。
半分理解できないという事は物語が分からないという事だ。
それでも、『庭園が浮いている』という部分だけは理解した。読者の知識次第で理解力が変わりそうだ。
理解できないので、面白いとは思えなかった。
Posted by ブクログ
久し振りに読みたくなった、村上春樹作品。
この世界観は誰にも真似できないなとあらためて
読み終えて感じました。
「螢」は、彼の代表作の「ノルウェイの森」にも通ずる物語で、これ読んだ後にもう一度「ノルウェイの森」を読むとより深く世界観に浸ることができると
思います。
Posted by ブクログ
ひさしぶりに、村上春樹さんの小説を読みました。
文章も発想も、攻めてるな、という印象が強かった。
まだデビューから数年しかたっていないころの短編集です。
「螢」は『ノルウェイの森』の原型にもなっている短編で、
読んでみると、なんとなく懐かしさを感じました。
そしておもしろかったし、
その攻めた具合についてばかりが気になって読んでしまいましたが、
それも小説を書くための勉強というか、
「こういう方法論もあるんだね」ということを知るというか、
もうこういった作品はあるから同じものはつくらないようにするだとか、
つまりは、自分の創作を、
より自由にするための読書体験になったかなあ、と思います。
どれもよくできているし、
その、意識と無意識の狭間でしかとらえられないような、
意識の上ですれすれだといった体でとらえられるような、
そんな感覚的なものを描写する著者の力はさすがだなと
再度、感じ入りました。
お気にいりは「めくらやなぎと眠る女」です。
短編のすべての描写、文章に無駄があってはいけなくて、
すべてが繋がっているべきだ、みたいな方法論があるように、
なんかで読みましたが、
この短編にはそういったところが希薄でしたね。
老人たちがバスに乗り合わせていることに、
もしかすると深淵な意味があるのかもしれないですが、
僕にしてみればデザインとか構図的な配置だとか、
そういう種類の文章の並べ方に思えた。
わかりやすい伏線であるとか、
そういった意識で簡単にとらえられるような、
意味上でのつながりばかり短編を編まなくても、
これだけ、「読める」小説ができあがるじゃないか、と
そんな感慨を抱きました。
文章もさっぱりしているし、
裏表紙に「リリックな」と書かれていました。
ぼくがさきほど、構図的だとかデザインだとかいったのを、
もうちょっと咀嚼して考てみると、
リリックに近くなるような気もします。
そんな感じで、
村上春樹作品の気持ちよさを感じらる作品集でした。
Posted by ブクログ
まだ荒削りな時代の村上春樹の短編集。
納屋を焼く、踊る小人は結構不気味で面白かった。
蛍はノルウェイの森だね。懐かしい。
めくらやなぎと眠る女は短編にしては盛り込みすぎな感じがしてあまり入り込めなかった。
三つのドイツ幻想、超短編なんだけど、なんとなく凄い心に残る作品だった。なんでだろう..??
特にヘルWの空中庭園に関しては、村上春樹の世界観や想像力に感服する。
ヘルWの空中庭園の絵があれば買って飾りたいな。
すごく素敵な情景。
ドイツ行ってみたいな、来年行ってみよう。
Posted by ブクログ
どことなく概形を掴むのがむずかしい作品が多かった
きっとこの作品の消化を良く見るのが村上春樹の短編集の読み方なのであろう
象徴的な比喩描写と,感想描写
無理をしたような言い回しもどことなく多い気がした
何かを描くために何も描かない
そんな本作を読むにはきっと村上春樹を読み続けるしかないな
Posted by ブクログ
5~6年ぶりに再読。「螢」では自宅近くの情景(和敬塾、椿山荘等)が記されており、特に親近感を持って読むことができた。また、「納屋を焼く」や「踊る小人」は率直にどのようにそのような世界観を着想する/提示することができるのか...と感じさせられた。久々に著者の初期作品の文体に触れ、なんとも言えない読後感を体験。以下の通り、印象に残ったフレーズはありつつも、やはり自分は著者の長編作品を好むのだと再認識した。
特に印象に残った箇所は以下
・しかし僕の友だちが死んでしまったあの夜を境として、僕にはもうそのように単純に死を捉えることはできなくなった。死は生の対極存在ではない。死は既に僕の中にあるのだ。そして僕にはそれを忘れ去ることなんてできないのだ。何故ならあの十七歳の五月の夜に僕の友人を捉えた死は、その夜僕をもまた捉えていたのだ(p.31)
・失った経験のない人間に向って、失われたものの説明をすることは不可能だ(p.129)
・「つまり誰の目にも見えることは、本当はそれほどたいしたことじゃないってことなのかな」と僕は言った(p.175)
Posted by ブクログ
ノルウェイの森、の元となった蛍が収録されています。
初期の村上作品はとても本の内容というよりは文章自体を読ませる、なにか独特な密やかな静けさを持っています。読後感もなにか曖昧模糊な雰囲気があり、それはそれでおもしろいです。
Posted by ブクログ
大麻を吸いながら狙いを付けてる納屋の話をしているシーンがめっぽう気味悪い。
放火ではなく強姦だとか殺人だとか、色んな説があるけども、どれであってもアカンやつ。
そんな時はお口直しに蛍を読むといい
Posted by ブクログ
村上春樹さんの小説にハマってしまいました♡
消せない過去とか
満たされない想いとか
生きていく上で運命的に抱えてしまった傷跡に
向き合う彼らたち…
その時に与えられる 極上の孤独感や喪失感など
どれもその時にしか感じられない感情ばかり…
自分と向き合うことって
幾つになっても
苦しくて辛くて少し重い…
言葉にできない想いを
いつも求めていた言葉として表現してくれている
読み終えた時は 不思議と満たされた想いになる…
特に短編の中で
『蛍』の小説がお気に入り♡♡
『ノルウェイの森』の原型に
なっている小説ようで
遠い日の記憶や 夢を辿っていく柔らかい空気感が
小説の中に漂っていました…
Posted by ブクログ
村上春樹は喪失の物語だと思っている。『ノルウェイの森』の原点と言われる『螢』、『納屋を焼く』『踊る小人』など、これぞ村上春樹という作品の数々に酩酊しながら読み進める。何が起きているか分からないままに、文体に酔いしれる読書体験は唯一無二だと思う。だからこそ、こんなにも読み続けられる作家であり、評価されるのだろう。皆と同じではダメなんだ(言い過ぎか?)。オリジナリティがほしいのだ。
Posted by ブクログ
複数の短編が収録されており、その中の一つ『螢』は、のちの長編小説『ノルウェイの森』につながる作品である。本作では、主人公が住む学生寮にまつわる出来事が描写されるが、これは『ノルウェイの森』の前半部分に似ている。また今年の夏公開のアニメ映画『めくらやなぎと眠る女』も収録されている。
Posted by ブクログ
まあ悪くないけど特別良くもないかなぁという感じ。もう村上春樹は飽きちゃってるのかもしれない。慣れているから安心して読めるから手に取ってしまうだけな気がしている。そろそろ別の作家を見つけたい。
螢。ほんとにそのままノルウェイの森。人物に名前がなくて、ミドリが登場しない。
小人の話は割とよかった気がする。御伽話のような感じ。欲に目が眩んだ主人公がいっときは欲しかったものを手に入れるけど、結局のところうまくいかない。彼は最終的にどちらを選んだのだろうか。俺なら踊り続ける気がするな。
従兄弟の病院の付き添い。病院に対するイメージはノルウェイの森で書かれていたのとどこか共通するものがあるような気がする。病院を特別なものとして捉えているのだろうか。
最後の三つの短編はよくわからない。正直流し読みした。
Posted by ブクログ
早稲田の村上春樹ライブラリー(安西水丸展)に行こうと思う。電車の中で読む本がなかったので、これは春樹氏の本を持っておくべきだろうと思い、古本屋に入って本書を購入、表紙も水丸さんのモノだし申し分ない。
他の作品は結構繰り返し読んでいるのに、これはあまり再読した記憶がないな。ページをめくる。像工場の話は出だしほとんど覚えていなくてびっくりする。
春樹氏の本に共通する、死、現実みたいな夢(あるいは夢みたいな現実)、友人女性の消失。納屋を焼くは映画化されていたのか、尺的に話を膨らましているだろうから見てみたい気もする。ドライブ・マイ・カーはそんなに面白くなかったけれど。