あらすじ
F・スコット・フィッツジェラルドの母校プリンストン大学に招かれ、アメリカでの暮らしが始まった。独自の大学村スノビズム、スティーブン・キング的アメリカ郊外事情、本場でジャズについて思うこと、フェミニズムをめぐる考察、海外で深く悩まされる床屋問題――。『国境の南、太陽の西』と『ねじまき鳥クロニクル』を執筆した二年あまりをつづった、十六通のプリンストン便り。
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本書は、数多くの名作を生みだしたあるいは平成の文豪とも呼ぶべき作家、村上春樹によるエッセイです。
著者は1991年から4年半の間アメリカに住んでおり、その体験を主として、90年代のアメリカ社会の情勢やアメリカに住む人々の暮らしなどが描かれています。
ただし、内容は単なるエッセイに止まりません。
文学を創り出す村上の「人」の存在意義や社会的立場に対する考え方が直に伝わってきます。
そして、タイトルの「やがて哀しき外国語」とは本人の中に存在する日本語の情緒を示しています。
あとがきにも書かれていますが、村上に影響を与えた作品の多くは英語の外国小説です。
日本人として生まれ日本語を自明な母国語として生きていたものの、小説家村上春樹としては英語のもつニュアンスが深く影響している、そのようなことを表現している言葉ではないでしょうか。
村上春樹の文学的世界観を通して感じる日常を是非味わってみてください。
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Posted by ブクログ
村上春樹がアメリカで生活していた1991年から2年間の生活を綴ったもの。NYの有名大学の永年教授の方から教えてもらった、これを読んだらいいよという本がこちら。過去も読んだことがあったのだが、改めて購入。
プリンストンは、非常にのんびりした、お金のことをほとんど話さない、自分のやりたいこと、興味あることをやるという雰囲気がすごく気に入ったようで楽しんでいる様子が伝わってくる。一方で、教授たちは、どのビールを飲むべきか、というようななんともべきろんを持っていて面倒くさい。スノッブなプリンストンの人たちは、日本のような流行だけを徹底的に追いかける風潮から一線を画していて、とても自分nペースで生きている感じがしているのだと思う。基本的に、自分のこと優先の国だから、とにかく自分がやるべきだと思ったらやるし、それを人に押し付けない、社会的にも押し付けない、というのがいいところ。サムエルアダムスはOKだけど、バドライトはうーむ、というのは面白い。ニューヨークでは、もはや誰一人として気にしていないだろうし、飲まない人も多く、タバコも吸わない人も多い、飲んでもすぐ帰る人もいれば、ダラダラとやっている人もいる。ハイチェアーから崩れ落ちて落下して怪我する人もいる。でも、全部自己責任。
アメリカで村上春樹という小説家が感じたのは、何をやりたいか、出会って何をやるべきか、ではないということ。自分が心からやりたいことをやればいい。そういうマインドをアメリカからは死ぬほど感じるからだ。
あとは大共感してしまうのは、いつもそうだけどレコードが好きなところ。音がふっくらとした雰囲気があるので、、、というくだりなど、本当に小説家の表現は素敵だなと思ってしまう。
すごく客観的に、だけど日本という文化を愛しているなと思うのは、車のところだろう。アコード、その後VWに乗る村上氏。BMWが、日本車には歴史がない、教育がない、だから車としてはヨーロッパ車だという選考的な考え方、白人至上主義的、ヨーロッパが文化的、教育的に優れているという前提に対して、色々な文化を受け入れ(表面的にはと書いてある点はすごく気持ちがこもっているが)、その多様性を梃子に成長しようとしているアメリカ、その中で特色自体がないと言われながら、カローラを磨いていく日本。
奥様が何をやっているか?という質問に対して、専業主婦とか小説を手伝っている、では全く納得しないアメリカ人の話もそうだ。だんだんと、何もしていないように思えてくるのかも知れないし、何かやらないといけない。このアメリカという国では、こうした議論が男女関係ない話ではあるのだけれど、すべてが女性の自立、フェミニズムというところに行き着いているように見えて、でも人はそれぞれ、なんだろうという結論に村上さんは至ったようだ。この1週回った感じは、アメリカに住んでみると大いに感じる。エクスキューズしない、これが男の子の要件だと、でも本当に難しくて、おもわずそれは、、と説明ちっくなことを言ってしまう。いいのか、悪いのか、そこだけ先に言う英語の文化は、スパッといくし、いい分け始めると相手が変な顔をする。
タイトルにもなった、哀しき外国語のところが、おそらくこの本のもっとも深く、意義深いところだろう。おそらく教授もここの部分を鮮烈に記憶していたからこそ、本書をあげたはずだと確信している。自らを外国語の環境に身を置いている村上さん、でもワイパーの英語がわからなかったり、店員にWhat?と聞き返され、子供が流暢に話しているのを聞いて自己嫌悪に陥る。まさにウルトラマン状態、つまり機関銃の乱射のような英語の中で、だんだんついていくだけでもやっと、自分から話ができなくなってくるという症状だ。これをウルトラマン的な例えも秀逸ながら、本当にそうだ。テキーラを飲んで気合いを入れて頑張るけれど、1時間半くらいでネタと会話の中身を自分からクリエイトできなくなってくる。だから、飲み会(パブとか)はみんな1時間くらいでおさらばするんじゃないかな、アメリカ人もそんなにネタないっしょという状態なんじゃないかなと自分を鼓舞している。頑張ろうぜ、と村上さんから言われている気持ちになる。ビルエバンスのレコードをかけつつコーヒー、素敵な文章、飾らない感覚と共に、休日の朝の時間がとても有意義に感じる本である。行き着いた境地が、やがて哀しき外国語であることを少し頭に置いて、日本に帰り、じっくりと日本語に向き合った村上さんの小説を楽しみに。
Posted by ブクログ
プリンストンにいた頃のエッセイ。
ストレンジャーとして暮らすアメリカでの経験、そこで感じた様々なことなどとても面白かった。
リムジンの運転手とのジャズ談義は最高に面白かった。
読んでいる途中で「そうそう!」と深く同意したり。
「共通一次男」は笑った。でも笑ってる場合ではないかもしれないなぁ。現在の日本の状況を見てるとね。
Posted by ブクログ
考え方が好き。
純粋で素直な人。
心から流れてくる言葉。
そういう文章を読むと少し楽になれる。
何かに縛られず自由で純粋でワガママに生きていく可能性があるなら、そうしないことが神への冒涜と思わないか。
Posted by ブクログ
20年以上前にアメリカ留学していた頃、よくわからない言葉と文化と習慣の中で生きていくのが精一杯だった頃に、「遠い太鼓」と一緒に傍に置いていた本。電子書籍もなかったし日本語の本なんてとても高価でなかなか買えなかったから、文庫本の表紙はボロボロ、中のページもよれよれになるまで読み返していた。だから今でも、この本を開くと当時の気持ちが空気付きで思い浮かぶ。
Posted by ブクログ
いかにも村上春樹節といった語り口で、どこか飄々としながらも癖のある文体が良い。
日本という国を外から見た形が独特の視点で語られていて、なかなかに面白い。
Posted by ブクログ
村上春樹がプリンストン大学に身を置いていた時に書いたエッセイ。時期的には、1991年から1993年にかけてのこと。村上春樹は、けっこう真剣に書いているように思えたし、今からだと30年以上前の話ではあるけれども、それでも、相当に面白く読んだ。
1991年と言えば、日本のバブル経済が崩壊した年であるが、1991年が「崩壊した年」であったとは、後から定義されたことであって、その当時は、バブルの頃ほど、日本経済も調子は良くないけれども、まだまだ世界トップクラスだし、またそのうちに調子を取り戻すと日本人は楽観的に考えていた時期だと思う。それにまつわる話として、輸出攻勢をかける日本人というか、市場を席捲していた日本車に対しての反発がある(特に村上春樹のアメリカ生活初期の頃、1991年には)ということが書かれていて、やはり隔世の感を感じる。
実際、私も2003年から2004年にかけてイギリスに留学したのであるが、バブル崩壊から10年以上経過したその当時であっても、日本経済はそれでもまだトップクラスであろうと思われていたし、また、不調もそろそろ出口が見えてきたと思われていたように記憶している。私が通っていた大学があった田舎町にも、日本人留学生はたくさんいたし。
そういうことを思い出しながら、人間というのは、世の中が変わっていることに気がつくのに時間がかかるものなのだな、と改めて感じた。
Posted by ブクログ
著者がアメリカに滞在していた頃に書いたエッセイ本。アメリカで過ごしたときに出くわした体験を主に綴っているが、なかでも興味深いのは、著者の小説を書くまでの過程に触れた「ロールキャベツを遠く離れて」と日本のエリートに言及した「ヒエラルキーの風景」の2つである。前者では、著者は学校で習ったことよりも、店を開いて肉体労働をした時期のほうがより多くのことを学べたと語る。また大学生のころ、何かを書きたいと思いつつも、何をどういう風に書けばいいのかわからなかったといい、そこから著者は書けないときは無理に書かなくていいという結論を出す。自分というものを確立するための時間、経験が小説を書くに至るまでに必要なことだったと語る。後者では、著者はこれまで接してきた日本のエリートを見て、日本はエリートが幅をきかせている国で、彼らは個人的な価値観よりも自身が属してる会社や官庁、または共通一次の点数を重視していると痛感した。
Posted by ブクログ
エッセイはあまり読まないのに、何故春樹氏のエッセイは何度も読んでしまうのだろうか?
実家に帰ったときに本棚を覗いていて目に入ってきた「やがて哀しき外国語」何回も読んではずなのにどんな話だっけかな、今英語を勉強しているのに哀しくなってしまうと困るなと思い、持って帰って読む。
そうだ、著者がアメリカで暮らしていたときに体験した、経験したことのエッセイだった。床屋の話は何度読んでも笑う。
鋭い考察をわかりやすく説明し、たまに抜くところが、読んでいて楽しいし、疲れないんだろうなと思う。
学生の頃はこれを読んでいて、私もいつか外国で暮したいなと思ったり、今回読んだ時はそうだよな、昔はそういう時代だったよな。懐かしいと思ったり。
Posted by ブクログ
「多くは住宅ローンに追われ、レイオフの影に怯え、景気の果てしない後退に不安を感じ、アメリカの理想の変質に戸惑いを感じ、教育費や医療費の暴騰に頭を悩ませている。銀行強盗に走った件の弁護士のように、何かひとつがうまくいかなくなったら、一歩足を踏み外してしまったら……という漠然とした恐怖がそこにはある。「ごく普通にやっていればだいたいうまくいくものだ」という楽観性―-中産階級にとっての最大の宝――がだんだんその効力と説得力を失いつつあるように僕には感じられる。」(スティーブン・キングと郊外の悪夢)
かれこれ30年前にアメリカについて書かれたこの一節が、2020年代の日本を先取りしていたことを、いまさらながら実感した。実は当時この本を読んだのか記憶が曖昧なのだが、当時は読んでも気づかなかったのだろう。
日本社会はアメリカ社会を後追いしているというのは巷間言われてきたことなので驚くことではない。別に村上春樹だけが気づいていたことではない。
だけど、それをどう表現して伝えるかが「書き手の腕」で、そこはさすがなんだと思った。
というわけで、排外主義の広まり(30年前のアメリカでは湾岸戦争でとりわけ顕著だったにしても)だとか、街を歩いていて買いたくなる商品が減ったとか、現代の日本において「ちょっとこれは似ているかも」と思わせる記述がいろいろとあった。
作家(とりわけ村上春樹)のエッセイを「社会の写し鏡」みたいにして読むのは野暮かなと思う反面、でも歴史上、文学者たちが書いたものはそういう風にも読まれていたんだよ、と開き直ることにする。
Posted by ブクログ
村上春樹が90年代にアメリカで暮らした時のエッセイ。今と比べると、生活様式や人々の考え方がだいぶ違うんだと思うけど、今まであまり考えてこなかったアメリカ人の内面や日常が知れたみたいで、楽しかった。
p49
「お金? ああ、そういえば世の中にはお金みたいなものもありますね」
という雰囲気とは・・・?
Posted by ブクログ
初めて村上春樹のエッセイを読んだ。
海外に移り住んだからこそ見えた日本のこと、日本との違いのおかしさや難しさ、楽しさ、などなど色んなことが、村上春樹節で綴られていてとても面白かった。
昔好きだったジャズの話やジャズ喫茶を経営したからこそ得られた知識や経験、外国語を学ぶに当たって感じた年齢という壁のこと…
全てが私にとって未知の世界の話で、理解しきれなかったことばかりだと思いつつも、理解できたであろう2~3割の部分を、これからの生活に活かしていきたい。
Posted by ブクログ
「村上春樹」のエッセイ集『やがて哀しき外国語』を読みました。
「村上春樹」作品は2年前に読んだ短篇小説集『レキシントンの幽霊』以来ですね。
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「村上春樹」の魅力の世界
プリンストン通信久々の長篇エッセイ アメリカより愛をこめて
「F・スコット・フィッツジェラルド」の母校プリンストン大学に招かれ、アメリカでの暮らしが始まった。
独自の大学村スノビズム、「スティーブン・キング」的アメリカ郊外事情、本場でジャズについて思うこと、フェミニズムをめぐる考察、海外で悩み苦しむ床屋問題――。
『国境の南、太陽の西』と『ねじまき鳥クロニクル』を執筆した二年あまりをつづった、十六通のプリンストン便り。
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講談社のPR誌『本』の1992年(平成4年)8月号から1993年(平成5年)11月号に連載されたコラム『人はなぜ走るのか』をまとめたもので、表紙及び挿絵は「村上春樹」作品でお馴染みの「安西水丸」… 1997年(平成9年)に文庫化された作品です、、、
ちょっと肩の力を抜いて、軽めの作品を読みたい気分だったので、「村上春樹」のエッセイを選択したんですよね… 「村上春樹」作品って、文学作品は理解できない部分が多いのですが、エッセイや紀行は共感できる部分や新しい発見があって大好きなんだよなぁ。
■文庫本「やがて哀しき外国語」のためのまえがき
■プリンストン──はじめに
■梅干し弁当持ち込み禁止
■大学村スノビズムの興亡
■アメリカ版・団塊の世代
■アメリカで走ること、日本で走ること
■スティーヴン・キングと郊外の悪夢
■誰がジャズを殺したか
■バークレーからの帰り道
■黄金分割とトヨタ・カローラ
■元気な女の人たちについての考察
■やがて哀しき外国語
■運動靴をはいて床屋に行こう
■「カーヴァー・カントリー」を描くロバート・アルトマンの迷宮映画
■ロールキャベツを遠く離れて
■ブルックス・ブラザーズからパワーブックまで
■ヒエラルキーの風景
■さらばプリンストン
■「やがて哀しき外国語」のためのあとがき
「村上春樹」がアメリカのプリンストン大学に客員研究員として滞在していた約2年間の出来事がストレートに描かれたエッセイ、、、
大学関係者やプリンストンに在住する人々の価値観(何がコレクトで、何がアンコレクトなのか)が描かれた『大学村スノビズムの興亡』や、
日米の走ること事情(選手のためなのか、主催者のためなのか)を比較した『アメリカで走ること、日本で走ること』、
アメリカで身近に感じるサイコパスの恐怖を描いた『スティーヴン・キングと郊外の悪夢』、
プリンストンで使うクルマについて考察した『黄金分割とトヨタ・カローラ』、
アメリカ在住にも関わらず、意外とアメリカのモノを使っていないことに気付いた『ブルックス・ブラザーズからパワーブックまで』、
が印象に残りました… アメリカに行ったことはないし、プリンストンの事情も25年くらい経っていて大きく変わっているでしょうけど、一度、この眼で確かめてみたいな、という気持ちになりましたね。
Posted by ブクログ
自分が経験したアメリカ生活で見たこと、感じたことをぽろぽろ思い出しながら読んだ。
本を置いた後も、ひとつの記憶からまた違う記憶も引っ張り出されて、忘れかけていたあの頃の思考が呼び戻される。忘れてたのではない。今の思考に大きく影響しているはずで、そう考えるようになった背景やきっかけを思い出してきた、というのに近い。
それに加えて、細かな記憶も。私は癖のある毛質を持つので、やはり向こうで過ごした7年間、どの美容院へ行くか真剣に試行錯誤したなぁ、とか。
クラスで、やたら女性にドメスティックなイメージを植え付けるような50年代のエンターテイメントに対して激しくpro/ conで議論していたのを引いた目で見ていたり。そこまで否定までせずとも、、
あの頃の考え方まで、引っ張り出せるきっかけになるとは。
良い読書だった。
Posted by ブクログ
p282
日本語が外国語に比べていかに美しく、また優れた資質を持った言語であるかを言い立てる人は世間に数多いけれど、それは正しいことではないと僕は思う。日本語が素晴らしい言語に見えるのは、それが我々の生活からしぼり出された言語であるからであり、それが我々にとって書くことのできない自明的な一部になっているからであって、日本語という言語の特質そのものが優れているからではない。あらゆる言語は基本的に等価であるという認識がなければ、文化の正当な交換もまた不可能である。
Posted by ブクログ
村上春樹ファンにとって、村上春樹を知れる嬉しい一冊。
印象深かったのは、なんといっても、村上春樹が小説家になったきっかけの逸話。
そんなささいなことで、天才は目覚めるのだなと思った。
そして、そういった出来事は、誰にでも起こるかもしれない、という言葉は、とても勇気づけられた。
また、村上春樹からの何かを書きたいと思っている若い人へのアドバイスとして、
「書けないときにはべつに無理に書かなくてもいいんじゃないか」と言っていることに、村上春樹もそう思ってるのかと嬉しくなった。
その他のことでいうと、海外暮らしでの、日本との違い、アメリカという国のことを知ることができて、とても面白かった。
日本がいかにキチンとしているかというのも再確認した。
髪型にこだわりがないものの、床屋にたいへん苦慮している、というところと面白かった。
正直なところ、小説だと思って本書を買ってしまい、少し拍子抜けしてしまったが、読み進めていくうちに村上春樹のことが少しわかった気持ちになれ、アメリカのことも少しわかった気持ちになり、とても面白かった。
Posted by ブクログ
24年ぶりに、ふと読んで見ました。「六年前には大学ノートに手書きで『ノルウェーの森』を書いていたが今はマッキントッシュ」という件には時代の流れを感じました。逆に「冷戦にも湾岸戦争にも勝ったこの国の人々がそれで幸せになれたわけではない」「アメリカ人の敵対意識がフセインから日本経済そしてネオナチに移り変わる」様子には、アフガンを撤退し、コロナによるアジア人差別に繋がっている今のアメリカと何ら変わらないと感じました。その時代の空気を感じられることに併せて、やはり村上春樹のエッセイは素敵です。
Posted by ブクログ
「村上春樹は短編やエッセイが読みやすいし面白いよ」、と中学時代から村上春樹の作品を愛読書とする友人からアドバイスをもらい、たまたま古本屋で手に取った一冊。
『海辺のカフカ』冒頭でなぜか挫折してしまった事実が嘘のように、読める読める。大学時代、通学時間に1ページ1ページ繰るのを楽しみに読んだ。
アメリカでの生活や、彼の哲学や思考がよく分かる。所々ウィットに富んだ文章があり、読んでいてふふっと笑ってしまう。
また、日本の自動車不買運動が起こっていた時代にアメリカに住んでいたとのこと、その文章の端々からトランプ政権へと右傾化していく保守的なアメリカ人たちの予兆のようなものが感じ取れる。丁度トランプがヒラリーを打ち破った時にこれを読んでいたので、「村上春樹すごー!」と思ったり...。
この本をきっかけに他のエッセイを読み始め、今では小説も好んで読んでいます。
Posted by ブクログ
文庫を読んだのにこちらに電子版で登録してたのを直したく再登録。
結構面白かった記憶。
読んだの結構前だしせっかくだし読み直してまた感想書く。(Twitterか)
Posted by ブクログ
村上春樹は小説よりもエッセイの方がおもしろいなーって思ってる笑
特に遠い太鼓は好き。職業としての小説家も好き。エッセイを読んでこの人面白いってのが俺の村上春樹の入り方だったなぁ。
このエッセイは何年も前に途中まで読んで、あれ?村上春樹にしてはなんかビミョーかもってなってそのままになってた本。改めて読んでも、やっぱりビミョーではある。でもそれがなぜなのか、何が他のエッセイ本と違うのか、今も昔はよくわからん。
村上春樹の外国旅行記や、実際に住んでみてのエピソードは興味深いんだけど、どうしてもこの本は普通って感じてしまう。なぜなのか...。
Posted by ブクログ
ただの外国紀行エッセイではなく、村上さんの信念なり考えなりが十分に詰まったエッセイだった。「村上朝日堂」よりも真面目な感じがある。
「元気な女の人たちについての考察」では、女が夫と離れて自分の仕事をして自立していることが良いこととされるのは少しめんどくさいなと思った。今のアメリカにはこんな考えはもうないのかもしれないが、女の自立を縛られすぎて夫の補佐をすることが変、または悪となってしまってな、自由を謳う国であるくせにそれほど自由な考えができないのだなと感じた。
村上さんは、日本の小説をほとんど読んでこなかったと言っているがそれが今では日本を代表する小説家の1人になり、小説家を志望するたくさんの人々の憧れになっているのは面白いなと思った。
Posted by ブクログ
がっつりディープなアメリカの実生活と彼の叡智に富んだストーリー
アンダーグラウンドレイルロード
南北戦争以前に建てられたシンシアさんの家
ツルゲーネフの小説に出てきそうな光景
かのスコットフィッツジェラルドの孫に当たる
グレイトギャッツビー
ゼルダの絵画
“rough neighborhood”
感謝祭の日にリムジンバスを運転する黒人ドライバーとジャズの話をするシーン
床屋の話
ちょきちょき→しゃきしゃき→さきさき
これは日本だなあと思わせる説得感があった
これは日本とその他諸外国の床屋を回ったからこそ気づくことができる著者の視点だと思う、それが面白い
日本のヒエラルキー批判かつ描写はごもっともだった
ー自分自身の個人的価値より自分の属している会社や官庁の名前や、あるいは自分が勝ちとった共通一次試験の点数の方を、ずっと「真剣に」大事にしている。。というか、それがおそらくそのままの自分自身の個人的価値になってしまっているという驚愕の事実
ーそう思うとなんだか暗澹たる気持ちにならざるを得ない。
でもまともな人はちゃんとまともですよね、
僕はたまたま雪の朝に黒うさぎを見ているだけですよね、ぼくはほんとうに心からそう信じたい。
せっかく日本から出てアメリカにいるんだから、
少なくともその一年くらいは日本的なレールからひとまず離れて、ひとりの裸の人間としてみんなと気楽に混じりあえばいいのに
いささかやばい人がおおい
Posted by ブクログ
作者も意図してのことだが、よくもまあこんなにもとりとめのないことばかりを淡々と書き続けることができるものだと思う。感受性が豊か、というには些か愛嬌に乏しく、日記というには哲学的
過ぎる。口が悪いが、面白い。
Posted by ブクログ
私は村上春樹さんの本をこの本で初めて読んだのですが、文体など読みやすく他の作品も読んでみようと思いました。しかし、この本の内容は一個人として共感できるところもあれば、私には解しがたい部分もあり星を3つにしました。人それぞれ価値観が違うのであくまで村上春樹さん視点で書かれているので(作者だから当たり前ですが)『そういう人(少し失礼な言い方ですが)もいるんだなぁ~』感覚で読めば面白かったです。
Posted by ブクログ
氏がプリンストン大学客員研究員として滞在した約2年間のプリンストン生活をまとめたエッセイ集。こうした体裁の旅行記(滞在記?)は『遠い太鼓』に続き2作目とのことだが、氏の相変わらずの独特な視点と間合いが楽しい。
タイトルにもなっている『やがて哀しき外国語』とはなんとも妙味ある言葉で、普段着ではない余所行きに感じる落ち着かなさそして外からみたらそれも逆の感想にあり、そうなるとアイデンティティってなんだろう?と哲学的にもなる。まぁそれはそれとして気軽に読めて楽しめる本である。
Posted by ブクログ
筆者のアメリカ滞在記である。
アメリカの大学で教鞭をとるために滞在している為、しっかりと現地に腰を据えてそこで感じたことなどが書かれている。
長い期間にわたってアメリカに滞在していたわりには、現地でこういうことがあったという具体的なエピソードが少ないような気もするが、小説家になろうと思ったきっかけや、ジャズ喫茶を経営していた話など若かりし頃の村上さんのことも多く書かれていて面白かったです。
外国に住んでいても日本語で小説が書けるのはすごいなぁと思いました。
Posted by ブクログ
「やがて哀しき外国語」村上春樹。1992~1993に雑誌「本」に連載されたエッセイ集。講談社。
村上春樹さんは1949年生まれだそうなので、この本の文章を書いている段階で40台前半だった訳ですね。
ちなみに2019年現在、70歳くらいのはずです。
昨年12月に読んだという記録になっています。
ほぼ、内容は忘れています。
#
(本文より)
アメリカという国はもう完全に、都市部のエスニックと郊外の白人というふたつの社会、あるいはふたつの国に分かれてしまっている。そしてドラッグと銃という二大病根はこの国を土台からむしばみつつある。それらの問題は巨大な壁として人々の前に立ち塞がっていて、生半可な「社会的意識」といったようなものではとても歯が立たないように見える。それに比べれば、ヴェトナム反戦や公民権運動といったようなかつての最重要事項は本当にシンプルでわかりやすかった。
こんな一文が、「都市部のエスニック」「郊外の白人」「ドラッグ」「銃」という言葉を、ちょっと置き換えると2019年のぼくたちの暮らす場所になるのではないかなあ、と思いました。
(本文より)
実際問題として、大多数の僕と同世代の男性は毎日の仕事がとにかく忙しすぎて、余計なことなんてなにもできないという実情ではなかろうか。
いや、ほんと(笑)
#
アメリカのとある街で、大学で小説を教えるような仕事で年月を過ごした頃の、よしなしごとを書き綴ったものです。
1987年発表の「ノルウェイの森」が大ベストセラーになって以降、村上さんはなにかと日本(のジャーナリズム)が疎ましくて海外で暮らすようになったようですね。
本全体の印象としては、確か、「だからなんやねん」という箇所や、「ただの海外自慢か?」という箇所もありましたけれど、なかなかフムムと面白いところもあった、という印象です。
村上春樹さんは、もちろん偉大な作家なんですが、読み手としては、以下のパターンの受け取り方があると思います。
A全部好き
B長編小説が好き
C短編小説が好き
D翻訳が好き
E旅行記が好き
Fエッセイが好き
G対談や「テーマのある小説以外の本」が好き
H何にも好きじゃ無い
この中で言うと、僕はB → D → CあるいはG → EまたはF という優先順位の好みになります。
なので、「やがて哀しき外国語」は変な話そんなに期待せずに読んで、その割に楽しめました。
肩のこらないさらっとした楽しみ方ができますから。文章がうまいので(好きなので)。
文章が上手いから、究極、何を書こうが一定度合い、僕は村上春樹さんの文章は好きです。
ただ、村上さんの本当の凄みは、実はそのコンスタントな多作ぶりだと思っています。
上記の全ジャンルを併せると、村上さんくらいとにかく絶対量として文章を世に出して、そこにプロとしての一定のクオリティを保っている文章家はいないのでは。
質と量の総合計で言うと比べる物の無い、孤高で巨大な山脈のような存在だと思います。パチパチ。
サッカーファンにとってのメッシじゃないですけれど、本好きとしては村上さんと同時代を生きていることは、後世自慢できる幸福です。もちろん、微妙に一冊一冊、読み手に応じて好き嫌いはあるでしょうが。