あらすじ
ある日曜日の夕方、「僕」の部屋にTVピープルたちがテレビを持ち込んできたことで、すべては始まった――表題作「TVピープル」。男にとても犯されやすいという特性を持つ美しい女性建築家の話「加納クレタ」。17日間一睡もできず、さらに目が冴えている女「眠り」。それぞれが謎をかけてくるような、怖くて、奇妙な世界をつくりだす。作家の新しい到達点を示す、魅惑に満ちた6つの短篇を収録。
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Posted by ブクログ
三宅香帆の著作で人生を狂わす作品として紹介。
だいぶご無沙汰な村上春樹でした。初出誌が生まれ年の1989年というのに親近感。
標題作品の『TVピープル』を始め、全編不気味な雰囲気を纏っている。少し常識から踏み外した世界観から、私たちの日常生活への小さな歪みみたいなものを抉り出される感覚。
『眠り』の舞台設定が我が身と類似点があり、1番ゾワっとした。眠りを超越し、傾向的な消費から解放され自分の時間を過ごしている。そこに自分の人生を生きているという充実感を覚える。反面、昼間の生活に対する不信感や、踏み込んだ嫌悪感を意識してしまうに至る。夫と息子の寝顔を見ながらの感情の吐露は凄みがある。
さらに、「死」とは終わりではなく、暗闇の中で永遠に続く覚醒かもしれないという気づき。眠りの延長線上でしか「死」を意識していないのは私も一緒で、この考究はある種の絶望を与えられた。
ラストの誰でもない誰かに迫られる恐怖。深夜という非日常な世界における異質さと無秩序な空気感がおどろおどろしいわ。
村上春樹の奥深さと、やっぱり好きかもという懐古。勢いに任せて『ノウウェイの森』文庫を購入。久しぶりにこの代表作を読んでみよう。
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「自我とか意識とか」
80年代末に書かれたダークな短編たち。
個人的に村上春樹の短編はもう4、5冊目になるけど、本作は全体的にダークな印象。
後に発表される『ねじまき鳥クロニクル』とか『アフターダーク』とかに続きそうな空気が全面に感じられる。
村上春樹は自我/自己とか意識/無意識みたいな対比がちょくちょく出てくる。
本作もそんな対比の中で揺り動かされる主人公たちがポップの殻を被って描かれている。でも作中に見え隠れする闇を感じずにはいられないんだよなぁ。
表題にもなってるTVピープルなんて特にそう。
奴らは大胆に姿を現しているのに、それがあたかも、
「いや、私らなんて全然無害な存在なんですよぉ」って感じでむっつり出てくる。
それが腹立たしくもおもしろい。
その片方で自分の世界と照らし合わせて読んだらちょっと怖くもある。
悪いやつが堂々と表通りを闊歩しているのにそれが自然になってて、しかもみんな見向きもしない、ってのは妙に落ち着かないよね。
そんなざわざわした気持ちにさせてくれる短編たち。
どこか愛おしさを感じるのは村上マジックのせいだけど。
日常に飽き飽きしてる人ほど、どこか引っかかるものがあるはず。ぜひご一読を。
Posted by ブクログ
現代においてのスマホ、
当時のテレビがもたらした、思考を迷わすデジタルメディアを実写化?
なんかスマホを手にとってダラダラ見ちゃう。
テレビがついてるとついつい見続けちゃう。
何か考えたはずだったのに、なんだったっけ?ま、いっか。
となる現象を不思議な小説で描いてる。
細かい描写がすごく丁寧で、頭に残る短編小説。
Posted by ブクログ
この作品は、1990年1月の発行。これの前の短編集が「パン屋再襲撃」で1986年の発行なので、少し間が空いている。ただ、村上春樹は、初期の頃には短編集を頻繁に発表していたが、「パン屋再襲撃」以降は、その頻度ははっきりと落ちている。この「TVピープル」の次は、1996年の「レキシントンの幽霊」。そこからの短編集は、2000年の「神の子どもたちはみな踊る」、2005年の「東京奇譚集」、2014年の「女のいない男たち」、2020年の「一人称単数」となる。また、長編発表とのタイミングで言えば、本作の前は、1988年の「ダンス・ダンス・ダンス」、後が1992年の「国境の東、太陽の西」、また、1994年には「ねじまき鳥クロニクル」を発表している。村上春樹としては、小説作品を比較的多作していた時代と言えるかもしれない。
文庫本の小説(小説に限らずだけれども)には、普通、「解説」がついている。作家以外の人が、その作品についての背景を語ったり、あるいは、作品そのものについて説明を加えたりするものである。ところが、私の記憶の限りにおいて、村上春樹の文庫の小説作品には、「解説」が付されていない(単行本には、村上春樹の作品に限らず、普通、「解説」が付されていないので、村上春樹の小説には、という言い方をしても良いと思うが)。「解説」を付けるかどうかを誰が決めるのかは知らないが、普通に考えると、村上春樹が「自分の小説には解説を付けて欲しくない」と言い、出版社がそれに従ったと考えるのが自然であろう。だから、村上春樹の小説の感想を書こうとすると、「解説」の助けなしに、小説そのものに向き合って考えて書くしかない。それが、村上春樹が読者に対して望んでいることだと思う。
この短編集には、6編の短編が収められている。その中で、自分が一番好きだったのは、3番目に収められている「我らの時代のフォークロア -高度資本主義前史」だった。
「フォークロア」というのは、小説中に「民間伝承」と説明が加えられている。小説は、「これは実話であり、それと同時に寓話である。そしてまた、我らが1960年代のフォークロア(民間伝承)でもある。」と始まっている。ネットで調べると、「民間伝承」とは、「昔から人々の間で語り継がれてきた習慣、信仰、儀礼、説話、民謡、諺などを意味します」とある。
主人公は1949年に生まれた男性である。1960年代に青春・思春期を過ごした。その時代は、主人公によれば、色々なものが洗練される前の時代、すなわち、「高度資本主義前史」の時代であった。主人公は、中部イタリアで偶然に高校の同級生に会い、彼の話を聞く。同級生は、いわゆる「優等生」であり、その後も東大に入り、商社に入社し、その後、自らビジネスを始めて成功する。彼は、高校時代、これも非の打ちどころの無い「優等生」だった女性とつき合っており、彼の話は、高校時代から、32歳(だったよな)までの、彼から見た、彼と彼女のつき合いについてのものだった。主人公は、この「優等生」が苦手だったのだが、異国での偶然の再会でもあり、また、彼の話の興味深さにひかれていく。
彼の話の内容は省略するが、主人公は、短編の最後に、「でもこれは彼の身に起こった話であり、我々みんなの身に起こった話である。」と書いている。要するに、彼と彼女に起こったことは、同じ時代を生きた「我々」の誰にでも起こる話であり、だから、その話が「フォークロア(民間伝承)」であると言っているのである。
私自身は、まずは、それに違和感を覚えた。主人公の昔の同級生の話は、ありふれた、誰にでも起こる話ではない。「高度資本主義前史」である、1960年代の彼らの青春時代にありふれた話とはとても思えない。あるいは、村上春樹は、「こういった話がありふれたものであった時代が1960年代だった」と言っているのだろうか。と考えて、もう少し別の解釈もあり得るな、と考えるようになった。すなわち、彼と彼女の物語の細部は、よくある話ではないが、高校生の男の子と女の子が出会い恋をして、お互いのことを思いながらも不器用にしか相手に接することができない。そのうち、別れてしまい、記憶も薄れていくが、でも、心の奥のどこかで相手のことを思いやっている。そういった歴史はかけがえのないものであり、それを壊さないように、自分たちは生きており、それは、同時代の皆も同じだよね、と語りかけている、と解釈すれば、この題名は理解できるし、物語としても、より美しいものとして読める。
Posted by ブクログ
Humans cannot escape certain personal tendencies, whether in their thoughts or actions.
However, I want to live my life breaking free from those tendencies.
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不意に部屋にやってきた妖精のようなTVピープル。詩を読むように独り言を言う若者。不眠症の妻。少し不気味で奇妙で、だけど淡々としたいつもの村上春樹ワールドが楽しめる短編集だった。
Posted by ブクログ
ポッドキャスト「ペーパードライブ」を聴いて読んでみた。表題作と眠りについては別の短編集「象の消滅」で読んだことがあった。他の短編については正直なところあまり印象に残らなかった。
TVピープルは、何に対しても情熱を持つことが無い空疎な主人公に、さらに空っぽそうなよくわからないもの(オレンジの皮むき器のような飛行機?)が流し込まれる話と感じた。いろいろなものに白けた態度をとり続けた空の箱のような人には、少しのきっかけで何でも流し込める恐ろしさ。
この当時、ソニーのTVはきっと最新の製品と思うけど、2025年に読み返すとノスタルジックなものに見える。また、その時代設定のせいか、TVピープルが登場する際の空間の歪の描写も、80年代後半から90年代初頭の荒い画像処理で自分の脳内で再生されるのも面白かった。あの頃の世にも奇妙な物語のような質感というか。リアルタイムで読んでいるとまた全然違う世界観で読めたものなのだろうと思うと、当時読んだ人に聞いてみたい気持ちになる。
また、冒頭から主人公に聞こえている音の擬音が不思議なもので、その変なカタカナの連なり方は、表紙が佐々木マキなこともあり、佐々木マキのムッシュムニエルの呪文を連想し、より一層、奇妙な物語感が強まった。
眠りはこの短編集の中で一番良いと思った。というより、記憶の中ではこれまで読んだ村上春樹の短編の中で一番好きな作品。主人公は女性だが、途中まで主人公の性別がわからないくらい、語り口が女性的ではなく、ここにリアリティがあると感じている。女性も頭の中で考えを巡らせるときはこのような性別を超えた文章で考えるように思うので。
また、主人公が抱える苦悩(同じような毎日が繰り返される、傾向を消費される等)は、勿論女性としての苦悩であると思うし、実は男性にも響く内容だと思い、普遍性があると感じた。今読んでも全く古く感じないので、性別だけではなく時代も超えているのだろう。
ラストは恐ろしいけれどれも、この話自体が長い夢の中であり、夫と息子に起こされる描写にも見えるし、やっぱり死を想起させるものとも思えた。物語の後半で、主人公が頭と体を切り離し機械のように必要なタスクをこなしていく事は理想的な状態ではないけれども、生きているからこそできる事であり、死を迎えるときは精神と体を切り離せない状態に向かっていくのであれば、恐怖が頭の中に充満し、身体も支配されたラストは死を迎える際の一つの創造しうるパターンとして考えられそうだなと思った。でも、こんなに恐怖を感じるのだとすると本当に死ぬのが恐ろしい。
Posted by ブクログ
不思議な短編集。表題のTVピープルが印象に残った。ねじまき鳥クロニクルにもでてくる加納クレタの話もありました。著者の一昔前の作品だが、やはりどれも掴みどころのない内容になっていた。
Posted by ブクログ
登場人物たちは、なぜこんなに理不尽な目に遭わなくてはいけないのか?
この世界は彼らにしか見えていないのか?
また、別の話では、何かを象徴している出来事なのか?
うっすら肌をあわ立てながらも、深掘りし始めると止まらない。
オノマトペ?でもない?不思議な音がカタカナで表されている。
【TVピープル】
TVピープルは、この人にしか見えていない「小さいおじさん」的なものなのか。
【飛行機-----あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか】
彼、20歳になったばかり。
彼女、27歳既婚、子供あり。夫は旅行会社に勤め、月の半分は海外に行っている。家庭に問題があるわけじゃない、と彼女。ならどうして彼と寝るのか。
【我らの時代のフォークロア ———高度資本主義前史】
1960年代に若者だった僕。
「処女性」がどれくらい重要視されていたのか。
この時代は知能の高い女性でもこんな考え方だった。そういう時代だったなあ・・・
だから、これは彼の話であり、我々みんなに起こったことでもあった。
【加納クレタ】
男たちはクレタを見ると必ず犯そうとした。
ひどい運命。
【ゾンビ】
真夜中、マイケルジャクソンのビデオみたいに、墓場の近くを歩く。
【眠り】
結婚して、子供を持ってから、自分というものがなくなってしまった主婦の願望のように思える。
昼間の時間は夫と子どもに支配されている。眠っている時間を自分のために使えたらどんなにいいだろう、という願望をかなえたらこうなった?
主婦になったら本を読めなくなった、読んでいても気がつくと別のことを考えている。わかる。
Posted by ブクログ
奇妙なお話の短編。
やっぱり村上春樹は読みやすい。
スーッと入ってくる。
奇妙でも。
「眠り」が一番記憶に残る。
話の持っていき方が面白いし、世界観の広げ方が共感できる流れで好きだった。
眠りと死について。
その関係性について興味を持った。
村上春樹にしてはファンタジー過ぎない。
Posted by ブクログ
ちょっと評価をつけるのが難しいけども、、ノルウェイの森を読み終え、1Q84の途中でのこの本。
大事な友達が色々と気分が落ち込んでた時に貸してくれた本です。
分からない短編はほんとに分からなかったですが、読んで良かったです。
村上春樹さんを全部読んだことがあるわけではないので、一概には言えないけれど、読んだ感想として「村上春樹は、分からないやつはほんとに分からないけど、響くやつはほんとに響く」
と思いました。特に、我らの時代のフォークロアと眠りはすごい好きだったし、加納クレタ、ゾンビも面白く読めました。
「深い哀しみにはいささかの滑稽さが含まれている」
う~ん。分かる。
Posted by ブクログ
「眠り」が読めたので、この本を買ってよかった。他の作品はどうなのかというと、おもしろいのだけれど、手放しにそれをおもってはいけないような何かがある。ひとりの友人と村上春樹についての話をするときに、その人は作品性をこんなふうに評する。何もない、残らない、と。この一言二言だけを言ってもそのテクストの全ては伝わらないにちがいない。どうか曲解はしないでほしい。ここでそれを深く説明したりはしないけれど、たまたま耳に入った街の声くらいにおもってほしい。ただ友人に言われて僕はなんだか腑に落ちる。読み終わるときにその先、がないような気になる。読み方の問題はあるとおもうけれど。
「眠り」はよかった。ああ、ちゃんと最後まで書いてあるという安心と満足感があった。いい女性主人公がいた。アンナ・カレーニナを読みたくなった。こういう僕にとってのいい短編があるからこれからもぽつぽつと村上春樹を読みつづけるのだろうとおもう。
Posted by ブクログ
TVピープル
自分だけが気づいている世界のちょっとした違和感がどんどん増幅して行って、ついには平穏な日常が奪われる。しかし、そのことに気づいた時にはもう遅くて、日常は帰ってこない。なぜならもう駄目だから。
TVピープルがなんで小さいのか、なんでテレビを運び込むだけなのか、妻はどうしていなくなったのか、疑問点はたくさんあるけれどなによりも哀しい話として読んだ。そもそもTVピープルって悪なるものなのかな?そこもはっきりしないところが春樹っぽい。
我らの時代のフォークロア
人生のある一時点でしか成立し得ない男女のみずみずしいケミストリーみたいなものが年月を経て、失われるのを見るとなんとも言えない寂寞とした思いに包まれる。初恋の人に久々に会って幻滅したみたいな話とはまた訳が違う物悲しさ。彼女との関係性という視点で自分の人生を相対化してみた時にどこにも辿り着かない、虚無感だけが残ったのだろう。
眠り
全体として不気味な雰囲気が漂う。私が子供につける視線がなんとも言えず悲しい。「結局は他人なんだ、と私は思った。この子は大きくなったって、私の気持ちなんか絶対に理解しないだろうなと私は思った。」
究極的には人生は孤独だということに気づき、自分の冷たさに驚きつつも孤独という真理自体は揺らぐことはない。
眠るという行為が単調にすぎていく人生の意味をある種曖昧に「してくれる」。眠るという行為無くしては人間の意識は極端に先鋭化する。そして、今まで無思考に自明としてきた数多くのものが自明には思えなくなってくる。
Posted by ブクログ
自分はたまにものすごく怖い夢を見ることがあります。あともう少し見続けていたらきっと死んでしまっているような不穏な夢です。でも決まって最後のギリギリのところで目が覚めるのです。本書はそんな悪い夢に似た物語集でした。
*
村上春樹さんの本は数えるくらいしか読んでいませんが、本書は元気な村上さんという印象です。
元気といっても明るい内容ではなく、不安が増幅されるようなものが多いので、少し怖い系に入ると思います。
とはいえ現実とファンタジーを行き来する不思議な感覚は健在で、さらに独特のキザな言い回しも楽しめます。
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あー怖い。でも本でよかった
Posted by ブクログ
面白かった!
1回じゃ理解しきれない話ももちろんあったけど、想像を膨らませる余地のある話で何度も読みたいと思った。
1話目「TVピープル」が1番理解するのが難しかった。
1番好きな話だったのは「眠り」。
Posted by ブクログ
2025.14
前に読んだと思う
少なくともTVピープルは
覚えている作品と記憶にない作品があった
どれも不思議で不気味で
ハロウィンに読むのにちょうど良かった
村上春樹は本当にアンナカレーニナが好きだな
Posted by ブクログ
ホラー文学みたいな。
よく分からない話なのに怖いという作品が多かった。加納クレタの怖さが光ってる。結局TVピープルって何なの…。
眠りが1番好き。
Posted by ブクログ
良さがわからない
「TVピープル」
小人のピープルが日常生活にテレビを持ちこむ。その瞬間を僕は目擊するが、しかし周囲は全くそれを感知しない。妻も、会社の同僚も、だ。
知らずに生活に入りこむテレビをたとへた寓話かもしれない。でも、そんなのはどうでもいいことだ。SFとしてもそんなに好きぢゃないし。
妻の生態について、雑誌の位置をずらすと怒る等。妙にリアル。妻の職業は編集者で、僕の仕事は広告だ。これはいつもの村上春樹のパターンだし。
Posted by ブクログ
TVピープル。実際にこういうことが起こることはまずないと思う。だけど、どうしてもその存在が気になる。みんな普通に「在ること」を受け入れているけど、この状況には違和があるのでは?と感じてしまう。そういうのはあるのかもなって思った。
Posted by ブクログ
不気味な話が多かったなと言うのが最初の感想だった。
初めはファンタジーちっくな話ばかり!と思っていたけど、どの主人公もちょっとおかしな点が多いことに気づいて少し怖くなった。
「加納クレタ」は本当に意味がわからなかったし、怖かった。クレタがなぜ殺されなければいけなかったのか、クレタが成功したのを狙っていたかのように襲った大きな男は、クレタたちと関係があったのかとても気になる。
「眠り」も主人公は何かしらの病気を抱えてるのかな〜と思った。自分では魅力的に映っているのかもしれないが、側から見ると17日も眠らず、毎日プールで1時間も泳いでいるのは結構異常だ。最後の男から窓を叩かれるのも眠っていないことからくる幻聴、幻覚なのではないかと思った。
Posted by ブクログ
女性が主語の村上春樹の作品を読んだのは初めてかもしれない。「加納クレタ」と「眠り」。「ゾンビ」も視点は女性側だ。これまで村上春樹の描く女性が苦手で、なんだか本当にいない人たちみたいだと思ってきたけど、今回はそんなふうに思わなかった。特に「眠り」は、わたし、村上春樹作品のなかでも結構好きかもしれない。
逆にこれらの作品の中では、相手役?の男性はシンボル化されていて、中には読んだら人間味が感じられないという人もいるかもしれない。本人の殻の外にいる人たちは、相対的によく分からない存在になるということなんだろうか。
「眠り」の中で描かれている気持ちは、私よくわかる…という気持ちで読んでいた。
Posted by ブクログ
「我らの時代のフォークロア」が最も共感しやすく面白かった。
自分の中にある、名前もない、形もない感情のようなもの(自分の行動を根底から決定づけてしまう支配的なもの)を捉えてユーモアのある言葉で表現できる村上春樹はやっぱり凄い。
Posted by ブクログ
短編集。表題作は、世にも奇妙な物語で映像化できそう。「加納クレタ」のお姉ちゃんがいい。過激だけど妹思い。妹の方は不条理としか言いようがない。「眠り」は、本人的に大丈夫でも、読んでいるこちらからすると全然大丈夫じゃない。問題ないように見えていたものが徐々に歪んで、ついには人知れず崩壊するような感じが不気味だった。
Posted by ブクログ
村上春樹さんの短編集です。
のちに長編『ねじまき鳥クロニクル』に登場するキャラクターの
パラレルワールド的なお話も収録されています。
奇想天外な設定や登場人物などは、
読者の想像力を操る点で言うと、言葉の彩りを操ることで美しさなどを表現する
「詩」に近いものがあるかもなぁと思いました。光の当て方によっては
そういう見え方もする文学です。
哲学的な言葉もありますが、学問としての哲学から生まれ出るような言葉や思考が
綴られている場面があって、村上春樹さんの作品には時どきそういう記述が
出てきたりするのですが、だんだん、10代のころに比べてすんなりと読み進めることが
できるようになってきていることを感じています。
人間の頭っていうのは、鍛えられるというか、なれてくるというか、してくるものですね。
でも、逆に、10代の頃のように、鮮烈にその表現や世界観に驚かせられる程度が弱くなっていますし、
わからない表現に頭をひねってみるという素晴らしい行為も、
嘆かわしいことにそれほどしなくてもよくなっています。
ただ、やっぱり村上春樹さんの作品っていうのは、
というか、すぐれた文学作品ならばどれもそうなのかもしれませんが、
ストーリーの面白さや文章自体の面白さもさることながら、
前述したように、読んでいて、正面切って頭を使う状況になること、
それも適度な負担と快楽をともなってそうなることが、
大きな魅力なんじゃないかなぁって思いますねぇ。
変化球のように見えても、
斜に構えているように見えても、
実は的をちゃんと得ているのが、すぐれた作品のように思えます。
その作品がわかりにくくても、迷宮のようでも、
根底で捉えていることは、浅はかなものじゃないし、ズレてもいない、
逆にいえば、そうやって根底で捉えられているならば、
その他の部分では何をやったっていいのかもしれない。
なんやかややっても、ちゃんと結果がついてくるような気もしますし。
物語自体が自律的に進んでいくんだよ、って言っている作家の人もいらっしゃったような気がします。
というわけで、作品の持つ輝きや力強さには根底が大事なのかなと思いました。