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ある日曜日の夕方、「僕」の部屋にTVピープルたちがテレビを持ち込んできたことで、すべては始まった――表題作「TVピープル」。男にとても犯されやすいという特性を持つ美しい女性建築家の話「加納クレタ」。17日間一睡もできず、さらに目が冴えている女「眠り」。それぞれが謎をかけてくるような、怖くて、奇妙な世界をつくりだす。作家の新しい到達点を示す、魅惑に満ちた6つの短篇を収録。
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Posted by ブクログ
加納姉妹の話大好き! 眠れない女性の車のシーンずっと覚えてる。アンナカレーニナ読もうかな,とあれからずっと思ってる
「自我とか意識とか」 80年代末に書かれたダークな短編たち。 個人的に村上春樹の短編はもう4、5冊目になるけど、本作は全体的にダークな印象。 後に発表される『ねじまき鳥クロニクル』とか『アフターダーク』とかに続きそうな空気が全面に感じられる。 村上春樹は自我/自己とか意識/無意識みたいな対比が...続きを読むちょくちょく出てくる。 本作もそんな対比の中で揺り動かされる主人公たちがポップの殻を被って描かれている。でも作中に見え隠れする闇を感じずにはいられないんだよなぁ。 表題にもなってるTVピープルなんて特にそう。 奴らは大胆に姿を現しているのに、それがあたかも、 「いや、私らなんて全然無害な存在なんですよぉ」って感じでむっつり出てくる。 それが腹立たしくもおもしろい。 その片方で自分の世界と照らし合わせて読んだらちょっと怖くもある。 悪いやつが堂々と表通りを闊歩しているのにそれが自然になってて、しかもみんな見向きもしない、ってのは妙に落ち着かないよね。 そんなざわざわした気持ちにさせてくれる短編たち。 どこか愛おしさを感じるのは村上マジックのせいだけど。 日常に飽き飽きしてる人ほど、どこか引っかかるものがあるはず。ぜひご一読を。
現代においてのスマホ、 当時のテレビがもたらした、思考を迷わすデジタルメディアを実写化? なんかスマホを手にとってダラダラ見ちゃう。 テレビがついてるとついつい見続けちゃう。 何か考えたはずだったのに、なんだったっけ?ま、いっか。 となる現象を不思議な小説で描いてる。 細かい描写がすごく丁寧で...続きを読む、頭に残る短編小説。
この作品は、1990年1月の発行。これの前の短編集が「パン屋再襲撃」で1986年の発行なので、少し間が空いている。ただ、村上春樹は、初期の頃には短編集を頻繁に発表していたが、「パン屋再襲撃」以降は、その頻度ははっきりと落ちている。この「TVピープル」の次は、1996年の「レキシントンの幽霊」。そこか...続きを読むらの短編集は、2000年の「神の子どもたちはみな踊る」、2005年の「東京奇譚集」、2014年の「女のいない男たち」、2020年の「一人称単数」となる。また、長編発表とのタイミングで言えば、本作の前は、1988年の「ダンス・ダンス・ダンス」、後が1992年の「国境の東、太陽の西」、また、1994年には「ねじまき鳥クロニクル」を発表している。村上春樹としては、小説作品を比較的多作していた時代と言えるかもしれない。 文庫本の小説(小説に限らずだけれども)には、普通、「解説」がついている。作家以外の人が、その作品についての背景を語ったり、あるいは、作品そのものについて説明を加えたりするものである。ところが、私の記憶の限りにおいて、村上春樹の文庫の小説作品には、「解説」が付されていない(単行本には、村上春樹の作品に限らず、普通、「解説」が付されていないので、村上春樹の小説には、という言い方をしても良いと思うが)。「解説」を付けるかどうかを誰が決めるのかは知らないが、普通に考えると、村上春樹が「自分の小説には解説を付けて欲しくない」と言い、出版社がそれに従ったと考えるのが自然であろう。だから、村上春樹の小説の感想を書こうとすると、「解説」の助けなしに、小説そのものに向き合って考えて書くしかない。それが、村上春樹が読者に対して望んでいることだと思う。 この短編集には、6編の短編が収められている。その中で、自分が一番好きだったのは、3番目に収められている「我らの時代のフォークロア -高度資本主義前史」だった。 「フォークロア」というのは、小説中に「民間伝承」と説明が加えられている。小説は、「これは実話であり、それと同時に寓話である。そしてまた、我らが1960年代のフォークロア(民間伝承)でもある。」と始まっている。ネットで調べると、「民間伝承」とは、「昔から人々の間で語り継がれてきた習慣、信仰、儀礼、説話、民謡、諺などを意味します」とある。 主人公は1949年に生まれた男性である。1960年代に青春・思春期を過ごした。その時代は、主人公によれば、色々なものが洗練される前の時代、すなわち、「高度資本主義前史」の時代であった。主人公は、中部イタリアで偶然に高校の同級生に会い、彼の話を聞く。同級生は、いわゆる「優等生」であり、その後も東大に入り、商社に入社し、その後、自らビジネスを始めて成功する。彼は、高校時代、これも非の打ちどころの無い「優等生」だった女性とつき合っており、彼の話は、高校時代から、32歳(だったよな)までの、彼から見た、彼と彼女のつき合いについてのものだった。主人公は、この「優等生」が苦手だったのだが、異国での偶然の再会でもあり、また、彼の話の興味深さにひかれていく。 彼の話の内容は省略するが、主人公は、短編の最後に、「でもこれは彼の身に起こった話であり、我々みんなの身に起こった話である。」と書いている。要するに、彼と彼女に起こったことは、同じ時代を生きた「我々」の誰にでも起こる話であり、だから、その話が「フォークロア(民間伝承)」であると言っているのである。 私自身は、まずは、それに違和感を覚えた。主人公の昔の同級生の話は、ありふれた、誰にでも起こる話ではない。「高度資本主義前史」である、1960年代の彼らの青春時代にありふれた話とはとても思えない。あるいは、村上春樹は、「こういった話がありふれたものであった時代が1960年代だった」と言っているのだろうか。と考えて、もう少し別の解釈もあり得るな、と考えるようになった。すなわち、彼と彼女の物語の細部は、よくある話ではないが、高校生の男の子と女の子が出会い恋をして、お互いのことを思いながらも不器用にしか相手に接することができない。そのうち、別れてしまい、記憶も薄れていくが、でも、心の奥のどこかで相手のことを思いやっている。そういった歴史はかけがえのないものであり、それを壊さないように、自分たちは生きており、それは、同時代の皆も同じだよね、と語りかけている、と解釈すれば、この題名は理解できるし、物語としても、より美しいものとして読める。
Humans cannot escape certain personal tendencies, whether in their thoughts or actions. However, I want to live my life breaking free from those tende...続きを読むncies.
不意に部屋にやってきた妖精のようなTVピープル。詩を読むように独り言を言う若者。不眠症の妻。少し不気味で奇妙で、だけど淡々としたいつもの村上春樹ワールドが楽しめる短編集だった。
ポッドキャスト「ペーパードライブ」を聴いて読んでみた。表題作と眠りについては別の短編集「象の消滅」で読んだことがあった。他の短編については正直なところあまり印象に残らなかった。 TVピープルは、何に対しても情熱を持つことが無い空疎な主人公に、さらに空っぽそうなよくわからないもの(オレンジの皮むき器...続きを読むのような飛行機?)が流し込まれる話と感じた。いろいろなものに白けた態度をとり続けた空の箱のような人には、少しのきっかけで何でも流し込める恐ろしさ。 この当時、ソニーのTVはきっと最新の製品と思うけど、2025年に読み返すとノスタルジックなものに見える。また、その時代設定のせいか、TVピープルが登場する際の空間の歪の描写も、80年代後半から90年代初頭の荒い画像処理で自分の脳内で再生されるのも面白かった。あの頃の世にも奇妙な物語のような質感というか。リアルタイムで読んでいるとまた全然違う世界観で読めたものなのだろうと思うと、当時読んだ人に聞いてみたい気持ちになる。 また、冒頭から主人公に聞こえている音の擬音が不思議なもので、その変なカタカナの連なり方は、表紙が佐々木マキなこともあり、佐々木マキのムッシュムニエルの呪文を連想し、より一層、奇妙な物語感が強まった。 眠りはこの短編集の中で一番良いと思った。というより、記憶の中ではこれまで読んだ村上春樹の短編の中で一番好きな作品。主人公は女性だが、途中まで主人公の性別がわからないくらい、語り口が女性的ではなく、ここにリアリティがあると感じている。女性も頭の中で考えを巡らせるときはこのような性別を超えた文章で考えるように思うので。 また、主人公が抱える苦悩(同じような毎日が繰り返される、傾向を消費される等)は、勿論女性としての苦悩であると思うし、実は男性にも響く内容だと思い、普遍性があると感じた。今読んでも全く古く感じないので、性別だけではなく時代も超えているのだろう。 ラストは恐ろしいけれどれも、この話自体が長い夢の中であり、夫と息子に起こされる描写にも見えるし、やっぱり死を想起させるものとも思えた。物語の後半で、主人公が頭と体を切り離し機械のように必要なタスクをこなしていく事は理想的な状態ではないけれども、生きているからこそできる事であり、死を迎えるときは精神と体を切り離せない状態に向かっていくのであれば、恐怖が頭の中に充満し、身体も支配されたラストは死を迎える際の一つの創造しうるパターンとして考えられそうだなと思った。でも、こんなに恐怖を感じるのだとすると本当に死ぬのが恐ろしい。
不思議な短編集。表題のTVピープルが印象に残った。ねじまき鳥クロニクルにもでてくる加納クレタの話もありました。著者の一昔前の作品だが、やはりどれも掴みどころのない内容になっていた。
登場人物たちは、なぜこんなに理不尽な目に遭わなくてはいけないのか? この世界は彼らにしか見えていないのか? また、別の話では、何かを象徴している出来事なのか? うっすら肌をあわ立てながらも、深掘りし始めると止まらない。 オノマトペ?でもない?不思議な音がカタカナで表されている。 【TVピープル】 ...続きを読むTVピープルは、この人にしか見えていない「小さいおじさん」的なものなのか。 【飛行機-----あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか】 彼、20歳になったばかり。 彼女、27歳既婚、子供あり。夫は旅行会社に勤め、月の半分は海外に行っている。家庭に問題があるわけじゃない、と彼女。ならどうして彼と寝るのか。 【我らの時代のフォークロア ———高度資本主義前史】 1960年代に若者だった僕。 「処女性」がどれくらい重要視されていたのか。 この時代は知能の高い女性でもこんな考え方だった。そういう時代だったなあ・・・ だから、これは彼の話であり、我々みんなに起こったことでもあった。 【加納クレタ】 男たちはクレタを見ると必ず犯そうとした。 ひどい運命。 【ゾンビ】 真夜中、マイケルジャクソンのビデオみたいに、墓場の近くを歩く。 【眠り】 結婚して、子供を持ってから、自分というものがなくなってしまった主婦の願望のように思える。 昼間の時間は夫と子どもに支配されている。眠っている時間を自分のために使えたらどんなにいいだろう、という願望をかなえたらこうなった? 主婦になったら本を読めなくなった、読んでいても気がつくと別のことを考えている。わかる。
奇妙なお話の短編。 やっぱり村上春樹は読みやすい。 スーッと入ってくる。 奇妙でも。 「眠り」が一番記憶に残る。 話の持っていき方が面白いし、世界観の広げ方が共感できる流れで好きだった。 眠りと死について。 その関係性について興味を持った。 村上春樹にしてはファンタジー過ぎない。
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