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「すみれがぼくにとってどれほど大事な、かけがえのない存在であったかということが、あらためて理解できた。すみれは彼女にしかできないやりかたで、ぼくをこの世につなぎ止めていたのだ」 「旅の連れ」という皮肉な名を持つ孤独な人工衛星のように、誰もが皆それぞれの軌道を描き続ける。 この広大な世界で、かわす言葉も結ぶ約束もなくすれ違い、別れ、そしてまたふとめぐりあうスプートニクの末裔たちの物語。
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Posted by ブクログ
小説家を目指す知性ある女性すみれと、すみれを好きになってしまった主人公、そしてすみれが恋心を抱いてしまったアセクシャルな女性、ミュウという三つ巴の関係性。互いが互いに思うことが混濁し、やがて夢との境界がわからなくなる。そんな小説。 意外と読むのに時間がかかってしまって、感想を書くために本を見返すこ...続きを読むとになりました。 題名の「スプートニク」は、ソ連が打ち上げた人工衛星の事を示している。スプートニクの恋人とは、結婚式でビートニクと誤用したエピソードから名付けられたミュウのあだ名である。物語序盤では上記の意味合いしか説明されない為ただの語感の話かと思っていたけれど、そもそもスプートニクの和訳は「旅の連れ」という意味もある為実際のすみれとミュウの関係性を示していて伏線回収的な面白さがある。 本作のテーマの1つは、直感的には「夢」であると感じた。「夢の中ではあなたはものを見分ける必要がない。ぜんぜん、ない。…だから夢の中では衝突はほとんどおこらない」という文面は、銀杏boyzの曲『駆け抜けて青春』の女性パート部分を思い出す。存在するものと存在しないものの区別がつかなくなるほど、相手を思うという発想が素敵でした。 個人的には上記の他、 『この女性はすみれを愛している。しかし性欲を感じることができない。 すみれはこの女性を愛し、しかも性欲を感じている。 ぼくはすみれを愛し、性欲を感じている。 すみれはぼくを好きであるけれど、愛してはいないし、性欲を感じていない。 ぼくは別の匿名の女性に性欲を感じることはできる。しかし愛してはいない。』という文面がとてもよかった。恋にまつわるいろんな状態が不思議な言い回しで記述されているし、ある種「愛」に制欲が伴わないという特殊な状態を肯定する感じが良かった。
わたしは村上春樹が好きだ。 この世界観に惹き込まれたらなかなか抜け出せないのを自分で分かっているので、1Q84以降簡単には手を出せなかったのだけれど、 過去作を読みたい衝動に駆られて…手に取ったこちら。 どこか儚く繊細で素敵な1冊でした。
ひとりぼっちとは何かという話だと思った。 友達はいるのにひとりぼっちを感じることが多い今日この頃だったので、刺さった。
白状すると「スプートニクの恋人」は私の村上作品ランキングの中ではそこまで印象に残ってない作品です。 有名な「理解とは誤解の相対に過ぎない」や某読書メンバーの結婚式の祝辞でボスが引用した周回軌道上ですれ違う描写を除いては、白髪、ギリシャ、観覧車のような断片的なモチーフをぼんやり覚えていたくらい。 何か...続きを読むの本読んでてロシアが世界初の人工衛星の「スプートニク」を宇宙に犬乗せて放った話を読んでた時に、衝動的に読みたくなって再読。 今まで何でこの本の素晴らしさを過小評価してしまっていたんだろうって不思議に思うほど良かった。すみれの言葉もぼくの言葉も、今の自分にはめちゃくちゃ共感や気づきを与えてくれる、個人的な滋養になる本だった。何度も言われてる話ではあるけど、はじめ読んで感動しなくても、再読したらその時の自分のために書かれたように感じるのことがあるのが読書を続ける醍醐味だなあって感じました。 <ぼくについて> ————————————————————————— それよりはむしろぼくという存在以外の存在について、少しでも多くの客観的事実を知りたいと思った。そしてそのような個別的な事柄や人物が、自分の中にどのような位置を占めるかという分布になり、あるいはそれらを含んだ自分のバランスの取り方なりを通して、自分という人間存在をできるだけ客観的に把握していきたいと思った。 ————————————————————————— ぼくのこの感覚は自分が小説を読んでるときに感じるものとかなり近くて深く共感した。そう言っていたのに、すみれを失ったままギリシャから帰国したあとで生徒のにんじんに自分に起こったことと自分がどんな人間かを語るシーンにすごく胸が打たれた。 <すみれについて> ————————————————————————— いったい誰に、海と、海が反映されているものを見分けることができるだろう?あるいは、雨降りと寂しさを見分けることができるだろう?...そして多くの人はそのふたつのあいだに便宜的についたてを立てて生きている。だってその方が楽だし便利だから。でもわたしはそのついたてをあっさりと取り払ってしまう。だってついたてなんて嫌いだから。だってそれがわたしという人間なんだから。 ————————————————————————— ぼくの電話番号の市外局番で開いたスーツケースの中に入っていた、すみれが失踪前にフロッピーに残して隠した文章。 読んでて鳥肌が立つくくらい素敵だと思った。何で今まで何回も読んでるはずなのに目に止まらなかったんだろう?って思ったけど、私が多くの人と同様「知っていること」と「知らないこと」の間に「ついたて」を便宜的に立てて生きていて、それを疑わなかったからなんだと思う。 私が現実世界で給与の対価としてもらってる「事象を客観的な足場の上で俯瞰し、構造化し、問題を診断する」ためのレンズを強化するために、いろんな物差し(フレームワークと言ったり、体系化と言ったりする)をせっせと集めながら生きてるわけですが、ちょうどそんな本をいっぱい読んでたタイミングでスプートニクの恋人に脱線できて良かった。 この世界がちゃっちゃっと線引いて簡単に答えが出るような単純なものであってたまるかという気持ちを思い出した。
夢と現実は違うということが 一致するたびに、自己を喪失していく。 すでにすべて失くなったと感じていても、 人は夢を見続けるものだから、 喪失を止めることはできない
村上春樹さん、これまで読んできた作品を数えると、まだまだですが10作品くらいでした。この『スプートニクの恋人』はめずらしく上下とかに分かれていない、短めの小説。 だからこそ春樹要素が凝縮されています。 村上春樹さんにも、映画監督の小津安二郎さんが言った「僕は豆腐屋のような映画監督なのだから、豆腐...続きを読むしか作れない。油揚げやがんもどきならつくるけど、とんかつは作れない。」という言葉がぴったり当てはまると思っています。(前にも同じようなことをここに書いたかもしれないけど) 春樹ワールドには、以下のような人・ものが繰り返し出てくる! ・料理が得意で市民プールに泳ぎに行き、シンプルな服を着こなし、とりたてハンサムなわけではないけ女性には困らない語り手の男性 ・でも彼は本命の愛する女性とは中々上手くいかない ・彼には本命ではないけど美人で車に乗りこなす洗練された人妻ガールフレンドがいる ・井戸のような穴が出てくる ・こちら側とあちら側の世界がある ・猫が出てくる 他にも特徴的なものは春樹ワールドに色々あると思うのですが、村上春樹さんの作品でしかできない唯一無二の小説体験が、私は癖になります。 好き嫌いが分かれる理由もよく分かりますが、私は好きです。(中身の全てを崇拝しているわけではないですが!笑) そして『スプートニク』で私がとても共感できたのは、「あちら側の世界の私」と、「こちら側の世界の私」というようなところ。 年末にオーストリアに行き、オーストリアに着いた次の日からずっとふわふわするような目眩があるんです。たまたま引越しも旅行の前に重なってしまい、シンプルに疲労とストレスから来る自律神経の乱れで、ふわふわするような軽い目眩があると思っているのですが、なんだが精神的にもオーストリアにいる自分と日本にいる自分が一致しない感覚がずっとあって、心もふわふわしてます。 オーストリアにいた時は向こう(日本)にいるちーりーは別人で、影のようなものなのではないかという感覚があって、日本に帰ってきた今は向こう(オーストリア)にいるちーりーは別人で、影のようなものなのではないかと感じるんです。 特に「信じられない」となった瞬間は、オーストリアの友達たちと学生時代の感覚を思い出しながらわいわい話していた時に、ふと日本で(お堅めの職場で)働いている自分の姿を思い出してみた時です。 全く同一人物に思えなくて、本当に不思議な気持ちになりました。 そういう人間の多面性だったりを、あちら側とこちら側と表現するとしっくりきます。 「こっちにいる時は、あっちにいる私は置いてきている」と表現すると、私にはぴったりだと思うんです。 もちろん同一人物で、私の根本は変わってないはずなんですけどね。
村上春樹の短編以外の作品を初めて最後まで読み切った。 ドッペルゲンガーやあの世は比喩なのか本当なのか
村上春樹の中期作品の一つで、ねじまき鳥の後、カフカの前。主人公ぼくの一人称だが、試験的に(おそらく本当に試験的に書かれたのであろう)三人称文体の章が含まれる(その後「海辺のカフカ」で、彼は長編小説で初めて三人称文体を中心に据えることになる)。美しくも哀しい恋愛小説で、その後も何度もモチーフになる「あ...続きを読むちらの世界」、「井戸の底」、「人の部屋をのぞく」、「交わらない性交」などがその萌茅を見せていて興味深い。
もし不完全な人生から全てのむだが消えてしまったら、それは不完全ですら無くなってしまう。 あまりにもすんなりとすべてを説明する理由なり論理なりには必ず落とし穴がある。 理解というのものは、つねに誤解の総体に過ぎない。 大事なのは、他人の頭で考えられた大きなことより、自分の頭で考えた小さなことだ
『スプートニクの恋人』は、記憶にある限り、私にとって初めての村上春樹作品だった。中2の頃に手に取ったと思う。 その時の第一印象は「性描写が強くてむり」。全くいいと思えなかった。 その後は一度春樹作品からは離れ、次に手に取ったのは高2の頃の「1Q84」。この小説は私の心を強く打ち、そのあとは時期によっ...続きを読むてくっついたり離れたりの波はありつつ、自分の人生にとって春樹作品は確実に欠かすことのできないワンピースであり続けている。 だから『スプートニクの恋人』は15年ぶりくらいに読み返したことになる。 きっかけは失恋しそうになっているから笑。恋愛小説が読みたかった。 読み始めてあれ…?あんまり性描写激しくない。他の春樹作品と比べると全然。 当時の私は何がそんなにしっくり来なかったんだろう。そんな風にふしぎに思いながら読み進めた。 そして途中で、たしかに他の春樹作品ほど没入できていないかも、とふと気づいた。 その理由を自分の中に注意深く探ってみると、多分分かった、この小説(特に前半)はすみれとミュウという2人の女性が主人公なわけだけど、この2人が私にとってしっくり来ない。 要は、共感もできず魅力的にも感じなければ、なぜそういうエキセントリックな体で存在しているのかも分からず、「架空の人物」感がすごい。 それが語り手の「僕」を介して語られている。 「僕」は彼女たちの存在に疑問を持っていないらしいが(惚れてもいるので)、読者からしたら「僕」も介されているのでより彼女たちが掴めない。 頭がおかしいことは全く構わないのだが、なぜ頭がおかしいのか分からないと読者は置いてけぼりになる。 …と思っていたのだけど、「僕」が前面に出てくるあたりからどんどん引き込まれていき、ギリシャについた頃からはいつもの春樹作品のように没入して楽しめた。 ギリシャの島の風景をありありと思い浮かべながら読めたし(一昨年の夏の旅行で、ギリシャの島々を目前に結局トルコ国境から出なかったから、憧れもひとしお)、「あちら側とこちら側」という慣れ親しんだ春樹モチーフにはもちろんしっくり来た。 特にすみれを失った主人公の心情描写が本当に素晴らしく、何度も読み返してしまった。 雄大なアクロポリスですさまじい寂寥に襲われる場面。なんだかとても圧倒された。 「すみれの存在が失われてしまうと、ぼくの中にいろんなものが見あたらなくなっていることが判明した。まるで潮が引いたあとの海岸から、いくつかの事物が消えてなくなっているみたいに」 「人にはそれぞれ、あるとくべつな年代にしか手にすることのできないとくべつなものごとがある。それはささやかな炎のようなものだ。注意深く幸運な人はそれを大事に保ち、大きく育て、松明としてかざして生きていくことができる」 「ぼくはもう二度と、これまでの自分には戻れないだろう。明日になればぼくは別の人間になっているだろう。しかしまわりの誰も、ぼくが前とは違う人間になって日本に戻ってきたことには気づかないはずだ。外から見れば何ひとつ変わってはいないのだから。それにもかかわらず、ぼくの中では何かが焼き尽くされ、消滅してしまっている。どこかで血が流されている」 大切な人を失うとはどういうことなのか、その喪失感がこれでもかというほど克明に記されている。 いま私もまさに大切な人が自分から離れていこうとしていて、読んでいて胸が引き裂かれそうになった。 私は、この松明を抱きしめて生きていくしかないのだ。きちんと抱きしめとおせるだろうか。炎を絶やさず、自分の中であの温もりを記憶し大切に持ち続けられるだろうか。 いろんなものが見当たらなくなった人生を、これからどうして生きていけばいいのか。 「どうしてみんなこれほどまで孤独にならなくてはならないのだろう、ぼくはそう思った。 どうしてそんなに孤独になる必要があるのだ。これだけ多くの人々がこの世界に生きていて、それぞれに他者の中になにかを求めあっていて、なのになぜ我々はここまで孤絶しなくてはならないのだ。何のために?この惑星は人々の寂寥を滋養として回転をつづけている」 まさに20億光年の孤独…!!!!! 名文すぎて涙が出る。 地球にはこんなに人がいるのに、なぜ大好きな人と分かり合えなくて、わざわざ孤独にならないといけないんでしょうね。 寂しくて孤独な時って宇宙のこと考えたくなるのどうしてでしょうね。 春樹作品って、いつも小説のどこかが、その時々の自分の状況や心情と響き合う。だから読んでいて胸が震える。だから人生に寄り添ってくれていると感じる。 今回もまさにそうだった。 …というわけで、この小説は読み始めた直後は違和感からスタートしたものの、「僕」の出現によりいつもの通り大変しっくりくるものになった。 このことについて考えてみると、たまに耳にする、「村上春樹は女性を描くのがうまくない」みたいなフェミニズム的批判に思い至る。 私は春樹作品が大好きであまりそういう風に思ったことがなかったけど、この小説では「女の主人公が前面に出てくる時にはついていけないけど男の主人公が出てきた途端しっくりくる」という経験をし、初めて「あ、これなのかな」と思った。 つまり、春樹くんが描く女性は女性的には「ハテナ?」な女性が多く、(秀逸な女性描写ができないからといって男性作者が責められるいわれはないのではとも思うけど、)それは見方によれば「男性にとって都合のいい架空の女性を拵えてるだけだ」という批判につながりうるのであろうということ。今回実際に抱いた違和感により、確かにそういう側面はあるかもしれないと理解はできた。 まあでもそうであっても、春樹作品がいつでも自分の今の心と呼応して何かを感じさせてくれることは揺るぎない事実であり、今回もとても読んで良かった。 いつもありがとうございます。
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