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「すみれがぼくにとってどれほど大事な、かけがえのない存在であったかということが、あらためて理解できた。すみれは彼女にしかできないやりかたで、ぼくをこの世につなぎ止めていたのだ」 「旅の連れ」という皮肉な名を持つ孤独な人工衛星のように、誰もが皆それぞれの軌道を描き続ける。 この広大な世界で、かわす言葉も結ぶ約束もなくすれ違い、別れ、そしてまたふとめぐりあうスプートニクの末裔たちの物語。
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Posted by ブクログ
白状すると「スプートニクの恋人」は私の村上作品ランキングの中ではそこまで印象に残ってない作品です。 有名な「理解とは誤解の相対に過ぎない」や某読書メンバーの結婚式の祝辞でボスが引用した周回軌道上ですれ違う描写を除いては、白髪、ギリシャ、観覧車のような断片的なモチーフをぼんやり覚えていたくらい。 何か...続きを読むの本読んでてロシアが世界初の人工衛星の「スプートニク」を宇宙に犬乗せて放った話を読んでた時に、衝動的に読みたくなって再読。 今まで何でこの本の素晴らしさを過小評価してしまっていたんだろうって不思議に思うほど良かった。すみれの言葉もぼくの言葉も、今の自分にはめちゃくちゃ共感や気づきを与えてくれる、個人的な滋養になる本だった。何度も言われてる話ではあるけど、はじめ読んで感動しなくても、再読したらその時の自分のために書かれたように感じるのことがあるのが読書を続ける醍醐味だなあって感じました。 <ぼくについて> ————————————————————————— それよりはむしろぼくという存在以外の存在について、少しでも多くの客観的事実を知りたいと思った。そしてそのような個別的な事柄や人物が、自分の中にどのような位置を占めるかという分布になり、あるいはそれらを含んだ自分のバランスの取り方なりを通して、自分という人間存在をできるだけ客観的に把握していきたいと思った。 ————————————————————————— ぼくのこの感覚は自分が小説を読んでるときに感じるものとかなり近くて深く共感した。そう言っていたのに、すみれを失ったままギリシャから帰国したあとで生徒のにんじんに自分に起こったことと自分がどんな人間かを語るシーンにすごく胸が打たれた。 <すみれについて> ————————————————————————— いったい誰に、海と、海が反映されているものを見分けることができるだろう?あるいは、雨降りと寂しさを見分けることができるだろう?...そして多くの人はそのふたつのあいだに便宜的についたてを立てて生きている。だってその方が楽だし便利だから。でもわたしはそのついたてをあっさりと取り払ってしまう。だってついたてなんて嫌いだから。だってそれがわたしという人間なんだから。 ————————————————————————— ぼくの電話番号の市外局番で開いたスーツケースの中に入っていた、すみれが失踪前にフロッピーに残して隠した文章。 読んでて鳥肌が立つくくらい素敵だと思った。何で今まで何回も読んでるはずなのに目に止まらなかったんだろう?って思ったけど、私が多くの人と同様「知っていること」と「知らないこと」の間に「ついたて」を便宜的に立てて生きていて、それを疑わなかったからなんだと思う。 私が現実世界で給与の対価としてもらってる「事象を客観的な足場の上で俯瞰し、構造化し、問題を診断する」ためのレンズを強化するために、いろんな物差し(フレームワークと言ったり、体系化と言ったりする)をせっせと集めながら生きてるわけですが、ちょうどそんな本をいっぱい読んでたタイミングでスプートニクの恋人に脱線できて良かった。 この世界がちゃっちゃっと線引いて簡単に答えが出るような単純なものであってたまるかという気持ちを思い出した。
夢と現実は違うということが 一致するたびに、自己を喪失していく。 すでにすべて失くなったと感じていても、 人は夢を見続けるものだから、 喪失を止めることはできない
村上春樹さん、これまで読んできた作品を数えると、まだまだですが10作品くらいでした。この『スプートニクの恋人』はめずらしく上下とかに分かれていない、短めの小説。 だからこそ春樹要素が凝縮されています。 村上春樹さんにも、映画監督の小津安二郎さんが言った「僕は豆腐屋のような映画監督なのだから、豆腐...続きを読むしか作れない。油揚げやがんもどきならつくるけど、とんかつは作れない。」という言葉がぴったり当てはまると思っています。(前にも同じようなことをここに書いたかもしれないけど) 春樹ワールドには、以下のような人・ものが繰り返し出てくる! ・料理が得意で市民プールに泳ぎに行き、シンプルな服を着こなし、とりたてハンサムなわけではないけ女性には困らない語り手の男性 ・でも彼は本命の愛する女性とは中々上手くいかない ・彼には本命ではないけど美人で車に乗りこなす洗練された人妻ガールフレンドがいる ・井戸のような穴が出てくる ・こちら側とあちら側の世界がある ・猫が出てくる 他にも特徴的なものは春樹ワールドに色々あると思うのですが、村上春樹さんの作品でしかできない唯一無二の小説体験が、私は癖になります。 好き嫌いが分かれる理由もよく分かりますが、私は好きです。(中身の全てを崇拝しているわけではないですが!笑) そして『スプートニク』で私がとても共感できたのは、「あちら側の世界の私」と、「こちら側の世界の私」というようなところ。 年末にオーストリアに行き、オーストリアに着いた次の日からずっとふわふわするような目眩があるんです。たまたま引越しも旅行の前に重なってしまい、シンプルに疲労とストレスから来る自律神経の乱れで、ふわふわするような軽い目眩があると思っているのですが、なんだが精神的にもオーストリアにいる自分と日本にいる自分が一致しない感覚がずっとあって、心もふわふわしてます。 オーストリアにいた時は向こう(日本)にいるちーりーは別人で、影のようなものなのではないかという感覚があって、日本に帰ってきた今は向こう(オーストリア)にいるちーりーは別人で、影のようなものなのではないかと感じるんです。 特に「信じられない」となった瞬間は、オーストリアの友達たちと学生時代の感覚を思い出しながらわいわい話していた時に、ふと日本で(お堅めの職場で)働いている自分の姿を思い出してみた時です。 全く同一人物に思えなくて、本当に不思議な気持ちになりました。 そういう人間の多面性だったりを、あちら側とこちら側と表現するとしっくりきます。 「こっちにいる時は、あっちにいる私は置いてきている」と表現すると、私にはぴったりだと思うんです。 もちろん同一人物で、私の根本は変わってないはずなんですけどね。
村上春樹の短編以外の作品を初めて最後まで読み切った。 ドッペルゲンガーやあの世は比喩なのか本当なのか
語り手の「ぼく」を通して、彼が生きていくうえで必要な存在としてのスミレ、そしてスミレが愛するミュウという二人の女性が描かれる物語だった。 スミレは性欲を含めた全存在としてミュウを求めるが、ミュウは過去に身体的欲望を自らから切り離す選択をしており、その思いに応えることができない。 ミュウはそうして自...続きを読む分の一部を封印することで生き延びてきたが、その代償として内的な人生の道標を失っている。 一方で「ぼく」は、スミレから性的対象として見られることはなく、痛みを抱え続けながらも、その痛みを含めてスミレとの関係を大切にし続けることで、人生を前へ進めている。 自分の一部を失ったミュウと、そんなミュウを愛するスミレにはさまれながら、変わらずスミレを大事にし続ける「ぼく」は幸福なのか、不幸なのかを考えさせられる。 少なくとも、誰かを大切にし続けることで自分を見失わずにいられるという点では、これは大きな幸福の物語でもあるように思えた。
久しぶりに読み直したら、刺さるフレーズや比喩表現がたくさん。 1Q84に繋がるような象徴的なモチーフ(月など)やあちら側・こちら側の概念、ねちっこい警備員、喪失感・孤独感(国境の南~にも似た感じ)などが感じられて胸熱! ちょっとしたことであちら側に行ってしまうきっかけは転がってそう。。 面白かった!
村上春樹の中で、一番好きな小説。 ロマンチック。 読んでいる時、付き合いたての恋人と 誰もいない自然の中でくっついて過ごしているような不思議な安らぎに包まれた。 読み終わりたくないのに、読み進めてしまう。
『スプートニクの恋人』は、記憶にある限り、私にとって初めての村上春樹作品だった。中2の頃に手に取ったと思う。 その時の第一印象は「性描写が強くてむり」。全くいいと思えなかった。 その後は一度春樹作品からは離れ、次に手に取ったのは高2の頃の「1Q84」。この小説は私の心を強く打ち、そのあとは時期によっ...続きを読むてくっついたり離れたりの波はありつつ、自分の人生にとって春樹作品は確実に欠かすことのできないワンピースであり続けている。 だから『スプートニクの恋人』は15年ぶりくらいに読み返したことになる。 きっかけは失恋しそうになっているから笑。恋愛小説が読みたかった。 読み始めてあれ…?あんまり性描写激しくない。他の春樹作品と比べると全然。 当時の私は何がそんなにしっくり来なかったんだろう。そんな風にふしぎに思いながら読み進めた。 そして途中で、たしかに他の春樹作品ほど没入できていないかも、とふと気づいた。 その理由を自分の中に注意深く探ってみると、多分分かった、この小説(特に前半)はすみれとミュウという2人の女性が主人公なわけだけど、この2人が私にとってしっくり来ない。 要は、共感もできず魅力的にも感じなければ、なぜそういうエキセントリックな体で存在しているのかも分からず、「架空の人物」感がすごい。 それが語り手の「僕」を介して語られている。 「僕」は彼女たちの存在に疑問を持っていないらしいが(惚れてもいるので)、読者からしたら「僕」も介されているのでより彼女たちが掴めない。 頭がおかしいことは全く構わないのだが、なぜ頭がおかしいのか分からないと読者は置いてけぼりになる。 …と思っていたのだけど、「僕」が前面に出てくるあたりからどんどん引き込まれていき、ギリシャについた頃からはいつもの春樹作品のように没入して楽しめた。 ギリシャの島の風景をありありと思い浮かべながら読めたし(一昨年の夏の旅行で、ギリシャの島々を目前に結局トルコ国境から出なかったから、憧れもひとしお)、「あちら側とこちら側」という慣れ親しんだ春樹モチーフにはもちろんしっくり来た。 特にすみれを失った主人公の心情描写が本当に素晴らしく、何度も読み返してしまった。 雄大なアクロポリスですさまじい寂寥に襲われる場面。なんだかとても圧倒された。 「すみれの存在が失われてしまうと、ぼくの中にいろんなものが見あたらなくなっていることが判明した。まるで潮が引いたあとの海岸から、いくつかの事物が消えてなくなっているみたいに」 「人にはそれぞれ、あるとくべつな年代にしか手にすることのできないとくべつなものごとがある。それはささやかな炎のようなものだ。注意深く幸運な人はそれを大事に保ち、大きく育て、松明としてかざして生きていくことができる」 「ぼくはもう二度と、これまでの自分には戻れないだろう。明日になればぼくは別の人間になっているだろう。しかしまわりの誰も、ぼくが前とは違う人間になって日本に戻ってきたことには気づかないはずだ。外から見れば何ひとつ変わってはいないのだから。それにもかかわらず、ぼくの中では何かが焼き尽くされ、消滅してしまっている。どこかで血が流されている」 大切な人を失うとはどういうことなのか、その喪失感がこれでもかというほど克明に記されている。 いま私もまさに大切な人が自分から離れていこうとしていて、読んでいて胸が引き裂かれそうになった。 私は、この松明を抱きしめて生きていくしかないのだ。きちんと抱きしめとおせるだろうか。炎を絶やさず、自分の中であの温もりを記憶し大切に持ち続けられるだろうか。 いろんなものが見当たらなくなった人生を、これからどうして生きていけばいいのか。 「どうしてみんなこれほどまで孤独にならなくてはならないのだろう、ぼくはそう思った。 どうしてそんなに孤独になる必要があるのだ。これだけ多くの人々がこの世界に生きていて、それぞれに他者の中になにかを求めあっていて、なのになぜ我々はここまで孤絶しなくてはならないのだ。何のために?この惑星は人々の寂寥を滋養として回転をつづけている」 まさに20億光年の孤独…!!!!! 名文すぎて涙が出る。 地球にはこんなに人がいるのに、なぜ大好きな人と分かり合えなくて、わざわざ孤独にならないといけないんでしょうね。 寂しくて孤独な時って宇宙のこと考えたくなるのどうしてでしょうね。 春樹作品って、いつも小説のどこかが、その時々の自分の状況や心情と響き合う。だから読んでいて胸が震える。だから人生に寄り添ってくれていると感じる。 今回もまさにそうだった。 …というわけで、この小説は読み始めた直後は違和感からスタートしたものの、「僕」の出現によりいつもの通り大変しっくりくるものになった。 このことについて考えてみると、たまに耳にする、「村上春樹は女性を描くのがうまくない」みたいなフェミニズム的批判に思い至る。 私は春樹作品が大好きであまりそういう風に思ったことがなかったけど、この小説では「女の主人公が前面に出てくる時にはついていけないけど男の主人公が出てきた途端しっくりくる」という経験をし、初めて「あ、これなのかな」と思った。 つまり、春樹くんが描く女性は女性的には「ハテナ?」な女性が多く、(秀逸な女性描写ができないからといって男性作者が責められるいわれはないのではとも思うけど、)それは見方によれば「男性にとって都合のいい架空の女性を拵えてるだけだ」という批判につながりうるのであろうということ。今回実際に抱いた違和感により、確かにそういう側面はあるかもしれないと理解はできた。 まあでもそうであっても、春樹作品がいつでも自分の今の心と呼応して何かを感じさせてくれることは揺るぎない事実であり、今回もとても読んで良かった。 いつもありがとうございます。
待ち続ける、細い糸をたぐり続けることで喪失に打ち勝つ物語。すみれが戻ってきて良かった!! P.202 理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない。 P.314 ぼくは目を閉じて、そこにあった美しいものの姿をひとうでも多く思い出そうとした。それをぼくの手の中にとどめようとした。たとえそれが束の間の...続きを読む命しかたもてないものであったとしても。
割とかなりまた、時間をかけて読んでしまった。 なんだか、水で満たされた皿に果汁を注いでいくようなそんな読書体験だったと思う。 何かを求めて彷徨うということは何かを本質的に探り寄せる行為であると同時にそれは何かをそこに置いていく行為であると言う話であった。 しかし、それは永久に失われるということで...続きを読むはない 飼い犬を失った主人公も、猫を失ったすみれも、ピアノと情熱を失ったミュウも、それぞれに自分の中に大切なものを再度定義し、それを探り寄せるべく生きていくのである。 それは時折振り返ることもあるかもしれないし、振り返ることも無いかもしれない。 けれどもいつ振り返っても遅いなんてことはないのだ。そこに接点があり、接線を丁寧に引いて、それでいて四角形を作りそこに何かスケッチをすることができるようになるのか、といえば微妙な話だが、そんなところであろう。 けれども時間をかけすぎたせいで、点と点が離れた読書をしてしまった。 本質的にさまよった主人公の行為を未だに象徴的に一言で言うこともできないし、すみれと言う人間のもつ不思議な魅力を上手く言語化して自分の中に落とし込むこともできなかったと思う。 けれども言ったん今はこんなところである。 シナリオとしてはゲームや、映画( 主に娯楽映画)に近く、そこにあるサスペンス的な要素から何か自称や象徴となる比喩を探り当てる読書であった。それは普段の村上春樹がもつ、人や自称、存在そのものから何かを探り当てるような体験とは違ったような気もするけど、そんなことはまた違った読み方になるのであろう。 話は上手く帰着する。そこに残された変化と、変わらないもの。 僕たちはそんな線をいつも歩いている。
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