あらすじ
「すみれがぼくにとってどれほど大事な、かけがえのない存在であったかということが、あらためて理解できた。すみれは彼女にしかできないやりかたで、ぼくをこの世につなぎ止めていたのだ」 「旅の連れ」という皮肉な名を持つ孤独な人工衛星のように、誰もが皆それぞれの軌道を描き続ける。 この広大な世界で、かわす言葉も結ぶ約束もなくすれ違い、別れ、そしてまたふとめぐりあうスプートニクの末裔たちの物語。
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Posted by ブクログ
夢と現実は違うということが
一致するたびに、自己を喪失していく。
すでにすべて失くなったと感じていても、
人は夢を見続けるものだから、
喪失を止めることはできない
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村上春樹さん、これまで読んできた作品を数えると、まだまだですが10作品くらいでした。この『スプートニクの恋人』はめずらしく上下とかに分かれていない、短めの小説。
だからこそ春樹要素が凝縮されています。
村上春樹さんにも、映画監督の小津安二郎さんが言った「僕は豆腐屋のような映画監督なのだから、豆腐しか作れない。油揚げやがんもどきならつくるけど、とんかつは作れない。」という言葉がぴったり当てはまると思っています。(前にも同じようなことをここに書いたかもしれないけど)
春樹ワールドには、以下のような人・ものが繰り返し出てくる!
・料理が得意で市民プールに泳ぎに行き、シンプルな服を着こなし、とりたてハンサムなわけではないけ女性には困らない語り手の男性
・でも彼は本命の愛する女性とは中々上手くいかない
・彼には本命ではないけど美人で車に乗りこなす洗練された人妻ガールフレンドがいる
・井戸のような穴が出てくる
・こちら側とあちら側の世界がある
・猫が出てくる
他にも特徴的なものは春樹ワールドに色々あると思うのですが、村上春樹さんの作品でしかできない唯一無二の小説体験が、私は癖になります。
好き嫌いが分かれる理由もよく分かりますが、私は好きです。(中身の全てを崇拝しているわけではないですが!笑)
そして『スプートニク』で私がとても共感できたのは、「あちら側の世界の私」と、「こちら側の世界の私」というようなところ。
年末にオーストリアに行き、オーストリアに着いた次の日からずっとふわふわするような目眩があるんです。たまたま引越しも旅行の前に重なってしまい、シンプルに疲労とストレスから来る自律神経の乱れで、ふわふわするような軽い目眩があると思っているのですが、なんだが精神的にもオーストリアにいる自分と日本にいる自分が一致しない感覚がずっとあって、心もふわふわしてます。
オーストリアにいた時は向こう(日本)にいるちーりーは別人で、影のようなものなのではないかという感覚があって、日本に帰ってきた今は向こう(オーストリア)にいるちーりーは別人で、影のようなものなのではないかと感じるんです。
特に「信じられない」となった瞬間は、オーストリアの友達たちと学生時代の感覚を思い出しながらわいわい話していた時に、ふと日本で(お堅めの職場で)働いている自分の姿を思い出してみた時です。
全く同一人物に思えなくて、本当に不思議な気持ちになりました。
そういう人間の多面性だったりを、あちら側とこちら側と表現するとしっくりきます。
「こっちにいる時は、あっちにいる私は置いてきている」と表現すると、私にはぴったりだと思うんです。
もちろん同一人物で、私の根本は変わってないはずなんですけどね。
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語り手の「ぼく」を通して、彼が生きていくうえで必要な存在としてのスミレ、そしてスミレが愛するミュウという二人の女性が描かれる物語だった。
スミレは性欲を含めた全存在としてミュウを求めるが、ミュウは過去に身体的欲望を自らから切り離す選択をしており、その思いに応えることができない。
ミュウはそうして自分の一部を封印することで生き延びてきたが、その代償として内的な人生の道標を失っている。
一方で「ぼく」は、スミレから性的対象として見られることはなく、痛みを抱え続けながらも、その痛みを含めてスミレとの関係を大切にし続けることで、人生を前へ進めている。
自分の一部を失ったミュウと、そんなミュウを愛するスミレにはさまれながら、変わらずスミレを大事にし続ける「ぼく」は幸福なのか、不幸なのかを考えさせられる。
少なくとも、誰かを大切にし続けることで自分を見失わずにいられるという点では、これは大きな幸福の物語でもあるように思えた。
Posted by ブクログ
久しぶりに読み直したら、刺さるフレーズや比喩表現がたくさん。
1Q84に繋がるような象徴的なモチーフ(月など)やあちら側・こちら側の概念、ねちっこい警備員、喪失感・孤独感(国境の南~にも似た感じ)などが感じられて胸熱!
ちょっとしたことであちら側に行ってしまうきっかけは転がってそう。。
面白かった!
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村上春樹の中で、一番好きな小説。
ロマンチック。
読んでいる時、付き合いたての恋人と
誰もいない自然の中でくっついて過ごしているような不思議な安らぎに包まれた。
読み終わりたくないのに、読み進めてしまう。
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私の名前も。すごく高い理想を重ねられている。
いわゆる名前負けしていると周りから言われたことがある。
だけども、そんな曲(槇原敬之)を聴きながら
まだ見ぬ私のことを思って母が名付けた
この事実が美しいと感じられたから序盤でこの本が愛しくなりました。
「あなたがどれくらい魅力的か、あなた自身にもそれはわからないんじゃないかしら」
自己肯定感が低い私にはお薬のように沁みた。
「大事なのは、他人の頭で考えられた大きなことより、自分の頭で考えた小さなことだ」
正しい、正しくないも大切だけど、自分で考えることが、その物事に関係なくても自分の中の栄養になってるんだな。
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本作にはこんな節がある。
東京のことを考えてみる。ぼくのアパートの部屋と、ぼくの勤めている学校と、こっそりと駅のごみ箱に捨ててきた台所の生ゴミのことを。
この生ゴミについては少し前のページでちらりと描かれており、それがここで拾われるかと驚嘆した。
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年末年始のバカンスのお供として、10年ぶりくらいに再読。書き出しの文章があまりに美しく、読み進めるのが勿体なく感じた。
ギリシャパートまでは熱中して読み進めたけれど、すみれの文章以降、話が象徴的でうまく咀嚼できなかった。
前半の、キラキラしてエネルギッシュな感じが好きだったな〜。
Posted by ブクログ
20年以上前に読んだものだからか、記憶がほとんど残っていない。ただ、一箇所だけ時の流れを越えて覚えていた。『ワイルドバンチ』の記者会見を引用した台詞だ。瞬間、そうだ。確かに自分はこれを読んだのだ、という確信が蘇ってきた。
タイトルに恋人、とあるが甘さなどない。どこかビターで相変わらずよくわからない。その曖昧さ、不可思議さ、人間というものの、あるいはこの世界の不可思議さこそ人生じゃないか? とでもいうような達観した態度で、凛としているのに意地悪な雰囲気がなんだかいい。大都会の真ん中で夜中に奇妙な景色を見たかのように。
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美しかった。
たくさんのことを語っているようで、実はなにも語っていないようで、でもやっぱり大切なことを語っている小説だと感じた。
物語としてなのか文章としてなのかはわからないけれど、心に残って離れないシーンがいくつもある。
305 本当のことを言えば、ぼくがそのときに考えていたのは、いろんな人ではなく、すみれのことだけだった。そこに存在した彼らではなく、我々でもなく、不在するすみれのことだけだった。
313 ぼくらはこうきてそれぞれに今も生き続けているのだと思った。どれだけ深く致命的に失われていても、どれほど大事なものをこの手から簒奪されていても、あるいは外側の一枚の皮膚だけを残してまったくちがった人間に変わり果ててしまっていても、ぼくらはこのように黙々と生を送っていくことができるのだ。手をのばして定められた量の時間をたぐり寄せ、そのままうしろに送っていくことができる。日常的な反復作業としてー場合によってはとても手際よく。そう考えるとぼくはひどくうつろな気持ちになった。
314 すべてのものごとはおそらく、どこか遠くの場所で前もってひそかに失われているのかもしれないとぼくは思った。すくなくともかさなり合うひとつの姿として、それらは失われるべき静かな場所を持っているのだ。ぼくらは生きながら、細い糸をたぐりよせるようにそれらの合致をひとつひとつ発見していくだけのことなのだ。ぼくは目を閉じて、そこにあった美しいものの姿をひとつでも多く思い出そうとした。それをぼくの手の中にとどめようとした。たとえそれが束の間の命しかたもてないものであったとしても。
Posted by ブクログ
人と別れても、きっとその人は同じように社会を構成する歯車として、匿名的な何かとして、少なくとも社会の一員として機能し続ける。
「ぼく」はそうじゃないみたいだった。最後まで名前はわからなかった彼には、ずっと精神の核にすみれがいたし、冒頭のすみれの恋のようなドラマチックな展開で彼はすみれを失った状態から回復する(失った状態から回復する、という意味の言葉はあるかな?奪回とかだろうか?でも違うな、すみれはすみれ自身で彼にたどり着いたんだ)。
孤独は苦手だ。この本を読みおえて、顔を上げて、世界を見渡して、デジタルデバイスで人との繋がりを確認したとしても、彼とすみれに匹敵するような関係の人はいないし、そんなことはとうの昔から─と言いたかったけれど、わたしは最近このことに気づいたのだった。孤独でない状態の、幸せの味、オキシトシンの味を知っているから、余計に寂寥がわたしを襲う(ちなみに寂寥という言葉はこの本で初めて知った)。
でもきっと、わたしに足りないものなんて存在しないと信じたいけれど、わたしと人々との関係を維持したり向上させたりする努力が足りないのかもしれない。わたしは億劫になっている。人間関係の失敗が怖いのだ。原因は分からない。
ここまで来るともう感想じゃない。わたしが嫌いな人間ランキングTOP5を発表するとすれば、楽曲「ヴィラン」のコメント欄にいるポエマーとか、そういうのに近い存在だから、今のわたしは片足を突っ込んでいることになる。
この本をきっかけに、わたしを見つめて、わたしと対話して、時には夢も見ていいから、わたしの恐怖心の正体を突き止められたらいいと思う。
Posted by ブクログ
短編とは(そのボリュームゆえか)すこし違う流麗な文体と微妙なナイーヴさ 友だちが村上春樹の小説を「(気持ち悪さを除いて)完成されてる」と言うのもなんとなく頷ける
「..とすみれは言った。とてもクールに。とてもリアルに。」p.315
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やっぱり読んでいると気持ち良いな。ちょっと面白い主人公とすみれの関係が良かったな~。夜中に電話をかけてきたり小説を持ち込むすみれに穏やかな雰囲気の僕。村上春樹はちょっとクセになる。
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恋愛小説で第三者からの目線で語られるという構成が斬新で面白かった
体と精神の分離をドッペルゲンガーや影分身のように物理的?視覚的に表現してしまうところがいかにも春樹って感じでとても良かった
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終わり方があまりにも潔い。
すみれはどこへ行っていたのか、どうやって行ったのか、どう帰ってきたのか等々……謎の答えは何も語られないまま終わってしまい呆然。そこも含めて、「らしさ」があって好きな終わり方でもある。
私なら問いただすであろう状況に、ただすみれを迎えに行く主人公。この2人故の信頼感が感じられてとても好き。
登場人物は「すみれ」「ミュウ」「ぼく」の3人。今までの傾向的には、The.大人の女性が好きな私でも、本作ではすみれ派。初恋に必死な女の子が全面に出ていてとても可愛い。設定的には私と同じ22歳であるけども、全体を通してどことなく幼い?少女的?な印象があった。でも(元)ヘビースモーカーであるギャップ。
ストーリーに大きく関わる文言ではないけど、『ギリシャ文字で書かれた煙草やウゾーの派手な広告板が、飛行場から町までの沿道を非神話的に埋めつくし、そこが間違いなくギリシャであることを教えていた。』(p.133)が頭に残った。非神話的。ギリシャの町並みが、主人公の(私たちの)イメージより、意外と現実的な喧騒を持っていたんだと想像できる。個人的に好きな表現。
300ページと少しで、村上春樹作品の中ではライトに読めた。
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冒頭の文章がとても印象的だった。すみれの失踪やミュウの心情など、どういう意図なのかよく分からない部分が多いが、こうした抽象的な世界観にすごく惹かれる。また僕がガールフレンドの子ども(にんじん)が万引きしてスーパーに呼び出されるくだりが面白かった。先生でもある僕が万引きに対して叱る訳でもなく、放任する訳でもない信頼関係みたいなものを感じ取れた。
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10年ぶりの再読
読後感は最高でした。
これ単体でも十分楽しめるのですが、村上氏のエッセイ「遠い太鼓」を読んでからだとより楽しめるかもしれません。
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村上春樹の中でも作品と作品を橋渡しする、蝶番のような一作。
今作のヒロインは特に行動力に長けている分、読み手は主人公と近い視点で読めることだろう。秋の夜長に相応しい、澄んだ余韻が残る。
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『ねじまき鳥クロニクル』と『海辺のカフカ』の超大作に挟まれた小さな長編です。ストーリーがコンパクトなだけに、すみれという女性の恋を通して、あちら側とこちら側を行き来する様子がわかりやすく描かれます。
Posted by ブクログ
・こちら側の世界とあちら側の世界が物語の鍵となっている。
・最後、すみれは「何かの喉を切って」こちら側の世界に戻ってきたのだろうか。
・『海辺のカフカ』も、同じような2軸の世界の話であったし、本作も村上春樹の世界観を感じられる物語だった。
Posted by ブクログ
初村上春樹。とにかく比喩表現の多さにびっくりした。本当の自分とはなにか。すみれはミュウと同じような体験をしようとし(自分を見つめ直した)、煙のように消えたのか。最後は今までの自分(レズ)としての側面も残ってるかもしれないが、「ぼく」を男性として求めているような気がした。
Posted by ブクログ
突如行方を眩ませた「すみれ」を追って、ギリシャはロードス島まで駆け付ける場面、そこで描かれる緊迫感や諦め、人生に対する無情さが印象に残りました。
懸命な捜索にも容赦なく対峙するギリシャの自然、炎々と降り注ぐ陽の光や潮風、静まり返った部屋に流れるゆったりとした時間の描写はどれもリアリティがあり、実際にアテネの街を走破した筆者ならではだと感じます。
自己に対する客観性の描写もこのマラソン挑戦中に筆者が自身に問いかけていたことなのかもしれません。
Posted by ブクログ
夜明け前に「記号と象徴の違いとは何か」なんて電話で叩き起こされても許せるくらいすみれのこと大好きな主人公かわいい〜と思った。村上春樹作品にしては読みやすいし登場人物がみんなチャーミングで、好きな感じ。
Posted by ブクログ
あなたってときどきものすごく優しくなれるのね。クリスマスと夏休みと生まれたての仔犬がいっしょになったみたいに。
初めての村上春樹
ミステリー小説とは違って
言葉や文章を楽しむものなのかな
(違ったらごめんなさい)
Posted by ブクログ
ラストは夢か現実か。何となく「僕」の夢であると思ってる。
比喩表現がとても多く、もっと適切なタイミングに読んでいれば、芳醇な作品であると認識できたと思う。
この作品もまた、喪失の果てに再生があるのかもしれない。
Posted by ブクログ
あんまり覚えてないけど
観覧車の中で取り残されて一晩過ごすシーンがあるお話だったという記憶、、
読みにくくはなかったと思うけどすごく引き込まれる感じでもなかった。
Posted by ブクログ
意識の所在がふわふわしてるときの書き方がリアル。現実に、この世界にはいろんな誰かの半分があてもなく彷徨っているのかもしれないという気がしてきた。