村上春樹のレビュー一覧
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購入済み
それぞれの
お話しに、現長編作品のワードが出てきて
影だったり、突然のダンスだったり、
箱の闇への入り口だったり、
相変わらずの性の描写もあり
消化不良の未回収放置もあり、
発刊当時に読んでいたら
また違う感じ方をしていたかも知れなかったかな?
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Posted by ブクログ
今だからこそ読みたい、読んでおくべき作品だと感じました!そして、読んでよかったと思いました。作はジェームズ・サーバーさん作、訳を村上春樹さんが手がけられています。
ストーリーは、第十二次正解大戦後の何もない世界からはじまります。何もない世界では、生きている人間も何も感じない無の世界…。そんな中、1人の女性が世界に残った最後の花を見つけ、その花を1人の男性と一緒に育てることになるのだが…。
過ちを繰り返すのが人間…でも、繰り返さないようにできるのも人間なのではないでしょうか…。先の大戦も、今まさに起きているウクライナ侵攻も、何のためなんでしょう?そこにあるのは大きな犠牲だけ…みんなわかっているはずなのに、やるせないですよね…。「世界で最後の花」を守るために、私にもできること…考えていきたいと感じました。 -
購入済み
現在の
長編お伽噺とは違う現実的でちょっとだけ
お伽噺も含まれる小説でした。
そんな中でも、素敵でエッチな春樹節が
随所に散りばめられて相変わらずの雰囲気。
残り香程度のモヤモヤ感と、きちんと伏線回収
されて読みやすかったです。
ホントの禿げたかと禿げわしの違いを検索して
スッキリしました。
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Posted by ブクログ
ネタバレ物語は、第12次世界大戦後の荒廃した文明、そして原始的な生活に回帰した人間たちの姿に始まる。 残されたただ1つの花を愛で、平和に暮らし始めた男女が家族を作り、さらに人口が増えて文明化した途端、また戦争を始める人間が現れ…
絵は全体的にとぼけたタッチのラフな線描だが、兵隊が列を成して現れる場面は5ページにも渡り、破滅を予感させる不気味さが際立っている。
「なぜ人間は戦争を繰り返すのか?」をテーマにしたこの絵本は、ナチスドイツがポーランドに侵攻した1939年に刊行されたという。
日本では1983年に『そして、一輪の花のほかは…』という邦題で出版され、その後絶版となっていたものが、最近 村上春樹の新訳で出版されたとのこと。 まさに今だからこそ、戦争の不毛さを多くの人に伝えてくれる。
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Posted by ブクログ
読む前はページ数と二段組の構成に怖気をなしていたが、さすが村上春樹、非常に読みやすい文章。しかし本書は地下鉄サリン事件について「こうだからこうです」とわかりやすい結論や正解を与えてくれる本ではない。62人へのインタビューを通し、善良な市民と異常なカルト教団という二分化に走ってしまう私たちの認識が本当に正しい見方なのか、という揺らぎを与えてくれる内容。社会には本当にたくさんの人々がいて、それぞれの人生があり、色々な痛みを抱えているんだということに実感を持つことができたし、とても意味のある一冊だったと思います。あとは時代もあるのか、ラッシュアワーの地下鉄に乗る人々だからなのか、とにかく仕事を頑張る人たちが多いのが印象的だった。今も同じように仕事を頑張り、毎日きつい満員電車で会社と家の行き来をする人々(本当にすごい)はたくさん居るけれど、時代として「まあ仕事はそこそこで自由な時間を楽しみたいよね」という価値観も重視されている現代とはまた違った雰囲気があるというか……。こういった人々や社会全体の空気感によってこの国は発展してきたんだろうなとも思う。その変化が良いのか悪いのかはわからない。
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Posted by ブクログ
転職してもうすぐ一年が経とうとする頃、職場の最寄駅に突然黒服の集団が等間隔で立っている。
まさにそこが地下鉄サリン事件の舞台であった。
物心つく前に起きた事件だったため、名前は知っていたけれど何が起きたかは全く知らなかった。普段何気なく歩いていた駅構内がまさにその場所であったと知った瞬間、この本を読むために自然と書店に足を運んでいた。
想像以上の解像度で何が起きたか知ることができた。事件に遭う遭わないの命運はいくつかの偶然が重なって別れたように思えるし、生死を分けたのも運であった気もする。(袋を破った近くに居合わせたかどうか、風上が風下か、偶然バスが遅れていつもより遅い電車に乗ったなど)
ただこの事件を企む者がいなければ被害者の日常は暴力的に奪われることはなかったと思うと彼らが信じていたものは何だったのか、虚しい気持ちにもなる。 -
購入済み
さぁこれから
読みやすくで良かったです、
何がって言われる時言葉探しになりますが、
やっぱり雰囲気でしょうか?
さぁこれから、
続編っぽいダンスダンスダンスを拝読致します。
あやうく順番間違えそうになりました。 -
Posted by ブクログ
「多くは住宅ローンに追われ、レイオフの影に怯え、景気の果てしない後退に不安を感じ、アメリカの理想の変質に戸惑いを感じ、教育費や医療費の暴騰に頭を悩ませている。銀行強盗に走った件の弁護士のように、何かひとつがうまくいかなくなったら、一歩足を踏み外してしまったら……という漠然とした恐怖がそこにはある。「ごく普通にやっていればだいたいうまくいくものだ」という楽観性―-中産階級にとっての最大の宝――がだんだんその効力と説得力を失いつつあるように僕には感じられる。」(スティーブン・キングと郊外の悪夢)
かれこれ30年前にアメリカについて書かれたこの一節が、2020年代の日本を先取りしていたことを、いまさらながら実感した。実は当時この本を読んだのか記憶が曖昧なのだが、当時は読んでも気づかなかったのだろう。
日本社会はアメリカ社会を後追いしているというのは巷間言われてきたことなので驚くことではない。別に村上春樹だけが気づいていたことではない。
だけど、それをどう表現して伝えるかが「書き手の腕」で、そこはさすがなんだと思った。
というわけで、排外主義の広まり(30年前のアメリカでは湾岸戦争でとりわけ顕著だったにしても)だとか、街を歩いていて買いたくなる商品が減ったとか、現代の日本において「ちょっとこれは似ているかも」と思わせる記述がいろいろとあった。
作家(とりわけ村上春樹)のエッセイを「社会の写し鏡」みたいにして読むのは野暮かなと思う反面、でも歴史上、文学者たちが書いたものはそういう風にも読まれていたんだよ、と開き直ることにする。