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村上春樹が語るアメリカ体験や1960年代学生紛争、オウム事件と阪神大震災の衝撃を、河合隼雄は深く受けとめ、箱庭療法の奥深さや、一人一人が独自の「物語」を生きることの重要さを訴える。「個人は日本歴史といかに結びつくか」から「結婚生活の勘どころ」まで、現場の最先端からの思索はやがて、疲弊した日本社会こそ、いまポジティブな転換点にあることを浮き彫りにする。
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Posted by ブクログ
最近は対談集をよく読んでいる。この本もその流れで買った。村上春樹と河合隼雄。小説界と心理学界の大御所対談。やはり面白く、読むたびに自分のなかで立ち上がる何かがある。
「深く病んでいる人は世界の病いを病んでいる」という言葉が印象的だった。
病むということは、その人が病んでいる、というよりも、世界や社会、時代の病いをその人が引き受けている、というニュアンスで書かれており、なるほど確かにそうかもしれないと唸らされた。
私はこれまで社会と個人を分けたものとして考えていたかもしれないが、それは渾然一体としているのかもしれない。
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このレビューを書いている現在、衆議院選挙が行われている。政治について、あまりにも状況が複雑化していて、どこからどう考えればいいか、私は分からなくなっていた。
けれどもこの本を読み、もしかすると、私個人、もしくは目の前にいる個人について考えることが大切なのかもしれない、と思うようになった。
私のなかの井戸を深く掘っていったとき、そこには時代に共通して流れる水脈のようなものがあるのではないか。
もっといえば、社会的課題とされる、ときに目を背けたくなるようなドロドロとしたものが、認めたくないけど、自分のなかにもその欠片みたいなものが確かにあって。そのことを認めたうえで、ではそれをどう社会と共存可能な形で、表現していくかなど。
つまりは、自分と向き合うことが、そのまま社会や世界について考えていくことにほかならないのかもしれない、と考えるようになった。
うまく言葉にはまだできないけれども、個人と社会の関係性について、新たな視点を得ることができた一冊である。
Posted by ブクログ
暴力、そして『ねじまき鳥クロニクル』の副読本
ユングとか河合隼雄とかの怪しさは、いったん脇に置いておく。
村上春樹の無意識的・形而上的な創作技法が、多少なりともつまびらかにされてをり、それは氏にしては珍しく赤裸々に開陳されたものだと思ふ。
特にこの対談のメインとなるのは、暴力についてだ。それは氏が『ねじまき鳥クロニクル』を書き終へたばかりといふこともあり、身体から出てきた(頭で考へただけではない)物語だからだ。
同じく暴力を扱った作家として、村上龍と大江健三郎の名前もすこし出てくる。
河合隼雄の心療経験の話が面白く、それがうまく村上春樹と噛み合ってゐる。河合が接した患者の心療経験から導きだされる普遍的らしい真理に、こちらも惹かれてしまひさうになる。
もちろん眉に唾をつける話もある。
たとへば河合さんは、日本の私小説は世界に受け入れられないと書いてるわけだけど、それは違ふと思ふ。なんとなれば、最後の方で河合さんは、みづから矛盾したことを言ってゐるわけだから。《あと、ぼくの場合は、一人の人間のことに必死になっていたら、世界のことを考えざるをえなくなってくるんですね。結局、深く病んでいる人は世界の病いを病んでいるんですね。》
なにより、村上氏の政治的スタンス(むしろそれは暴力にたいするスタンス)は、ほかの文学者と乖離した価値観があった。反核宣言も、だれも痛みを引き受けてゐない。とかれは言ってゐる。
要するにそこには、他者の痛みを自分のものとして一旦捉へる、さうして納得できてはじめて行動できる。といふ態度だ。
現在の村上氏の、のらりくらりとした対談の状況(それはたとへば川上未映子氏との対談だが)をみれば、☆5にする価値はあるのではないか。とさう思った。
Posted by ブクログ
村上春樹作品は今まで1作しか読んだことなく、これまでストーリーテリング=小説と思っていた私には、何が何なのかよくわからず終わってた。大きく今見方が変わった気がする。
心のタガが少し外れた。
生きるとは自分の物語をつくること、につながった。
2016.6.12
もっとずっと読んでいたい対談だった。お二人の対話で話題は全然関係ないのだが、自分の深い部分が癒やされていくという感覚がある。
最初に読んだ時から今までの間に村上春樹の本は随分読んだ。
夫婦とは井戸堀りというのと暴力性についての項が響いた。
2023.10.7
再読。この対談が書かれたのが30年前。村上氏のこれから暴力の時代がくるのではないか、という予見に驚く。サステイナビリティなんて言葉がそこら中で聞かれるようになって、温暖化とか明確に直面している問題にも小手先やらパフォーマンスの対応ばっかで全然歯止めが効いてないし。ほんと、これからどうなるんでしょうねぇ。私個人がそう思うことも時代の憂いなのかな。
2024.6.22
Posted by ブクログ
心理学フィールドにいる私にとって河合隼雄の存在感は大きく、言わずもがな現代における村上春樹の影響も大きいわけで、この本が1998年に出版されたということに気づけなかった。
スマホも、(少なくとも今のような)インターネットも無い時代で、コロナの経験も持ち合わせていない。対談の中で掘り下げられる生き方は、今のそれとは大きく違う。そして何より大きな違いは、当時の「臨床心理士」、心の専門家の社会の中での位置付けかもしれない。人のあり方を、心や行動に還元せずに全体として、あたかも唯一の答えがあるかのように語り得る専門家が、この時代には存在していたのだろう。
時代を超えて読みに耐える普遍性を携えた一冊に見えて、案外この時代、この瞬間にしか生まれ得なかった奇書なのかもしれない。
Posted by ブクログ
知の巨人二人の対談であるので、
正直言って分かったような分からぬような部分も多々ある。
が、そのように「なんとなく分かるような気がする」という感覚も時には重要だろう。
30年近く前の本であり、
内容的には阪神大震災やオウム事件を多くクローズアップしているが、
現代日本の諸問題の多くはすでにこの頃に始まっていた。
曖昧さを良しとする情緒的な日本文化と、論理的なアメリカ文化。
夫婦関係、箱庭療法に対する姿勢、言語の持つ力など、
お二人はさかんに2つの文化の違いを強調するのだけれど、
私は実は似ているのではないか、という気もしている。
ただし、空気に支配される日本がより問題なのは明らかだ。
Posted by ブクログ
村上:ほくは夢というのもぜんぜん見ないのですが
河合:それは小説を書いておられるからですよ。谷川俊太郎さんも言っておられました、ほとんど見ないって。そりゃあたりまえだ、あなた詩を書いているもんって、ぼくは言ったんです。
村上:夢を見ないものなのですか、別の形で出していると。
河合:やっぱり見にくいでしょうね。とくに「ねじまき鳥クロニクル」のような物語を書かれているときは、もう現実生活と物語を書くことが完全にバラレルにあるのでしょうからね。だから、見る必要がないのだと思います。書いておられるうえにもう無理に夢なんか見たりしていたら大変ですよ。
創造力が必要な職業の人とは逆に、きつい現実社会にいる職業の人も夢をみない(覚えていない)らしい。中間の、われわれみたいのが夢をみるんだな。
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小説・文芸
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